10年後を考える10年後を考える

第6回

全体性を信じて世界をつくる。発酵が生み出すローカルの可能性〈後編〉

2018.05.07更新

 「10年後を考える」をテーマに、未来に自分がどう生きていくべきかを考えるこの連載。前回は何百年も前から各地に根付く醸造蔵の取り組みから「すでに始まっている未来」を見てみました。今回は発酵というテーマでまた違った視点の未来のつくりかたを考えてみようではないか。

ブリコラージュ発酵術

 僕が発酵の世界で生きていくうえで、いつも指針にしている醸造メーカーに千葉県神崎の老舗酒蔵、寺田本家と鳥取県智頭町のパン屋、タルマーリーがある。

 何度も蔵やお店を訪ねたり一緒にイベントをしたりと仲良くしているのだけど、付き合えば付き合うほど彼らの目指す世界観や仕事への向き合い方の奥深さに感銘を受ける。

 結論から言うとだな。寺田本家やタルマーリーの活動は、単に美味しいものをつくることを超えて「現代において人がどのように自然と向かい合うのか」というモデルをつくっている。

 えっ、大げさだって? そんなことないんだよ。彼らの働きかたを見ていると、発酵、微生物という存在がいかにオルタナティブな世界観を提示することができるのかよくわかるんだね。

 じゃ、まずは寺田本家の話をさせておくれ。寺田本家は成田空港にほど近い人口6000人の千葉県神崎町で約400年続く老舗の酒蔵だ。ここのお酒は、日本酒好きのあいだよりもオーガニック食好きによく知られている「自然酒」のイノベーターだ。

「寺田本家の酒のどこが面白いのか1ツイートぶんで説明したまえ」

寺田本家の酒は江戸時代以前の古いレシピを再現したユニークな酒。蔵に棲み着く発酵菌のみで発酵をおこない、地元の米を限りなく精米せずに発酵菌と米を極限までのびのびさせることで、ほっこりかつアヴァンギャルドな風味、「酒は百薬の長」という諺を思い起こさせる生命力溢れる酒を醸している。(138文字)

 ふだん日本酒を飲み慣れている人ほど寺田本家のお酒を飲むとビックリする。色は白ワインのように濁り、濃厚な米の旨味に漬物と果実味を合体させたような独特すぎる香りで、味もまたこれまた漬物のような酸っぱさや甘味が満載されためちゃくちゃ複雑な味だ。

 これは従来の日本酒のトレンドとは真逆だと言える。見た目も味も水のように透き通り、メロンのような華やかな香りの淡麗な高級酒の概念をことごとく打ち破る超絶アヴァンギャルドな味だ。

 僕が思うにだな。寺田本家の酒は食べ物っぽい。しかもお味噌汁やお漬物のような和食っぽいテイストだ。

 熱燗につけて飲むとまるでお茶漬けを食べている気にすらなる。

 これはもう「嗜好品としての日本酒」という概念を放棄して、何かまったく別のコンセプトによってつくられているとしか思えない。

 ではそのコンセプトとは何か。「微生物の声を聴く」ところからスタートするものづくりだ。

 技術的に言えば、日本酒は発酵の工程が複雑なので人間の工夫によって限りなく醸造家のイメージに近いプロダクトをつくることができる(その逆がワイン。発酵過程がシンプルなので酒の質は原料のブドウの質とほぼイコールになる)。

 温度管理や微生物の工業的培養が発達した現代において、日本酒は醸造家=クリエイターの美意識の粋を尽くしたマスプロダクトになっていった。

 ・・・だがしかし!

 寺田本家は「人間の美意識」をいったん脇に置いて、まず蔵と近所の田んぼにいる微生物の声に耳を傾け、そいつらがなるべくのびのびできる環境をつくり、結果出来上がった前代未聞の前衛的な味を、

 「うーん、こういうのも美味しいんじゃない?」ということにしてしまったのであるよ。

 つまりだ。最初から美味しいものをつくることを目指していないんだ。そうではなく、目に見えない隣人であるローカル菌たちとなるべく友好な関係性をつくることを目指し、その結果ある程度安定して発酵するようになった酒のクオリティを「寺田本家の味」と定義する、という順番なんだね。

 これはアートでいうところのジャクソン・ポロックみたいな方法論なのではないかしら? 「こういう絵を描こう」というスタートではなく、素材となるキャンバスと絵の具と格闘した結果できあがった模様を、結果的に「こういうのも絵画と言えるんじゃないの?」ということにしてしまう。

 なのだが、ジャクソン・ポロックと寺田本家の違いは、素材が生きているかどうかだ。絵の具はひとりで動き回って絵をつくりだすことはないが、微生物は自分自身で増殖して発酵を進めてしまう(ほっとくと溢れ出すガスと泡でタンクが溢れかえってしまうほど)。

 技術が発達することによって本来は微生物がつくりだすはずが人間の手による工業製品のようになってしまった日本酒づくりの原点回帰。人間はあくまで微生物たちの環境整備役である、というスタンスを徹底させることで、あら不思議、そんじょそこらの天才醸造家がつくりだせないようなユニークな酒が生まれてしまったのだな。

 寺田本家のものづくりの現場を見ていると、近代以降の「個人の創造性に全幅の信頼を置く」という才能の神話が転覆する。

 まず自分の向かい合う対象物と対話し、自分と対象物がいい感じの関係性を結べた時に「結果として」何かが生まれている。創造することではなく「良い関係を結ぶこと」のほうがフォーカスされる。

 聞いておくれ。僕はここに「多様性を生み出すためのコペ転(コペルニクス的転回)」を見る。

 自分の理想の設計図にしたがって世界中から目的に叶うものを調達するのではなく、自分の足元にあるものを徹底的に観察し、その結果今まで誰も思いもつかなかった方法論が爆誕するという「ブリコラージュ発酵術」が寺田本家の真髄であり、同時にローカリティを活かした世界のつくりかたの可能性でもあるんだよ。

メタメッセージとしての哲学

 鳥取と岡山の県境、人口7000人の智頭町にある、元保育園を改装したパン屋&ブルワリーのタルマーリーはこのWEBマガジンの読者にはおなじみのこれまたユニークすぎる発酵界のシンギュラリティ(特異点)だ。

 タルマーリーのものづくりもまた寺田本家と共通点の多い「ローカル菌を活かしたパン&ビールづくり」だ。

 ここでいきなり余談なんだけど、タルマーリーが智頭に引っ越したタイミングと僕が山梨に引っ越したタイミングはほぼ一緒で、オーナーの渡邉格(いたる)さんと僕それぞれがお互いの改装中の場所を訪ねたんだけど、そこで話題になったのが「良い菌が棲んでそうか」「良い水が湧いているか」「風通しがいいか」。これが発酵クラスタの引越しポイント・・・! (結論としては智頭と甲州双方ともに発酵向きの環境ということになりました)

 タルマーリー独特のパンレシピを一つ挙げてみよう。裏庭で採取した野性の麹菌(*)を培養して麹にし、その麹でつくった甘酒からパン種を起こすという「ワイルド酒種パン」は、微生物へのストロングな愛と好奇心がないとできないファンキーなレシピだ。
(*) 毒性がないものを検査済み。一応補足

 さらにパンから発展したクラフトビールづくりでは、これまた通常ありえない野性の酵母でビールを醸すというブリコラージュ発酵術が徹底されている。

 安定して発酵するかどうかわからないリスクを孕むこの方法論は「美味しいものをつくりたいから」だけでは説明できない。

 では何を目指すのか? タルマーリーが挑戦するのは「微生物を起点とした経済圏」のデザインだ(詳しくは渡邉格さんの著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)をご一読あれ)。

 ローカル微生物たちの醸すユニークなパンやビールを起点に、ローカル外からの人たちを呼び込み、その結果として地域のなかの農業やコミュニティの意識を変えていく。そのなかで、スタッフの働きかたやモノの売りかた、地域コミュニティのありかたなどを再定義していく。そのプロセス全体が「タルマーリーのつくりだすもの」だ(もちろん裏側には難しいこともいっぱいあるんだけど)。その起点は寺田本家と同じく、見えない自然の理(ことわり)だ。

 タルマーリーの哲学が詰まった『腐る経済』はアジアやヨーロッパでも翻訳され、ローカル単線を乗り継いでようやく辿り着く辺境めがけてマジで世界中からお客さんが巡礼者がやってくる(ちなみに寺田本家も世界中にファンがいる。それどころか最近はアメリカやヨーロッパの食の最先端にいるシェフやソムリエがインターンに来ていたりする)。

 つまり僕が何を言いたいのかというとだな。タルマーリーのパンは「食べる哲学」みたいになっているんだよ。本の哲学は読んで学ぶけど、発酵の哲学は食べて学ぶ。抽象概念のテキストではなく、具体的なパンでメッセージが伝わっていく。

 自家製酵母のパン屋さんはたくさんあるが、それらとタルマーリーが違うのはここ。プロダクトや具体的な活動のうえに「メタメッセージとしての哲学」が乗っかっている。

目に見えない関係性をカタチにする

 この「メタメッセージとしての哲学」は、他ならぬ僕自身が実感したことだ。

 2011年、東日本大震災を機に僕のやっている発酵を仕込むワークショップに若いお母さんたちがやってくるようになった。それまで給食センターのおばちゃんくらいしか興味を持ってもらえなかった味噌や麹の仕込みになぜ? と聞いてみると、

「子どもの未来のためにちゃんと安全なものを食べさせたい」

「でもよく考えたら何が安全なのか考えたことなかった!」

「それで色々本を読んだりネットで検索してみたらますます何が安全なのかよくわからなくなった・・・」

 とやつれ顔のお母さんたち。ところが僕といっしょに味噌をつくってみると、だんだん顔を明るくなっていく。味噌づくりがきっかけになって自分で大豆畑を訪れてみたり、味噌蔵を見学する人も出てきて、しばらくしてからお母さんたちからメッセージが届く。

「身体で体験してみると、自分にとって必要なもの、納得いくものを選べるようになりました」

「微生物に実際に触れてみると、目に見えないものを信じるって本当のことなんだ! と世界観変わりました」

 とめちゃ盛り上がっている。この不思議な現象の理由を考えてみるに、自分の暮らしに切実なことを学ぶ手段は「読む」「見る」ことだけではない、ということなのではないかと僕は思ったね。

 つくる、食べる、現場に行く。身体全体を使っての「学び」こそが「他ならぬワタシにとって必要なこと」を知るために大事。いくら外から情報が入ってきても、その価値を評価するセンサーが自分のなかになければ正しさの洪水に溺れてしまう。

 だから情報をインプットする前に、情報をどのように評価するかの「MYセンサーづくり」をしなければいけない。このMYセンサーづくりがつまり哲学の役割なのだが、食べることや環境、健康のことなど生存のための切羽詰まった問題に取り組む場合は、具体的な行動やモノとセットになった哲学のほうがベターだ。

「・・・で、ヒラク君は結局何が言いたいわけ?」

 つまり、寺田本家の蔵に行ってお酒を飲んだり、タルマーリーのお店に行ってパンを食べたりすることは「哲学の講義を聴きに行く」みたいな意味があるんだよ。

 自分が前から求めていたけど、でも自分のアタマだけではそれが何なのかわからなかった世界の見かたを教えてくれる。しかも誰しもが日常的に体験している食べる・飲むという行為を通して学ぶことができる。

 発酵の世界が今こんなにもたくさんの人を惹きつけているのは、微生物という「見えない自然」の理(ことわり)から生まれる世界観が、僕たちの見知った近代以降の世界観とはまるっきり異質でありかつ時代の閉塞感を打ち破る破壊力を持っているからだ。

 そして僕の友人の醸造家たちは、その摩訶不思議な理(ことわり)を具体的なプロダクトを介して具現化してくれる新世代の思想家でありアクティビストだ。

 日本、そして世界各地のローカルで醸造家たちが求心力を発揮しているのは偶然ではない(もちろん地方創生みたいなしょぼいスキームにも収まらない)。

 彼らの持っている「見えない関係性」を可視化するちからに、少なからぬ人たちが大きな可能性を感じ始めている。(例えばミシマ社の社長の三島さんとか・・・)

 それではまた来月会いましょう。

小倉ヒラク

小倉ヒラク
(おぐら・ひらく)

発酵デザイナー。「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家たちと商品開発や絵本・アニメの制作、ワークショップを開催。 東京農業大学で研究生として発酵学を学んだ後、山梨県甲州市の山の上に発酵ラボをつくり、日々菌を育てながら微生物の世界を探求している。絵本&アニメ『てまえみそのうた』でグッドデザイン賞2014受賞。2015年より新作絵本『おうちでかんたん こうじづくり』とともに「こうじづくりワークショップ」をスタート。 のべ1000人以上に麹菌の培養方法を伝授。自由大学や桜美林大学等の一般向け講座で発酵学の講師も務めているほか、海外でも発酵文化の伝道師として活動。雑誌ソトコト『発酵文化人類学』の連載、YBSラジオ『発酵兄妹のCOZYTALK』パーソナリティも務めている。新著に『発酵文化人類学』。

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