第14回 夏の叫び
あなたは観客として、もしくは視聴者としてスポーツを観戦する時、どんな思いを抱きながら選手たちの戦いを見つめているだろうか。
鍛え上げられた肉体への憧憬、超一流の技術への尊敬、圧倒的なパワーへの畏怖、緻密に計算し尽くされた策略への称賛、自分とは全くかけ離れた者に対する距離、様々だろう。対象が美女あるいは美男だったりすると異性として眼差しを向けることもあるかもしれない。
もちろん沸き上がる感情は、戦う舞台の大きさ、試合展開、もたらされた結果などによって変化する。高揚や興奮があれば、落胆や失望もある。だからこそスポーツは人を魅了する。
僕の場合、スポーツを見ながら常に抱いてしまうのは「なぜ今、自分はこの場所で戦っていないのだろうか」という訳のわからない問い掛けだ。なぜだかわからないが、自己憐憫に似た強烈な感情に襲われてしまうのだ。自分は客席に座る、またはテレビの前にいる傍観者に過ぎない―。殴られてマットを這わされることのない、負ける屈辱に震えることのない、手にした栄光を決して失うことのない安全圏からの傍観。8年前の夏、そんな当たり前の現実を思い知らされる出来事があった。
2002年7月27日。入社したての新人だった僕は、第84回全国高校野球選手権茨城大会決勝・常総学院対水戸商の一戦を取材していた。水戸市民球場の一塁側ベンチの上に座って眺めた戦いは、もちろん甲子園の切符を賭けた大一番。優勝候補の常総は3回までに水戸商に6失点を喫して劣勢だった。しかし7回、木内幸男監督が送り込む代打がことごとくタイムリーを放つなどして同点。そして、あの瞬間を迎えるのだ。
走者を2人置いた場面で1番・大崎雄太朗が水戸商のエース・長峰(現中日)の速球をライトスタンドに叩き込む。優勝旗をたぐり寄せる3ランだ。超満員の客席からこだまする大歓声と悲鳴の中でベースを回る大崎は鬼神のような顔をしていた。額に浮き出た血管。灼けた肌と泥だらけのユニホーム。英雄になった男は天を仰いで両拳を掲げながらホームインした直後、水戸商のベンチに向かって叫んだ。僕には確かに聞こえたのだ。彼の叫ぶ声が。
「見たかァァァー!!この野郎ォォォーー!!」
そして、常総は甲子園に行った。
いつもの大崎は素朴な男だった。取材する時は帽子を取って直立不動。ハキハキとしゃべり、田舎っぽいスマイルがお似合いのナイスガイ、というよりむしろ弱々しい印象さえ残す高校3年生だった。ところが、あの瞬間、大崎は己を超越した。ライバルを倒して夢見た舞台に行くこと。仲間たちとの夏が続くこと。何万回も振った素振りが実を結んだこと。監督に報いたこと。そして何より、男として乾坤一擲の勝負に勝ったことへの熱情が大崎を変え、別の領域に連れていったのだ。
一塁側ベンチの上で叫び声を聞いた僕は、今まで味わったことのないような思いに震えていた。心が震えてどうしようもなく、なかなか優勝原稿に着手できなかった。そして自問自答した。「かつて自分は、あのような瞬間を迎えたことがあるだろうか。これから自分は、あのような瞬間を迎えることがあるだろうか」と。生きる上で極めて重要な事が、その問いの中に隠されているのではないだろうか、という気さえした。
それから僕は大崎の叫びから逃れられなくなった。吉田沙保里、野口みずき、阿部慎之助、谷佳知...取材したアスリートたちが最高の瞬間を迎えれば迎えるほど、あの叫び声を聞いた時のような思いに駆られた。心が震えて、嬉しいのに、どこか苦くて苦しくて、心にポッカリ穴が空くような、訳のわからない感情だった。これからも同じだろう。スポーツを見ることは、自分という現実を直視し続けなくてはならない宿命を負った作業でもあるのだ。
あの夏の5年後、170センチという外野手としては特に小さな体格で「プロは無理」と言われ続けながら、西武ライオンズの一員となった大崎に偶然会った。巨人の2軍の取材で訪れた西武第2球場の近くでバットを持って歩いているところを、思わず声を掛けた。彼は、たったひと夏だけ取材しに来ただけの僕を覚えてくれていた。
「高校生でしたからね、懐かしいですね~」
相変わらず帽子を取って直立不動。ハキハキトークとニコニコ笑顔には磨きが掛かっている。嬉しくなって、思わず聞いてみた。
「あの時、叫んだの覚えてる?『見たかァ!この野郎ォ!』って。あれ、熱かったね。今でも覚えてるんだよ、なんか」
彼は笑っていた。
「覚えてませんよ~。僕そんなことホントに言いました~?」
別れ際、大崎はバッティンググラブを脱いで右手を差し出してきた。マメでゴツゴツになった手のひらを握ると、あの夏の叫び声が再び聞こえてきたような気がした。

