演劇と氷山演劇と氷山

第10回

続・時をかける少女と38歳

2018.05.30更新

 だいぶ去っていますが、去る2月、「続・時をかける少女」という公演をやりました。

 劇団の本公演ではなく、オールナイトニッポンの50周年記念として脚本・演出をさせてもらったプロデュース公演です。
 本公演と違って、プロデュース公演って多少なりとも「よそいき」であり、そもそもオファーを受けての仕事だし、初めてのキャスト・スタッフさんとやることも多いので、「置きに行く」というと嫌な言い方になりますけど、本公演よりは少し「勝手知ったる得意技」で、「確実な仕事」を余裕持ってやる、ような心持ちになります。

 が、この仕事は妙に熱に浮かされてしまったというか、よくも悪くも「躍起になって」「大人げなく」取り組んでしまった公演で。それにはいくつかの理由が考えられるんですが、ともあれそんな青春のような公演を、混沌と混乱と狂熱のうちに(主観)終えまして、まあ熱が引けば冷静に振り返れるでしょう、とうっちゃっておいたら、なんだかいつまでも総括できないまま、具体的なことをじわじわ忘れ始めてもいて、慌てて書き留めようとしている今です。

 なのでご覧になってない方にはすみません、すこし長くなってしまいますが、悪しからずお付き合いくださいませ。

 あの「時をかける少女」に、実は続編が存在する、と知ったのは最近のことでした。
 大林宣彦監督、原田知世さん主演で映画になるその10年ほど前、「時かけ」はまずNHKで、連続テレビドラマになっていたんです。
 そのときに今でいう第2シーズンも作られていて。多忙だったらしい筒井康隆先生の原作を引き継ぐような形で、石山透さんという脚本家の方が、続きのシナリオをオリジナルで書かれました。それを石山先生ご自身の手でノベライズされたのが「続・時をかける少女」。

 仄暗い歴史の底に埋もれていたその小説が、近年になって「復刊ドットコム」さんから刊行され。その表紙を見て「続なんてあるんだ!」とのけ反ったのが僕で、中身を読んでさらにのけ反り。
 それを心で温めていたら、全然また別の流れから、「オールナイトニッポン50周年記念企画として、なにか舞台をしませんか上田さん」という打診をいただいて。この「続・時をかける少女」が浮かびました。

 今から45年前に書かれた「続・時かけ」を、劇として今に蘇らせることで、オールナイトニッポンの50年を寿げる気が、なぜだかしたんです。こういうのってもう予感としか言えないんですけど。ストレートに番組の50年史をやったりするよりも、平川先生や三島さんが言うところの、豊かな楕円が描ける気がしたんでした。

 石山先生の原作は、言ってしまうと荒唐無稽で。
 主人公・和子の記憶を消し、切なくも美しい別れを遂げて、未来へと帰っていったケン・ソゴルが、「続」ではもう一度、現代に帰ってくる。
 そして何も覚えていない和子をテレパシーで呼び出し、「実験中の事故で、3人の未来人が過去へ漂流してしまった。ついては救助を手伝ってほしい。さもなくば宇宙の運命が・・・」と、ぶしつけなオファー。
 和子もこれに健気に忍従し、ケンに言われるがままに時をかけまくり、無茶なミッションに当たります。

 これが時代がかった(45年前ですからね)シリアスなタッチで描かれているんですが、今読むと、失礼ながらツッコミしろが満載で。3人の仲間が全然助からなかったり、罪のないおばあちゃんたちが胎児になってしまったり、亜空間を漂流するインド人が急に出てきたり。そもそもあんなに渋く帰っていったケンが、臆面もなく戻ってくるんだ、とか。

 とはいえそんな奔放さも含めて、当時のテレビドラマ黎明期の熱が感じられる、破天荒なプロットが魅力なので、その勢い感は大事にしながら、あとは骨子だけを残して、舞台版ではコメディとして大胆に作り替えることにしました。

 いや、なかなか今じゃできないことなんです。エバーグリーンな「時かけ」の続編を、こうも振り切って作るということは。でも大事なことに思えました。なのでそれに倣って舞台版も、元祖「時かけ」のビッグタイトル感に気圧されることなく、その不肖の「続」として、怒られてしまうほどにフルスイングするのがいい、と。
 もちろん元祖へのリスペクトは心に。そして元祖のあの甘酸っぱい放課後のフレーバーも、そこはかとなく匂うといいな、とも目論みました。やっぱり自分が観客なら、そこは期待するでしょうから。

 そんな風に、見かけはB級っぽくもありながら、元祖「時かけ」のあの情感も目指そうと欲張った、邪道であり王道の劇を作ろう、と一同志がまとまりました。

 主演の、時をかける少女こと「和子」役は、上白石萌歌ちゃんが演じてくれることになりました。東宝シンデレラであり、ミュージカルの主演も務める、恐るべき17歳。でありながらどこか古風で、凛とした雰囲気がまさしく和子で。

 今回の劇場はどこも1000人前後と大きく、なおかつピンマイクを使わない地声ベースのスタイル。演劇では普通っちゃ普通だけど、経験なくしてはそうたやすくないことも事実です。映像と違い、舞台には演技の「太さ」みたいなものも大事で。そこを萌歌ちゃんなら正面突破してくれそうだった。10代でそこに挑めるって稀有だと思うんです。
 なおかつ17歳だからこその瑞々しさや危うさ、そういうドキュメンタリックなところも舞台に乗ると最高だな、と思いました。コメディは初めて、と言っていたのも、僕との掛け算だとちょうどよくなりそうだった。

 萌歌ちゃんとやると決まったことで、今回は「青春」という時間にがっつり向き合うのだ、と自分の中でテーマができました。そして恥ずかしながら、僕、この劇で若くなろうと思った。

 私ごとですけど、ヨーロッパ企画は今年で20周年。はじめた頃は青い檸檬のようだった我々も、最近はじりじりと老獪さをまし、楽屋で若手をいじるさまは牢名主のようで。
 まあスタイルが練れてきているなら喜ばしいことでもあるんですけど、ここらで自分の方法をリニューアルしたいよな、と思ってもいたんです。そしてこれから先を軽やかに歩き出したいぞ、って。

 なのでこの劇を、萌歌ちゃんをはじめ若手俳優たちとやれるということは、38歳ながらとても心ときめくことでした。「続・時かけ」を、38歳から見たノスタルジーで描くのではなく、新しいキャストと方法で、17歳の目線で描いてみたい。

 考えてみれば、何かにつけ過去へと引っぱられた公演です。往年のSFファン垂涎の「続・時かけ」を、オールナイトニッポンの50周年と絡めてやる。ストーリー自体も、過去へとタイムトラベルする劇で。
 懐古的なニュアンスはどうしたって拭えない。ならばそこは愉しみつつも、ノスタルジーに甘んじはすまい、とほぞを固めました。現代と、そして未来へと、最後には目を向けるようなコメディにしたい。
 僕らにとっても、憚りながらお客さんにとっても、キャストスタッフにもオールナイトニッポンにも、そうするのがきっといい、と思えました。勝手な思い入れではあるんですけど。午後の紅茶のCMで、昔の歌を歌っている萌歌ちゃんとこれをやる、というのも、なんだか重なるような感じがしました。

 萌歌ちゃんの他にも、キャストは世代やジャンルをできるだけまたいだ、何か新しいことが生まれそうな顔ぶれにしたかった。邪道の「続」らしく賑やかそうにやりたかったし、2018年のある現況みたいになっていたい。そして、とかくクラスタでまとまりゆく昨今、この現場がなにかしらの突破になるといいと思った。

 未来人ケン役には、2.7枚目あたりを彷徨う戸塚純貴くん。萌歌ちゃんとの相性のズレ感が絶妙そう。和子の幼馴染の吾郎役には、舞台をやるのは初めてという健太郎くん。でもスポーツなら超得意なんだそうで、舞台上ではバスケをしてもらうことに。そして乃木坂46の新内眞衣さん。劇中でアイドル役として歌うシーンなんて是非見たいと思った。
 さらに、演劇界のパイセン・中山祐一朗さん。現代口語演劇の総本山・青年団より(と思ったらよそでの活動が多いそうでしたが)島田桃依さん。お笑いの世界からは、僕が一番面白いと思っている芸人、バッファロー吾郎A先生。そしてジャンルレスな気風のいいミューズ、MEGUMIさん。

 ヨーロッパ企画からも、石田・諏訪・土佐・永野という4人のメンバーに出てもらうことに。いかにも十把一絡げですけど、この人たちのグルーブ感にはやっぱり絶対の信頼を置いているし、そしてプロデュース公演のときは、メンバーはいつも僕と役者さんの「かすがい」にもなってくれるんです。今回は特にバラエティ感に富んだキャストたちの、かすがいにもなってほしかった。きっと言語から違うはずだし、そこが混ざり合うとそうとう面白いことになりそう。こういうミクスチャー的な面白みも、「時かけ」シリーズならではのことだな、って。

 時代設定は、思い切って現代を2018年に置くことにしました。
 元々は「続」が書かれた1972年から過去へ遡ってゆく話なんですが、それをぐっと今に引き寄せて、スマホが手放せない2018年から、1996年のコギャルが跋扈する渋谷、1990年のバブル真っ盛りをすこし過ぎた六本木、1980年の浮き足立った原宿、1969年のフォーク集会の熱気が渦巻く新宿、へと時をかけてゆく和子。
 そして時代時代の熱にふれ、流行に揉まれながら、現代と、そしてケンたちが暮らす未来へと、思いを馳せてゆく。

 これをオールナイトニッポンの50年史と重ねるようにして、歌と時事風俗のクロニクルっぽく描いていこうと思いました。大胆なアレンジですけどこれしかない、と思ったし、原作の意にも沿ってる気がした。
 ただあまりに装いが原作とかけ離れてしまっているかも、とドキドキもしたので、時空を彷徨うインド人だけは必ずどこかで登場させよう、というのを静かなミッションにしました。

 いつもはエチュード(即興劇)をしながら作っていきますが、プロデュース公演だとそうもいきません。なのであらかじめ脚本を書くべく、資料に当たり始めてすぐ、これはパンドラを開けてしまったか、とギクッとしました。
 なにしろ50年の文化史を紐解かねばならない感じなんですが、先に挙げた時代やシーンのどれ一つとして、僕は只中で過ごしていないんですね。

 1996年は高校生だったけど渋谷になんていなくて京都でパソコンばっかりやってたし、バブルも竹の子族も学生運動も、全部テレビとかで知ってるだけなんです。
 なおかつ、2018年を生きる高校生といえば、インスタでありSNSでありツムツムなんだとしたら、僕、スマホを持ってなくて。さらには部活に熱くなったり、恋に心焦がした青春を送ってさえなく。当時は帰宅部でしたから。

 青春ものを書こうにも、文化史を書くにあたっても、引き出しの一つの持ち合わせもなく、唯一得意なのはタイムトラベルSFのことだけ。
 なのでそこは存分に腕を振るうとして、あとはまず僕が時をかけるのだと、調べ物の鬼になることにしました。

 日々アマゾンから送られてくる雑誌や漫画、古本の数々。「バブルへGO!」を見て、岡崎京子さんの「東京ガールズブラボー」を読んで、今のセブンティーンなんかも買ったりして。
 ネットに落ちている、昔のニュース映像やテレビ番組、素人さんがホームビデオで撮影した映像。
 まとめサイトで年代ごとのファッションや、バブル期に構想されたSFめいた都市計画を見て回り、ハッシュタグで高校生あるあるやバスケ部あるあるを調べ、後輩の大学生の男の子に2010年代のアンセムをリストにして送ってもらい、それを動画で聴いて、歌詞をWEBで調べて。
 乃木坂46の歌やバラエティ、萌歌ちゃんの「だけじゃないサンバ」、キャストたちの出演映像、バッファロー吾郎さんのオールザッツ漫才でのコント。
 そうやって過去50年の情報圧にふらふらになりながら、でもこうやって過去のアーカイブにノータイムでアクセスできること自体、今しかできないことだなあ、とも思ったりして。

 ちょっとこれ過剰なボリュームになってしまってるなあ、と思ってはいたけど、せっかくなら「全部乗せ」したいと思った。そしてその中を軽やかに和子には駆け抜けて、光を見てほしい、と。
 プロットは遅々としてまとまらず、途中不安に襲われて半べそになりながら、稽古が差し迫った年明け、やっと劇の形がおぼろげに見えてきました。

 基本的な配役もすべて決まり、というのはこの劇では一人何役もやるからなんですが、それにしても衣装の数これ大丈夫か、なんて気を揉みながら、舞台美術家さんとの電話ベースでの打ち合わせも、だんだん呼吸が揃い始めました。僕は京都に住んでいるので、東京のスタッフさんとはそうすることが多いんです。

 1月6日、稽古までに書けた分の台本と、配りたい資料と、ときめきと2時間で収まらない不安を胸に、時をかける新幹線に乗り込みました。次回いよいよ東京稽古編です。2回にわたってしまいました、すみません。

上田 誠

上田 誠
(うえだ・まこと)

1979年京都生まれ。1998年、大学入学とともに同志社小劇場に入団し、同年、劇団内ユニットとしてヨーロッパ企画を旗揚げ。ヨーロッパ企画の代表であり、すべての本公演の脚本・演出を担当。外部の舞台や、映画・ドラマの脚本、テレビやラジオの企画構成も手がける。2016年に劇団初の書籍『ヨーロッパ企画の本 我々、こういうものです。』(ミシマ社)が刊行。2017年、「来てけつかるべき新世界」で第61回岸田國士戯曲賞を受賞。

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