ボクは坊さん。

今回も、前回のつづきです。2月21日に松山の明屋(はるや)書店大街道店さんでの『ボクは坊さん。』出版記念トークショーの再現ライブ。
どうぞ、リラックスしてお聴きくださいませ~。

第7回ミッセイさん トークイベント

写真 松山は快晴でした 撮影:三島















第7回 『ボクは坊さん。』出版記念トークショー 後編

2010.03.19更新

「問うこと、そして答えること」

僕も、講演会に行くのは好きで、以前、臨床心理士でユング心理学の第一人者河合隼雄さんの話を大阪の四天王寺に聞きに行ったことがあります。
そのとき先生は、「生きていることは祭りのようなことである」ということを話して下さいました。たまたま僕も、その当時、同じようなことを「ほぼ日刊イトイ新聞」で書くことがあったので、とても勇気づけられたことを覚えています。そして、河合先生はさらにこのように続けられました。

「生きるということは祭りであるが、本当の祭りにするためにはその祭りは死をかけた祭りでなければならない」

なかなか難しいことです。僕自身、そういうことができているかどうか全くわかりません。その年に河合隼雄先生は亡くなられました。あの時、そういう話を聞くことができて本当によかったと思っています。

講演会では大抵、最後に質疑応答の時間があります。今日もありますが、僕なんかはその場面で聞きたいことがあっても、ばからしい質問だからやめておこうとか、恥ずかしくて聞けないことがよくあります。ですが、今日はぜひ皆さんに質問をしていただきたいと思います。

というのも、皆さんは、本を書くということは、自分の思いを表現したり、相手に何かを伝えることに主眼があると考えると思います。ですが、そこでは、どちらかというと繰り返し問うことの方が大事なのです。

僕が今回本をつくることを通して感じたことは、何かを表現するということは、自分の思いを単にぶつけるということではなくて、「みなさんはどんな話を聞きたいだろうか?」「どんな言葉なら、僕が感じたことをそのまま近い形で伝えられるだろうか?」「自分はどんな質問をされているのだろう?」と、問うことが重要だと強く思いました。

それと通じるところがあると思うのですが、以前、チベット仏教のお寺を訪問したことがありました。そして、そのお寺では、小さな子どもさんから大人のお坊さんまで庭に出て、ふたり一組で形式的な動作をしていました。はじめ、何をしているのかわからなかったのですが、同行された先生に聞くと、古くからある問答の様子なのだそうです。彼らは子どもの頃から仏教の論理学を学び、そうやって「問うこと、そして答えること」という訓練をしているのだといいます。

高野山にも、勧学会(かんがくえ)といわれる何百年と続く密教教学の論議をする法会があります。今では形式的な要素もある形になっていますが、そこでもやはり問うこと、質問をしてそれに答えるという、問答議論をやっています。古来の日本人も仏教も、問うことの重要性を知っていたのだと思います。ですからみなさんも、恥ずかしがらずに、ひとつの訓練として「問う」という訓練をしていただきたいと思います。

仏教が仏教であるだけで

仏教を伝えることがお坊さんの仕事だということは、みなさんもよくわかると思います。仏教のよさを、できるだけたくさんの人に知ってもらいたい。しかし、はた寺の前に立ち、どのように届けようか思案したとき、"正しい"だけでは伝えにくいと思いました。

みなさんもそうではないでしょうか? 例えば、友人とお茶をするのは「正しい」からしているわけではないですよね。「我々は、明日午後8時に会う必要がある。だから、スターバックスに行くのである」というような合理的な判断があってしているわけではないと思います。ただ楽しいから友達と話して時間を過ごす。

そういう意味では、仏教も同じように考えることが可能で、どこかうれしいからやっている、楽しいからやっているということが必要なのではないかと思うのです。もしくは、そういう高潔な考え方をもつのもかっこいいね、といってもらえることに喜びを見いだす(笑)。そういうことがあっても良いのではないかなと思っています。

そこで、仏教の思想を何かと組み合わせてわかりやすく綺麗にワクワク感をもって伝えることができないか。そう思って、いろいろ考え、まずはバッグとTシャツをつくってみることにしました。
バッグのデザインはグラフィックデザイナーの方に頼んでいます。これは、一匹いっぴきが動物になっている「生命の森」とでも言えるような森です。このお坊さんは僕のシルエットです(笑)。

第4回ミッセイさん

祈りというのは形にならないものです。しかし、「形にならないものに心を込める行為というものが、一匹の生き物を自由にすることだってある」そういう思いを込めてつくりました。仏に祈ったり、誰かのために祈るという行為は、現代社会では本当に役に立つ行為なのか疑問に思うことはよくあることだと思います。そして、「祈ることは決してむだなことではない」と言葉で語っても綺麗ごとを口にしていると受け止められがちです。

ならば、言葉だけではないところで考えていきたい。そう思って、こういうバッグをつくってみたんです。すると、同世代の友達が「うわー、お寺っておもしろいんだね」と声を出してくれたことがありました。

第4回ミッセイさん

これは、かねてからずっと念願していた「栄福寺オリジナルTシャツ」です。こういうTシャツをつくって、なんとか若い方達にわかりやすく仏教に触れて欲しいと思いました。このTシャツでは「Sometimes my name is you.」(「時々、僕の名前は君だ」)という言葉をデザインしてもらっています。

うまく言えないのですが、ここには僕が何度も教わった仏の教えのひとつ「あらゆる存在は空であり、つながっていること」ということや「こころにやさしい慈悲をもつことの意味」を、頭ではなく体感として経験してもらえたらいいなという思いを込めています。うちのお寺には、よく今治の高校生がロードワークに寄りますが、汗をかいて着るものがなくなると買って帰ってくれます。栄福寺という文字も入ったお寺のTシャツで走り回っている姿を想像すると、なんともゆかいな気になります。

一言でいうのは難しいのですが、僕の根本的な考え方には、生活の中に仏教を浸透させたいという思いがあります。身近なものを通して仏教のことをお伝えしたい。

ただ、このように言うと、「では、将来的にはお寺でライブをしたいのですか?」とか、「NPOをつくってボランティアをしたいのですか?」というような方向性を想像される方もいると思います。そういった活動があってもよいと思いますが、僕自身は、仏教が仏教であるだけで、みなさんの生活にとても役にたつものだと思っています。ですので、その大前提は絶対にはずさないようにしたいと思っています。

例えばこの本の中にも、古い経典の言葉が出てきます。
ウダーナヴァルガというとても古い仏典の中に出てくる言葉なのですが、少しご紹介したいと思います。

「どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである」

(『ウダーナヴァルガ』―感興のことば―第二五章一一)

どうでしょうか? 本当にありふれた言葉ですが、普通に友達としてつき合っていても、まさに「その人になる」ということまでは考えないと思います。しかしブッダは、人と人が付き合うということはとても大事なことなのだと言っています。しかも、まさにその人のようになっていくのだという言葉は、本当に生活の中で活かせることだと思います。

もうひとつ、ダンマパダというとても古い仏典の言葉をご紹介します。仏教と言うとみなさんは、自分の欲望を抑えて、あまり差し出がましくならずに穏やかに生きる教えが書かれていると思われるかもしれません。もちろん、そういう部分も仏教にはあります。しかし、意外とそうではない言葉もでてきます。

「たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ」

(『ダンマパダ』―法句経―一六六)

仏教の言葉としては少し意外な言葉のように思われるのではないでしょうか。私が感じた「仏教が仏教であるだけで、勇気になるし、ヒントになる」という思いは、そういう言葉から得たものです。
わたし自身、これからも仏教が仏教であるだけで、役に立つことを考えられたらなと思っています。

最後に伝えたい、仏教で一番価値のあるお布施の話

今日は「問うことの大切さ」、「仏教はそれだけで役に立つ」という話をさせていただきました。私はこうやってみなさんの前でお話することは多いのですが、よく思うことは、せっかくこの場に来ていただいたのだから、何かひとつ持ち帰ってほしいと思います。そこで、今からその、なにかひとつ持ち帰ってほしい、その仏教の知恵をひとつみなさんにお話ししたいと思います。これは、私が師のように思っている僧侶が常々、よく口にされることでもあります。

それは、お布施についての話です。「布施」とは、みなさんよく聞きく言葉だと思います。「お坊さんが来たときにお金を渡す」ということをみなさんお布施と考えられると思います。ですが、布施というものは、それだけではなく全部で4種類あります。資生施、法施、義利施、灌頂施。そして、その布施にランキングをつけると次のようになります。

布施
・資生施(ししょうせ) 4位
・法施(ほっせ) 3位 
・義利施(ぎりせ) 2位
・灌頂施(かんじょうせ) 1位

第7回ミッセイさん トークイベント

資生施は、お金や食べ物をお布施することをいいます。一番価値が低いというわけではなく、四番目に価値があるということです。そしてこれは、お坊さんだけでなく、貧乏な人にお金や食べ物をあげることも含まれます。ここで、「ああ、よかった。これが四番目ならお寺さんにお金をあげなくてもいいんだ。」と思われてしまうと、全国のお寺さんはつぶれてしまうので、そう考えるのはどうかご勘弁下さい(笑)。

その次、三番目に価値のある布施が、法施です。これは仏法の知識を伝えることをいいます。そしてその次の義利施は、仏教の修行をする人に、服などの生活必需品をプレゼントすることをいいます。例えば、お寺でお坊さんが晋山(住職に就任すること)されるときに法衣を新調して贈ることがありますが、それなども義利施にあたると思います。

そして、今日はこの一番価値のある灌頂施、これをみなさんにお届けしたいと思います。灌頂とは、密教の儀式で、聖なる水を頭にかけたりしながら執り行われる儀式です。密教の中でも、特別大切な儀式のひとつです。

そのなかで、どういう意味のことをやるかを、いちばんわかりやすい言葉にするとしたら、「関わる相手に対して、その人が気づいていない良いところをみつけ、教えてあげること」が、灌頂施になります。

人は自分のことを発見してほしい、自分のいいところを見つけてほしい、あるいは褒めてほしいという思いを強くもっています。しかし、その中で「他」の人のいい部分や素敵なところを見つけたり、伝えることは、忘れてしまうことがよくあります。僕はそうです。

「あなたは気づいてないと思うけど、こんな良いところを持ってるよ」「こういうことできるじゃない」そういうふうに言われるとやっぱりうれしいですよね。
そうやって、相手が気づいていない良いところを教えてあげることを仏教では一番最高の布施と考えています。

ですから、私自身、今回みなさんとこのようなご縁をいただき、お話しする機会をいただきました。ぜひこの場に足を運ばれた方は、「関わった人ひとりひとりに対して、その人が気づいていない良いところを伝える」ということが、仏教で一番価値のある最高の布施なんだ、という智慧をひとつ持ち帰っていただきたいと思います。それが、オリンピックを見ずに(笑)この坊さんの話を聞いていただいたみなさんに伝えたいことです。

今日は(オリンピックの)テレビ中継には勝ち目がないかなと思ったのですが、こんなにたくさんの方に来ていただいてとても光栄です。ありがとうございました。

第7回ミッセイさん トークイベント

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

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