数学の贈り物数学の贈り物

2018.04.01更新

 哲学の道で真っ先に咲く一本桜が、つい先日、例年よりも一足早く、まるで蕾から溢れるような鮮やかなピンクの花を空いっぱいに開いた。樹齢百年を超えた老樹が、こんなにも若々しい生命を内に秘めているとは、毎年のことながら、驚くばかりだ。

「みんなのミシマガジン」で「数学の贈り物」の連載をはじめてから、早くも五年目の春が来た。最初の春も、同じ桜を見上げながら、西行と岡潔について書いた。季節が移り変わっていくのにあわせて「贈り物」の原稿と向き合うことは、いまやすっかり生活のリズムになってきている。日々考えていること、感じていることを、花開くように、あるいは熟れた実が落ちるように、自然と言葉にすることができたらいいが、現実は、パソコンと向き合い、何冊もの本を読み直し、頭を抱え、締め切りに追われながら、必死になって執筆している。おかげで、季節ごとに自分と対峙し、思考の軌跡を記録する貴重な機会をいただいている。「みんなのミシマガジン」が新しく生まれ変わるこの日に、このサイトに寄稿できることを心から嬉しく思う。


 数学は、贈り物である。これが、僕がこのタイトルに込めた実感である。

 名もなき古代の数学愛好家たち。アラビア世界の天文学者や近世ヨーロッパの数学教師たち。インドの計算家や中国の算博士、そして、いまも世界中で数学を楽しむ老若男女。数学史のテキストに取り上げられる人たちばかりではなく、数学を学び、語り、教え、探究して来たすべての人たちが、この贈り物を、守り、育み、継承してきたのである。

 その数学に、僕は何度も救われてきた。人生の葛藤や重荷に押しつぶされそうなとき、数学する時間は、なぜか心静かになることができる。数学は役に立つ。時に強力な武器になることもある。だが、数学の大きな理想を孕んだ思考に、心救われることもある。少なくとも、僕はそうであった。だから、この数学という贈り物を、僕はまた未来へとしっかり受け渡していきたいのだ。

 最近、友人の息子(Tくん)と一緒に、週に一度、数学の問題を解く会を始めた。小学三年生の彼は、素晴らしい数理的感性の持ち主で、しばしばこちらの予想を超える思わぬアイディアで、ときにかなり高度な問題も鮮やかに解く。彼と、彼の父と三人でいつも問題を解いているのだが、大人の方も負けじとつい真剣になる。

 テキストは『やわからな思考を育てる数学問題集』(岩波現代文庫)という、ロシアでつくられた問題集の日本語訳を使用している。算数教育に詳しい友人の薦めで手に取った本だが、知識を形式的に当てはめるような退屈な問題ではなく、柔軟な思考が要求される良問が集められていて、もともとは「中学生とその先生のためのガイド」だそうだが、大人でも、問題によっては小学生でも、十分楽しめる内容である。

 もともとこの問題集は、旧ソ連の「数学サークル」の活動から生まれた。それは、生徒、先生、数学者たちが、新しい数学教育のあり方を模索するために結成した「サークル」だったそうだ。「数学の勉強が競争心にあおられることなくできるような環境をつくる」という理想が、背景にあったのだという。

 僕がTくんと「数学の問題を解く会」を始めたのも、同じような思いからであった。数学という贈り物を受け取った者として、自分なりの「返礼」をしていきたいというと大げさだけれど、子供たちと楽しく、のびのびと数学ができるような場をつくってみたいというのは、昔から思っていたことだった。

 漠然としたそういう思いを、具体的な行動に移していこうと決めたのは、今年に入ってからのことである。年末から年始にかけて、家族で病院で過ごしたことが、大きなきっかけになった。

 入院中の子供にとって、「退院したら◯◯しよう」「元気になったら△△したいね」という「いまここにない未来」に希望を託す言葉は無力だ。むしろ、水が飲めなくても好きなアニメを観れることが嬉しかったり、大切なおもちゃが手元にあることでほっとしたり、「いまいるこの場所」には、いつも小さな贈り物が隠されているのだということに、あらためて気づかされた。理想的な状況や環境が整ってからでなくてもいい。いつでも、いまいるこの場所で、できることがあるのだと、僕の心境は少しずつ変わっていった。

 息子が退院し、久しぶりに家族で京都に戻ったあとに、いまいるこの場所で、僕には何ができるだろうかと考えた。子供たちと一緒に楽しく、のびのびと数学ができるような場をつくりたいという昔からの思いが、ふと頭に浮かんできたのはこのときである。

 場をつくろうとするなら、広いスペースや教材、人手だって必要である。そんな余裕はいまの僕にはとてもないと思っていた。だが、どれほど状況や環境が不完全だとしても、いまいるこの場所で、できることもあるのではないか。そんなタイミングで、Tくんとの勉強会は始まった。


 以前、僕が敬愛する鈴木健氏(スマートニュース共同CEO)が「教育義務」というアイディアを提唱していたことがある。大人になったら誰もが週にせめて数時間くらい、教育する義務を自分に課してはどうだろうかという提案だった。職人ならば、自分の仕事場を子供たちに見せる。漁師ならば、子供をときどき船に乗せる。研究者なら、自分の研究について子供にレクチャーしたり、たとえば週に数時間くらい、子供たちと勉強する時間をつくることを、義務として自分に課すのだ。

 「子供とは、私たちが未来に贈ることのできるメッセージである」というマーシャル・マクルーハンの言葉に対して「子供とは、未来そのものである」と応答したのはアラン・ケイだ。子供という未来を育んでいく活動に、僕たちはもっとカジュアルに参加してもいいのではないか。正月以来の思考の流れと、「教育義務」という言葉が自分の中で一つになって、気づけば「数学の問題を解く会」が始まっていた。

 先月のこと、公園で遊ぶTくんを、彼の父と一緒に迎えに行った。彼は、そのとき友人たちとドッジボールをしていた。その日も数学をする予定になっていたので、「家に行くぞ!」と呼びかける父に、「もっと遊びたい」とTくんはせがんだ。子供たちが生き生きと遊ぶ様子を見ていると、僕も、彼の父も、つい一緒に遊びたくなった。そのまま、大人二人vs小学生六人で、ドッジボールの試合が始まった。

 公園にドッジボール専用のコートはない。内野と外野の境界も、アバウトに子供たちの間で共有されているだけである。初参加の僕には、どこまでがコートなのか、どんなルールなのかもはっきりしない。見よう見まねで、ただ必死になってボールを投げる。

 十五分ほどの熱戦の後、試合は終わった。大人チームの完敗である。すかさず、「次はドロケイしよう!」と、彼らは大盛り上がりだ。ブランコの辺りが警察の陣地と決まり、僕は警察役に任命された。さっきまでドッジボールのコートだった公園が、にわかに泥棒と警察の攻防の舞台になる。


 青木淳氏の『原っぱと遊園地』(王国社)という本がある。「遊園地」とは、「あらかじめそこで行われることがわかっている」建築全般を指すメタファーである。逆に、「そこで行われることでその中身がつくられていく建築」の典型として、青木氏は「原っぱ」のあり方に注目している。

 放課後の小学生たちにとって、公園は原っぱである。警察に捕まった泥棒はブランコに収監され、滑り台は泥棒たちの避難場所になる。ドッジボールでは、トイレの壁を使って奇襲をしかけ、大きな樹がコートを分ける目印になる。ブランコや滑り台やトイレの意味は、そこでくり広げられる行為に応じて瞬く間に変容していく。


 子供たちと一緒に全力で遊んで、僕はヘトヘトになった。心ゆくまで原っぱで遊ぶなんて何年ぶりだろう。僕もまるで小学生に戻ったような気持ちだ。みんなで家路に着くと、Tくんの友達のHくんが、「ぼくもTくんの家で勉強する!」と言い出した。その日の「数学の会」は、いつもよりメンバーが一人増えて、全部で四人になった。遊んでいるのか、学んでいるのか。教えているのか、教えてもらっているのか。そんな区別が意味をなさないような時間に、僕もワクワクしている。

 『原っぱと遊園地』に、小学校について書かれた印象的なエピソードがある。それは、青木氏が見た、一枚の写真のことである。新疆アルタイ山で撮られたその写真には、草原のなかに板を立てかけた一人の男と、そのまわりを囲む二十数人の子供たちがいる。平たい石を積み、三々五々地べたに座り、子供たちは男の話に聞き入っている。校舎がまずあり、そこで学びが始まるのではない。学びが始まり、そこに「学校」という状況が生まれるのだ。

 ドッジボールで泥だらけになり、汗だくになった子供たちと数学の問題を解いているとき、僕はその一枚の写真のことを思い出していた。新たな学びの場をつくっていくことは、場所を手に入れてからでなくてもできる。そういう手応えを感じ始めていた。


 僕はいま、この原稿を、京都の平安神宮の近くの、小さな二階建ての町家で執筆している。築年不詳のいまにも傾きそうな家だが、僕はここを、新しい学びの場にしていきたいと思い、数日前に契約を結んだのである。一階を書斎兼小さな図書室として、二階を子供たちや学生、友人たちと勉強するための寺子屋のようなスペースにしたいと考えている。

 Tくんと勉強会をしたり、自宅で小さな子供と百人一首を読んだり、「教育義務」のささやかな実践を始めるうちに、歩むべき道がはっきりしてきたのだ。気づけば、夢中になって物件を探し始めていた。逆説的だが、「場所がなくても場をつくれる」と確信してからほどなく、僕は新たな「場所」を手に入れることになった。

 『荘子』斉物論篇に、荘周が夢で胡蝶になる有名な一節がある。

 昔物(むかし)、荘周は夢に胡蝶と為る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。 自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。 俄にして覚むれば、則ち蘧々然(きょきょぜん)として周なり。 知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。 周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此れを之物化(ぶっか)と謂う。

 荘周は夢のなかで蝶となった。嬉々として心ゆくまで楽しげに舞い、そのときはすっかり蝶であった。蝶であるとき、荘周は自分が荘周であると思いもしていない。だが、目覚めてみると、ハッとして彼は再び荘周だった。いったい荘周が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも蝶が荘周の夢を見ていたのか、もはや判然としない。しかし、「周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん」。荘周はどこまでいっても荘周であり、蝶はあくまで蝶なのである。自分が自分であるままに、その自分がいつの間にか、別の物へと化していたのだ。『荘子』は、この驚くべき生成変化の妙を「物化」と呼んだ。

 冬の寒空に枯れ枝をのばして立つ老樹が、繊細で瑞々しい、鮮やかな花を咲かせて道行く人の心を掴む。その花もやがて散り、樹もやがては枯れていく。冬が春に変わるのではなく、生者が死者になるのでもない。いまがいまであり、自分が自分であるままに、気づけば冬は春であり、生者は死者に化しているのだ。自然は絶えず「物化」していく。だから、いまある場所を引き受けることは、いまある場所にとどまることではない。

 岡崎の古びたこの小さな町家で、これから何が起こるだろうか。いまがいまであり、自分が自分である積み重ねの果てに、僕も、この場所も、やがてはすっかり別の何物かへと化していくだろう。ここに集った子供たちが、まるで夢に胡蝶となった荘周のように、想像もできない何物かに化け、「栩栩然(くくぜん)として」飛翔していくことを、僕はいまから楽しみにしている。

森田 真生

森田 真生
(もりた・まさお)

1985年東京生まれ。東京大学理学部数学科卒業。現在は京都に拠点をかまえ、独立研究者として活動。国内外で「数学の演奏会」をはじめとするライブ活動を行っている。2015年10月、デビュー作『数学する身体』(新潮社)を刊行、第15回小林秀雄賞を受賞。2016年2月、編纂を担当した岡潔の選集『数学する人生』(新潮社)が刊行された。ミシマ社では、数学にまつわる本を紹介しながら、数学を通して「生きること」を掘り下げるトークライブ「数学ブックトーク」を共催。ライブで手売りすることを元に作られた『みんなのミシマガジン×森田真生 0号』(ミシマ社)なども発刊している。

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編集部からのお知らせ

ミシマ社主催のイベントが、この春に2つ開催されます。ぜひ足をお運びください。

森田真生×甲野善紀 この日の学校in京都 「学びと教育の原点」

■日時:2018年4月22日(日)14:00~17:00終了予定(開場13:30〜)
■場所:永運院 京都市左京区黒谷町33(京阪・神宮丸太町駅より徒歩20分、バスもあります)
■入場料:5,000円(税込)※ミシマガサポーターは4,500円(税込)でご参加頂けます。
■定員:80名様

■お申し込み方法:
event@mishimasha.comまで、タイトルを「0422この日の学校」とし、「お名前」「お電話番号」をご記入の上、メールをお送りくださいませ。
もしくは、お電話:075-746-3438(京都オフィス 平日10:00〜18:00)でも承ります。


数学ブックトーク in 東京 2018 立夏

■日時:2018年5月13日(日)13:30~16:45(開場13:00~)
■場所:青山ブックセンター本店内・大教室
■入場料:4,000円(税込)※学生・ミシマガサポーターは3,000円(税込)でご参加頂けます。
■定員:110名様

お申込み方法:
[1] ミシマ社にてメール予約。( event@mishimasha.com
件名を「0513数学ブックトーク」とし、
「お名前」「ご職業・年齢」「お電話番号」をご記入のうえ、お送りくださいませ。
(※「受付完了」のメール返信をしますので、メールの受信設定にご注意ください。)
(※特にauのキャリアメール=ezwebをご利用の方にメール返信が届かない例がございます。ご注意ください。)

[2] 青山ブックセンター本店店頭にて予約。(レジカウンターで承ります)

[3] 青山ブックセンター本店にて電話予約。(TEL: 03-5485-5511)

※ 入場料は、イベント当日に会場入口にてお支払い(現金のみ)となります。
※ 学生の方はイベント当日に学生証をご持参ください。

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