近くて遠いこの身体

第53回 スポーツでの声

2016.10.18更新

 前回に続いて「声」の話を書く。
 「まるで生きものようなもの」としてある声についての考察を、竹内敏晴氏を引きながら書いたわけだが、そういえばグラウンドや体育館では激しく声が飛び交っている。ラグビーに限らずどのスポーツにおいても声というのは重要だろう。声を出さずに黙々と行うスポーツを僕は寡聞にして知らないし、そんなスポーツはおそらく存在しない。
 スポーツの語源を辿ればチェスやビリヤードなどもそれに含まれ、欧米では「テーブルスポーツ」と称されて皆に親しまれている。米国で最も一般的だといわれるスポーツ週刊誌「スポーツ・イラストレイテッド」にはチェスの棋譜が掲載されているという。駒を進めるたびに声を発する棋士は確かにいない。ガッツポーズもたぶんしない。となれば厳密にスポーツを捉えれば無声で行うスポーツがあるということにはなるが、話がややこしくなるのでここは敢えて目を瞑る。

 いや、待てよ、そういえば野球もそれほど声を必要としないかもしれない。守備をする野手と野手のあいだにふらりと上がったフライ、それを捕球するときには互いに声を掛け合う。2014年にプロ野球の試合で阪神タイガースの西岡剛選手と福留孝介選手が激しく交錯する事故が起きた。鍛え上げられた西岡選手の身体は跳ね上がり、頭部から地面に叩きつけられた。意識を失った西岡選手が担架で運ばれるあのシーンを憶えている人もいるだろう。よくよく想像してみればこういう事故はもっと頻繁に起こりそうなものだが、現実には数少ない。それはたぶん選手同士が声を掛け合っているからだ。

 ただ、守備につく選手はいつも自分のところに打球が飛んでくるわけではない。たまに飛んでくる打球に備えて一球ごとに集中力を高めてはいるはずだが、それ以外は一人静かにリラックスしているものと推測される。とくに外野手はそうだろう。「今夜はなにを食べよかな」などと考えてたりしそうなものだが、いわずもがなこれはヒラオの勝手な想像にしかすぎない。
 ピンチのときには捕手と内野手が投手のいるマウンドに駆け寄る。ランナーの数や点差などの状況を確認し、それへの対策を皆で共有するために話をするためだ。ただそこではいわば会話が為されているだけで、ヒラオが思い描いているような「味方に呼びかけ、瞬間的に身体を揺さぶるような声」ではない。

 あらためてこうして想像してみれば、野球では「呼びかける声」はほとんど必要としないことがわかる。
 そういえばゴルフもそうか。選手はぶつぶつ独り言をつぶやくか、あるいはキャディと言葉を交わすくらいなものだろう。選手によってはウイニングパットを決めた瞬間、ガッツポーズとともに力強い声を出すこともあるかもしれないが、試合中継をテレビで観る限りにおいては安堵の表情とともにしずかによろこびを噛み締めているように見える。迫り来る重圧と静かに闘い続けるゴルフならではの、勝利を手にした瞬間の心境なのだろう。バーティーを奪ったときなども静かに拳を握り締めるだけで、派手に飛び跳ねたりする選手は見たことがない。ただイーグルに関しては、偶然の要素があるぶんだけ驚きを伴ってやや派手なよろこび方をしているみたいだが。

 テニスに目を向けると、すぐに浮かぶのはマリア・シャラポワ選手のうなり声である。彼女は一打ごとに大きな声を発する。耳を切り裂くほどのあの声は100デシベルを超えるときもあり、これは地下鉄の中の騒音に匹敵するほどの音量だという。自らを鼓舞するように一打一打に声を上げるシャラポワ選手。気合いみなぎるプレーぶりとまるでモデルのような容姿にたくさんのファンを獲得しているが、ちょうど5年ほど前、2011年にはこのうなり声に他の選手からクレームがついた。当時世界ランク1位だったキャロライン・ウォズニアッキ選手が「ボールの速度が正確に判断できない」と訴えたのだ。
 力を出す際に声を出すこと、いわゆる「気合い」は、パフォーマンスの向上に資するのは間違いない。ただ、相手を威圧したりプレーの妨げとなるのであればよろしくない。ルールで禁止すべきかどうかのこうした議論はその後しばらく続いたが、今もまだ結論は出ていない。

 声を出す選手の代名詞ともいうべき日本人は卓球の福原愛選手だろう。シャラポワ選手みたいにショットの瞬間ではないが、得点したときに「サー!」という甲高い声を発する。最近、試合を見ていないので今でも出しているか定かではないが、一説によればこの声には「自己暗示」の効果があるらしい。だが経験者ではないヒラオには正直なところよくわからない。うまくプレーできた自分を「サー」という声とともに励まし、鼓舞することで、よい緊張感が生まれたりするのだろうか。

 ここまで各スポーツでの声をじっくりと観察してみたわけだが、ここであらためて前言を撤回する。それほど声を出さずに黙々と行うスポーツは確かに存在する。どのスポーツにも「呼びかける声」が必要だとした冒頭の断言は、元ラグビー選手だからこその思い込みだ。軽率だった。反省する。
 めくるめく状況の中で瞬間的に「呼びかける声」を掛けるのはラグビーなど一部の団体スポーツだけであった。サッカーやバスケットボールなどのゴール型競技も、おそらくここに含まれるだろう。これらのスポーツでは、パスを受ける際に、また自分がマークすべき敵の選手を味方に伝えるときなどに、「発声と同時に相手の身体を揺さぶるような声」が必要となる。「まるで生き物のような声」のやりとりが不可欠なのである。
 というわけで、ラグビー選手にとって必要なこの「呼びかける声」について、次回はちょいと掘り下げてみたい。

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平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

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