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    <title>平日開店ミシマガジン</title>
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    <updated>2012-02-03T10:16:55Z</updated>
    <subtitle>ひと月かけて完成する、ミシマ社のウェブ雑誌「平日開店ミシマガジン（通称ミシマガ）」。多彩な作者による、いろとりどりのコラムが楽しめます。平日は毎日朝10時半に更新。</subtitle>
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    <title>第31回 予定のないお正月</title>
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    <published>2012-02-03T10:16:55Z</published>
    <updated>2012-02-03T10:16:55Z</updated>

    <summary>へなちょこ古代史研究会（第７回） にも書いたのだが、今年のお正月は池上彰さん...</summary>
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        <name>ミシマガジン</name>
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        <category term="ミルコの六本木日記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p><a href="http://www.mishimaga.com/kodaishi/007.html">へなちょこ古代史研究会（第７回）</a> にも書いたのだが、今年のお正月は池上彰さん漬けになっていた。<br />
BSジャパンで「池上彰の現代史講義」一挙放送をやっていたのだ。<br />
たいへん勉強になったので有意義なお正月であったのだが、三が日をまるまる池上さんで過ごす自分、いかがなものか。</p>

<p>世の中の同世代のお正月は、おそらくもっと忙しい。<br />
結婚されている方ならご家族の世話を焼いたり、だんなさまの実家に行って気を遣ったりもあるだろう。<br />
独身なら彼とリゾート・同僚とスキー・もしくは温泉旅行･･･。<br />
私の場合もう何年も、予定のないお正月を過ごしている。</p>

<p>病んでいたこともあるが、ニュースで成田空港の混雑のようすや新幹線や高速道路の渋滞を見るにつけ、みんな忙しいのだなと思った。<br />
年末にバンド仲間と食事したとき、会計で、メンバーのツツミさん（46歳・会社役員）がサイフを開けながら</p>

<p>「ピン札はお年玉に使うからとっておく」</p>

<p>と言ったのにハッとした。<br />
私はお年玉というものをあげたことがない。<br />
両親の実家や親戚はみんな大阪なのでめったに会わないし、子どものいる友達も少ない。<br />
お正月に会うほどの友達というのも限られる。<br />
ツツミさんはピン札を何枚も確保しなければならないほど、お年玉をあげる用事があるのか。</p>

<p>私はこれからもひっそりと生きてゆく。<br />
節分だ。ウチの大掃除をしよう。<br />
年末は、ギターの弦を替えたくらいで大掃除をしていない。<br />
私は仕事場も自分のウチなのだから、ウチをきれいにしなければ。<br />
会社にいた頃、徹夜明けで早朝居ると、お掃除の業者さんと会った。<br />
お掃除のおばさんも、おじさんも、どんな思いで、毎朝あのフロアのゴミを、片づけていたのだろう。</p>

<p>誰もがずっと忙しいわけではない。<br />
忙しい時期というのはある輝きも伴うが、時として罪深い。</p>

<p><br />
※本連載が書籍になります。『<a href="http://www.mishimasha.com/books/" target="_blank">毛のない生活</a>』、2/17（金）発売です。お楽しみに！！</p>]]>
        
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    <title>第2回 平成便利考</title>
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    <published>2012-02-02T10:22:48Z</published>
    <updated>2012-02-02T10:22:48Z</updated>

    <summary>　便利とは何かということについて、世紀をまたいで考える。 　高校の時分、「休...</summary>
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        <name>ミシマガジン</name>
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        <category term="万字固めがほどけない" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>　便利とは何かということについて、世紀をまたいで考える。</p>

<p>　高校の時分、「休校なのに登校」という痛恨のミスを犯したことがあった。台風が過ぎ去ったばかりの朝に、いつもどおり学校へ向かうと、最寄り駅の様子が少しおかしい。電車から降りる生徒の数も少なければ、なぜか反対のホームに突っ立っている生徒の姿も見える。話を聞くと、洪水警報だか暴風警報だかが発令中で、学校が休みなのだという。</p>

<p>　普段に比して、明らかに閑散としているホームの階段を上り、とぼとぼと反対側のホームへと向かった。運ばれてきたばかりの線路を戻る電車を待ちながら、家と学校との往復にかかるこの二時間、本当は今もぐっすりベッドのなかで眠って過ごせたのだ――、と考えただけで、身もだえするほどたまらん思いがした。私は朝が苦手だった。高校の三年間、ぎりぎりの時間まで布団にくるまりながら、「このまま五十年間、寝続けさせてくれ」となぜか、きっかり半世紀を時間指定して、いつも願をかけていた記憶がある。</p>

<p>　それだけに、せっかくの二時間をあたら無駄に起きて過ごしてしまったことを、私は歯がみしたいほどくやしく感じた。我が家は朝食の際、テレビを見る習慣がなかった。台風も過ぎ去り、雨もとうにやんでいるので、警報の可能性などかけらも考えることなく家を出た。結果、このザマとなったわけである。</p>

<p>　では、どうしたら、失敗を回避できたのか。考えるまでもなく、答えはひとつしかない。テレビを観ることである。もしくはラジオを聴くこと。当時、リアルタイムの情報源といったら、このふたつがすべてだった。ざっと二十年前のことである。もちろん、家にパソコンなどなければ、携帯電話もない。そもそもインターネットというものが存在しない。「アマゾン」と言ったら、仮面ライダーのうろこっぽいやつのことだった。</p>

<p>　もしも、あの時代に現在の機能を備えたパソコンが、いや携帯電話が一台でもあったなら、私はきっと無為なあの二時間を過ごさずに済んだだろう。友人から「今日は休みだってよー」というメールが一本くらいは届き、私は制服に袖を通す動きをハタと止める。科学技術の進歩がもたらした便利は、私の二時間を軽々と救い、その後、嬉々として二度寝の世界に舞い戻ったはずなのだ。</p>

<p>　それからときは経ち、世紀の変わり目をまたぎ、今、私の前には一台のノートパソコンが置いてある。</p>

<p>　かたかたと文字を打ちこむだけで、世界中の情報が舞いこんでくる。そういうものがあるのか知らないが、その気になれば、今、リトアニア国内に発令されている警報・注意報の有無だって検索することができる。学校に行く必要がなくなったので実践は無理だが、「休校なのに登校」なんて無様な真似は二度としないだろう。実際に、遠くまで足を運び外食を試みるも、店の前で「うあ、休み」とうめく機会は激減した。事前に定休日を調べてから赴くようになったからである。</p>

<p>　いったい、私はこのパソコンを得たことで、どれほどの便利を享受するに至っただろう。むかしは家で食べたいときは自ら店頭に赴き、お土産を持ち帰るほかなかった美々卯のうどんすきだって、今や通販で五分で注文できてしまう。まったく、二十世紀のみぎりには想像だにできなかったことですよなあ――、とつぶやきつつ、私は机に置いてあったＰＳＰなる携帯ゲーム機を手に取る。新しく買ってきたゲームをちょっとやってみようと、と電源を入れると、</p>

<p>「ソフトウェアを更新してください」</p>

<p>　という表示が画面に現れた。<br />
　最近のゲーム機というのは、よほど複雑にできているらしく、両手に収まる機体のくせにときどき本体ソフトウェアの更新を求めてくる。更新をしないと、新しく発売されたゲームが動かないので、こちらもお付き合いするしかない。でも、どうやるんだったっけ、とそのやり方を完全に忘れていた私は、当然目の前のパソコンですぐさま検索をかけた。</p>

<p>　便利な世の中である。あっという間に解決法が提示される。いくつかある更新方法のうち、一歩もイスから立ち上がらずにできるやり方を私は選択する。すなわち、ＰＳＰに入っている薄いカードをノートパソコンに差しこみ、それによりソフトウェアの最新データを取りこむという手だ。</p>

<p>　私はさっそく、ＰＳＰから小指の先ほどの大きさしかない薄っぺらなカードを抜き取り、ノートパソコンの側面にある差しこみ口に押しこんだ。</p>

<p>　そのとき、妙な注意書きが見えた。<br />
　差し込み口に貼ってあるシールに、今まさに押し入れようとしているカードについて名指しで、「必ず専用アダプタを装着してから入れてください」と書かれていたのである。</p>

<p>　私はその「必ず専用アダプタを装着してから入れてください」という記述をゆっくりと読みながら、カードをゆっくりと押しこんだ。目と手は神経で直接つながっていない。目の情報をまず脳が処理し、それから脳が手に命令を下す。そのタイムラグをはからずも実感した、などと分析している場合ではない。はっと我に返ったときには、カードを全部差しこみ口に押しこんでいた。</p>

<p>　私はしばし動きを止め、差しこみ口を見つめた。もちろん、注意書きにある専用アダプタなどつけていない。だが、見たところ何も問題なく差しこまれている様子である。<br />
　よくわからないが、ひとまず取り出してみよう、と差しこみ口に指を当てたとき、私はようやく事態を呑みこんだ。</p>

<p>　カードが出てこない。</p>

<p>　普通なら、この状態でいったん押しこむと反動でカードが戻ってくるものだが、まったく手応えがない。どうやら、専用アダプタなるものをつけていないため、差しこみ口の大きさとカードが合致せず、そのまますっぽりカードが奧まで入りこんでしまったらしい。</p>

<p>　落ち着け、落ち着け。</p>

<p>　私は心で繰り返した。これは別に大したことではない。たかが、薄っぺらいプラスチックが狭いところに潜りこんだだけだ。何とでもなる――。</p>

<p>　差しこみ口とカードの間に爪を入れ、引き戻そうとした。動かない。<br />
　耳かきを持ってきて、引き戻そうとした。動かない。<br />
　ピンセットを持ってきて、抜き取ろうとした。カードの上下を挟もうと試みたら、逆にいっそう奧に逃げる結果になってしまった。それからはまったくびくともしなくなった。<br />
　ここにきて、私は思っていたよりも状況がずっと悪いことをようやく認識した。</p>

<p>　そのとき、自分が立ち向かっている相手がノートパソコンであることを思い出した。ノートパソコンの問題なら、ノートパソコンに訊ねればよいではないか。私はＰＳＰに入っていたカードの名前のあとに「取り出せない」と試しに入れてみた。<br />
　すると、どうだろう。<br />
　日本全国津々浦々から報告された類似体験が、ずらずらずらと検索結果に現れたではないか。<br />
　やはり、誰もが通る道なのだと、妙な連帯感、安心感を抱きながら、私は解決法を求め、それぞれの記載に目を通した。</p>

<p>　私の顔は徐々に強ばり始めた。<br />
　相手はたかだか厚さ二ミリ、大きさは小指の爪を引き延ばした程度のプラスチック板だ。にもかかわらず、それを簡単に取り出す術がないらしい。何をやっても駄目で、修理に出したら結構な値段を取られた、というおそろしい体験例に顔が引きつる。いっそのこと、自分でパソコンを分解したほうが早いのではないか、と思ったが、パソコン自体が壊れたら元も子もない。</p>

<p>　いつの間にか、パソコンの前でうなだれる私の前に、ついに一件の解決例が登場した。爪楊枝の先に瞬間接着剤をつけて、カードと連結させて引き抜く、というものだ。だが、我が家に瞬間接着剤などない。</p>

<p>　さらにもう一件、解決法を発見した。カッターの刃に両面テープを貼って、それを隙間に差しこみ、カードに接着させて引き抜けという。なるほど、こちらのほうが成功率が高そうな気がする。されど、家に両面テープがない。</p>

<p>　やはり、ここは便利の結晶、コンビニに行くべきなのか。しかし、現在の時刻は深夜の三時。そもそも、瞬間接着剤やら、両面テープやらをコンビニで売っているか、などと考えると、イスから尻を上げる気が起こらない。ならば、さっさとあきらめて、解決は明日に持ち越せばいいのだが、駄目とわかっている耳かきやらピンセットをまたぞろ持ち出し粘ろうとする。挙げ句が、お気に入りだった耳かきの先端を、力をこめすぎて折ってしまった。</p>

<p>　まるで引きちぎられたような無惨な断面をさらす耳かきを前に、とうとう私は降参した。ああ、寝よ寝よ、とようやく重い腰を上げた。そのとき、ふと文具ケースのなかに、あるものを発見した。セロハンテープである。私はセロハンテープを３センチほど切り取った。それを差しこみ口のカードとの隙間にそうっと入れた。さらにピンセットの片側だけ使って、接着面を上からカードに押しつけた。</p>

<p>　息を止めて、そろりと引き抜いた。</p>

<p>　カードが音もなく、差しこみ口から出てきた。はふっ、と大きな息を吐いて、カードを指で一気に引き抜いた。ようやく生還した、小さすぎる人質をぎゅうと抱きしめた。<br />
　すべてが解決したとき、問題発生からゆうに二時間が経過していた。<br />
　世紀をまたぎ、改めて便利とは、と私は問う。</p>

<p>　もしも、インターネットやパソコンという便利があったなら、二十世紀を生きる高校生の私は、台風後の警報が人知れず発令されていたあの朝にうっかり登校し、大事な二時間を失うことはなかったはずだ。</p>

<p>　逆に、それらの便利がこの世に存在しなかったなら、うっかり差しこんでしまった薄っぺらなプラスチック片の救出に、二十一世紀を生きる私が延々と深夜の二時間を費やす、そのトラブル自体が発生しなかっただろう。</p>

<p>　ここに来て、ようやく私は答えを得る。</p>

<p>　問題は便利の有無ではない。その前に横たわるうっかりの有無である、と。つまり、どれほど便利が発達しようとも、人間のうっかりを超越することはない。どんなに科学技術が進歩しても、人間のうっかりに勝つことは永遠にできないのだ――。</p>

<p>　世紀をまたいだこの発見を、私はどこまでもしかめ面で、あなたにお伝えしたい。<br />
</p>]]>
        
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    <title>第30回 baby baby baby</title>
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    <published>2012-02-01T18:18:38Z</published>
    <updated>2012-02-01T18:18:38Z</updated>

    <summary> いつも「読む女」を楽しみにしていただいている読者のみなさま、 ありがとうご...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p> いつも「読む女」を楽しみにしていただいている読者のみなさま、<br />
ありがとうございます。<br />
2011年12月掲載予定の「読む女」が、こちらの手違いで未掲載となっておりました（失礼いたしました！）<br />
昨年末に向けて書かれた内容ではありますが、ぜひ、皆さまに読んでいただきたいため、<br />
そのまま掲載させていただきます。<br />
これからも、木村と木村の家族の物語をあたたかく見守りくださいませ。</p>

<p>ミシマガ編集部より</p>

<p><br />
<img alt="第30回読む女" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0201-4.jpg" width="660" height="896" /></p>

<p><img alt="第30回読む女" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0202-5.jpg" width="660" height="913" /></p>

<p><img alt="第30回読む女" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0202-6.jpg" width="660" height="935" /><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>2012年1月　編集後記</title>
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    <published>2012-01-31T13:02:14Z</published>
    <updated>2012-01-31T13:02:14Z</updated>

    <summary>今月の第7回の古代史研究会を執筆されたのは、古代史研究会メンバーのミルコさん...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
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        <category term="編集後記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>今月の<a href="http://www.mishimaga.com/kodaishi/007.html">第7回の古代史研究会</a>を執筆されたのは、古代史研究会メンバーのミルコさんです。ミルコさんといえばミシマガで『<a href="http://www.mishimaga.com/mirko-roppongi/index.html">ミルコの六本木日記</a>』を連載されていますが、実は古代史研究会メンバーでもあるのです。大物揃いの古代史研究会、コンテンツは今後も要チェックですよ～。</p>

<p>（林）</p>

<p>「<a href="http://www.mishimaga.com/gekkanjouyou/006.html">月刊城陽</a>」にて、ミシマ社の本屋さんについて紹介させて頂きました。ついにお披露目です。いろんなところから届いた本たちを見ていると、本当にぜんぶ良くて、鼻息荒げて一冊一冊凝視しています。僕たちだけですべて買い上げてしまいそうな勢いです。今日もオフィスの近くで、城陽・平川名物の茶だんご（「<a href="http://www.mishimasha.com/jimichi/blog/index.php?e=152">じみち日記</a>」にも登場しました）を食べたり、小銭をカンカンに入れて買うご家庭直売の野菜売り場をいくつも発見したり、城陽の素敵ポイントに触れてきました。古墳もいっぱいあるし、まだまだ、掘れば掘るほど、いろいろ出てきそうな城陽の地で、これからもおもしろいこといっぱいしていきたいです！　</p>

<p>（関ジュニ　松村）<br />
 </p>

<p>□□【蔵出しミシマガジン】□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□<br />
　　　テーマ：「目印」</p>

<p>■<strong><small class="clr_GL">［本屋さんと私］</small></strong><strong><a href="http://www.mishimaga.com/hon-watashi/051.html" target="_blank">第51回 「小商い」という商売のかたち</a></strong><small>（2010年10月21日掲載）</small><br />
<blockquote><span class="name">平川</span>「小商い」といっても、「マイクロビジネス」のことではないんです。規模は関係なく、社員が1000人いようが1万人いようが「小商い」という商売のかたちがあり、それについて書こうと考えています。なかなか書き進まないんだけどね（笑）。<br><br />
「小商い」とは何かというと、「自分の手の届く距離、目で見える範囲、体温を感じる圏域でビジネスをしていく」ということです。そういう商売は、大儲けはできない。大儲けはできないけれど、ある種の確実な、ビジネスには絶対必要な、「取引の繰り返し」というものが確保できる。<br />
</blockquote><br></p>

<p>■<strong><small class="clr_EG">［本屋さんと私］</small></strong><strong><a href="http://www.mishimaga.com/hon-watashi/041.html" target="_blank">第41回 子どもの頃から書いてました　（クラフト・エヴィング商會　吉田篤弘、浩美さん編）</a></strong><small>（2010年7月8日掲載）</small><br />
<blockquote>――　本屋さんに自分で行った最初の思い出というのはいつくらいですか？<br><br />
<span class="name">篤弘</span>市場のなかに本屋があったんです。野菜を買ったり果物を買ったりする市場のなかに。そこで母親が買い物しているときに、その本屋で立ち読みしていたのが最初の記憶ですかね。けっこう覚えてるんですよ。本を読んでいた感触とか。<br />
だいぶ大人になってから母に、あのときのことを覚えてると話したら、あれは本当にまだ立って歩いてまもなくの頃じゃないか、って。<br><br />
――　へ〜。そうですか。<br><br />
<span class="name">篤弘</span>たぶん本というものを理解して見ていたわけではないと思います。だけど母は、ぼくが本に興味を示しているのを見て、その本を買ってくれ、それをぼくは家に帰ってからもずっと見ていたそうです。<br><br />
――　へー。<br><br />
<span class="name">篤弘</span>その本はいまも持ってます。たしか、イソップの童話か何かです。<br><br />
――　その頃はもう字は読めてたんですか。<br><br />
<span class="name">篤弘</span>読めてないんじゃないですかね。たぶん、大人が読んでいるのを真似していただけだと思います。その本屋さんは、割とすぐになくなってしまったので、ぼくの記憶は、そうとうチビの頃のものであることは間違いないです。母が買ってくれたことも覚えてるので、たぶんそれが自分の最初の記憶だと思います。<br />
</blockquote><br></p>

<p>■<strong><small class="clr_BR">［実録！　ブンヤ日誌 ］</small></strong><strong><a href="http://www.mishimaga.com/bunyanikki/010.html" target="_blank">第10回 野人との２日間 </a></strong><small>（2010年6月21日掲載）</small><br />
<blockquote>雲ひとつない快晴の下、人生で初めて砂丘を歩いた。何の因果だよ、と笑いたくもなったが、空と砂だけの幻想的な世界は傷ついた心（それほどでもないが･･･）を癒してくれた。ちょっと雰囲気を覗くだけと最初は思っていたが、僕も濱田広報もだんだんヤケになり、果ての海岸線まで完歩することにした。４５度ほどの勾配がある大きな丘をゼエゼエと登り切り、青空を見上げて深呼吸した時、ふと思った。「このままじゃ帰れない」 <br><br />
１泊して翌日に再チャレンジすることにした。危険な選択だった。１泊２日にすれば、抱えまくった仕事はさらに遅れ、経費もかさむ。しかも岡野は「体のフシブシが痛い」と語るほどの状態で、１日待てば回復するという保証はどこにもなかった。後日、電話で話を聞いて写真も送ってもらう手筈も整っていたため、紙面としてはギリギリ成立する。なのに、もし２日間かけて会うことすらできなかったら･･･。<br />
</blockquote><br></p>

<p>■<strong><small class="clr_GL">［特集］</small></strong><strong><a href="http://www.mishimaga.com/special/031.html" target="_blank">「いま、地方で生きるということ」を書いてみて　西村佳哲（前編）</a></strong><small>（2011年8月2日掲載）</small><br />
<blockquote><span class="name">西村</span>それである日、床屋に行って座ったら、いつものお兄さんが「西村さん、今日どうします？」「いつか丸めたいって言ってましたよね」と。ふだん彼の方から言うことってなくて、たいてい僕が「いつもどおり」と答えるパターンだったけど、その日は違ったんですよね。ちょうど「いつかはない」と考えていたので、「そうか今日か」と（笑）。それ以来、坊主頭なんですけど。これは完全な余談ですが。<br><br />
<class="clr_LBR">――　重要な話です。<br><br />
<span class="name">西村</span>冬に丸めるもんじゃないと思いましたけどね。寒いし（笑）。で、「いつかはないんだよ」って、大学の授業で課題を出して、講評会の時によく思うんですよね。彼らは「また次の時にうまくやればいいや」と思ってるんだろうけど、その「いつか」はもう来ない。同じ課題をやる機会なんて絶対ないんだから。そんなわけでこの本についても、「三島さんと本をつくるという波がいま来ている、このタイミングで乗らないとテイクオフできない」と感じたのが最大の理由ですね。<br />
</blockquote><br></p>

<p>■<strong><small class="clr_LB">［飲み食い世界一の大阪。］</small></strong><strong><a href="http://www.mishimaga.com/nomikui/002.html" target="_blank">第2回 チョット京都、行こう。</a></strong><small>（2011年11月28日掲載）</small><br />
<blockquote>　街の先輩からの「チョット行こか」もそうだが、初めての街や自分の地元ではない街でだれかからの「チョット行きましょか」との誘いほど、わくわくするものはない。店好き街好きで、根が調子者（アホ）のわたしなどは、「チョット」と言われると、その後の予定がない限り絶対に「行きましょ行きましょ」と2回リピートの返事になる。<br><br />
　この「チョット」は、あまり知り合い度が深くない人にそう誘われると、この人はさてどんな店に連れて行ってくれるのかという期待と、その人の「チョット」で連れて行ってもらった店を通じて、その人のことが街的にどんな人であるかがわかるような気がする。<br />
　また「チョット」は決して喫茶店に「チョット行く」ことではない。そして「チョット」はその因果として時には怖ろしい結末を迎えるほどのハシゴ酒になるか、文字通り「チョット」だけで何だか物足りなく「水くさい」ことにもなる。必ずそのどちらかなのである。<br />
</blockquote><br></p>

<p>□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□</p>

<p><br />
<p><small><strong>発行人：三島邦弘</p></p>

<p>編集：ミシマ社</p>

<p>ウェブ編集：松井真平</p>

<p>ライティング</p>

<p>関ジュニ：新居未希 山﨑美和子 北岡恵里奈 松村惇平<br />
<a href="http://www.mishimaga.com/gekkanjouyou/006.html" target="_blank">月刊城陽：「ミシマ社の本屋さん」いよいよオープンです！</a>

<p>イラスト　MARINO （ブリン）<br />
トップページ、「読む女」「＜構築＞人類学入門」「声に出して読みづらいロシア人」「本屋さんと私」「スポーツ紙バカ一代」「喫茶店入門」</p>

<p>編集協力</p>

<p>白髪鬼<br />
<a href="http://www.mishimaga.com/russiajin/index.html" target="_blank">「声に出して読みづらいロシア人」</a></p>

<p>足立綾子<br />
<a href="http://www.mishimaga.com/mishi-hana/index.html" target="_blank">ミシマ社の話</a></p>

<p>ウェブディレクター　蓑原大祐　石山豊（株式会社アンアンドアン)<br />
Web制作　<a href="http://www.anandan.co.jp/" target="_blank">株式会社アンアンドアン</a></p>

<p>Special Thanks to all readers and all authors of MISHIMAGA</p>

<p>お便りはこちら <a href="mailto:readers@mishimasha.com" target="_blank">readers@mishimasha.com</a></strong></small></p>
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    <title>第23回 美は人間を判断する絶対の基準！？</title>
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    <published>2012-01-31T10:32:53Z</published>
    <updated>2012-01-31T10:32:53Z</updated>

    <summary>最近悩みが増えつつある。 歳をとるにつれて、目の下の部分にクマができてしかも...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
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        <![CDATA[<p>最近悩みが増えつつある。<br />
歳をとるにつれて、目の下の部分にクマができてしかも膨らむのだ。<br />
「あ、ここ膨らんでる。脂肪を抜けばもっと若く見えるだろうに」<br />
目の下、クマができる部分が膨らむと確かにふけて見える。その悩みを夫に話した。<br />
「いつも自慢してたじゃん。私は整形手術しなくても肌も綺麗だし、今の歳でもすっぴんで外出られるって」<br />
「そうだけど、なんかね、やっぱり歳をとると欲望がでてきちゃうよね」</p>

<p>正直、鏡でじっと自分の顔を見ていると他の箇所も気になってきたりする。目の周りだけではなく、あごもちょっと補正したい。両あごが出っ張っていて顔の形が角ばってしまっている。昔は卵形だったけど、どんどん四角に近づいていく。<br />
ある日、韓国にいる友だちと電話をしていると彼女も同じ悩みを抱えているらしく、美容について熱弁していた。</p>

<p>「たるんでいるあごの肉をマッサージで引っ張ると綺麗になるらしい」<br />
「そうなの？　それってどこでできるの？」<br />
「妹の話ではカンナム（ソウル市内）にある病院でできるらしい。だいたい150万ウォン（今のレートだと約10万円）くらいだって！」</p>

<p>よくこういう情報を手に入れるものだと感心しながら聞いた。150万ウォンでちょっと綺麗になれるなら１カ月だけ貯金を我慢すれば何とかなりそうな金額。ああ、誘惑に負けそうだ。</p>

<p>そう、今回は整形の話をしようと思っている。<br />
日本の人たちが韓国と聞いてイメージする言葉のなかに必ず登場するのが"整形手術"という言葉だ。<br />
そんな整形の現状について、私の学生時代と比べてみることにした。</p>

<p>私が卒業した学科の定員は50人位。そのなかで半分が女の子だった。<br />
もう15年前の話だけど、大学入学時に同じ学科の子たちと集まることになっており、初めてみんなと対面したときにあることに気がついた。目が異常にはれている子がいるのだ。しかも、ひとりではない。その子たちの前では言えなかったけど、整形手術をしたのではないかという噂が流れていた。</p>

<p>見てみると、目を完全に開けられず、瞼に二重の跡が残っている。それが手術をしたかどうかを判断する根拠になる。瞼を閉じたときに二重の跡が異常に残っていると手術をした可能性が高い。だから最近は本格的に手術をしなくて機械ではさむ技法（찝는다：チプヌンダ）が人気だという。そうすると自然な二重ができるという。もちろんすぐに効果はなくなってしまうが、また同じことをすれば効果が戻る。</p>

<p>手術で深く二重をつくると腫れた部分が自然に戻るのに一年あまりの時間を必要とする。つまり、彼女たちはやっと2年生から美人になった。</p>

<p>韓国では二重が美人の絶対条件のひとつ。二重で生まれて二重が深い私は町に出るとおばあさんに「二重手術をしなくていいからお金を得したわね」と言われた。また別の人には「どこで手術するとこんなに自然にできるの」とも聞かれた。自然にこんなに綺麗にしかも深く二重ができないと思ったのだろうが、私のものは本物だ。ははは･･･。</p>

<p>だからか、昔は大学受験が終わると合格祝いに整形手術をプレゼントしてもらい、大学に入る子が多かった。今思い出してみると、同じクラスの25人の内4人はやっていたように思う。目だけではなく、鼻をやった子もいる。今はみんな美人さんになった。20歳の時には外見からすぐにわかってしまっていたのだが、今はすっかり馴染んで自分で暴露でもしない限りわからない。</p>

<p>今はその"馴染む"速度がさらに速くなったらしい。4年前、まだ韓国に住んでいるとき、電車から降りながら聞いた話がいまだに忘れられない。私の家の最寄り駅より先の駅にある整形美容病院の広告を見てふたりの女子高生が交わした会話だ。</p>

<p>「あの整形病院は夏休みとかには予約が取れないって」<br />
「え？　そんなに人気なの？」<br />
「うん、予約でいっぱいだって。XXも夏休みに行くんだって。評判がいいんだって」</p>

<p>びっくり仰天！！<br />
最近の高校生は夏休みに整形手術を受けるのだ。そうすると自由に遊べる大学生になったとき、綺麗になれるから。ただし、高校生の整形手術は親の同意がないとできない。<br />
また、最近びっくりするニュースを見てしまった。夏休みを利用して整形手術をする場合のチェックリストが記事に出たのだ。16歳は目までできて鼻は鼻の発達が終わる19歳からするほうがいいとか、手術を終えた後、旅行はできるかとか、いろいろ注意事項が書かれていた。こんなものがポータルサイトのトップページを飾るなんて、時代の流れを実感する。</p>

<p>私が大学生のときは整形手術を受けたことにみんな罪悪感があった。顔にメスを入れることに対して冷ややかな視線を送ったのだ。<br />
だが、いつかははっきりしないが、綺麗な女性芸能人が出てきて私は顔全体を手術したと堂々と告白した。それ以前に手術をした芸能人がいなかったわけではないけど、手術前後の写真を自分で比較したりしながらこんなに堂々と告白はしなかった。みんな否定した。それが、ある日を皮切りにみんな「私は目をやりました」、「鼻をちょっといじりました」とか言うようになった。</p>

<p>それにつられてみんな堂々と手術するようになった。だって、お金かけて美人になって芸能人になると大金持ちになれるんだもの。<br />
アイドルやタレントは万国共通の女の子たちの憧れだ。</p>

<p>「美は韓国では人間を判断する絶対の基準だ」</p>

<p>この題材をどう思うか韓国の友達に聞いたらこんな答えが･･･。<br />
「うーん、まあ、70％はそうじゃない？　とにかく綺麗なのがものをいうよね」<br />
急に何でこんなことを聞くのと言われ、整形手術について書いていると話した。すると、自分の周りで手術した人のことを話し始める。それによると、二重にすることは"手術"にも入らないらしい。最近は両顎手術（양악수술：ヤンアクススル）というのが人気らしい。本来は医療用の手術で、あごの位置がずれていったりすると、それを矯正するためにやるらしいのだが、最近はしなくてもいい芸能人が参加し、積極的にやるらしい。小顔で若く見えるようになるそうだ。</p>

<p>「最近では学歴とかも見るけど、やはり第一印象を決める顔が綺麗なのが一番だよ」</p>

<p>否定できない事実だ。<br />
思い起こしてみると、私も夫と話すときに誰か知らない人が登場すると、必ず「その人イケメンなの？」「綺麗なの？」と聞くのだ。</p>

<p>韓国のお母さんも友達と一緒に目の周りにメスを入れた。メスを入れたというか、もうちょっと若く見えるためにちょっとしたことをやった。目の下の脂肪を少しだけ抜いたのだ。お母さんの友達はその反対、脂肪をちょっと入れた。ふたりして、若干目の周りに傷が残ってしまった。それを見て私は絶対やらないと心に誓ったのだが、歳をとると欲望は出てきてしまう。正直怖くてできないけど、今の状態から悪化（？）してくると、わからなくなってくる。</p>

<p>最近では、ネットで検索すると芸能人の誰がどんな手術をしたのかを分析したサイトなどがある。それを見ていると「こんなに自然にできるのに、私もやりたい」というように気持ちが揺らいでしまう。直すところがないといわれる私（！？）でさえ、その気になってしまう。</p>

<p>「ちょっとあごを直したい」<br />
「今度はあごかよ」</p>

<p>見慣れたあきれ顔の夫。</p>

<p>「というか、そもそも怖くて絶対できないでしょ」<br />
「まあ、そうだけど、必ずしもメスを入れなくて簡単にできるものがあるってよ」<br />
「金かけたら何でもできるよ。貯金崩してやれば？」<br />
「ちぇ、私ができないと思うでしょう。後で後悔するなよ」<br />
「あんたは、口だけだもん。絶対できない」<br />
「やってみるわ！」</p>

<p>夫の言うとおりだ。家のローンを返すにははるかに遠い。ここで貯金をまた崩してはローンを本当に35年間返さなくてはいけない。</p>

<p>急にちょっと心配になってしまった。<br />
うちのお母さんがもっとも恐れているのは、私が太ることとあごの両端が出っ張ることだ。いつも韓国に帰るとあまり硬いものを食べないでというのだ。ダイエットもいつも言われることのひとつ。</p>

<p>今回韓国に行ったらなんていうか･･･気にしていなかったお父さんまで一緒に心配しそうで怖い。<br />
美の意識が高い韓国では綺麗になることも親孝行のひとつだ。<br />
とりあえず、100円パックでも顔に貼ろう！</p>

<p>しかし、今日久々に鏡を見た。普段鏡を見ない私だが会社のトイレで見てしまったのだ。<br />
本当に歳相応にそばかすなのかしみなのかわからないものが顔にいっぱいできている。<br />
憂鬱な一日だ。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第6回 鰻屋はタイピン・カフスで</title>
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    <published>2012-01-30T12:33:49Z</published>
    <updated>2012-01-30T12:33:49Z</updated>

    <summary>　こと鮨屋と鰻屋に関しては、若い女性やアベックや家族連れで賑わっている店より...</summary>
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        <name>ミシマガジン</name>
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        <category term="飲み食い世界一の大阪。" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>　こと鮨屋と鰻屋に関しては、若い女性やアベックや家族連れで賑わっている店よりも、年配の男性客率が高い店がうまい店だと思う。とりわけ鰻屋にはアロハシャツに短パン、ゴム草履はもちろん、ポロシャツにジーンズというのもダメだと思う。ディスコにでも行くような格好は最悪で、流行りのスペインバルでも居酒屋でもダメだ。要するに「遊びに行く」ような出で立ちで行くと、きっとおいしくないところが鰻屋なのだと思う。</p>

<p>　一番似合うのは、無地のダークスーツ、それにワイシャツにネクタイ。ネクタイにはタイピン、シャツの袖には必ずカフスという姿だ。わたしは40代半ばから髪に白いものが増えてきて、今はほとんど白髪頭であるが、ワイシャツ・ネクタイ・タイピン・カフスはやったことがない。それをやってしまうと、多分ドブ鼠スーツ姿になってしまうだろう。絶対似合わない、というよりまるで経理担当の市役所職員みたいになってしまうのが見え見えなのである。これではまだまだ、うまい鰻を食べる資格がないのだ。</p>

<p>　だからワイシャツ・ネクタイ・タイピン・カフスで、さらにワイシャツの下にランニングを着ているのが見えて、それがかえってカッコいいという、そういう年配男性客こそ一番うまい鰻の食べ手なのだろうと思う。</p>

<p>　余談になるが4〜5年前の夏、ＮＨＫの人気番組「ためしてガッテン」で、土曜丑の日にちなんで、東京-大阪の鰻の蒲焼き比べというのに取材されたことがあった。江戸焼きは鰻を背中から開き、一度焼いてから蒸す。こちら大阪では腹開きで、蒸さずに焼く「地焼き」である。そんな焼き方の違いと味の特徴を比べるという主旨だ。</p>

<p>　わたしはとあるプレステージ誌（なんやそれ）で、『東京出張／関西出張』という食べ物系の連載を持っていた。そして示し合わせたようにその年の8月号で「鰻」をやった。東京は東麻布の［野田岩］、大阪の活鰻卸大手直営店の［魚伊本店］。どちらも江戸期幕末創業の鰻屋だ。それぞれ「わざわざここの鰻を食べに行くために東京出張も。野田岩」「大阪流地焼きをプロ中のプロの店で堪能。魚伊本店」という見出しで、それぞれデカい「梅の鰻重」と「上の鰻丼」の写真とともに連載記事を書いた。</p>

<p>　［野田岩］の80歳にもなる五代目ご主人が「焦がしちゃイケない、焼くのが職人です」と江戸っ子弁でいうのを聞いて、「さっすが江戸はセリフもカッコええやんけ」と思い、地元［魚伊本店］では「まんべん返し」で地焼きにされた徳島産の極上鰻を「やっぱ、皮がぱりっのこれやこれ」と、そんな取材をして、レイアウトが上がり記事をはめ込み初稿が出たまさにそのタイミングで、ＮＨＫからお呼びがかかった。</p>

<p>　大阪の地焼きをどこかの店でつくってもらい、出演者が食べて「東京の蒸しもええけど、やっぱりこっち」というのを撮るとのこと。追手門学院高校の教頭であり「ウナギ研究者」で知られる亀井先生やグルメ系ライターさんなどなどとご一緒に現場で撮影を、ということになった。亀井先生はウナギの生態から蒲焼きのタレまで、ほとんど「ウナギ博士」であり（鰻のバッジをジャケットの襟につけている）、「岡山児島湾の青ウナギが一番うまい」と言ってはばからない。その青ウナギを捕る漁師さんが大阪に来た際、ご紹介してもらったことがある。そういう亀井先生の仕切りによって、［魚伊本店］も良いがやっぱり船場の老舗で、ということで北浜の［阿み彦］へ。この店は寛永年間創業というから少なく見積もって350年以上の歴史を誇る店だ。堂島川の屋形船がこの鰻屋のルーツだ。</p>

<p>　地下にある店内に入ると、おおこれはワイシャツ・ネクタイ・タイピン・カフス系の鰻屋さんの典型である。わたしはその時、いつものようにラコステのポロシャツにジーンズだったと思う。</p>

<p>　撮影が進む。わたしはちょうど東京の［野田岩］も大阪の［魚伊本店］も取材したところだから、江戸式の「焼いてから蒸す、ふわっとろっ」の良さも、大阪の地焼きの「ぱりっ皮」の香ばしさも、カメラを前にリアルに話す。周りのみんなは、そういった比較論でなく地元・大阪のそれを誉めてばかりいる。［阿み彦］の鰻がむちゃくちゃうまかったからだ。酒もビールもバンバン飲んで、それで撮影終了。ＮＨＫさんごちそうさまでした。</p>

<p>　放送の日になって番組を見てみると、オレのシーンは全ボツだった。わたしはそれ以来、鰻については取材知識なんかよりも、やはりワイシャツなのだとその時、強く思ったのだった。</p>

<p>　そういう鰻屋については、まったくの新店開店、ニューオープンの店というのは、この仕事を長くやっているがあまり聞いたことがない。あったとしてもデパートや大規模商業施設の「テナント」としての支店だ。そう考えると［魚伊］は珍しく95年創業だが、それも慶応年間に魚卸として始まり活鰻卸を専業化した名門の、若き五代目がその家業に直営の鰻料理店を加えたものだ。だから貴重な存在の新しい店あり、ポロシャツでも行ける。</p>

<p>　キタやミナミから遠く離れた旭区高殿にある、この会社の本部となる卸用活鰻の「立て場」にはいつも４トン２万匹がキープされている。名前は書けないが超有名店の鰻屋にも卸しているその鰻のなかでその日の最上のものが、「自店用にと」隣の直営店で食べられるのだからたまらない。だからこの店には「徳島産」「三河産」「鹿児島産」と毎日店内表示の札表が変わる。</p>

<p>　そもそも大阪では、うどん屋や食堂でも鰻丼（旧来「まむし」と称している）が食べられる鰻は確かに「ごっつお」だか、結構「日常食」だというのが、オーセンティックな位置づけであり、だからこそ大阪人は鰻に対しては口が肥えている。これは案外知られていないことだが、「江戸焼き」を暖簾や看板に謳う鰻屋、つまり鰻専門店が大阪の街場には多いのである。うどん屋、食堂のそれとは違うで、という意識の証左なのだろうか。わたしの知る近所の鰻屋を挙げるだけでも、肥後橋の［だい富］は江戸焼きやったなあ、福島の［菱東］は「東京流うなぎ」と看板に書いてあるなあ、北新地にもホテルにもある［竹葉亭］は全部そうや、という具合だ。</p>

<p>大阪地焼き［魚伊］は、天神橋筋商店街５丁目にも出店があって、以前、「週刊現代」の『大阪アースダイバー』の取材でいらっしゃった中沢新一さんに、「ほんまの大阪流の鰻、食べたことありまっか」とオススメした。地下鉄を乗り継いで本店に行く時間がない中沢センセは釈徹宗老師の道案内で、人でごった返す天神橋商店街に行った。タイピンもカフスもしていないが、あんまりうまいので２日連続で行ったそうだ（「『大阪アースダイバー』の１章くらいは大阪の鰻で書けるよ」と仰っていたそう）。</p>

<p>　わたしは生まれてこの方、同じ店の同じ鰻を２日連続で食べたことはない。それよりもこれは先に、ワイシャツ・ネクタイ・タイピン・カフスをやってみてからだ、と思うからだ。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第40回 不機嫌の謎</title>
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    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2251</id>

    <published>2012-01-31T11:58:16Z</published>
    <updated>2012-01-31T11:58:16Z</updated>

    <summary> 不穏な空気は始めから感じ取っておりました。今月１７日午後８時半から行われた...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="実録！　ブンヤ日誌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<div class="img_r"><img alt="" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0130.jpg" width="270" height="2385" /></div>

<p>不穏な空気は始めから感じ取っておりました。今月１７日午後８時半から行われた第１４６回芥川・直木賞受賞会見の席上でのことです。東京・丸の内は東京會舘の１１階シルバールームに入ってきたのは、ふたりの新芥川賞作家とひとりの新直木賞作家でした。</p>

<p>早版（印刷所から遠い場所にある地区に配られる新聞）の締切が近づいている各新聞社のために、まず先に全員の写真撮影をするのが慣例になっているんです。いつもながらの光景です。カメラマン席の片隅に陣取った僕もカメラを構え、ファインダーを覗き込むのですが、いつもと何かが違う。何かがおかしい。よくよく観察すると、受賞者３人ともジャケットにジーンズというスタイルは共通しているのですが、真ん中に立っている男のみ様子が明らかにおかしいのです。</p>

<p>「え？　今しがた銀座で通り魔してきましたけど、何か」的な表情とでも申しましょうか。目はキョロキョロと落ち着きなく天井を見渡し、肩はダラリ。魂の抜けたような雰囲気をわざと醸し出し、ヤル気なしを全開にアピールしているのです。</p>

<p>カメラマンたちは「こっち向いてくださーい」とか「あのー、笑顔で～」なんてお願いしているんですけど、基本スルー。と思いきや、狂犬のようにニラみつけたりもする。さよう。「不機嫌会見」で時の人となった田中慎弥さんです。彼は会見の前から存分に不機嫌でした。</p>

<p>「道化師の蝶」で芥川賞を受賞した円城塔さんの素朴な会見と「蜩ノ記」で直木賞を受賞した葉室麟さんの素朴な会見の間に行われたのが、江夏の２１球ならぬ「田中さんの８分１８秒」でした。<br />
以下、完全中継です。</p>

<p>司会者　まず今のお気持ちからひと言</p>

<p>「えーっと･･･たしかシャーリー・マクレーンだったと思いますが、アカデミー賞を何度も候補になって最後にもらった時に『私がもらって当然だと思う』と言ったそうですが、ま、だいたいそういう感じです」</p>

<p>（会場大爆笑）</p>

<p>「４回も落っことされた後ですから、ここらで断ってやるのが礼儀と言えば礼儀ですが、私は礼儀を知らないので、あのー、もし断ったって聞いて気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱しますんで、都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる。あのーとっとと終わりましょう。チッ（舌打ち）。チッ（舌打ち）」</p>

<p>（会場７割爆笑・３割失笑）</p>

<p>司会者　は、はい。では質問お願いします。</p>

<p>記者　今回受賞された方は、みなさん東京（在住）ではない方でしたが･･･</p>

<p>「その事に関して感想はありません」</p>

<p>――　他の受賞された方･･･</p>

<p>「（ピシャリと）ちょっと読んでないのでわかりません」</p>

<p>――　「共喰い」で受賞したことについては</p>

<p>「１回目で受賞するのがそりゃいちばんいいので、５回目ってのはマヌケです。もう終わりましょうよー」</p>

<p>――　２０歳の時からずっと小説を･･･</p>

<p>「（質問を遮って）それは昨日<small>（※芥川・直木賞の候補者には基本的に報道各社による事前の取材会があるのです）</small>も話したから、めんどくさいんだけど」</p>

<p>――　意味がわからないんですけど</p>

<p>「えっ？　いい、いい。終わり終わり」</p>

<p>――　（ニート作家として）ニートの方々にひと言</p>

<p>「ま、それは人によって状況違うので私が言うことはありません。私は本を読んで小説を書いて作家になったというだけです」</p>

<p>――　ケータイをお持ちでなかったかと思うのですが、今日はどちらでどのように連絡を（なかなかの好質問です）</p>

<p>「えー都内の飲み屋で待っていて、プリペイド式のケータイみたいなものを編集者が持っていて、それでです」</p>

<p>――　受賞したという連絡はどなたかに</p>

<p>「母です」</p>

<p>――　お母様はどんな</p>

<p>「『良かったね。おめでとう』というだけです」</p>

<p>――　文学振興会から連絡があった時の返事は</p>

<p>「頂戴しますというだけです」</p>

<p>――　取ったことで、気持の変化は</p>

<p>「気持の変化はありません。私は意欲はありません（意味不明）」</p>

<p>――　（しつこく）気持の変化は</p>

<p>「いや、だから気持は変わっていません」</p>

<p>――　昨日の会見出てないんですけど、下関という街は</p>

<p>「乾いた街です」</p>

<p>――　書くスタイルは変わらないんでしょうか</p>

<p>「今まで通りだと思います」</p>

<p>――　今日も明日も書き続ける</p>

<p>「あ、はい」</p>

<p>――　「当然」という言葉への思いは</p>

<p>「思いはなくて、当然だから当然」</p>

<p>――　審査員の石原さんに言いたいことは</p>

<p>「だから今、おじいちゃん新党をつくろうとしているんでしょ？　だから新党結成にいそしんでいただければと思います」</p>

<p>――　地元では恩師の方から喜びの声も挙がっていますけど</p>

<p>「それはウソですね。私は教師に嫌われていましたから。いや、それは本当のウソです」</p>

<p>――　昨日の会見出たんですけど、昨日より不機嫌に見えるんですけど</p>

<p>「いやだから、もうとにかくやめましょうよ、もう。円城さんがものすごく丁寧に答えてらっしゃったので、自分はそういう風にはできないなと思って不機嫌にやっているだけです」</p>

<p>――　お酒は少し飲んだ</p>

<p>「ワイン２杯くらい」</p>

<p>――　機嫌が悪いとすると何が･･･</p>

<p>「（両手で報道陣を指し示し）これが」</p>

<p>司会者　はい。じゃあ機嫌が悪いということで、あと１問か２問にしましょうか（これまた実に素敵なフリ方だなあと思ったものです）</p>

<p>――　機嫌が悪いのはたくさんの人の前で話すのが苦手とかそういうこと･･･</p>

<p>「こういう場が好きな人間いないでしょう。政治家じゃないんだから」</p>

<p>――　講演をなさる機会もあるようですが、心境の変化ですか？</p>

<p>「ギャラが出るんで」</p>

<p>司会者　このへんで終わりましょう。田中さん、ありがとうございました。</p>

<p>最前列の左端の方にいた僕は、すぐさま社に電話しました。<br />
デスク「あー、別になんもなかっただろ？　いーよ、短く出してくれれば。たまにゃ早く帰れよ」<br />
僕「そ、それがあったんです」<br />
デスク「なにい？　なんだ。ほうほう･･･」<br />
こうして僕は「とにかく１５分以内に４０行出せ」指令を受けたのです。</p>

<p><br />
＜１月１８日付紙面より＞<br />
第１４６回芥川・直木賞（日本文学振興会主催）の選考会が１７日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞は円城塔（えんじょう・とう）さん（３９）の「道化師の蝶」（群像７月号）と田中慎弥さん（３９）の「共喰（ともぐ）い」（すばる１０月号）に、直木賞は葉室麟（はむろ・りん）さん（６０）の「蜩（ひぐらし）ノ記」（祥伝社）に決まった。</p>

<p>　受賞の感想を求められた第一声で、田中さんは文壇最高峰の厳粛な空気を切り裂いた。「えーっと、たしかシャーリー・マクレーンだったと思いますが、アカデミー賞を何度も候補になって最後にもらった時に『私がもらって当然だと思う』と言ったそうですが、ま、だいたいそういう感じです」。会見場は拍手喝采となった。<br />
　もはやネタなのかマジなのか分からない。新芥川賞作家の不機嫌は続く。「４回も落っことされた後ですから、ここらで断ってやるのが礼儀と言えば礼儀ですが、私は礼儀を知らないので、あのー、もし断ったって聞いて気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱しますんで、都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる」。候補作を「バカな作品ばかり」と酷評した選考委員の石原慎太郎都知事をもコケにして笑いを誘った。<br />
　山口県下関市在住。下関中央工高卒業後、一度も仕事に就かず、母親と２人で暮らす実家で小説を書き続けた。過去４度、芥川賞候補となるも届かず。「もうとにかくやめましょうよ。政治家じゃないんだから」。約８分間、不機嫌を貫いた理由は、苦労してきた過去への自尊心だったのかもしれない。（北野新太）</p>

<p>＜田中慎弥＞さん（たなか・しんや）１９７２年山口県生まれ。「蛹」で川端康成文学賞、「切れた鎖」で三島由紀夫賞を受賞。「図書準備室」などでこれまでに計４回芥川賞候補に。<br />
　▼「共喰い」　昭和の終わり。「川辺」と呼ばれる小さな集落に生きる高校生が主人公。抑制が効かない性欲と暴力性が、父親から受け継いだ血に由来することを自覚し、逃れられない宿命におののく。土俗的な閉鎖社会における父と子の相克を冷徹な筆致で描く。</p>

<p><br />
　会見後の数日間、なんで彼は不機嫌だったのだろうといろいろと思いを巡らせました。記事では締め切りまでの時間もなく「苦労してきた過去への自尊心だったのかもしれない」などとぶっちゃけフィーリングで書きましたが、本当にそうなのかよと立ち止まり、以下の推論を導き出しました。</p>

<p>１．好きな子についつい意地悪をしちゃう小学生的な照れ隠し<br />
２．どうしたら自分の本を手に取ってもらえるか、ないしはどうしたら自分の本が売れるかを考えた末の結論としてのパフォーマンス（だとしたら、既に１０万部を突破して成功）<br />
３．酒グセが極端に悪く、ワイン２杯でデキ上がった<br />
４．晴れの席で毒づくなんざ芸術家として超カッコイイのではなかろうかと思ってしまったロックな決意</p>

<p>とまあいろいろと考えてみたんですけど、僕なりには<br />
５．ムチャクチャうれしくてワケわかんなくなっちゃった<br />
との説を有力と見ました。</p>

<p>１８歳で大学受験に失敗してから２１年、一度も働きも出ないで小説を書き続けてきた男が、いよいよ報われる瞬間を迎えて、ちょっと錯乱したのではないかという仮定です。もちろん川端賞とか三島賞も受賞していますし、何作も世に送り込んでいるわけですから、今回が初めての達成ではないにしても、純文学の書き手として芥川賞は別格です。世間的には「候補になって４回落とされたことへの怒り」を理由に挙げているメディアがほとんどですけど、受賞してあらためて怒りが沸くというのは人間の感情として自然とは言えない気がするのです。エキサイティングな瞬間にエキサイトしてしまった、という方が理屈に合うような気が･･･。</p>

<p>会見の後で知ったのは、彼の座右の銘が「足が絡まっても踊り続けろ」であること。アル・パチーノ主演の名画「セント・オブ・ウーマン　夢の香り」の主人公の台詞の引用だそうです。そのことを知って、たちまち僕は彼のことが好きになりました。「セント・オブ・ウーマン」が好きだという人間に悪い人間はいないと思われるし「足が絡まっても踊り続けろ」は素敵すぎる文句だと思ったからです。</p>

<p>はて、待てよ。もしかしたら彼は試そうと思ったのかもしれない。夢に見た栄誉を受け、夢に見た舞台に上がった時、足が絡まっても俺は踊り続けることができるのかと。</p>

<p>下関に行くことは決めた。あとは彼が受けてくれるかどうか。「なんで不機嫌だったんですか」と聞いて、どんな顔をするだろうか。たぶん答えをはぐらかすけど、納得できるまで帰途には就かない。あの手この手を繰り出してみる。俺だって、足が絡まっても踊り続けていたいから。</p>]]>
        
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    <title>第29回 お母さんになる</title>
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    <published>2012-01-27T10:05:51Z</published>
    <updated>2012-01-27T10:05:51Z</updated>

    <summary> ...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="読む女" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p><img alt="第29回読む女" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0127-1.jpg" width="660" height="938" /></p>

<p><img alt="第29回読む女" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0127-2.jpg" width="660" height="940" /></p>

<p><img alt="第29回読む女" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0127-3.jpg" width="660" height="940" /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>第26回 天のなかほど </title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/konmai/026.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2242</id>

    <published>2012-01-26T09:42:41Z</published>
    <updated>2012-01-26T09:42:41Z</updated>

    <summary>「こんまいマチ案内」編（vol.19）――coffee＆bar半空のこと 珈...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="高松こんまい通信" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<h4>「こんまいマチ案内」編（vol.19）――coffee＆bar半空のこと</h4>

<p>珈琲難民。他の人が使っているかどうかはわかりませんが、ROOTS BOOKSでは、時々「難民」という言葉を使います。例えば、島に行ったとき、島の食堂は営業時間が限られていることも多く、取材などでお昼ごはんのタイミングを逃すと、結局ごはんを求めてあてもなく彷徨うことに。こんなとき、ごはんにありつけなかった悔いを込めて「お昼ごはん難民」と呼ぶのです。</p>

<div class="img_r"><img alt="第26回 天のなかほど
「こんまいマチ案内」編（vol.19）----coffee＆bar半空のこと" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0126-1.jpg" width="250" height="188" /></div>

<p>「珈琲難民」というのは、主に夜に使います。高松のマチ中は、24時間営業のファミレスやファーストフード店がほとんどなく、スターバックスなどの珈琲店も22時には電気を消してしまいます。仕事終わりに本を読みたいとき、飲み会の帰りにひとりで時間を過ごしたいとき、夜のマチに自分の居場所を見つけようと、頭のなかのマップを北から南まで順になぞっていきます。お店はたくさんあるようで、ひとり時間を気兼ねなく過ごせる場所を見つけることはなかなか難しいのです。</p>

<div class="img_l"><img alt="第26回 天のなかほど
「こんまいマチ案内」編（vol.19）----coffee＆bar半空のこと" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0126-2.jpg" width="350" height="263" /></div>

<p>そんなとき、頭のマップで「ここ！」とカーソルが当たるのが「<a href="http://dna-web.sakura.ne.jp/nakasora/" target="_blank">半空（なかぞら）珈琲</a>」でした。酒場の片隅でひっそりと営んでいたその店は、カウンター12席のみ。寡黙なマスターが、背中を丸めながらネルドリップの珈琲を静かに入れてくれる。周りを気にすることなく、背伸びをすることなく、自分時間を過ごせる。私にとって自分の居場所のような空間でした。ところが2008年に突然店を閉めて以来、私は珈琲難民になってしまいました。</p>

<p>あれから３年。「半空が復活する」ということを風のウワサで知りました。しかも、場所はROOTS BOOKSから徒歩1分！！　工事中の店をこっそり覗いたりもしました。そして昨日（1月23日）、「半空」は復活オープンしたのです。石の階段を登った2階の扉には「今日の自分時間。半空」という文字。店名の"半空"は、「天のなかほど」という意味で、いつまでも道の途中、変わり続ける、という想いを込めてマスターがつけたと言います。</p>

<p>なかぞら、天のなかほど。自分時間を過ごす空間にぴったりの名前だと思いませんか。1日のなかでぽっかりと浮かぶ自分のためだけの時間。目的を持って行くわけでもなく、帰る場所でもない。頭のなかの高松マップに、再び加わった「自分の居場所」。これで、私も珈琲難民を卒業です。</p>

<p><br />
<div class="img_l"><img alt="第26回 天のなかほど<br />
「こんまいマチ案内」編（vol.19）----coffee＆bar半空のこと" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0126-4.jpg" width="250" height="188" /></div></p>

<p><strong>coffee＆bar 半空</strong><br />
香川県高松市瓦町1-10-18 北原ビル2F<br />
TEL 087-861-3070<br />
営：13:00〜翌3:00<br />
休：日曜<br />
HP: <a href="http://dna-web.sakura.ne.jp/nakasora/" target="_blank">http://dna-web.sakura.ne.jp/nakasora/</a></p>

<p><br />
<br clear="all" /><br />
<p class="clr_LB"><strong>●おまけ</strong></p></p>

<div class="img_r"><img alt="第26回 天のなかほど
「こんまいマチ案内」編（vol.19）----coffee＆bar半空のこと" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0126-3.jpg" width="200" height="150" /></div>

<p>半空の本棚にはマスターが読んできた本がずらり。こちらの本は、店内で読むこともできますし、後ろに金額がついているものは古本として購入することもできます。そして、なんとメニューと本リスト付きの半空ブックカバーを希望者はもらうことができるのです。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第6回 「ミシマ社の本屋さん」いよいよオープンです！</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/gekkanjouyou/006.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2240</id>

    <published>2012-01-29T18:02:31Z</published>
    <updated>2012-01-29T18:02:31Z</updated>

    <summary>「看板のミドリ、うすいのにする？　濃いの？」 「うすいのやろ」 「いやー、濃...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="月刊城陽" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>「看板のミドリ、うすいのにする？　濃いの？」<br />
「うすいのやろ」<br />
「いやー、濃くてもかわいいんちゃう」<br />
「木がこの色やし、濃いやつ、かなぁ。」<br />
「あえてのチョコレート色は？」</p>

<p>城陽にある、ミシマ社京都オフィスで、ほんわかと、しかし着々と、準備が進められていた「ミシマ社の本屋さん」。オープンの1月30日まで、あと5日と迫っています！</p>

<p>「ミシマ社の本屋さん　売ります、貸します、ほっこりしましょ。」</p>

<p>そのサブタイトルにもあるように、ミシマ社の本屋さんは、ただの本屋さんでも、図書館でもありません。<br />
じゃあ、どんな本屋さんなの？？<br />
ご説明しましょう！　1月30日、京都の城陽にてオープンする「ミシマ社の本屋さん」。その全貌を、関ジュニ（学生スタッフ、関西仕掛け屋ジュニア）のみんなでどどんと紹介します！</p>

<p>（関ジュニ　まつじゅん）</p>

<p><br />
<h4>売ります！</h4></p>

<p>ミシマ社の本屋さんでは、ミシマ社の本が勢揃いなのはもちろんのこと、140Bさん、インセクツさん、夏葉社さん、ナナロク社さん、プランクトンさん、ルーツブックスさんなどの本も販売させていただきます。現在、オープンに向けて、日本各地から、続々と素晴らしい本たちが京都オフィスに集まってきています！　雑誌あり絵本あり、詩集に写真集、他にも本当にいろんな本が揃っています。一冊一冊、心を込めて作られた本たち。それぞれが「この本自分の本棚に並べたい！　いや、部屋に飾りたい！！」と思うくらい、なんとも言えない素敵な空気を持っています。</p>

<p>ここにある本たちがどんな方のもとへ行ってどんな一生を送るのか、ほんとうにワクワクです！　ぜひとも個性豊かな本たちの並んだミシマ社の本屋さんに、お気に入りの一冊を見つけにいらしてください^^</p>

<p>（関ジュニ　えりな）<br />
 <br />
<img alt="月間城陽第6回 「ミシマ社の本屋さん」いよいよオープンです！" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0125-1.jpg" width="660" height="205" /></p>

<p><br />
<h4>貸します！</h4></p>

<p>本を読んでいて、ほんっまにおもしろかったなぁって心の底から思ったり、感動しすぎて言葉が出なくなってしまったことって、ありませんか。<br />
私はあります。たくさんあります。眠るのがもったいなくて、深夜ベッドのなかにもぐりこんで夢中で読んだ本とか、涙を拭くためにティッシュ１箱使った本とか、読み返すたびに初恋のＨ君を思い出す本とか･･･。（私事すぎてすみません！）</p>

<p>そしてそんな本に出会ったとき、「この思いを誰かと共有したい」「もっとたくさんの人に読んで欲しい！」って、いつも思うんです。他の人はどういう本を読んでそう思うんだろう、知りたいなあ、その本、読みたいなあ･･･。この思いは、きっと本が好きなら全世界共通の思いだろう、間違いない！　ということで！（笑）<br />
ミシマ社の本屋さんでは、そんな読み手・書き手・作り手の「もっとたくさんの人に読んで欲しい！」という気持ちから寄贈していただいた、思いのつまった一冊を、貸本としてお貸しいたします。</p>

<p>料金は一冊100円。貸し出し期間は、２週間です。貸し出しは、１回につき一冊でお願いします。<br />
この企画は、「貸本」というよりも、「誰かの思いがつまった本」をじっくり堪能してもらって、そんな本が読めるミシマ社の本屋さんに、また足を運んでほしいという思いでつくりました。</p>

<p>そして、その「もっとたくさんの人に読んで欲しい本」は、随時大募集しております。いつでもぜひ持ってきてください。御礼にと言ってはなんですが、貸し出し一冊無料券をお渡しさせていただきます。持ってきていただいた本には、「私はこの本のここが好き！」といった一言コメントを書いていただきます。持ち主のコメントが加わった、「世界に一冊の本」が誰かの手に渡り、新しい発見が生まれ、またひとり、またひとりに、一冊の力が広がっていく。そんな"本の輪"が生まれる場でありたいと思っています。<br />
私たちも、新しい本との出会いに、とってもわくわくしています。</p>

<p>（関ジュニ　みっきー）<br />
 <br />
<img alt="月間城陽第6回 「ミシマ社の本屋さん」いよいよオープンです！" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0125-2.jpg" width="500" height="375" /></p>

<p><br />
<h4>ほっこりしましょ！</h4></p>

<p>本と読者をつなげる場、本好きな方が集まる場、読者と作り手が交流する場として、ほっこりと楽しめる温かい空間をつくっていきたいと思っています。来ていただいた方にドキドキやワクワクをお届けできるよう、こだわりをもって空間づくりをしてきました！　手作りの品々に囲まれたほっこり空間、ぜひ見に来て下さい！</p>

<p>また、著者さん、書店員さん、編集者さんなど、様々な方をお招きし、本を通してひとりでも多くの方とつながり、ひとりでも多くの方に笑顔になってもらえる素敵なイベントも随時開催していく予定です。本屋さんのお庭で農業をやっちゃおう！　というほっこり計画も進行しております。<br />
本を通してたくさんの方と出逢えることをとても楽しみにしています！！</p>

<p>（関ジュニ　みわさん）<br />
 <br />
<img alt="月間城陽第6回 「ミシマ社の本屋さん」いよいよオープンです！" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0125-3.jpg" width="350" height="467" /></p>

<p><br />
いかがでしょうか。はじめてこの本屋さんの話が出たときから、オフィスのなかは常に「ワクワク感」でいっぱいでした。そしてそのワクワク感は、日を追うごとに増しています。オープンしてからは、お客さんにもワクワク感を感じてもらい、一緒にワクワクし、また新たなものが生まれてくること間違いなし！　と、勝手に思っています。本当に楽しみです。</p>

<p>１月３０日オープンの「ミシマ社の本屋さん　売ります、買います、ほっこりしましょ。」は、関ジュニが主に運営を行っており、開店日は不定期、週に２、３日ほどとなっております。やれるときにやろう、というコンセプトの元、ミシマ社のホームページに、いついつにお店を開けていますよ、という情報をのせておきます。また、家の前に看板を置いて、今日はやっていますよ、とお伝えします。</p>

<p>「この日おもろいもん持っていくし、店あけといてや！」そんな会話が生まれるような、お客さんとのコミュニケーションを通して、常に成長していく場であって欲しいと思っています。いや、そうなります！　･･･あ、そうでした、ミシマ社京都オフィスでは、Twitterを使って、このミシマ社の本屋さんのことを中心に、ぽつぽつとつぶやいています。ぜひご覧ください！　アカウントは、<a href="http://twitter.com/#!/mishimasha_joyo" target="_blank">@mishimasha_joyo</a>です。</p>

<p>さあ、あともう少し、素敵なオープンが迎えられるよう、一層ほっこりとしつつ、一層励んでいきます！　これからの城陽を、ミシマ社を、ひいては出版業界を！？　変えていくかもしれない、ミシマ社の本屋さん、どうぞお楽しみに！！</p>

<p><br />
<strong>ミシマ社の本屋さん　売ります、貸します、ほっこりしましょ。</strong><br />
〒610-0101<br />
京都府城陽市平川山道115　ミシマ社京都オフィス内<br />
TEL 0774-52-1750<br />
  <br />
<img alt="月間城陽第6回 「ミシマ社の本屋さん」いよいよオープンです！" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0125-4.jpg" width="660" height="400" /><br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第7回 流血の理由　ミルコレポート③</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/kodaishi/007.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2239</id>

    <published>2012-01-25T09:32:15Z</published>
    <updated>2012-01-25T09:32:15Z</updated>

    <summary>ことしの お正月、三が日のほとんどをBSジャパンをみて過ごした。 「池上彰の...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="へなちょこ古代史研究会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>ことしの お正月、三が日のほとんどをBSジャパンをみて過ごした。<br />
「池上彰の現代史講義」の一挙放送をやっていたからだ。<br />
昨年の夏、信州大学での講義をまとめたもので、第２次大戦以降の世界の動きを、池上さんがわかりやすく解説されていた。<br />
池上彰さんが何年も前から、本でもテレビでも大人気なのは知っていたが、池上さんの番組をしっかりみたのは初めてだった。<br />
バラエティー番組と違って実際の授業なので、話がダイレクトに伝わってくる。<br />
私にはそれがみやすかったので熱中して観た。</p>

<p>よくまあこんなにいろんな国のことがアタマに入っておられるなと感心したが、さらに、さまざまな歴史の重要シーンの現場に、池上さんご自身がじっさいに行かれていること、そしてどの事実に対しても池上さんの実感というのものがこもっており、それが話の端々に滲み出て、講義にいっそうのリアリティを与えている。</p>

<p>それにしても人間とは如何に争いを続けるものよ。<br />
古代から争いを重ね、学びを重ねて、ひとびとは成熟してきたはずである。<br />
ところが世界で今日も血は流れている。</p>

<p>現代史において、中国と台湾、パレスチナとイスラエル、イラクとアフガニスタン、ベトナム戦争、キューバ危機･･･こうして各地での争いをみていくにつけ、対立とは、当事者同士だけが原因のものではないというところについ、目がいく。<br />
かならず、対立のシナリオを書いている第三者の存在が浮かび上がってくる。<br />
敵が敵とはかぎらないということが、つねにある。</p>

<p>この第三者というのが、厄介なのだ。いつの世も。<br />
そしてその厄介＝第三者が乗り込んで来やすいのが、「小さな不満」が生まれたときだ。<br />
そんなときひとはたいてい、ふと感謝を忘れてしまっている。<br />
そこを、憑かれる。</p>

<p>第２次大戦後６６年、世界の動きを池上さんの解説で一気にきいて思うのは、誰もが大切な命なのだから、一人ひとりが自分をしっかり持たなければならないということである。<br />
真理を見極める知性を身につけること。<br />
そしてよこしまな力にまどわされない信念を持ち、たましいをみがくこと。<br />
そもそも日本の場合は古代から、一部の権力者による凄まじい勢力争いの一方で、日本人の大多数は争いを好まないらしかった。<br />
卑弥呼の時代には、庶民は男女の差なく輪になりお酒を飲み交わしているようすが魏志倭人伝にも描かれているという。<br />
おそらくその輪に、「小さな不満」はない。<br />
謙虚に現状に感謝する心、自然の恵みに感謝する心、を一人ひとりが持っている。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第6回 指原莉乃さん（AKB48）に奇跡を起こす写真の撮り方</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/kanojo/006.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2233</id>

    <published>2012-01-24T10:37:39Z</published>
    <updated>2012-01-24T10:37:39Z</updated>

    <summary> 『指原莉乃1stフォトブック「さしこ」』 （指原莉乃、講談社） 今月19日...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="＜彼女＞の撮り方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<table width="220" class="img_cap">
<tr>
<td>
<img alt="第6回 〈彼女〉の撮り方　指原莉乃さん（AKB48）に奇跡を起こす写真の撮り方" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0124-1.jpg" width="200" height="284" />
<p><a href="http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=3896323" target="_blank">『指原莉乃1stフォトブック「さしこ」』 （指原莉乃、講談社）</a></p>
</td>
</tr>
</table>

<p>今月19日に発売した<a href="http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=3896323" target="_blank">フォトブック『さしこ』</a>では、「夢を追って上京してきた少女の物語」をテーマに、決して目立つタイプではないのに、なぜだか気になってしまう指原莉乃さん（AKB48）の不思議な魅力を、フェティッシュな目線（というテーマ）で撮影しました。</p>

<p>指原さんは、たしかに特別美人というわけではありませんが、最近はテレビ番組でもよく見るようになり、とても愛嬌のある女の子だと思います。また、本人も公言しているように、自分に自信がなく、へたれキャラとしての自覚があるようで、正統派のアイドルとは、かなり趣が異なります。</p>

<p>そんななかで、特に表紙はどうしても"美少女に見える写真"が欲しいというオーダーもあり、僕はどうやって奇跡的な写真を撮ろうかと考えていました。奇跡を起こすと言っても、突然に帽子からハトを出すような奇術的なものでは決してなく、元々持っているであろう指原さんの魅力的な表情を、いかに引き出すかということです。</p>

<p>自分に自信がないという指原さんは、カメラを向けられると、いわゆるどや顔（作られた表情）をしたり、時に変顔をして周囲を和ませてくれるのですが、作られた表情のなかで奇跡は起きないと思った僕は、「いかにしてカメラを意識させないか」という作戦をとることにしました。</p>

<p><a href="http://www.mishimaga.com/kanojo/005.html">前回</a>も書いたように、"透明な視点と距離感"でもって、時にきちんとどや顔も撮りながら、"途中の表情"というものを意識して撮るようにしました。</p>

<p>―――――――――――――――――――――――――――――――――<br />
１．青山「はい、撮りますよ」〜　２．どや顔をする（緊張感＝作られた表情）〜　３．素顔（リラックス＝途中の表情）← この隙に撮る！！〜　４．再びどや顔（緊張感＝自信のなさを隠そうとする）〜　５．青山「じゃあ、次はこんなポーズでいきましょう」〜　６．次のポーズが完成する前に撮ってしまう（動感＝途中の表情やポーズ）〜　７．ポーズの完成（緊張感＝グラビア的）<br />
―――――――――――――――――――――――――――――――――</p>

<p>このような感じです。もちろん、どや顔が悪いということではなく（僕は指原さんの決め顔が、結構好きです）、奇跡を起こす（途中に現れる魅力的な表情を逃さない）ための撮り方の一例です。</p>

<p>実は奇跡は起こすものではなく、常に起きている（誰だってそうです！）というわけでして、その奇跡は途中に現れやすい、ということに気がついたのです。</p>

<p>表紙の写真も、はじめからこのポーズで撮ろうと思っていたわけではなく、柱を使って何かしようかなと思ったときに、とりあえず適当にアゴを乗せてもらったところ、ちょうど光が顔や瞳に差し込んでいて、とてもハッとさせられた瞬間、思わず撮ってしまったものです（まさに奇跡！！）。</p>

<p>皆さんも、写真を撮る際には、決められたポーズや表情ばかりではなく、その途中に起きているかもしれない奇跡を探してみてください。</p>

<p>―― ＜彼女＞を撮るとき、あなたの眼は奇跡を探す冒険家なんです――<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第30回 ドライフルーツ、ゴロゴロ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/sugakuana/030.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2230</id>

    <published>2012-01-23T10:36:12Z</published>
    <updated>2012-01-23T10:36:12Z</updated>

    <summary>2012年が始まってだいぶ経ちますが、改めて今年も新しい気持ちで 連載を続け...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="ある日の数学アナ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>2012年が始まってだいぶ経ちますが、改めて今年も新しい気持ちで<br />
連載を続けていけたらと思っていますので<br />
どうぞお付き合いくださいませ。</p>

<p>さてさて。<br />
今年はどんなテーマで書き出そうかなあと思っていたところ、<br />
以前に自分でちゃちゃっとメモした文言を見つけた。<br />
「ドライフルーツ、ゴロゴロ」だ。</p>

<p>これだけ読んでも「一体何のこっちゃ？」と思われるでしょう。<br />
でも書いた当の本人はちゃんと覚えていますよ！<br />
いや、覚えていてよかったというのが正直なところなのですが、<br />
幸運にもちゃんと覚えていたので今回はこの話をしてみようかということに<br />
相成りました。</p>

<p><a href="http://www.mishimaga.com/sugakuana/029.html">前回</a>は（といってもだいぶ前だ･･･）リズムの話をした。<br />
リズムのあるものにはどうしても耳を傾けてしまう、と。<br />
そもそもこの「ドライフルーツゴロゴロ」は確か、商品の説明として書かれていた文言だ。<br />
これが「ドライフルーツがたくさん入った」と書かれていたならば<br />
特に気にも留めなかったはずだ。<br />
でもこの「ゴロゴロ」という表現に、視覚的にも語感的にもやられてしまった。<br />
ゴロゴロ自体には特段リズムがあるわけではないけれど、<br />
声に出してみるとこの言葉の持つ独特の語感を一層味わえる。<br />
どうですか。<br />
なんとなく、所狭しとぎゅうぎゅうに、いや、ぎっしりとドライフルーツが詰まったような<br />
感じが目に浮かんできませんか。</p>

<p>私たちは何気なく擬態語を使ってしまうけれど、<br />
擬態語に対して持つ印象は、国によってまったく違う。<br />
まあ考えてみればその通りなのだが、改めて考えてみたことがなかった。<br />
ところが先日同僚とお昼を食べている時にその話になった。<br />
例えば、「ずんぐりむっくり」という言葉を初めて聞いた外国の人は、<br />
それがいったいどんな様なのかまったく想像がつかないらしい。<br />
私たち日本語を当たり前のように使う側からしてみると、<br />
ずんぐりむっくりと言えば、こう、説明するまでもなくあの独特のシルエットが浮かび上がるし、ずんぐりむっくりという様というよりはそういう言葉としてその意味も記憶しているので当たり前といえば当たり前なのだが。<br />
しかもずんぐりもむっくりも平仮名そのものが丸みを帯びた文字が多用されているし、<br />
見た目も意味もぴったりだなという気がしてくる。<br />
ところが、かくかく･･･と無理に尖ってそうな平仮名を思い浮かべてみたらやはり、<br />
こういう擬態語もちゃんと存在しているし、意味も角ばっているということなので<br />
これまたぴったりだ。</p>

<p>私がアナウンサーとしてとても魅力的に感じている仕事のひとつが、<br />
映像にナレーションをつける仕事だ。<br />
別に文字を上手に読むだけならば日本語を読める人であれば誰でもできるのに、<br />
そこには明らかに上手い下手が存在する。</p>

<p>うんちくを語らせたらキリがないので今回は控えておくとして、<br />
とにかく、文字を文字として読んでいてはナレーションはちっとも魅力的に聞こえてこない。</p>

<p>「文字の背後にある意味、温度感、形、とにかく想像しうるものを想像するのが重要だ」<br />
と以前大先輩に言われたことがあるのだが、それをこのドライフルーツゴロゴロで、<br />
改めて思い起こした。<br />
テクニック的にこうすればある程度うまく聞こえるというのはもちろん存在するがそれだけではやはりダメなのだ。</p>

<p>コピーライターはともすると埋もれてしまいがちな商品をどうやって人の目に<br />
留めてもらえるか、日々考えているわけだけれど、<br />
この「ドライフルーツゴロゴロ」に関して言えば、本当によくできているなあと<br />
感心してしまった。<br />
そしてこういうものに出会うと、コピーがうまいんだよな、と思いつつも<br />
つい手を伸ばしてしまうのが私なのであった。<br />
職業病なのか？</p>

<p>ではまた。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第55回 前例なき挑戦。ソフト出身の逸材がプロ野球入りしたのだ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/spobaka/055.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2228</id>

    <published>2012-01-20T19:29:51Z</published>
    <updated>2012-01-20T19:29:51Z</updated>

    <summary>「おいおい、マジかよ。知らねえよ～！」 昨秋のドラフト会議は忘れられません。...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="スポーツ紙バカ一代" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>「おいおい、マジかよ。知らねえよ～！」</p>

<p>昨秋のドラフト会議は忘れられません。日本ハムのドラフト７位指名は、早大ソフトボール部の大嶋匠捕手でした。硬式球での野球経験がない、"異業種"への指名はまさにサプライズ。隠し玉にも程があります。ドラフト取材はわたしの得意分野だったはずですが、恥ずかしながらまったくのノーマークでした。</p>

<p>「すぐに飛び出せる記者いるか？　会見は早大の小手指キャンパスで21時20分から。カメラの手配も頼む」</p>

<p>慌ただしく取材の段取りをしながらも「ドラフト前に抜きたかった。どこかにヒントはあったはずだ」と後悔の念にさいなまれたものです。すぐさま大嶋本人に接触した記者からの報告は「国際大会でも確かな実績。強肩に加えて長打力も自慢で、今年の公式戦では13試合連続本塁打もマーク。ソフト界では知らぬ者はいない有名人」とのこと。どの報道陣も事前に情報をつかめなかった。その分、どんなアスリートなのか、自然と興味が沸いてきます。</p>

<p>大嶋はこの1月、千葉・鎌ケ谷の日本ハム２軍寮へと入寮し、現在は新人合同自主トレのまっただ中にあります。1月17日にはプロ入り後、初めてブルペンで球を受けるというので、取材に行ってきました。</p>

<p>マウンドに立つのは、昨秋の都市対抗野球大会で完全試合を達成したＪＲ東日本東北出身の右腕・森内寿春投手です。同期入団とはいえ、大嶋よりも5歳年上になります。</p>

<p>「さあいきましょう！」</p>

<p>大嶋の声が響きます。捕手は中腰で捕球する、いわゆる「立ち投げ」です。「ナイスボール！」。ストレートがミットに突き刺さると、「バシッ」と乾いた音が奏でられます。でも、なかなか難しそうだ。ごくたまに「パスッ」といい音が鳴らない状態もある。ミットの芯ではなく、網の部分で受け止めてしまったみたい。大嶋も「すいません」と思わず恐縮しています。課題と収穫の30球でした。</p>

<p>普段、プロ野球の1軍捕手ばかり取材していると、ついつい忘れてしまうのですが、「いい音を鳴らしてミットの芯で捕球する」という当たり前のことが、いかにハイレベルな職人の技術であるか、思い知らされます。</p>

<p>練習を終えた大嶋は、取材にこう応えてくれました。「森内さんのボールを捕らせてもらって、見えてきた部分がある。まだ追っかけてしまっている。追っかけずにバチっと捕れば、大丈夫かな。数多く捕る。それしかないと思います。どんどん受けていきたい」</p>

<p>ソフトボールを引退した昨年8月以降、青春を燃やした大きなボールには一切触っていないとも明かしてくれました。「だって、やる必要ないですよね？」。過去の輝かしい栄光と決別し、未来の自分へとチャレンジする、強い「覚悟」が感じられます。</p>

<p>越えるべきハードルは多々あります。きょうは「立ち投げ」だから良かったけど、座って捕球となったら、どうなるのか。ストレートではなく、カーブやスライダー、フォークなどの変化球を受けたら、どうだろう。特にプロの１軍投手の投げる球は、一流になればなるほどえげつない。そうだ、外国人投手のストレートは「動く」。これまでに見たことのない軌道だろう。果たして大嶋は、対応できるのだろうか。</p>

<p>ソフトボーラーの才能を見出した日本ハムの大渕スカウトディレクターはブルペンでの捕球を視察後、こんな話を聞かせてくれました。</p>

<p>「これからでしょう。キャッチングとスローイングは、努力がもっともっと必要になる。それでも、先は長いです」。彼に求める理想の捕手像には「元気な捕手だね。本来もっと声を出して、場の空気を変えられる捕手でしたから。いい雰囲気を持っている。ドッシリして、明るくて、投手に声を掛けるタイミングにも、センスがありましたからね」</p>

<p>大嶋は最後に言いました。「自分の良さを出していければいいと思う。自分の良さ？　明るい感じじゃないですか」</p>

<p>前例なき挑戦。簡単な道のりでないことは、百も承知です。それでも前代未聞のチャレンジを温かい目で、応援していきたいと思っています。結末のわかり切ったドラマなんて、面白くも何ともない。大嶋の前に道はなく、大嶋の後に道はできる。開拓者の誇りを胸に、笑顔を忘れることなく、白球を追って欲しいです。ドラフト当日、「知らねえよ～！」とほざいたオレを、見返してくれよ。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第39回 神様への恋</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/bunyanikki/039.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2225</id>

    <published>2012-01-30T12:22:18Z</published>
    <updated>2012-01-30T12:22:18Z</updated>

    <summary>「インタビューは恋愛に似ている」。７年前、雑誌「ＳＷＩＴＣＨ」「ｃｏｙｏｔｅ...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="実録！　ブンヤ日誌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>「インタビューは恋愛に似ている」。７年前、雑誌「ＳＷＩＴＣＨ」「ｃｏｙｏｔｅ」元編集長で、僕の大学時代からの師匠である新井敏記さんに言われたことがある。「好きな人のことはたくさん知りたいし、一緒の時間を過ごしたい。そして手紙を送るように文章を届けたい」。どんだけロマンチストなんすか、と言いたくもなる言葉ではあるが、実は１０年間、記者を続けてきたなかで得た実感でもある。</p>

<p>ある作家の言葉を拝借して、ちょっと言い換えるなら「余儀のない取材ではなく、夢を見た取材は恋愛に似ている」のだ。やっぱり、興味を持った人には会ってみたいし、話をしてみたいし、仲良くなりたい。ノーマルな趣味趣向を持った健康な男子であると自負しているが、取材となれば相手が男であろうが女であろうが関係ない。時には排他的な独占欲にも陥る。惚れ込んだ対象に担当記者が２０人いれば、己が１位でなくては気が済まないものだ。クラスナンバーワンの美女を、是が非でもゲットしてやろうと企む中学生と同じ。たしかに恋愛と似ている。</p>

<p>ある人に取材を依頼した日の夜、会社のデスクにさっそく返事のＦＡＸが帰ってきていた。直筆で書かれていたのは以下の文章だった。</p>

<div class="column bgc_BLU">
<p>報知新聞　文化社会部　北野新太様</p>

<p>拝啓、時下ますます御清祥のこととお慶び申し上げます。
本日はＦＡＸをお送り頂きありがとうございました。さて、御依頼の取材についてですが●●●●●●。変則的なお願いで誠に恐縮ですが、御検討の程をよろしくお願い致します。</p>
</div>
<br clear="all" />

<p>なんと丁寧な返事。しかし、僕はなにも玩具メーカーの新商品広報担当者に取材をお願いしたわけではない。文末には達筆な行書で「羽生善治」と書かれていた。将棋の神様と言われる男である。</p>

<p>将棋を知らなくても羽生さんは知ってます、という人は多いだろう。なぜか。ちょっと考えてみると、１９９６年の「羽生ブーム」の時に知名度を上げたことが大きいように思える。あの年、彼は将棋界にある７つのタイトル（竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖）を史上初めて独占。どれだけの偉業かを語るのは簡単ではないが、例えて言うなら、プロ野球のどこかのチームで４番兼エースとなった男が首位打者、本塁打王、打点王、盗塁王、最多勝、奪三振王、ＭＶＰを全部獲っちゃうようなものだ。</p>

<p>だから、普段は限定的なファンだけに開かれている将棋という競技にも、さすがに外部から関心が寄せられた。おまけに、主人公は２５歳と若い。神の頭脳を持ちながら、笑顔と眼鏡が似合う少年のような風貌で、後頭部にはピョコンとハネた寝癖。女優の畠田理恵を奥さんにもらったり、公文式のＣＭに出たりしたこともあって一躍、時の人となった。</p>

<p>あれから１６年。今はどうしてるのかと言うと、実は今もなお頂点に君臨している。現在は王位・棋聖の２冠を保持。２７歳の渡辺明竜王・王座という最強のライバルはいるが、棋士の下り坂と言われる４０代に突入してもなお、特別な存在で在り続けている。</p>

<p>正月を飾る書評欄のスペシャルバージョンの取材をデスクに頼まれた時、将棋を担当する僕は無条件に「羽生善治に会いに行こう」と思った。羽生に読書遍歴や愛読書を聞こう。少なくとも、そんなテーマで彼を取材した文章はお目にかかったことがないし、神がどんな本を読んで神と成り得たかを尋ねることに価値はあると思った。何より、羽生とヒザを突き合わせてゆっくり話をしてみたかった。</p>

<p><br />
（１月１０日本紙掲載分から）<br />
将棋の羽生善治２冠（４１）＝王位・棋聖＝は棋界随一の読書家として知られる。本が与えてくれた最大の力を「平常心」と語った知の巨人。将棋との出会い、旅、結婚など、書物と共に歩んだ半生を語り尽くした。（北野新太）＝文中敬称略＝</p>

<p>◆発端<br />
　小１の時、羽生は仲良しの高木君から不思議なゲームを教わった。「あんなにのめり込んだものはなかったですね」。将棋だった。ハッキリ決着するのが何より楽しかった。野球、サッカー、缶蹴り、トランプ、ラジコン、ダイヤモンドゲーム･･･と移り気だった少年は、将棋に没頭していく。「コツが全く見えなかったのも魅力的に映ったんです。他はコツが分かっちゃうとやらなくなる。野球盤のフォークボールの打ち方は分からないままでしたけど･･･。あれは打てないです（笑い）」</p>

<p>　興味の対象と出会った息子に、両親は一冊の本を贈った。時の名人・大山康晴が初めて書いた入門書「親と子の将棋教室」だった。「ものすごくよく読みましたし、見よう見まねで駒を動かしました」。一緒に買ってもらったマグネット式の将棋盤と駒で勉強した。食事中も離さず、布団でも読みふけった。「あの本と出会っていなかったら将棋をやることもなかった。大きな機会だったと思います」</p>

<p>　普通の小学生みたいに漫画は読まなかった。というより、読めなかった。「ウチは田舎（東京都八王子市だが、最寄り駅まで車で３０分以上かかった）だったので、漫画が流通しないんです（笑い）。『コロコロコミック』は都会の子が読むもので『ドラえもん』も『あしたのジョー』も『キャンディキャンディ』もテレビでは見るんですけど、漫画は･･･。ファミコンも発売前でしたしね」。でも、退屈ではなかった。夢中になれるものを見つけていたから。</p>

<p>　小６で奨励会に入会してからは、千駄ケ谷の将棋会館までの往復３時間が読書の時間になった。「『詰将棋パラダイス』（月刊誌）を読み、あとは『将棋図巧』、『将棋無双』（江戸時代の詰将棋作品集）ですね。根気よく考える習慣は、今に生きていると思います」<br />
　将棋を教えてくれた高木君は小３で転校したが、中学で再び一緒に。再会した時、旧友は驚いた。あの「よしはるくん」がいつの間にか、数々の小学生タイトルを奪取。奨励会で圧倒的な成績を収めて棋士への道を駆け上がる新星となっていたからだ。</p>

<p>◆旅<br />
　将来の名人と期待され、羽生は１９８５年に棋士になる。加藤一二三、谷川浩司に続く史上３人目の中学生棋士だった。年齢は１５歳だが、立場はプロ。対局やイベントで全国を回った。移動に次ぐ移動。そんな頃、偶然出会ったのがノンフィクションライター・沢木耕太郎のユーラシア紀行「深夜特急」だった。「中学生だから、１人きりで大阪に行くのも不安なんです。だから、移動中に旅の本を読むことに魅（ひ）かれたのかもしれません。沢木さんのことは全く知らなかったんですけど、アジアのゴチャゴチャした風土の描写が非常に面白くて、いくつかの国には自分でも行きましたよ。もちろん行ってない場所もたくさんあるので、これからまた行けるかなと思っています」<br />
　全国行脚に慣れると、同世代の棋士たちと気ままな旅をするようになった。高千穂峡（宮崎県）を旅した時は、アクシデントに見舞われた。「ボートをこいでいる時、滝を回避できずに全員で打たれたこともありましたね。分かっているのに吸い込まれてしまって」。森内俊之、佐藤康光、先崎学、郷田真隆･･･。一緒に旅をし、笑い合った仲間たちは、２０年以上たった今も、タイトルの覇権を争う好敵手たちだ。<br />
　その後も旅をテーマにした本は好きで、有名投資家が世界旅行を記録した「冒険投資家ジム・ロジャーズ　世界大発見」も愛読した。「ロジャーズのように、紛争地帯とか危ないところはなかなか行けないですけど。海外ではオーストラリアのパースが印象に残っていますし、２０代の頃はバックパッカーの人たちも面白いなあなんて思っていました。南米は一度行ってみたいですね。日系人の方が多いので、ブラジルとか行ったら歓迎していただける気がします。ここはさすがに行けないなあ、という場所は本で読むことにします」。４０代の今は、旅への憧憬を書物に託している。</p>

<p>◆頂点<br />
　史上最年少（当時）の１９歳でタイトルホルダーになり、９０年代を迎える。巻き起こった羽生フィーバーの中で、最も冷静だったのは本人だったのかもしれない。「どんな場面、状況でも平常心を保つために、いろんな本を読みました」<br />
　２１歳の時に読み、愛読書となったのが三浦綾子の小説「氷点」だった。キリスト教における「原罪」をテーマにした作品だ。「あの頃、ずっと年上の方々は喜怒哀楽を上手にコントロールしてやっていると思っていたんですけど、全然そうじゃないんだと『氷点』で知った気がして、非常にスッキリしました。遠藤周作の『沈黙』とも共通項があるのかなと思っていて、生まれながらにして罪があるのは寂しいな、つらいなと考えさせられたんですけど、（物語は）１００％の絶望ではなく、希望を残している。深みがありました」</p>

<p>　９６年、史上初の７冠完全制覇。対局、取材、イベントと多忙を極めたが、限られた時間の中で、羽生は読書を続けた。「本を読んで得たものが、煮詰まった局面を打開する時の余裕や安心を生んだりするんです。たとえ実際には使わなくても、平常心を保つことにつながる」。もちろん本を読んで勝てる将棋はない。ただ、羽生は本を通じて高めた人間力を盤上に生かそうとした。「城山三郎さんが東急の五島昇を描いた『ビッグボーイの生涯』には、気迫や迫力を学んだ気がします。あと、単行本ではないのですが『広告批評』（月刊誌）は毎月読んでいました。ＣＭ作りのプロセスが全て創造的な話なので、いろいろ参考になるんです。休刊になって非常に残念です」<br />
　雑誌には大切な思い出もある。９４年、健康雑誌「いきいき」の対談で後に妻となる理恵さんと出会った。「ウチの奥さんは動物が好きで、『ムツゴロウさんに会いたい』とリクエストして対談の約束をしたんですけど、ムツゴロウさんが体調を崩して入院されて、急きょ僕が代打になったんです。奥さんは『全然知らない人が来ちゃった』みたいな感じでした」今は夫婦でムツゴロウさんに感謝しているとか。</p>

<p>◆不惑<br />
　４０代になった羽生には、本を買うこと、読むことについて独自の哲学がある。「本はお菓子みたいなものでしょうか。たとえ読まなくてもお釣りが来るもの。買うか買わないか迷ったら買うと決めています。多い時は月に３０冊くらい買っているんでしょうか。本屋は広すぎてもダメで、ほどほどがいい。書斎の本棚の許容量を超えた本は、捨てるか人にあげるかしています。読むスピードは本の種類にもよりますけど、１時間で７０～８０ページぐらいでしょうか。斜め読みはしませんが、読まなくてもいい箇所だなと思ったら、飛ばして次の章に行っちゃいます」</p>

<p>　読書傾向は多彩だ。村上春樹の読者でもある。「『１Ｑ８４』は、すごくエンターテインメント性を考えて書かれていますけど、ものすごくややこしいことを背景に書いているとも思いました。村上さんは何冊か読みましたけどいちばん面白かったですね。あとはマーク・ブキャナンの『歴史の方程式』、『複雑な世界、単純な法則』。出来事は偶然によって起きるのかというテーマで、例えば第１次大戦は、オーストリアの皇太子の運転手が道を間違えたことから本当に始まったんだろうかとか。すごく面白かったです」</p>

<p>◆未到<br />
　題名は忘れてしまったが、何かの本で読んで心に刻み、２０代前半から座右の銘としている言葉がある。「運命は勇者に微笑む」。米国のことわざだが、古代ローマの賢者プリニウスの言葉という説もある。「分岐点で勇気を持って選択する姿勢は、やっぱり大切なんじゃないかなと思うんです」</p>

<p>　勇気を持って運命を切り開いた勝負がある。弱冠１７歳だった１９８８年のＮＨＫ杯では大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠という名人経験者４人を破って優勝。衝撃を与えた。「実力的には劣っていたと思うんですけど、どんどん踏み込んでいったから勝てたんだと思います。アクセルを目いっぱい踏み込んでいく感覚は、やらないと忘れてしまう。長くやっていると長年の習慣にのみ込まれていく。若い頃は怖いもの知らずですけど、今だからこそ大切だと思うんです」</p>

<p>　２０１２年も、勇気を胸に戦っていく。現在の通算タイトル獲得数は８０期で、大山康晴と並ぶ歴代１位。新記録樹立の期待がかかる１年を迎え、羽生は穏やかな顔で抱負を語った。「大山先生は偉大な目標。ひとつの記録の目標として頑張っていく気持ちはあります」<br />
　生まれて初めての本と出会ってから３６年。将棋の世界へと導いてくれた「親と子の将棋教室」の著者を超えた時、羽生は名実共に「史上最高の棋士」となる。</p>

<p>　＜羽生善治＞（はぶ・よしはる）１９７０年９月２７日、埼玉・所沢市生まれ。４１歳。６歳で将棋を始め、１２歳で奨励会入り。１５歳で史上３人目の中学生棋士に。８９年の竜王戦で初タイトル。９６年史上初の７冠制覇。通算タイトル獲得数は８０期で歴代１位タイ。竜王以外の６タイトルで永世称号を持つ。家族は元女優の理恵夫人と２女。</p>

<p><br />
羽生は、ふたつの対局を終え、疲労困憊していたにもかかわらず、２時間も相手をしてくれた。何を聞いても率直に答え、こちら側のちょっとした脱線を笑いに変えてくれた。</p>

<p>別れ際、あることを聞こうと決めていた。記事のなかにも出てくる少年時代からの盟友・先崎学から、こんなことを聞かされていたからだ。</p>

<p>「２０代の始めの頃、羽生君と一緒に酒を飲みましてね、珍しく彼が酔っぱらったんです。帰り道、ちょうど雪が降っていて歩道の路面が凍結しているんで、羽生君は何度も滑って転びそうになるんですよ。で、私は手を貸そうとするんですけど、なぜか絶対に借りようとしない。自分で立って歩こうとするんです。無意識なのかなんなのかわかりませんけど、何かを見たような気がしました」</p>

<p>なぜ手を借りなかったのかを、どうしても知りたかった。</p>

<p>羽生は「あ～。そうですね～。そんなことが札幌であったような･･･」と前置きし、続けた。「そうですね。路面が凍結していて転びそうでしたね。でも、自力でなんとかするのが私の基本的な考え方なので。どうしようもなくなったら助けを借りますけど、そうでない限りは自分でなんとかするものだと思っていますから」</p>

<p>ずっと温和な笑顔を浮かべていた羽生は、もう笑ってはいなかった。あの瞬間だけ、盤上をにらんでいる時と同じ目をしていた。僕は、なんと返事をしていいのかわからず「ありがとうございます」とだけ言った。言いながら「また羽生に会いたい」と思った。まだ会っているうちから、また会いたいと願う感情は、やはり恋愛に似ていた。</p>

<p><img alt="分野日誌　第39回 神様への恋" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0119-1.jpg" width="500" height="750" /><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第32回 おと！　はじめまして（後編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/tonari-bousan/032.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2223</id>

    <published>2012-01-18T10:27:41Z</published>
    <updated>2012-01-18T10:27:41Z</updated>

    <summary>　年末に産まれた子どもに会いに神戸に行きたいと思いながらも、年末年始は「坊さ...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="となりの坊さん。" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>　年末に産まれた子どもに会いに神戸に行きたいと思いながらも、年末年始は「坊さん」にとって、けっこう忙しい時期です。檀家さんへの「暦」や「法事の連絡」の発送、除夜の鐘を突いて正月を迎えても、一月二日、三日、四日と檀家さんの家を廻って新年の御祈祷札を一件、一件配ります。</p>

<p>　住職になった頃はこれが精神的に負担でした。つまり自分が廻るのはいいのだけれど、せっかくの正月に人の家を訪れて「迷惑をかける」という気持ちがあったのです。そして毎年、「今年が終わってから、来年どうするか考えよう」と思っていたのですが、毎回、「うん。これは来年もやったほうがいいな」と感じるのです。うまく言葉で説明できませんし、いつか違う意見を持つのかもしれないのですが。</p>

<p>　新しい喜びに包まれた家がある一方、何事もなく平穏に過ごしている家族、そして思わぬ大きな悲しみに出会った人たち。その話を続けて聞きながら、「だからね、仏壇に毎朝、祈らない日はないんです」と話すおばあさんの言葉に耳を傾け、僕の新年は始まります。</p>

<p>　その日の終わりも近づいた夕方、車のなかで、ふと高野山での修業時代のことを思い出していました。<br />
「あー、あの時、僕は〝梅干し〟を好きになったな･･･」<br />
　というしょうもないことです。修行道場での朝食である「お粥」には、決まって毎回「梅干し」と「海苔の佃煮」がついていました。比較的なんでも食べる僕には珍しく「梅干し」を当時、あまり好きではありませんでした。しかし、「梅干し」と「海苔の佃煮」を一緒に食べると、その「組み合わせ」が最高で、なんともおいしく感じたのです。</p>

<p>　なぜか、その時の感動をリアルに思い出しながら、仕事や生活のなかでも「〝そういうこと〟が、あるのかもしれない」と考えていました。僕たちは、「何をするか」「どうするか」「どこへ進むか」ということは、よく考えますが、何と何を「組み合わせるのか」ということを、もっと試してもいいんじゃないかな、と思ったのです。</p>

<p>　例えば、僕が文章を発表する機会になったのは、糸井重里さんが主宰されているインターネット・サイト「<a href="http://www.1101.com/home.html" target="_blank">ほぼ日刊イトイ新聞</a>」で「坊さん。」という連載をさせて頂いたからですが、これも、「坊さん」と「インターネット」、「人気サイト」という「組み合わせ」が、面白く感じた方が多かったようです。僕の「これから」進める仕事にしても、「仏教」や「お寺」、「坊さん」となにを「出会わすのか」という「組み合わせ」がヒントになる部分もあると思いました。</p>

<p>　そして、みなさんが身をおいている状況や仕事においても新しい「組み合わせ」を考えて、なにかとなにかを出会わせてみる。そんなことからささやかなきっかけが始まることもあるように思います。</p>

<p><br />
<blockquote>「夏の日にそよぐ涼風　冬の日に吹きわたる川風　同じ一つの気ではあるが　人が喜んだり腹を立てたりするのは同じではない。かぐわしい肴、美味な料理の味は変わることがなくても　病人の口と飢えた者の舌とでは甘苦が異なる。西施の美しい笑みは人を死ぬほど焦がれさすが　魚や鳥は仰天して気に入ることは全くない。同じことと同じでないことと　時機を得た場合と得ぬ場合とによって　浮いたり沈んだり、ほめたりけなしたり、黙っていたり語ったりする　あなたはそれを理解しているか。それを理解し、それを理解している人こそ知音（ちいん）と称されるのだ」<div style="text-align: right;">（弘法大師 空海『遍照発揮性霊集　巻第一』現代語訳）</div></blockquote><br />
<br></p>

<blockquote>「夏月の涼風　冬天の淵風　一種の気なるも　嗔（しん）喜同じからず。蘭肴　美膳　味　変ずる無きも　病口　飢舌　甜苦（かんく）別なる　西施が美笑は　人　愛死するも　魚鳥は驚絶して都（すべ）て悦ばず　同じきと同じからざると　時あると時あらざると　昇沈　讃毀（さんき）　黙語　君之を知るや　之を知り之を知るを知音と名づく」（<div style="text-align: right;">漢文書き下し）</div></blockquote>
<br>

<p><br />
　自分にとって、美味しく感じないものが、誰かにとっては最高な美味であり、心地よさもタイミングによって違うものです。この世界には無数の存在、状況があるということは、それよりもずっと多くの「組み合わせ」があり、その多くはいまだ私たちが知らない「うれしい」ことだと思います。<br />
　そんな知らない「うれしい」の組み合わせがまだ、この世界にいくつもあることを想像すると、なんだか少しわくわくしますね。<br />
　この言葉に出てくる「知音」（ちいん）とは、琴の名人である伯牙の琴の音色を鍾子期がよく理解したことから、自分を真に理解してくれる人のことを言います。「音を知る」そのことは古来より、多くの人の切実な願いだったのでしょうね。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>（今日は後半です。修業時代の思い出から、新しい「組み合わせ」について考えます）</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第22回 うちの夫の韓国語単語帳</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/wagaya/022.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2221</id>

    <published>2012-01-17T10:56:47Z</published>
    <updated>2012-01-17T10:56:47Z</updated>

    <summary>韓流スターが好きな友達は会うたびに旦那の韓国語レベルが気になるらしい。 「旦...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="わが家の闘争　韓国人ミリャンの嫁入り" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>韓流スターが好きな友達は会うたびに旦那の韓国語レベルが気になるらしい。</p>

<p>「旦那さん、韓国語しゃべられるの？」<br />
「いいえ。まあ、私が日本語をしゃべれるから」</p>

<p>こう答えると非常に残念な顔をするのが定番だ。</p>

<p>「せっかくネイティブと一緒に住んでいるのに、もったいない！」</p>

<p>韓国語の上達のため、毎回新大久保まで行って授業料を払って頑張って韓国語を覚えている彼女たちにとってはネイティブと一緒に生活することはすごく羨ましいことであろう。<br />
だが、残念ながらうちの夫はKARAにも少女時代にもまったくピンとこず、彼女たちのようにドラマや歌を聴くことはなかった。</p>

<p>だが、韓国にはこんなことわざがある。</p>

<p>「서당개 삼 년이면 풍월을 읊는다（寺子屋の犬も3年経つと文字が読める）」</p>

<p>この言葉の通り、夫も私との生活を3年行ったからか、簡単な韓国語は理解できるようになってきた。<br />
しかし･･･残念ながら、夫が知っている韓国語は変なものばかりだ。</p>

<p>ある日、私が日常的に使う韓国語を覚えた夫は、会社の同僚で仲の良い韓国人Hさんにその言葉を使ったらしい。きっと夫は韓国語を使って韓国人であるHさんともっと仲良くなりたかったのだろう。<br />
その人は夫よりひとつ上の女の人。夫はその人に仕事を頼んだが、ミスしたか、やったことを伝えなかったかで若干困ったらしい。それで冗談で言った言葉がHさんを驚かせたらしい。</p>

<p>「이게 죽을라고（イゲ、シュグルラゴ）」<br />
「ええ？　家でそんなこと言われますか？」</p>

<p>こんな反応で夫は唖然としたという。<br />
夫は普段使っている言葉だから、まったく問題ないと思って冗談で言ったのだ。</p>

<p>帰ってきて夫は神妙な顔で相談してきた。<br />
「ミリャンさ、'イゲ、シュグルラゴ'は普通、使わない言葉なの？」<br />
「え？　何で？」<br />
「Hさんに言ったらびっくりしてたよ」<br />
「ええ？　彼女あんたより年上じゃなかったっけ？」<br />
「そうだけど。年上に言っちゃだめなの？」<br />
「あのさ、それ仲いい人にだけ言えるんだよ。たとえば妹とか」<br />
「ええ？　そうなの？　前普通に使うって言ったじゃん」</p>

<p>ちなみに･･･「イゲ、シュグルラゴ」を直訳すると「このやろう、殺されたいか？」になる。（意訳というか、ニュアンス的には「ふざけるな」になるけど･･･）<br />
多分、今これを読んでいる方は、そんな言葉を夫に日常的に言う私の頭がおかしいと思うかもしれない。<br />
夫に「殺されたいか？」とは･･･。</p>

<p>「殺す」と書くとすごく怖いイメージだが、韓国語では「殺」とかかわる言葉が多い。죽을래？（ジュグルレ？）も直訳すると「殺されたい？」の意味だが、韓国では相手の言動、言葉使いなどが気に食わないとき普通に使う。もちろん、仲のいい間柄の人に限って！</p>

<p>あ、でも、私も韓国では女友達に一回も使ったことがないな。いや、仲いい後輩に何回かはつかった記憶がある。多分、韓国の男たちはよくこんな言葉を口にするかもしれない。私もたまに弟から聞くし、私も弟には言う。</p>

<p>ここで断言しておくが、私は決して言葉遣いが荒いほうではない。むしろ、周りの評価ではすごく穏やかな言葉を使う人だ。日本人の友達で韓国語が達者な人も、周りの韓国人と比べて綺麗な言葉を使うと言ってくれた。</p>

<p>少し脱線したが、つまり「イゲ、シュグルラゴ」は日常で使っても大きくおかしい言葉ではないが、使う相手は選ぶ言葉だということだ。<br />
だが、夫はそれが不満だったようだ。</p>

<p>「じゃあ、なんで俺にはそんなこと言うわけ？」<br />
「ええ？　それはあんたと私は仲のいい夫婦だから」</p>

<p>我ながらしょぼい言い訳だ。</p>

<p>「でも、僕はHさんとまぁまぁ仲いいけど、使っちゃだめな言葉でしょう」<br />
「だからといってHさんとふたりだけで飲みに行ったりするほどか？」<br />
「いや、そうでもないけど･･･」<br />
「だから使ってはいけないのよ。わかった？」</p>

<p>十分説明をしたつもりだが、夫の不満は拭いきれないようだ。<br />
無理もない。<br />
夫にしてみれば、人に言ったらびっくりするような言葉を毎日自分に言うなんてどういうことよっ！　ということだろう。</p>

<p>ここでちょっと弁明をさせてもらうと、夫に不満があったらついつい韓国語が出てきてしまう。そこで使ってしまう言葉が、まさに韓国の弟と妹と話した時に使うものなのだ。日本語がいくら堪能であれ、頭に来ちゃうと考えることなく口から韓国語がぽろっと出る。それが私の悪い癖だ。夫は夫だけど、私にとって日本での唯一の家族だから。<br />
いや、姑さんもいるし、夫のお姉さんも、お姉さんのだんなさんもいるから、おかしいか･･･。</p>

<p>素直にごめんなさい、これからいい言葉を使いますといえば済む話なのだが･･･。<br />
まぁ、夫婦だからこそ気を使わずに意地を張ってしまうものだ。</p>

<p>初めはこういう言葉の意味をぜんぜんわからなかった夫だが、だんだんと不満の言葉を発していることを表情で察しはじめ、自分で調べたり私に聞いたりして悪口ばかり覚えるようになった。そして言いたいときに間違いなく言えるようにもなった。もちろん悪口だけではなく、どこに行きたいとか、何をするとか、ちょこっとだけだが話せる言葉が徐々に増えていく。ただ、私が日本に渡ったときちょうど生まれた私の友達の3歳の子どもよりそのペースは遥かに遅い。</p>

<p>こんなことがあってからは「Hさんに使っていい言葉か使ってはいけない言葉か」を教えることになった。韓国のアクションやミステリー映画を見ると本当に悪口というか汚い言葉が散乱するので、必ず教えないといけない。<br />
また、自分の知らない言葉を私が言うと意味を聞くこともある。そのとき、私が教えないと「Hさんに意味を聞く」と脅迫をするようになった。私としては、迂闊に文句が言えなくなって困ったものである。</p>

<p>そう思うとなんだか韓国語のほうが日本語より激しい言葉が多い気がする。<br />
韓国語では殺すとか、色々と悪口というか汚い言葉が多い。韓国の映画を見ると、アクションものが多く、ヤクザみたいな人が常に汚い言葉をよく吐く。あまりにも激しいから例えは書かないが、その言葉は悪口というか"絶対に言ってはいけない"言葉だ。たぶん、そんな映画を翻訳する人は、そういった汚い言葉には「ピーピーピー（自主規制）」を使っていたけれど、続々と登場するそういった言葉に頭を悩ませるのではないだろうか？</p>

<p>様々な人が見るテレビドラマでは汚い言葉を使うとテレビ局は懲罰を避けられないし、視聴者から抗議の電話が殺到することになるだろう。だが、映画は好き放題に使えるから、韓国ではドラマはホームドラマが多く、映画は残酷なものが多い。</p>

<p>とにかく、よくわかったのは、どの言語を勉強しても汚い言葉を先に覚えてしまう人間の心理だ。<br />
夫は私の影響を受けたが、他の人はどうだろう。ネットなどで調べてみると、英語圏で英語を勉強する人も先に汚い言葉を覚えることが多いそうだ。そして、覚えた他の単語は忘れても、悪口だけは記憶しているらしいから不思議なもんだ。</p>

<p>"これからはちょっと気をつけよう"</p>

<p>そう思ってある日夫が仕事から帰ってきたときに丁寧な言葉を使ってみた。</p>

<p>「ご主人様、今日の仕事は大変でしたか？」</p>

<p>すると、夫の表情がまるでグロテスクな映画でも見たようなものに変わった。</p>

<p>「何なの？　気持ち悪い！」</p>

<p>綺麗な言葉を使っても不満な夫である。</p>

<p>「これでも不満なのかよ？」<br />
「そうじゃなくて、あんたが中間ってものを知らないからだよ」</p>

<p>いつものことながら喧嘩は絶えない。</p>]]>
        
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    <title>第5回 神戸の昭和</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/nomikui/005.html" />
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    <published>2012-01-19T20:35:51Z</published>
    <updated>2012-01-19T20:35:51Z</updated>

    <summary>　神戸はすでに、生まれた岸和田よりも長く住む街になってしまった。ポートピア博...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="飲み食い世界一の大阪。" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>　神戸はすでに、生まれた岸和田よりも長く住む街になってしまった。ポートピア博のあった81年に大学を卒業して、神戸のマスコミに就職して通えなくなって住むようになり、この街のたくさんの店や人と馴染みになった。そして阪神淡路大震災も元町のすぐ山手にあるマンションで被災した。神戸の街がその震災で失ったのは、三宮や元町の「昭和」である。「ミナト神戸」の昭和は「ハイカラ」だった。</p>

<p>　岸和田の旧い商店街の生地屋の末っ子で、府立岸和田高校の生徒だった頃から、わたしは仲の良い小中の同級生と連れだって三宮のセンター街や元町高架下へ衣服や靴を買いに行った。岸和田から南海電車で難波まで行き、そこから大阪市営地下鉄に乗りかえて梅田に出て、阪急神戸線か阪神あるいは国鉄東海道本線に乗って三宮に着く。大阪湾をちょうど電車でぐるっと回る90分くらいの道程だ。</p>

<p>　一緒に神戸に行ったその同級生は、高校は大阪の私立の明星高校へ通っていて（そこの高校生は岸和田高校の生徒より街的だった）、いつも服のことに五月蠅かったし、今でもまことに洒落たセンスをしている。彼のその頃以来の格好良さはつまり、あの頃の神戸っぽさーーハイカラさだったというような気がする。</p>

<p>　その同級生は今、だんじり祭礼の年番という大役をしている典型的な岸和田男で、実家はテーラーであった。彼の親父さんはもう10年以上前に亡くなったが、一番町内でぶいぶい言わせていた男で、その時代に同じように祭礼年番を務めている。日々、貫禄ある岸和田男と店内カウンターで顔を付き合わせながら背広を仕立てていたシーンや、城下町岸和田の下町を歩く洒落た身だしなみが懐かしい。</p>

<p>　わたしが歩いて通うだけの高校から、三宮に行くのと同じように電車に乗って神戸の大学に行くようになった70年代の後半頃、大阪ミナミでは西海岸からの嵐が吹いて、アメリカ村が賑わうようになった。どちらかというと同級生はそのミナミ、わたしは神戸というように主な街的な棲息圏が変わったが、家がちょうど商店街と道一本隔てた裏表にあったので、地元ではサーフィンやだんじり祭はじめ酒や博打で毎日のように遊んでいて、まるで家族のようだった。これは50歳を過ぎた今でもそうであり、去年彼がだんじり祭の曳行責任者をして、ゆかた姿で宮入で正面に乗る際に被るカンカン帽を「ひろき、神戸の帽子屋でハイカラなやつ見つけてきてくれ」などと気軽に頼む仲だ。ちなみに彼の帽子姿は、NHKの朝の連ドラ「カーネーション」でのだんじり曳行シーンに何回も登場する。</p>

<p>　ともあれ大学生になったわたしは週の大半は神戸に通うことになり、高校時代より憧れの元町高架下にある［ミスター・ボンド］に足繁く行くようになった。そして服やスニーカーを買って帰っては、まるで自慢するようにそれらを着て彼に見せに行った。その［ボンド］はＪＲ元町駅西口から伸びる高架下の「モトコータウン」が中突堤筋と交わる角にある。昭和22年に開店というから、ボタンダウンやジーンズやＴシャツ、スニーカーを65年も前から売っていたことになる。店のスタイルは今もほぼそのままだという。</p>

<p>　度々［ボンド］に行くようになったその頃は、まだ店主の岡保典さんが息子さんの保雄さんと一緒に店に立っていて、おふたりから「格好良さ」について「教わった」。保典さんは現在96歳、保雄さんは64歳のはずだ。その時代はまだまだ「インポートもの」といえばアメリカで、靴ならバスにフローシャムのローファー。ＪＭウエストンというのはずっと後あと。フランスものではなぜかラコステだけがその頃から売られていた。</p>

<p>　［ボンド］に行けばそんなアイテム・コンテンツとしての衣服よりも、例えばステンカラーのコートを買う客には、「米大統領が首脳会談に出席するときの、スーツの上に着る袖丈はこんなで、手袋はこんな感じ」とか、ローファーを買う客には靴の手入れの仕方磨きかたを丁寧に教えてくれるのであった。今もそうだが、この店は服屋の接客とは一体何なのかいうことを身を以て体験させてくれる。</p>

<p>　1970年代後半の神戸には、そんなハイカラな外国の匂いがする店があふれていた。トアロードの［アメリカンファーマシー］は在神外国人のための店で、大阪では決して売っていないクリスマスのポストカードやチューンガムやドロップの匂いがしていたし、センター街の［ミッチャン］は舶来もののお菓子やコーヒー紅茶から、奥のガラスケースには高そうな眼鏡や万年筆、やたらハヤいブランドもののバッグまでが並んでいて、大学生になって神戸に親しむようになったばかりのわたしは、「ここは何屋なのだろう」と目を丸くしていた（やたら店員の愛想が悪いというか、怖かったのも思い出のひとつだ）。</p>

<p>　また大阪の大学生にとっては、「ミナト神戸」は絶好のデート場所だった。けれどもトアロードや北野町の異人館街のレストランやカフェなど（またラブホテル街でもあった）デートで行くところと（それを男同士で予習して本番は彼女を連れていく）、そうでないところに別れていたように思う。［ボンド］や「駐留軍拂下品・各種舶来運動具」の［サトーブラザース］、洋盤が安くてハヤかった［AOIレコード］などは、デート用のそれと違って、店と接する感覚が男性専科というか、決定的に違っていた。</p>

<p>　それはそれらのショップでの買い物帰りにメシを食う時に端的に表れる。よくよく食べに行く店は中華料理系の店である。それらは「チューカ」であって、決して中華街にある観光仕様の料理店ではない。また南京町はまだ再開発される前で、楼門があって極彩色の今のような中華街ではなかった。といって円卓を囲む豪華な北京料理やレストランの広東料理でもない。いうなれば「中華食堂」なのだ。とりわけ［ボンド］や［サトーブラザース］のある元町には、大阪の駅前にあるような［王将］や［珉珉］や５５１の［蓬莱］、あるいは酢豚と八宝菜にチャーハンの「パパママ中華」ではなく、いきなりJR元町駅ホームの高架下に台湾料理の［丸玉食堂］、そして元町駅西口の改札を出てすぐ正面の横断歩道を渡ったところにＪＲＡ場外馬券売場隣に廣東料理の［四興楼］といった超弩級の「中華食堂」があるのだ。</p>

<p>　［丸玉食堂］は台湾料理のスゴい店としかいいようのない店で、神戸にも横浜や大阪<br />
にも似ている店はない。ステンレス張りの30数人が横一列に並ぶ長い長いカウンター<br />
と、その向かい側と入口側にテーブル席が約10テーブル。ものすごい喧噪と脂の匂い<br />
のなか、どの客も厳つい。壁は入口から奥までところどころ大きな鏡が貼られてい<br />
て、うち2枚には「兵庫県警察 有志一同」「第五管区海上保安本部 有志一同」との<br />
年季ものの寄贈クレジットがある。この台湾料理店は腸詰めや豚足、生腸（せいちょう／「こぶくろ」だそうだが未だにどこの内臓部位かは知らない）といった手強い台湾料理の一品ものを始め、春巻き、鶏唐揚げ、麺類飯類と何でもござれの「食堂」だ。</p>

<p>　わたしはひとりで行くと大体、「足」つまり豚足（この店ではみんな「あし」と言って注文する）または腸詰めとビール、そしてヤキメシ（「チャーハン」でないのは出てきた瞬間にわかる）と汁そば（350円、安い）。これで2千円を超えることはない。この店へ行き始めて30年になるが、店のスタッフは、凄まじく大きな両手付き中華鍋を振っているタオルの鉢巻きを締めた厨夫から、料理を盛りつけたり皿を洗ったりしているおばさんまで、いつ行っても同じメンバーであり同じ顔である。この店の人はきっとこの店のパワフルな賄いを毎日食べているのだから、年をとらないんだろうなどと思ったりする。</p>

<p>　そんなことを思うと、大学の帰りに阪急六甲から三宮へ出て、そっから元町まで歩いて［ボンド］でアロハシャツを買って［丸玉食堂］で食べてビールを飲み、帰りは元町には阪急の駅がないので、阪神元町駅から阪神電車に乗って帰ったコースが昨日のようだし、実際に神戸に長く住む今もやっている。けれども阪神元町駅のホームのベンチ横に固定されてあった、ごつくて角が丸い鉄の塊みたいな灰皿で、途中で買った洋モクを座って吸って梅田行きの特急を待っているときのハイカラな優越感、ちょっと東南アジア的華僑な感じの満腹感は、すでに煙草がＮＧの駅ばかりになった平成20年代では不可能だ。</p>

<p>　［四興楼］は「豚まん」で有名な店だ。「えっ、元町なら当然元祖豚まんの老祥記と違うの」というのは極めてデート的発想である。南京町でいつ行っても行列の［老祥記］はさすがに大正１４年（１９２５）年創業の大老舗で確かにうまい。そして関西で「豚まん」と称するその呼び方は、初代が浙江省から麹を持ち帰り、日本で初めての「天津包子（パオツー）」を港町・神戸でつくって売るが、その際に「パオツー」では日本人に馴染みがないと「豚饅頭」と命名した。だから今なお赤い暖簾には、店名より「豚饅頭」の文字が大きく染め抜かれている。そして「マクドナルド」を「マクド」というように縮めて言うのが好きな上方人は、「豚饅頭」を「豚まん」と呼んだ。しかし「パオツー」は「饅頭」と呼ぶのがふさわしい小ぶりのものだ。だからここの豚まんは10個ぐらい食べないと満足しないし、豚まんオンリーでビールが飲めない店は辛い。</p>

<p>　味ボリュームともに［老祥記］の「豚饅頭」の×3のヘヴィ級の［四興楼］の豚まんこそが「中華食堂」なのである。その［四興楼］は両開きバネつきのまことに年季と中華が感じられる赤い扉が、開店中ずっとびよよよんと開閉しているような店だ。40個50個とテイクアウトしていく客、そして中の店内席あるいは二階で食事する客でごった返している。</p>

<p>　暖簾には「廣東料理」と堂々と大書している店なのに、店頭のガラスショーケースにオムライスのサンプルが置いてある。昭和25年開店時からあるカレーライスも名物で、最近「カレー小＋ワンタン＝５００円」の「ワンコイン・ランチ」も昼のメニューに加わった。バネの赤ドアを開けるといきなりキャッシャーがあって、そこで豚まん、焼売のお持ち帰りの個数、または食べるメニューや酒ビールを申告する。テイクアウトもイートインも同じ手続きだ。するとキャッシャーに常駐しているスタッフが、先払いした勘定と引き替えに食券代わりのプラスチックの楕円形の色札を渡してくれるので、それをもって相席当然のテーブル席へ座る。プラスチックの色札を渡すやいなや出てくるお茶は、紺に白水玉の有田焼湯呑み茶碗、レンゲと醤油小皿は中国メイドのホタル陶器。入口のでかい蒸し器から出された豚まんはプラスチックの白皿。厨房から出てくるカレーライスやワンタンは白洋食器で出てくるから訳がわからない。おまけに店内スタッフ間で飛び交う言葉は広東語（？）である。</p>

<p>　やはり店内ではひとつから食べられる豚まん（190円）は必食である。この店の馴染みと思しき客は、辛子や醤油ではなくソース（卓上に置いてある普通のウスター）と辛子を小皿で混ぜ合わせて食べている。なぜか周りがそうだったからわたしもソース派だが、何回比べてもソースと辛子の方が断然旨い（と思う）。豚まんはじめ追加オーダーは、店のおねーさんに「ごめんやけど、豚まんひとつと揚げワンタン」などと言って、テーブル席に座ったまま代金を払えばオッケーだ。だけどなかなかこれができない。</p>

<p>　向かいの［丸玉食堂］もそうだが、競馬がある日曜祝日は競馬新聞を手に持ち、赤鉛筆を耳に挟んだおっさん一人客でいっぱいだ。けれども平日の昼下がりには、ひょっとしてそれ古いミッソーニですか、といったぶ厚くて凄みのある生地のコートの老婦人がそれを着たままで、ひとりで豚まん1個とアゲそばを食べていたりする。食べておいしいグルメ料理じゃないが、喰ってすごく旨い食堂メニューだ。<br />
　<br />
　そこから歩いて1分、元町商店街へ。このような中華食堂の後には、煙草とともにフレッシュジュースが飲みたくなるのだ。フルーツショップ［サンワ］の店先にはミキサーが4〜5台並んでいて、いつもパパイヤやマンゴの「ミキサーでぶぃーん」のジュースがプラスチックのコップで立ち飲みできて2〜3百円と安い。この店は市場風の店だが、台湾バナナやモンキーバナナ、各種オレンジほか、ドリアンとかパッションフルーツも並んでいてハイカラ極まりない。天津甘栗の赤い幟と縁日風栗焼きマシーンも店頭に出されている、創業50余年の昭和の店だ。そういえば生田筋をまたぐ阪急の高架下には、でっかいバナナの房を描いた果物店の看板があって、度肝を抜かれたものだ。その看板は今はない。</p>

<p>　バナナジュースは神戸のどこの喫茶店でもポピュラーでうまいと思う。大阪よりも京都よりも断然うまい。それはバナナボートが神戸港に着くからだ。バナナ輸入の発祥は明治時代の神戸である。そのバナナは台湾からのものだったそうで、それを東京や大阪では「神戸バナナ」と称していたらしい。</p>

<p>　だいたい兵庫突堤に着けられるバナナボートは船腹が低くてかっこよかった。まだ青いバナナがうずたかく積まれた木製のケースをクレーンで降ろしている風景や、乗組員のフィリピン人のプリントの開襟シャツはさらにかっこいい。実際に意識して見たことはない、定年間際の神戸新聞の先輩編集者から聞いた話だ。</p>

<p>　50年後半の世界の音楽シーンに「カリプソ」が燦然と登場したが、その代表曲が「バナナボート」である。日本では57年に浜村美智子が歌って大ヒットしたそうだが、わたしはまだ生まれていない。バナナを船積みする際の労働歌がルーツで、「♪デーオ、デェエオー」のあのメロディはお馴染みだ。岸和田の小中学生の悪ガキたちは「デーオ、デェエオー。頭イテテ、頭イテテェーよ」と唄っていた。</p>

<p>　「一晩中働いてラムを飲む（夜明けになって陽が昇るとぼくは家に帰りたくなる）　朝までバナナを積み上げる　どうぞ検数員さんぼくのバナナを数えておくれ　6フィート7フィート8フィート」</p>

<p>　そんな歌詞だが、神戸のエキゾチックでハイカラなミナト感覚は、荷揚げ側にしてもそういった汗やかなしさについての万国共通の港町気質にも通じている。元町6丁目の横丁にある老舗のコーヒショップ［田園］で、ストローで吸い上げるのにかなりの肺活量がいるバナナジュース（砂糖は使っていない）を飲んでいると、今もそのことがよくわかる。</p>]]>
        
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    <title>第30回 カラマーゾフ　その２</title>
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    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2212</id>

    <published>2012-01-13T09:26:01Z</published>
    <updated>2012-01-13T09:26:01Z</updated>

    <summary>Братья Карамазовы 「カラマーゾフ」という名前について、前回...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="声に出して読みづらいロシア人" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>Братья Карамазовы</p>

<p>「カラマーゾフ」という名前について、前回書ききれなかった話題をひとつ。</p>

<p>暗喩好きのドストエフスキー先生だけに、この名前も意味深です。具体的には「黒く塗る」という意味になります。<br />
まぁ素直に捉えれば、いろいろ問題を引き起こすカラマーゾフ家の暗黒面を意味している、ということなのでしょう。<br />
多くの学者が様々な説を唱えていますので、ここではちょっと違ったお話を。</p>

<p>「カラ（黒）」というのは、明らかに中央アジアから入ってきたと思われる語です。<br />
モンゴル語でもトルコ語でも黒は「カラ」。<br />
モンゴルのカラホト遺跡の中国語名は「黒水城」だし、黒海はトルコ語で「カラ・デニズ」です。</p>

<p>かつて、トルコ語やモンゴル語といったアルタイ諸語と日本語は同じルーツだ、という説がまことしやかにささやかれていた頃、この言葉がよく注目されました。<br />
カラ（kara）とクロ（kuro）って、そっくりじゃないか、と。</p>

<p>今はこの説は否定されている、というか、「検証のしようがない」ということになっています。<br />
でも、ひょっとしたら日本語と「カラマーゾフ」が、こんな感じでつながっているとしたら、ちょっと面白いですよね。</p>

<p>ところで以前、『カラマーゾフの兄弟』の登場人物のスメルジャコフのことを意訳して「臭い子太郎」とした翻訳者がいたということを書きましたが、彼がこのことを知っていたらひょっとして「黒マーゾフ」とかつけていたかもしれません。<br />
『黒マーゾフの兄弟』･･･マフィア小説、って感じです。ちょっと面白そうかも。</p>]]>
        <![CDATA[<p><img src="images/txt_01.gif" alt="主旨" height="23" width="46" /></p>

<p>「ロシア人の名前は何であんなに長ったらしいのか？」と、よく言われます。時にはもっと単刀直入に、「なんであんなに滑稽なのか？」とすら言われたこともある。<br />
確かに、ロシア人といえば、「ドストエフスキー」「ムソルグスキー」「ゴルバチョフ」など、ゴツイというか愛想がないというか、そんな名前ばかり。<br />
ですが、「グジェ」とか「ドヴァ」とか、「ルグスキー」なんて不可思議な文字列は、ロシア人の名前でも呼ばない限り、一生声に出すことはないはず。<br />
だったらせっかくなので、読みづらいけど、大声で唱えてみよう。気分が晴れたり晴れなかったりするかもしれません。<br />
本連載では、そんな怪しげな響きのロシア人名を厳選して紹介するとともに、その人物のプロフィールを解説。ロシア人の名前の仕組みについてもわかる。役には立たないが。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>第25回 床屋のススメ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/konmai/025.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2210</id>

    <published>2012-01-12T10:10:31Z</published>
    <updated>2012-01-12T10:10:31Z</updated>

    <summary>「こんまいマチ案内」編（vol.18）――小松理容所のこと 先日、人生初の床...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="高松こんまい通信" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<h4>「こんまいマチ案内」編（vol.18）――小松理容所のこと</h4>

<div class="img_l"><img alt="第25回こんまい通信　床屋のススメ" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0112-1.jpg" width="250" height="375" /></div>

<p>先日、人生初の床屋へ行ってきました。今回の目的は、顔のシェービング。田んぼに囲まれた田舎で育った私にとって、床屋はテレビのなかの存在で、数年前まで女性はカットしてもらえないということも知りませんでした。床屋に行ってきたと言うと、周りの人には「なんで！？」と驚かれます。でも、私にとっては念願の（！）経験だったのです。</p>

<p>髪を切るのは、小さいころから美容室でした。高校生まで母親と同じ美容室へ通っていたので、「いつもの」とか「少し長めに」で通じていたのですが、大学で県外へ出たとき、自分にとって居心地のいい美容室を見つけるのに時間がかかりました。</p>

<p>私の場合、美容室は髪を切るだけでなく、気分のリフレッシュを兼ねて行くことが多く、ほっとできることも大事な要素のひとつです。初めての美容室では、自分の希望の髪型はもちろん、身の上話をどんどん質問されることも。雑誌を読んで1時間過ごせばいいものですが、初めての美容室では、自分のなりたい髪がきちんと伝わったかどうかという不安が募り、心はそわそわ。美容室から出るころには、髪はすっきりしているのですが、心はふぅっとため息をつきたくなるようなそんな経験をしていました。当たり前と思っていた心地よさに出会うのは、思った以上に大変だったのです。</p>

<p>香川に戻り、その後も美容室探しは続いていました。髪を切りたいと思って「ここ！」と入ったのがたまたま床屋で「女性はしていないのですよ」の一言にがっくりきたこともありました。なぜ無意識に床屋に惹かれるのでしょうか。それは店構えや空気感から、職人的なにおいを感じ、安心して自分の頭を任せられる何かがあったからかもしれません。</p>

<div class="img_r"><img alt="第25回こんまい通信　床屋のススメ" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0112-2.jpg" width="300" height="189" /></div>

<p>そんな私がついに理想の床屋さんに出会いました。高松の商店街で戦前から三代続く床屋を続ける小松理容所さん。看板には"Butchering is our speciality Glue no extra charge"の文字。外国の方は、この看板を見て指を差して笑うんだそう。意味は、「私たちの得意は虎刈りです。もちろん追加料金はいただきませんよ」。つまり粋なジョークで「腕は確かですよ」ということを表現しているのです。</p>

<p>なかに入ると、制服を着た４人の理容師さんがひたすらハサミに集中しながらてきぱきと働いています。イスに案内されると、クロスを巻き、まずは首周りから。理容師さんが泡を立てているのを横目でみながら、しばし待ちます。泡がもこもこついた刷毛で首筋をなぞり、いよいよカミソリが登場。カミソリまけが心配だった私ですが、意外にソフトな感触で何とも心地いいのです。剃り終わると、タオルで泡を拭き取り、続いて蒸しタオル。（あったかいおしぼりで顔を拭く男性の気持ちがわかりました！）最後に顔のマッサージをして、おしまい。この快適時間がもう終わってしまうのか、と惜しみながらイスを起こされ、「終わりましたよ」の一言で目を開け、顔を触れてびっくり。自分の肌とは思えないほどのつるつるさ。まさに劇的ビフォーアフターでした。</p>

<div class="img_l"><img alt="第25回こんまい通信　床屋のススメ" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0112-3.jpg" width="300" height="225" /></div>

<p>聞くと、ハサミやカミソリは毎日研いでいるのだとか。他にも道具は、水牛の角を使っていたりと、さすが職人。私が男性だったら、この静かな空間で水牛の角でできた櫛で髪をといてもらったり、シャッシャッといい音を出すいつもピカピカに研がれたハサミで髪を切ってもらうことができるのに。いいなあ、羨ましいなあ、と思いながら外へ出ました。小さなマチの日常を支えている職人は、こんな風にマチのあちこちに存在しているのでした。</p>

<p><br />
<div class="img_l"><img alt="第25回こんまい通信　床屋のススメ" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0112-4.jpg" width="200" height="170" /></div></p>

<p><strong>小松理容所</strong><br />
高松市片原町1-4<br />
☎ 087-821-7824<br />
営：8:30〜19:00<br />
休：月、第1・3の月曜に続く火曜</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第31回 おと！　はじめまして（前編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/tonari-bousan/031.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2203</id>

    <published>2012-01-11T10:48:31Z</published>
    <updated>2012-01-11T10:48:31Z</updated>

    <summary>　「それではメリークリスマス！（そういえば、お坊さんやお寺でクリスマスってあ...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="となりの坊さん。" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>　「それではメリークリスマス！（そういえば、お坊さんやお寺でクリスマスってあるんですか？）」</p>

<p>　〝坊さん〟である僕がクリスマス頃にもらうメールには、多くの人が最後にそう付け加えています。<br />
「クリスマス？　そんな他宗教の誕生祭に、チャラチャラした気分でいるはずはないでしょう。座禅ですよ、座禅。そして４月８日の花祭（ブッダの誕生法会、灌仏会のこと）を虎視眈々と待つ！」<br />
　というほどエキサイトしているわけではありませんが、特になにかをするわけではありません（当たり前か）。しかし今年は「新婚」でもありますし、妻にはウールのひざかけをクリスマスプレゼントしました。「花祭」には、もっといいものをプレゼントしないといけませんね。</p>

<p>　クリスマスは、「ミトラ教の太陽神の新生を祝う〈冬至の祭〉をキリスト教が取り入れたもの」（広辞苑より）なんですね。知らなかった。よく「お祝いは、神道。死んだら仏教。年末はクリスマス。日本人の宗教観は、節操がない」と言われますが、宗教って日本に限らず「ぐるん、ぐるん、ぐるん」と遠心力をもって運動しているものなのかもしれません。</p>

<p>　ちなみに、となりの寺の体格のいい若いお坊さんは、「子供会」のクリスマス会に「サンタさん」として毎年、何件も駆り出されるそうです。剃髪したサンタクロースとは、なかなかしぶいですね。<br />
　というわけで栄福寺から遠心力を込めて、今年もお届けします「となりの坊さん」。今年もよろしくお願い致します。ぐるんぐるんぐるーん。</p>

<p>　昨年の12月21日に、僕にとって初めての子ども（長女）が生まれました。出家した僧侶は本来、結婚しないものであったので（世界的にみるともちろん今でも）、あまりこのような公の場所で、胸を張れることでもないんじゃない？　というご意見もあるかと思うのですが、ここはひとつ産まれてきた子どものためにも、胸をはります。</p>

<p><br />
<blockquote>「独りでいる修行をまもっているときには一般に賢者と認められていた人でも、もしも淫欲の交わりに耽ったならば、愚者のように悩む」<div style="text-align: right;">（『スッタニパータ』八二〇）</div></blockquote><br />
<br></p>

<p><br />
　開き直ってばかりでもいけませんが、今、僕（たち）が語れる仏教は「愚者のための仏教」なのかもしれません。自身が「愚者」であると感じるからこそ、生活のなかで、ささやかな「智慧」を泣き笑いながら求めていこうと思っています。</p>

<p>　予定日の前日にお葬式を拝むことになり、妻は実家のある神戸での出産なので、「立ち会い」は難しいと思ったのですが、なんとか間に合い、命が誕生する現場にいることができました。<br />
　陣痛が始まったとの連絡で、急いで駅まで車を走らせながら、産まれてくる子どもに僕はなんと声をかけるだろう、と考えていました。ふとついて出た言葉は、「欠点もずいぶん多いらしいこの世界のことを、僕は好きです。ようこそ。いらっしゃいませ」でした。</p>

<p>　子どもに名前をつけることになると、自分が「世界」や「人」をどのように見ているか、ずいぶん気づくような気持ちになります。まず初めは、「誰かに名前をつけてもらおう」と思いました。子どもに対して、一番気をつけなければならないことは、「子どもを自分の所有物のようにふるまう」ことではないかと思ったからです。昔の人が、お祖父さんや住職さんにつけてもらうことが多かったのも、含蓄のあることだと感じました。<br />
　しかし、これは奥さんの反対にあい断念。「じゃあ、私がつけるで」と関西弁ですごまれたので、「やややや、僕がつける」と名前を考え始めました。彼女からの厳命は「平仮名」か「カタカナ」であることです。</p>

<p>「なんで？」<br />
「昔っぽい名前がいいねん。クマとか。あと、カマドとかヨネとか･･･」<br />
「なんでカマドなの？」<br />
「食いっぱぐれないように！」</p>

<p>　やはり自分が決めた方がよさそうだと、深く心に決めました（というのは冗談で「カマド」も結構かわいいいですね）。<br />
　「こずえ（梢）」という名前も思いつきました。梢は「木の枝の先」という意味ですよね。「私が生きている」ということは、「木の枝の先っぽ」という、とてつもなく「小さなこと」でもあります。しかし同時に一番根本にも、太い幹にも繫がった「大きなこと」でもある。その最先端にあなたは立っている。と伝えたくなりました。</p>

<p>　最終的に決めたのは、「おと（音）」という名前でした。あなたも、この世界にあるすべてのことも、手と手を合わせて鳴らした音が、永遠に響くことがないよう、流れていくものだけど、だからこそ、自分にも誰かにも「いい音」を聞かせて欲しい、響かせて欲しい。そういう思いを込めました。<br />
　音、といえば観音様（観世音菩薩）のことも思い出します。</p>

<p><br />
<blockquote>「若し無量百千万億の衆生ありて諸々の苦悩を受け、この観世音菩薩を聞きて一心に名を称うれば、観世音菩薩は即時に〝其音声を観て〟皆解脱を得しむ」<div style="text-align: right;">『妙法蓮華経』（観世音菩薩普門品）</div></blockquote><br />
<br></p>

<p><br />
　〝音声を観て〟この詩情あふれる表現、場面から、「響かせる」ということ以外にも、「音に耳を澄ませる」ということを想起させられます。そういう人であってほしいし、そういう人に僕もなりたいです。</p>

<p>　白川静さんの著作によると「音」は「言」に「一」を加えた字で、「言」は「神に誓って祈る言葉」であり「音」は、その祈りに神が反応し、夜中の静かな時に立てるかすかな音。「音」とは、神が音を立てることであり、その訪れ、お告げである、とのことでした。（『常用字解』平凡社、参照）この意味は名前をつけた後に知りましたが、「祈りに反応する音」があるか信じるかと問われたら、僕はそれがあると信じるし、それが「神様」なのかと考えたりしました。</p>

<p>　ふー。本当に名前というのは「呪術的」な意味さえあるとも言われますが、そこまで言わなくても人生観や生命観が出ますね。「名前をつける」というのは、本当に素敵な経験でした。人にこうあって欲しい、ということは、そのまま「自分もこうありたいな」ということであり、また読者の皆さんへのささやかなご提案でもあると感じます。</p>

<p>　「これからは三人で力を合わせてがんばろう」と神戸の妻にメールをすると、「これからはズッコケ三人組で生活を楽しもう！」と返信が来ました。<br />
「そういうこと、なんだよな」<br />
と僕はしばらくそのメールを眺めていました。</p>

<p>　愚者でありズッコケ。そんな地点から「今を生きる」。前を向いて、後ろを振り返って、「おと」に耳を澄ませ、ゆっくりでも歩こうと思います。</p>

<p><br />
（前半はここまでです。次回は修業時代の思い出から「組み合わせ」について、考えます！）</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第6回 きっと「あいだ」が大事なんです　かやはらレポート②</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/kodaishi/006.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2201</id>

    <published>2012-01-11T10:05:26Z</published>
    <updated>2012-01-11T10:05:26Z</updated>

    <summary>ミシマガジンの読者のみなさま あけましておめでとうございます。 昨年、どうに...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="へなちょこ古代史研究会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>ミシマガジンの読者のみなさま</p>

<p>あけましておめでとうございます。<br />
昨年、どうにかこうにかよちよち歩きを始めた古代史研究会ではありますが、年があらたまったからといって、「へなちょこ」が「一人前」に脱皮するなんてことはないわけでございまして、あいも変わらず「へなちょこ」ぶりを発揮し続けることになると思います。<br />
とはいえ、今年は古事記編纂１３００年を迎える年でもありますし、「へなちょこ」なりに古代の面白さをお伝えしていきたいと思います。本年も、どうぞ温かい目でへなちょこ古代史研究会をよろしくお願い申し上げます。</p>

<table width="220" class="img_cap">
<tr>
<td>
<img alt="第38回ミシマ社の話" src="http://www.mishimaga.com/files/2011/1229-1.jpg" width="200" height="293" />
<p>『計画と無計画のあいだ』（河出書房新社）</p>
</td>
</tr>
</table>

<p>さてさて、昨年秋に刊行されたミシマ社長の著書『計画と無計画のあいだ』は、みなさんお読みになりましたか？</p>

<p>ミシマさん曰く、「計画と無計画のあいだ」にこそ自由がある。<br />
計画にがんじがらめになっていてはとかく窮屈だ。かといって、何の制限もない完全なる野放図は危険きわまりない。勇気をもって計画を飛び越えつつも、神経を研ぎ澄まして迫り来る危険は敏感に察知する。そんな状態においてこそ、人間はもっとも躍動し、自由な着想を得られる、というのが三島さんの主張である、はずだ。</p>

<p>いやはや何ともミミガイタイ･･･。思えば、『計画と無計画のあいだ』の発売日に、我らが「へなちょこ古代史研究会」の連載はスタートした。その始まりたるや、何とも、何とも、何とも･･･無計画。<br />
ミシマさん流に言えば、「計画と無計画のあいだ」どころか、計画性とまったく無縁のこの研究会は、危なっかしくて仕方がないのかもしれないけれど、「古代人もきっと計画などとは無縁であったに違いない」と、一年の計を立てるのがよしとされる新年の始まりに、無計画であることを誇らしくうそぶいてみるのも、まぁ一興というところでしょうか。</p>

<table width="220" class="img_cap">
<tr>
<td>
<img alt="第6回へなちょこ古代史研究会" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0111-1.jpg" width="200" height="324" />
<p>『生物と無生物のあいだ』（福岡伸一、講談社現代新書）</p>
</td>
</tr>
</table>

<p>ところで、『計画と無計画のあいだ』が、福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ』からタイトルを拝借したことは、ミシマさんの本の「あとがき」に触れてあるとおり。<br />
福岡先生は、物質（＝無生物）の集合体であるはずの生物が、なぜ生命を宿すことになるのか、その謎に迫っている。その「あいだ」に何とも神秘的な世界が広がっていることに、驚きを受けた人も少なくないはずだ。</p>

<p>そうかそうか、「あいだ」が大事なのね。<br />
「計画か、無計画か」「生物か、無生物か」のどっちかではなくて、その中間地帯であり、両者をつなぐメカニズムであり･･･。<br />
「白黒はっきりさせずに"あいだ"の曖昧さを許容するのは、日本文化の良さでもあるよなぁ」などと、ひとり思っていたら、書店でふとある本が目に飛び込んできた。</p>

<p>『考古学と古代史のあいだ』（白石太一郎著、ちくま学芸文庫）</p>

<table width="220" class="img_cap">
<tr>
<td>
<img alt="第６回へなちょこ古代史研究会" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0111-2.jpg" width="200" height="299" />
<p>『考古学と古代史のあいだ』（白石太一郎、ちくま学芸文庫）</p>
</td>
</tr>
</table>

<p>ふむ、「考古学」と「古代史」の「あいだ」、ですか･･･。</p>

<p>そのふたつをはっきりと分けて考えたこともなかったから、そのふたつに「あいだ」があるということ自体がとても新鮮だった。それに、こちとら古代を研究せねばならぬ立場にいる身でもあるからして、迷わず手にとり購入した。</p>

<p>読んでみて驚いたのは、「考古学」と「古代史」の「あいだ」には、少なからぬ溝が広がっているということだった。<br />
「考古学」は、言うなれば理系の学問であり、モノの年代を自然科学的な方法で特定し、その特長や広がりから歴史を組み立てていく。一方の「古代史」は文系の学問で、文献をいかに読むかが言うなればすべてだ。<br />
ふたつを分けて考えたことがなかったのは、当然ふたつの成果にもとづいて「古代」は語られているとばかり思っていたからに他ならない。<br />
「甘いねぇ、考古学と古代史では方法論が違うんだよ」と言われれば、シロウトには反論の余地もないのだが、日本の起源に迫ろうというロマン溢れる営みが、分断されてしまっている事実には、何とも悲しい思いを抱いたのであります。</p>

<p>著者の白石先生は、若くして「古代」に魅せられた。大阪に生まれ、中学から高校時代に大和にある古墳をすべて見尽くしたというから、その「古代」への情熱たるやすさまじい。著者自身、「考古学」と「古代史」のふたつの道のはざまで揺れ迷った末に、「考古学」の道を選び、その立場から「古代」に挑み続けてきた。<br />
「考古学」の世界にも「古代史」との距離感の取り方はさまざまな人がいるなかで、著者の立場は、ふたつの方法論をはっきりと分けた上で、お互いの成果は積極的に取り入れていくべき、というものだ。</p>

<p>うん、一「古代」ファンからすると、なんともうれしいスタンスです。</p>

<p>だが、その著者が繰り広げる主張はときにラディカルだ。考古学の見地から、かの有名な『魏志』倭人伝の史料としての信憑性に疑義を唱えたり、『日本書紀』や『古事記』の記述に意図的な修正が加えられている可能性を指摘したり･･･。</p>

<p>この本のなかで一番スリリングだったのは、考古学的な物証を積み上げて、邪馬台国は大和にあったことを結論づける第一章だ。そこにはあたかも、証言から状況証拠を組み立てて被告を追い詰めようとした検事に対し、弁護士が動かぬ物的証拠を整然と揃え、見事に無罪を勝ち取ったような、痛快なまでの説得力があった。</p>

<p>そりゃぁまぁ、『魏志』倭人伝の証言をそのまま採用したら、邪馬台国は九州のはるか南の海の上にあったことになるわけで、戦う前からいささか分が悪かったということかもしれないが･･･。</p>

<p>とはいえ、ここで言いたいのは、「邪馬台国は大和にある」ということではない。</p>

<p>やっぱり、「あいだ」が大事なのね、ということだ。</p>

<p>福岡先生が言っていた、かどうかは記憶が定かではないけれど、生物というのは異なる遺伝子を掛けあわせて、種の保存を図る。遺伝子の純潔を保とうとしようとすると、どこかでコピー機能が劣化していくものらしい。近親交配で劣性遺伝子が生まれるという話を、なぜか生物の授業ではなく、下ネタが大好きだった世界史の先生の授業で聞いた記憶がある。曰く、「古代のある王朝では一族の純血を保とうとして、親族どうしで近親相姦を繰り返して衰えていった（ニヤニヤ）」、という具合に･･･。</p>

<p>自らの保存を図るために、異なるものを受け入れるというのは、何とも神秘的な逆説だ。「偉人は異人なり」と言ったのが誰だったかは覚えていないけれど、純粋を保とうとすれば種は滅び、異なるものを受け入れてこそ種を残していくことができる。それが、生物が抗うことのできない真実であるとすれば、一介の生物たる人間が搾り出した学問においても同じことが言えるのではなかろうか。</p>

<p>ここでも「あいだ」がものを言う。<br />
勢い良く計画線を飛び越えて、異なるものとどんどん掛け合わせて、そうしたら、世界はもっと面白くなるような気がする。</p>

<p>あれ、話が古代じゃなくなってる？<br />
まぁ、その辺の無計画さが「へなちょこ」たる所以ということで･･･。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第5回 青山くんの写真って、どこか『透明人間』っぽいよね。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/kanojo/005.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2202</id>

    <published>2012-01-10T10:41:49Z</published>
    <updated>2012-01-10T10:41:49Z</updated>

    <summary> 『透明人間⇆再出発』（谷郁雄（詩）青山裕企（写真）、ミシマ社） 先月（20...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="＜彼女＞の撮り方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<table width="270" class="img_cap">
<tr>
<td>
<img alt="第5回 ＜彼女＞の撮り方　青山くんの写真って、どこか『透明人間』っぽいよね。" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0110-1.jpg" width="250" height="181" />
<p>『透明人間⇆再出発』（谷郁雄（詩）青山裕企（写真）、ミシマ社）</p>
</td>
</tr>
</table>

<p>先月（2011年12月）に発売した詩写真集『<a href="http://www.mishimasha.com/books/toumei.htm" target="_blank">透明人間⇆再出発</a>』では、僕にしては珍しいスナップ写真（風景や草・木・花・空など）であったり、ポートレート写真を収録しています。谷郁雄さんの詩を読みながら、はじめは『再出発』がタイトル候補であったので、僕も再出発の気持ちになって、写真を撮りはじめた思い入れのある、筑波という土地で撮影しようと決めました。</p>

<p>筑波は、一目惚れしてしまった＜彼女＞の記憶が蘇る場所（<a href="http://www.mishimaga.com/kanojo/001.html">第1回から第3回までを参照</a>）でもあったので、そんな＜彼女＞を想定したショートカットの似合う素敵なモデルさんに来てもらって、僕にとっては撮りなれた公園であったり、大学の構内などを巡りながら、懐かしくも楽しく撮影することができました。</p>

<p>撮影した写真を谷さんや三島さん、編集の足立さんや装丁の寄藤文平さんに見せたりするなかで、</p>

<p>「青山くんの写真って、どこか『透明人間』っぽいよね。」</p>

<p>という意見が出てきて、そのうちタイトルも『透明人間』になりました（そして、最終的には合体したタイトルに！　ちなみに、どちらも谷さんの詩のタイトルに元々あるものです）。<br />
『透明人間』っぽいと自覚しながら撮影していたつもりはまったくなかったので、自分なりに、どこが『透明人間』っぽいのかについて、考えてみました。</p>

<p><br />
その一．透明人間の視点は、自由自在。まじまじと見続けられる。</p>

<p>　透明人間は、相手に自らの姿を見られていないわけですから、どの角度からも、まじまじと見続けることができるわけです。僕の撮影テーマのひとつに"凝視することで見えてくるもの"がありまして、まさにこういうことなんだなって、思いました。まあ、透明人間のすることって、どこかしらエロかったりしますしね（笑）。</p>

<p>その二．距離感が、透明である。</p>

<p>　どういうことかと言うと、いろんな＜彼女＞を撮るときに、恋人ほどに親密というわけでもなく、それ程よそよそしくもなく、微妙にして絶妙な距離感を僕は保っているのかもしれない、ということです。<br />
　僕は芸能人を撮るときも、恋人を撮るときも、初対面の人を撮るときも、なるべく同じように撮りたいな、と思っています。要するに、自然に、ありのままに、素直に撮りたいな、ということです。<br />
　例えば、テレビを見ながら画面に向かって笑っている＜彼女＞は、カメラの前では、なかなかその笑顔を見せてはくれません。なぜなら、状況が自然じゃないからです。<br />
　そこで僕は、実はテレビの向こう側からこっそり撮っていました、みたいな写真が撮りたいといつも思っています。それはまさに、透明な距離感でいたいということです。<br />
　元々人見知りである僕は、深く突っ込んだ関係で人を撮ることが得意ではありません。ですが、殊更クールに人を人じゃないように撮りたいわけでもありません。自分の表現を強く押し込めるわけでもなく、だけど自分にしか撮れない透明な距離感を見つけることができたとき、僕はあらゆる＜彼女＞を撮るための、確信的なものをつかめた気がしました。</p>

<p>その三．透明感って、なんだろう。</p>

<p>　よく透明感のある写真だねって、言われます。もちろん写真が透き通っているわけではなく、特殊な加工をしているわけでもありません。<br />
　結局は、光のとらえ方と＜彼女＞に対して敬う気持ちなのかなって、思います。<br />
　僕はよく自然光（太陽の光）を好んで撮影しますが、透明人間っぽい視点で、自由自在に＜彼女＞のまわりを動いていると、とても素敵な角度や表情なんかが、突然見つかったりします。それは計算されたものではなくて、偶然の産物に過ぎませんが、今しかない（刻一刻と変わり続ける）光のなかで、たまたま見えた＜彼女＞の奇跡の瞬間を、敬う気持ちで撮影すること。我を強くせず、奇をてらったりせず、邪な気持ちでみることなく。<br />
　あとは技術的なスパイスを少しふりかけてあげれば（そこは企業秘密ですよ！）、透明感のある写真になるんじゃないかな、と思っています。</p>

<p><img alt="第5回 ＜彼女＞の撮り方　青山くんの写真って、どこか『透明人間』っぽいよね。" src="http://www.mishimaga.com/files/2012/0110-2.jpg" width="660" height="440" /><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第30回 老木をめざして</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/mirko-roppongi/030.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2198</id>

    <published>2012-01-06T10:22:52Z</published>
    <updated>2012-01-06T10:22:52Z</updated>

    <summary>都心に住み、高級外車を乗り回し、GI値の高い食事を好み、イタリアブランドのス...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="ミルコの六本木日記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>都心に住み、高級外車を乗り回し、GI値の高い食事を好み、イタリアブランドのスーツを着ていた。<br />
したがって退社時の貯金はゼロで、退職金はいただいたが、ガン治療は高額で、お金はみるみる減っていった。<br />
この春で会社を辞めて3年になるが、独立してやっていくというのはたいへんなことだなあと思う。<br />
3年のあいだ、ある時期重病人でいまも半病人である私に、書籍の編集や、文章の注文をくださった出版社、レコード会社の方々に頭が上がらない。年を越せたのも皆様のおかげである。</p>

<p>お金について考えるとき、やっぱり神様はいるなあと思わずにおれない。<br />
やった分しか入ってこないし、やった分は入ってくる。<br />
その時の収入にならなくてもあとから別のかたちで恵まれたとき、これは誰かが見てないとありえない、と思うのだ。<br />
会社時代と違ってひとりで仕事してれば私以外知りようがないわけで、だから神様はいる、そう確信するようになった。<br />
収入が多くあったとき、それは物凄く頑張っていた結果、しかしその生活は体に負担をかけることがあるし、贅沢は内蔵をただれさせる。因果応報。</p>

<p><a href="http://www.mishimaga.com/mirko-roppongi/027.html">何者でもないのは不便だという話</a>を前に書いた。<br />
会社に守られていたことを、会社をやめてわかったという話である。<br />
しかし考えてみればもともと何者でもないわけだし何者かということなどいまとなってはどうでもよい。<br />
「私は何者でもない」<br />
そういえば 小川洋子さんは二十代からずっとそう言っている。<br />
"小川洋子の仕事" は授かったもので自分はまったく何者でもなく、何かにたとえるならその辺の木がよく、自分は老木のようでありたいのだと。</p>

<p>書評家の豊崎由美さんが、私の退社後、「これからは"ミルコスペシャル"をやればいいんですよ」と言ってくださった。<br />
そうかそうなんだーーと思い、闘病中もその言葉に支えられてきた。<br />
本来きっと誰もが、"自分スペシャル"をやるのがいい。<br />
他の誰かに「君のスペシャル、いいよね」と言われ、そのスペシャルを何者でもない老木として世の中にお届けできるようになったとき、究められるのだろう。<br />
神様は、見ている。</p>

<p>みなさん、ことしも一緒に頑張りましょう。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第4回 大阪的フランス料理について</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mishimaga.com/nomikui/004.html" />
    <id>tag:www.mishimaga.com,2012://1.2190</id>

    <published>2012-01-06T09:32:49Z</published>
    <updated>2012-01-06T09:32:49Z</updated>

    <summary>　『「街的」ということ』（講談社現代新書）の副タイトルは、「お好み焼き屋は街...</summary>
    <author>
        <name>ミシマガジン</name>
    </author>
    
        <category term="飲み食い世界一の大阪。" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mishimaga.com/">
        <![CDATA[<p>　『<a href="http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1498568" target="_blank">「街的」ということ</a>』（講談社現代新書）の副タイトルは、「お好み焼き屋は街の学校だ」である。その新書を書いて結構評判だったことから、「江弘毅は、お好み焼きとかたこ焼きとか、やたらＢ級グルメに詳しい」とか、「お好み焼きと焼肉の専門編集者やろ」（編集長を長くしていた『Meets』誌をいつも「ミート」と言うていた焼肉屋のおっちゃんがいた）だとか言われることがある。</p>

<p>　別にお好みやたこ焼きに罪はないのだが、それらの大阪＝コナもんという感じが定型的で、目蓋を閉じさせられることが多いのである。そんなことはないぞ、とここで断言しておこう。確かに前回も「お好み焼き」についての文章だった。だからということではないが、ここで「フランス料理」について考える。もちろん「食の都・大阪的フランス料理」についてだ。</p>

<p>　大阪では今、フランス料理（イタリア料理）を含めて全盛なのが「カウンター・スタイル」の店だ（「オープンキッチンの店」もそれに含まれると考えてよい）。元来フランス料理については、店舗形態にもろ階層社会的なヒエラルキーがあって、「レストラン」「ビストロ」「ブラッセリー」「カフェ」といった順に、店の規模や造りや内装、スタッフの数（ビストロ以下にはソムリエやメートル・ド・テルがいることは少ない）、そして肝心の料理も素材の高級度（レストランでのトリュフどかんとか）やワインの銘柄（ブラッセリーはシャトー・マルゴーを飲むとこではない）まで、まるで境界線を引いたグラデーションを描くように違ってくる。</p>

<p>　けれどもこちらでは、カウンター一本だけで８席、内装もまるでカフェに毛の生えたような、ソムリエとメートルはシェフの妹や近所の兄ちゃんがやってるような店で、いい本格料理とワインが出てくる（そら値段も高くつく）。要は割烹（大阪発祥である）や鮨屋のように、シェフつまり「作り手」と客すなわち「食べ手」が対峙するスタイルが、大阪のグルメたちは好きなのである。</p>

<p>　土佐堀のミシュラン１つ星［トゥールモンド］や土曜昼の予約が取れない肥後橋の［ルール・ブルー］、そしてアラン・デュカスが大阪で初めて出した店が、サンケイビルのブリーゼタワー33階の［ル・コントワール・ド・ブノワ］であり、店名にあるように「カウンターがあるブノワ」である。さすが世界にいろんなスタイルのレストランを多数持ち、星を最も多く獲得しているデュカスは、大阪人の好みを「大阪のテロワール」としてよく理解している。</p>

<p>　これらを「カウンター的食空間」ということで見れば、関西人とくに大阪や京都の街場をテリトリーにしている人種にとって、街のお好み焼き屋や串カツ屋と割烹や鮨屋、そして今全盛のカウンター・スタイルのフランス料理とは、感覚的には同じなのである。</p>

<p>　料理人は今日入ったスペシャルな食材を客に、例えば「鯛、淡路産のエエのが入ってますよ」と薦め、客側は「ほお。そやね、そしたら焼いてもらおかな」とメニューを決める。カウンターを挟んで料理人は、「どうだ」とばかりに目の前で実演販売よろしく、魚を捌き、塩を振り、調理する。双方が直接のコミュニケーションで「より、おいしく」に切迫する共犯関係なのだ。鉄板の上でかちゃかちゃテコを鳴らして豚玉を焼くおばちゃんのお好み焼き屋も、トリュフ入りのソースを皿に注ぐコックコートと帽子を着用したシェフがいる仏料理店も、大阪人にとっては基本的に同じ店舗形態なのだ。</p>

<p>　また大阪人のカウンター店重視のとらえ方として、「今度、お食事でも」と誰かに会うことや、人が関係してそれを優先して行くところと、「ちょっと、うまいものを食べに」と思って行く店は、完全に分けられているということでもある。</p>

<p>　さらに一言つけ加えるならば、それらは俗に言われる「TPO」と一見よく似ているが、ちょっと違う。接待とかデートとか宴会とか、そういうものに「おいしい食事」がくっついているのではなくて、街に出て「おいしいものを食べること」そのものが目的で、そこにメインの軸足を置いているかどうかであるからだ。</p>

<p>　『東京いい店やれる店』という奇妙でヘタレなガイドブックが20万部以上も売れたという記憶があるが、もちろんこの本の受け入れられ方としては、時代感覚としての一種のギャグであるとしても、こと「食べること」に関してのこのようなねじれた現象は、大阪的なメンタリティからすると「洒落にもならん」である。とことん「おいしいものを食べたい」。そのためのプロセスに「より、うまく」を求めること、それがど真ん中のストレートの「カウンター的食世界」である。</p>

<p>　料理をつくる側とはまったく遮断されたテーブル席に恭しく腰掛け、食事の相手と談笑しながらメニューを見て注文する。そしてまた、そのテーブルだけの私的な話に戻る。ようやくメートル・ド・テルによって料理が出てきて、「うむ」と確認したり、「うわぁー、おいしそう」と驚いて、素材や調理法などなどの説明を聞いて納得する。そういうシーンではなく、「カウンター的食世界」では常に、作り手と食べ手がさし向かいになる。食べ手つまり客は「これはうまそうだ」と感動の素材を確認し、それを捌き切り分ける冴えた包丁に感心し、それに応じた煮たり焼いたり揚げたりの調理法に納得し、さらにできることであればそこに自分の好みを付加したい。そしてその都度、「うまそうや」とつぶやき、ごくりと唾を飲む。このように書けば口がいやしいというか、あまり行儀のいいことではないが、まさに食べるまでの時間を包含した一連のプロセスを、料理の作り手とカウンターを挟んでいかに共有するかに重きをおくことが、どんなコミュニケーションにもつっこみを入れなくては気が済まない、関西人のDNAみたいなものであろう。</p>

<p>　またこういう店側の作り手においての包み隠さずのプロセス開陳は、作り手の思想やポリシー、技術、やり方･･･のひとつひとつにおいて「これでまちがいがおまへんやろ」といった、客に対してのその店だけの「料理のトレーサビリティ」みたいなものであると思っている。</p>

<p>　在関西の方なら誰もが知っているだろうが、笑福亭鶴瓶が「うまいもんは、うまい」としみじみ絶叫する有名焼肉屋のCMがあった。まるで禅問答の文句みたいなギャグだが、街場の関西人にとっては、てっちりであろうが鮨であろうがステーキであろうが、それがフレンチ、イタリアンでも「うまいもの」として認識されていれば、同じ「うまいもの」である。それらをカテゴリーやジャンルといったもので分けることができない。</p>

<p>　だからこそ「何かうまいもん、食べに行こう」ということでミナミや北新地、祇園や三宮に繰り出して、初めは「肉が食べたい」ということで、ある焼肉屋に行こうと予定していたが、目的の店へ行ってみるとあいにく満席で、「それじゃ」とその店の隣の隣のフランス料理店で赤ワイン煮込みを食べようか、いやその向かいのしゃぶしゃぶ屋はどうかな、ということが当たり前のようにある。</p>

<p>　同じような感覚で、割烹も小料理屋も、鉄板焼きのステーキハウスも、ソース二度漬けお断りの串カツ屋も、おばちゃんがテコをかちゃかちゃ動かして焼いてくれるお好み焼き屋も「カウンター的食世界」なのだ。つまり大阪や京都、神戸に連綿としてある「カウンター的食世界」に、仏料理伊料理らが後からガチンコで参戦してきたということだ。それは、フランス料理なのに、「フランス料理を食べる」という意識をいったん括弧入れして、「うまいものを食べる」というベクトルに持っていくことでもある。言い換えると、「フレンチ好き」や「イタリアン通」といったスノビズムから、よけいな肩パッドみたいなものを抜き去ってシンプルな「うまいもの好き」へ回帰することでもある。90年代までは連綿としてあった、仏料理の「シティ･ホテルなどの高いところにある価格の高い店」というワン･ジャンル、ワン･パターンはすでに払拭されているのはそういうことからだ。</p>

<p>　全国有数の「うまいもの好き」が棲息している大阪では、街の「うまいもの好き」の代表者である料理人は、本来の街の「うまいもの好き」を知っていた。だからジャンルというものを超えた「カウンター的食世界」は、昔からあたりまえにあるのだ。</p>

<p>　もちろんそういうイラチな「うまいもん好き」で溢れかえる街にも、大阪の街場には日本を代表する本来の仏レストランがある。その代表が［ラ・ベカス］である。</p>

<p>　わたしはミシュラン・ガイドにこの店が掲載されていないことをとても疑問に思っているが、このレストランは「ルレ・エ・シャトー」に加盟、「グラン・ターブル・デュ・モンド」にも取り上げられている凄いレストランで（極東では確か２～３軒だけだった）、渋谷圭紀シェフとは旧知の仲だ。彼がミヨネーの［アラン・シャペル］、パリの［オテル・ド・クリヨン］［ロビュション］といった３つ星レストランを経て、生まれ故郷の大阪に帰ってきてもう20年になるだろうか。</p>

<p>　彼には90年代初頭、ジョエル・ロブションがまだ16区のロンシャン通りに［ジャマン］という名前でやっていた頃、直前に電話で予約を取ってもらったり、友人のアラン・パッサールという天才のシェフがロダン美術館の近くで２つ星をやってるからそこも行ったらいいとか、わたしがまだバリバリのグルメとファッションな副編集長をしていた頃、パリコレに行った時についでにどこに行くべきかなどなどを彼がいろいろ教えてくれた。</p>

<p>　そのアラン・パッサールのレストラン［ラルページュ］は96年、あの［トゥール・ダルジャン］と入れ替わる形で３つ星になったのだが、行ったのは確か92年冬と93年の春・秋だったと思う。</p>

<p>　世界で１番予約が取りにくかった［ジャマン］は、92年冬にあいにく１週間の滞在中の昼しか予約できなかったが、昼メシの「ムニュ・デギュスタシオン」（お味見という感じで６皿くらい小ポーションで出てくるコース）がうまくて、岸和田弁英語で「無茶苦茶うまい、こんなん食うたことない、最高だ」とかメートルに話したら、あとで立派な鼻のロビュションが出てきて、「渋谷は元気か」とか「雑誌でオレの店のこと書くんか」とかメートルの英語通訳で話して、「あと２日パリにいるんやけど」と言ったら、「もっと食べたかったら、明日の遅くに来い」「10時くらいでエエか」「よっしゃ、それでええ」みたいな感じで、翌日のディナーにありついた。イタリア語もそうだが、ラテンでサンパなフランス語は岸和田弁に訳しやすい（といってもオレは英語しかできないが）。</p>

<p>　わたしはその夜、気が大きくなって、「大丈夫、安く出してるから」と昨日のメートルの薦めるままにグラーブの１級のシャトー・オー・ブリオンを抜いた。広東料理のエビチリソース風オマールみたいな料理とか、トリュフどんぶりとでも形容したいような料理が出てきてとても驚かされたし、ここで渋谷はオードブルと肉を担当していた、ということを聞いた。帰りに「記念としてメニューをくれへんかなあ」と言ったら、「ええよ、ほな帰って渋谷に見せとけ」とくれた。隣の初老の夫婦客は日本通だとかで話に入ってきて、シガリロを１本勧めてくれた。煙草にもやさしい時代だった。</p>

<p>　彼が渡仏したのが80年で、この最後のジャマンで活躍して（修業ちゃうぞ）大阪に帰ってきたのが89年だったと聞いている。「ぼく、日本の80年代、知りませんねん」と言っていたが、81年の神戸ポートピアホテルのオープンの際に、メインダイニングとして入ったレストラン「アラン・シャペル」のお披露目会のために、シャペルと一緒にスープ係で日本に来てたことを先輩記者から聞いたことがある（渋谷シェフは否定していたが）。</p>

<p>　渋谷圭紀は大阪きっての仏レストラン［ラ・ベカス］が、四つ橋から高麗橋４丁目に移動させたのは05年。以前の店舗よりかなり大規模化され、シャープな店舗空間は斬新極まりなかった。</p>

<p>　『ミーツ』をやめるすぐ前の春のことでよく覚えているが、わたしには移店のレセプションの案内が来ていたが行かなかった。仕事とか関係なくいち早く食べに行きたかった。けれどもゴールデンウイーク始まる４月29日にオープンということで、なかなか予約が取れなかった。<br />
「まあしゃあないし、ええか」と思っていたが、岸和田の本町のワイン商で、その年だんじり若頭筆頭をしていた東出が、オープン数日前にミナミ鰻谷のスペイン・バル［ヘミングウエイ］で渋谷シェフとばったり出会って、「７日なら何とか」と予約を入れてくれた。とてもラッキーである。いつも街場の酒場にいるしか能のない「酒場馬鹿（＠バッキー井上）」もたまには良いことをする。</p>

<p>　店に入ると東出が聞いていたとおり、前のベカスとは全然違うシンプルな内装で、すごく広いウェイティングのラウンジ・バーも併設されている。７時半にもう満席状態のなか、ど真ん中の席に案内される。タバコを吸おうとすると、禁煙にしたらしい。なるほどそれでウェイティングがあるんか、と納得。席に着くと初対面のスーツを着たメートルが「シェフからです」とシャンパンを出してくれて、名刺をくれた。この新店のための新スタッフらしい。</p>

<p>　新しい店なので、あれこれ見渡す。レストランや料理屋でほかの客をじろじろ見るのは、とてもイモな行為で街的ではないが仕様がない。</p>

<p>　OL風、それもテレビのキャスター風の女性客が多くて、いつもよりちょっとアレでナニな感じがするが、そんなのはどうでもいい。けれどもメニューを開くといつも通りのアレだ。「アレだ、と言ってもわからへんやんか」と言われそうだが、書くととても長くなるし、仕事のグルメ記事のようになるので今回はやめとく。</p>

<p>　前の店の通り、しばらく放ったらかされる。<br />
「何食う」「コースでええやン」「せやのお」などとなって、メートルに訊くと、オマールのサラダ、鯛のポワレのホタルイカと何か（忘れた）のソース、子羊のロティ苺ソースだが、「オードブルのオマールを特別に活け伊勢エビのロティに替えることができますが」というので、「伊勢エビってどうな。美味いのは味噌汁ぐらいちゃうんか」「まあ、そう言うてるんやからええやんけ」と、そのスペシャリテにした。</p>

<p>　アミューズにポタージュの冷製に何かのテリーヌをこそいだリエットみたいなのを入れたようなのが出てきて、シャンパンで一気に食べる。美味い。</p>

<p>　岸和田のワイン屋の東出は、ワインリストを見る。<br />
「あかん老眼や。字が小さいから読めへんわ。ひろき、お前読め」<br />
と渡されて小声を出して読むが、訳のわからん地区の知らんドメーヌだらけなので、じゃまくさくなって「すいません。虫眼鏡ありますか」といったら、メートルはにこっと笑って懐中電灯を出してくれた。</p>

<p>　東出は小さな懐中電灯を手に「うーん」と一通り見て、「お、これおもろい」とロワールのルイイという銘柄を選ぶと「グラスで出してますし」と、とりあえず１杯。ドカンとてんこ盛りの量で出てくるのが、わたしら男二人客に「水商売」してくれているのだろう。</p>

<p>　うまい、としかいいようがない。そしてやっと伊勢エビが出てくる。<br />
「泉州の水なすと香味野菜と･･･」と説明してくれるが、オレらは「おおー、でかいのお」と伊勢エビの半身を見て感激し、ちゃんと聞いていない。第一そんなのは見たらわかる。<br />
ちょい半生加減な火の通し方が抜群で、ミソの部分がちょうど生ウニのようになっていてこれはすごく美味い。</p>

<p>「せやけど、これパンにつけるんか」<br />
「フィンガーボール出てるから、指でもなんでもええんちゃうんか」</p>

<p>　うまいうまい。グラスワインをもう一杯、ええい、瓶ごと頼めや。<br />
　ふた皿目の鯛のポワレもこんな感じで、以下同文。<br />
　わたしは一皿食べ終わると、どうしてもタバコを吸いたくなって「ちょっと、行ってくるわ」と高校生が部室でタバコを吸うような気分で席を立つと、メートルがついてきてくれ話相手をしてくれる。</p>

<p>　渋谷シェフも出てきていろいろと話をする。<br />
「近いし、昼もちょくちょく来てくださいよ」<br />
「せやけど、ここで食べたら２時間かかるし、飲んでしまうし」<br />
「早く出すようにがんばりますから」<br />
　こんな感じで、一皿終わるたびにタバコを吸いに行く。<br />
　チーズもデザートもワインでいって、最後のエスプレッソが出てきたのが11時前だ。ほんとうに食べるのは早いが、食事時間は長い。</p>

<p>　昼メシ時に女同士で食べてるシーンがどうしても嫌いなイラチの大阪人、そして若い頃からてっちりや鮨や焼肉やフレンチにしろ「外でうまいもんを食う」のは男ばっかりでという癖がついている岸和田人に、フランス料理というのは食事の愉しさを教えてくれる。</p>

<p>　しかしながらフランス人が本国から出てきてわざわざカウンターのビストロをつくるこの大阪は、そんなものはどうでもよろしくて、何てうまいものがうまいように食える街だろう。</p>]]>
        
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