THE 仙台 BOOK(仮)通信

第18回 応援してくださった皆様へ

2015.12.31更新

 2012年11月から始まった当プロジェクトですが、この度をもって解散となりました。



 この三年間は、全く本づくり経験のないメンバーとがむしゃらに、ときに休むを繰り返して進んできました。

 

2015年2月には、仙台の新しい名物「セリ鍋」を取り上げたフリーペーパー、6月には仙台で商いをする方を聞き書きした、リトルプレスを発行しました。

 

私個人としては、活動の中で自分ができるのはここまでと、ピリオドを打った形です。



 「これ終わったらどうするの?また、つくるんでしょう?」と気にかけて声をかけてくださる方もおります。

 

ありがとうございます。今後はマイペースに、個人として本づくりの活動を続ける予定です。

 

当初から構想にあった仙台本をつくる願いは叶いませんでした。

 

気持ちを整理するのには、少し時間がかかりそうです。



 けれども、これまで努力してきたこと、支えてくださった方、活動を通して出会えた方々とのご縁は、これからも私の宝物として色褪せることはないでしょう。



 長らく応援していただいた皆様には、最後まで見守っていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

皆様、三年間、ほんとうにありがとうございました。



八巻 祐子


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

私は、参加者の中での数少ない、仙台市民ではない参加者です。

 

仙台の街で私が唯一知っていてぜひ紹介したかったのが、音楽好きな私が定期的に通う「LIVE HOUSE enn」さん。ただの、いち客でしかなかった私が、このプロジェクトのおかげで取材をさせていただくことができました。このミシマガジンの第6回の記事にはなったもののカタチに出来ていなかったのが心残りでしたが、2015年6月に制作したリトルプレスでようやくカタチにすることが出来ました。8月には、社長の加藤さんの計らいでennさんで行われたライブのグッズ販売スペースの一角をお借りし、このリトルプレスを販売させていただくこともできました。

 

このプロジェクトに参加して、仙台の街に対して知識も愛着もなかった私が、仙台の魅力をたくさん知ることができました。新たな出会いもたくさんありました。今後は、自分の周りの身近な人へ、私が知った仙台の魅力を伝えていきます。このプロジェクトを応援してくださった皆様、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

大沼真理奈


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 このプロジェクトに関わる中で、たくさんのすてきな方々にお会いすることができました。
 
教えていただいたことやすてきな体験を、どうしたらうまく伝えられるかな?と、いつもほくほくしながら帰り道についていました。
 
自分の住んでいるまちやまちの人を知ること、それを誰かに知ってもらうことは、こんなに楽しいことだったんだなぁと教えてもらったような気がします。

その思いを胸にこれからも活動していきたいと思います。

 

お世話になった方、応援していただいた方、ミシマ社の皆さま、プロジェクトを通して出会えた方々に心から感謝します。
 
どうもありがとうございました。

菅井牧子


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 ミシマ社さま、読者さま、仙台ブック(仮)を制作しようとした際にお力添えをいただきました多くの皆様に改めて感謝申し上げます。私たちの力不足で、仙台の魅力を本で伝えるというゴールが未達となってしまったことは大変申し訳のない次第です。ただ、活動を通じて人やお店、歴史、自然の移り変わりなど様々な仙台の姿を教わり、まちがより親しく感じられるようになったのは自分なりの収穫でした。

 また「東京の街は"点"がたくさんあるだけだが、仙台はつながり"線"になっている。」とは 東京出身元メンバーの発言。視点を変えれば仙台の良さが本当はまだまだあるんだと気づきました。プロジェクトはなくなりますが、今後、機会があれば小さくてもまちの情報を何かの形で発信していきたいと思っています。皆様にも仙台の魅力に一層関心を持っていただければ幸いです。大変ありがとうございました。

佐藤順一


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 仙台×ミシマ社プロジェクトにありがとう



 この3年間、プロジェクトに参加したおかげで、色々なところに行くことができ、たくさんの方々と出会うことができました。

 

大好きだった手作り作家さんやお店の方、プロの漫画家さんや、老舗の社長さんなど。

 

仙台×ミシマ社プロジェクトという肩書きを得ることで、人との出会いの場に物怖じしなくなりました。

 

それまでだったら接点が考えられない方々と、心豊かな交流をさせて頂くことができました。

 

機会を与えてくださったミシマ社の皆さん、メンバーのみんな、出会えた方々に深く感謝しています。

 

本当にありがとうございました。これからもこの経験を生かして活動していこうと思います。

鈴木舞


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


プロジェクト発案者・ミシマ社 三島より


 2012年11月11日。「寺子屋ミシマ社in仙台」が開催されました。

 「仙台×ミシマ社=?」
 当時、仙台とミシマ社とのあいだには、(書店さんとの交流を除いで)ほとんどなんの接点もなかった。といっていいはずの状況でした。にもかかわらず、こんな問いを掲げて、公開会議をおこなったのでした。

 そうして生まれた、あの4時間の熱気といったら・・・。
 今もはっきり、体温をともなってよみがえってきます。
 開催の二日後、私はやや興奮気味に、ブログに綴っています。
 「(企画会議の終わろうとする4時間経った頃には)
「仙台」の面白さ・楽しさが目いっぱい詰まった本になることが見えました!
参加者全員の「思い」が、見事に結実した瞬間でした。
この思い溢れる企画を、一年後には必ず素晴らしい形に完成させ、
みなで祝賀会を開きましょう!
と決めたのでした。
奥付日を ちょうど一年後の「2013年11月11日」にすることまで決まりました。」

 あの時点で、確信をもって思っておりました。間違いなく、1年後には本ができているだろうと。
 ただし。
 あのときも、「ただし」という条件をその後に付け加えなければいけないことに、私は気づいていませんでした。
 そうです、「ただし、私がこの仙台にいつづけた場合・・・」。
 私はその年の春から京都府城陽市に住んでいたのですが、すでに自由が丘との二拠点体制に手一杯になっていました。実際、その翌年、2013年の春には、城陽市から京都市内にオフィスを移し、二拠点体制のあり方を変更します。つまり、あまりにいろんなことがはかどらない二拠点体制に対し、かなりの模索状態にあった、と言えます。
 にもかかわらず、仙台本が1年後にできる、と思い込んでいたのです。
 完全に、私の目測が誤っていたというほかありません。

 (二拠点が)始まったばかりで足場のおぼつかない状態で、仙台という第三の場所で本作りをする。その困難を正確に自覚できなかったことが、今回の解散につながったことは否定できません。本当に、申し訳なかったと思っています。
 
 最初から、3年〜5年はかかりますよ、と言っていたら参加する時点で心持ちが変わっていたにちがいありません。
 ただ、現実的には、そんなアナウンスをすることはありえないのではないでしょうか。
 動き出す前から制作時間がわかっているようなプロジェクトは、すでに型のあるものでしか不可能です。
 けれど、寺子屋ミシマ社はもちろん、ミシマ社の本づくりは、常にどういう形になるか、始まる時点では想像もつかない、というやり方をとっています。それは創業以来一貫しています。もちろん寺子屋ミシマ社でも何度と言ってきたことでもあります。

 ですので、三年前の時点でも、「いまはどうなるか全然わからないけれど、きっとうまくいく」と思ったことは間違いありません。そして同時に、結局、形にならなかったというのも、当初は想像もつかなかった結果になった、というふうに言えなくもありません(全ての本において、そのリスクを抱えてやっています)。
 が、そうならないように、真剣に思っていましたし、最終的に形にまでもってこれなかったことは事実です。その事実を前に、ただただ、自分の力不足だったという思いに駆られざるをえません。
 というのも、メンバーの一人ひとりは、これ以上ないくらい、献身的に打ち込んでくだったのです。むろん、それぞれができる範囲で、ではありますが、その努力はプロの編集者たちも学ばなければいけないレベルのものでした。
 ですから、もっと私が動けていれば、という思いを拭いきれません。
 一方で、冷静にこの経験から学ぶことも必要だと思っています。
 その点からいえば、この間の活動を通じてわかったことのひとつは、これほどのメンバーをもってしても、三年で一冊にするのは容易ではなかった、ということです。
 
 では、違う場所で地元の人たちと本をつくるのは無理なのか? といえば、そうではありません。
 今回のように、「何が起こるかわからない」的つくり方はむずかしい。つまり、ゼロから100まで作り上げていくのは、むずかしいかもしれない。けれど、ある程度、流れのある状態から積み上げるというのは、それほどむずかしくないはずです。ただ、それはミシマ社の本作りではないというだけで。
 
 くりかえしますが、参加メンバーには申し訳ない思いでいっぱいです。そして同時に、ものすごく感謝もしています。
 なぜなら、もっとも困難な本作りに、最後まで逃げることなく取り組んでくれたわけですから。最後まで、「容易な本づくり」のほうに逃げることなく、真正面から勝負しつづけてくれました。
 その意思は、全身で受け止めています。
 すでに、この間のミシマ社の本作りに生かされていると思います。当然、これからの本づくりにも反映していくでしょう。

 そういう意味で、仙台メンバーとの協働作業はつづいていくと私は考えています。
これから出るミシマ社本に、仙台の息吹を感じていただけましたら、これほど嬉しいことはありません。
 
 最後に、かかわってくれたすべてのメンバー、そして応援してくださったすべての方々に心からの敬意と感謝の念を捧げます。
 本当にありがとうございました。

ミシマ社 三島邦弘

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

仙台×ミシマ社プロジェクト

読めば仙台に住みたくなる本を、地元に暮らす私たちで作ってみる。

ノープラン、ノービジョン、でもノープロブレム!

バックナンバー