演劇と氷山

第6回 スキゾフレニックな役者たち

2016.07.20更新

 ヨーロッパ企画には役者が9人います。石田剛太、酒井善史、角田貴志、諏訪雅、土佐和成、中川晴樹、永野宗典、西村直子、本多力。男優が8人で女優が1人、決まりではないですが劇団の風土でみんな本名、表記するときはアイウエオ順。そうして集合写真やプロフィール写真でずらっと横並びになるさまは、言い方あれですけど窓辺に並んだキン消しやボトルキャップみたいで見ていて好ましいです。

 僕は役者を引きで見ているようなところがあって、とくに舞台作品においては、水槽やジオラマのような空間にキン消しを配置するようにして劇空間を作っていきます。舞台って顔が見えないじゃん、って思っているところがあるんですよね。僕の目が悪いというのもあるかもしれません。感情の機微とか艶っぽさを見せるには、映像のアップにはとてもかなわないようなところが舞台にはあります。その代わりロングショットでパノラマを作れる、っていうのが舞台ならではのアドバンテージだと思っていて、だから僕は役者にはキン消し的、ボトルキャップ的、将棋の駒的な佇まいでいてほしい。フェチ的なところも少しあると思います。公演のチラシもだから、顔のアップとかよりは箱庭的な写真にしがちです。

 とはいえ一方で、役者は役を演じるのみにあらず、面白いパーソナリティであってほしい、演出家の意図をそのまま体現するよりは個性を放ってくれる人でいてほしい、というアンビバレンツな気持ちもあって。漫画家が描いたキャラクターが紙を飛び出して机の上を動き回り、漫画家が狼狽するあの感じです。役者と演出家の関係は、そういう入れ子めいたセクシーな主従関係が望ましいと思ってます。飛び出す絵本みたいな劇が作りたいですよね。

 そしてそれは劇の外でも言えることで、役者にはメンバーとして、輝く個性として屹立していてほしい。劇団のいち役者として凝り固まるのではなく、めいめい動きたい動き方をしたり、クリエイティビティを放って、それぞれの活動領域を内外に切り拓いてほしい。元々ギュッとしやすい劇団なのでね。その結束感は得がたいんですけど、僕が脚本演出をして役者がそれに出て、だけではいずれ煮詰まるだろうし、ときには役者メンバーがプロジェクトの旗を振ってもいい。誰かが外に出ていく時期があってもいいし、劇団の中でやりたいことをするのもいいし。そうやって各人らしい動き方をそれぞれがすることで、劇団全体の運動量が上がればいいなって。

 なおかつ僕らは、劇団でありながら企画集団で、「作り手」の部分が妙に発達しているようなところがありました。役者たちにも役者でありながら裏方気質、作り手体質の人が多く、映像制作やWeb企画にも早くから馴染んでいたし、役者業よりもそっちについ魂を燃やすようなこともありがちで。また学生劇団出身で、学生劇団って役者とスタッフワークを兼ねるので、その流れで初期のころには舞台美術や舞台監督、制作といったスタッフパートを(危なげではありましたが)役者でほとんど賄っていた。さらには京都で劇団をやっている、というのも影響しているかもしれません。東京だと役者は役者、スタッフはスタッフで専門化されているような印象がありますが、地方だとその辺シームレスだったりして。ローカル局のアナウンサーが取材から原稿書きから時には編集までやらないといけない、ああいう感じですね。そんな環境も手伝ってか、ヨーロッパ企画の役者たちは、役者以外の領域へもぐいぐいと踏み分け、思い思いにスキゾフレニックな進化を遂げてゆきました。

 たとえば諏訪という男がいます。僕の先輩でありヨーロッパ企画の発起人で、初期にはプロデューサーのような立ち回りをしていました。役者をやりつつチラシを作り、宣伝をし、学生テレビ局に話をつけて学内で流すCMを作り、と体躯に似合わず精力的な動きぶりでした。スタッフセクションが充実した今でも「何かしら作れる役者」の旗振り役として、公演パンフの編集をし、映像の脚本演出をやり、小粋なミュージカルを演出し、写真を撮ればコラムも書くし、iPhoneアプリを作りさえします。ヨーロッパ企画の「企画」部分のほとんどは諏訪さんだと言えるほどです。過去には、野外劇を企画したものの強風でテントが煽られてセリフが聞こえなかったり、ベニヤ板8枚分のどでかい立て看板を作って道に法律にかかるほどの大きな日陰を作ったり、こないだもラジコンロボが出てくるドラマを撮ろうとしてロボがいまいち動かなかったりと、企画倒れも数々ありますが。

 あるいは角田という男。2004年にやった役者オーディションで入団したんですが、面接の時すでに「イラストや絵を描けるし役者もやってみたい奴」ぐらいの風情で現れました。僕らも純然たる役者さんというよりは「役者プラスアルファ」な人を求めていたし、募集要項も「過去に作った何らかの作品を持ってきてください」というものでした。角田さんは自分で描いた「絵」を持ってきて、それが入団の決め手になりました。役者としていいかどうかなんて出会ってすぐには正直分からないし、というか一緒に演じていく中で育まれていく集団的な技術が大事だと僕は思っていて(もちろん個人の領域も大いにありますが)、それよりは僕らにはない何かを持っている人と一緒にやりたかった。そして角田さんの絵は、僕らとの掛け算でとても良いことになる、という予感がしたんでした。今では僕らの表現のあらゆるところで角田さんの絵が活躍してます。チラシで、書き割りで、ペープサートで。そして役者としては半妖怪的なポジションをいまだ貫いている角田さんです。

 酒井くんは工作が好きで、自宅に所ジョージさんの「世田谷ベース」を何百分の一かにしょっぱくしたようなスペースを構えています。初めのころは舞台美術をやっていたんですが、ある公演でラジコンを改造してラジコンロボを作ったことをきっかけに電子工作に目覚め、そこから各種ロボット(という名のラジコン)を作ったり、作家のせきしろさんに引き上げていただいて「サカイ発明センター」なる連載をスタートさせたり。そしてこの発明を武器に、あろうことか情報カルチャー番組のレギュラーを勝ち得、本当に所さんの前で珍発明を披露するに至りました。ただスキルの方は甚だ心もとなく、100均グッズで作ったロボットを披露したときの所さんとたけしさんの表情は凪のようでしたし、先に諏訪さんのところで書いたいまいち動かないラジコンロボも酒井くんの仕業です。

 結構これ劇団員のことを褒めていく感じになって照れくさいので駆け足で参りますが、石田くんはラジオ好きが高じてパーソナリティをしており、「イシダカクテル」という恋愛ラジオドラマはアニメにもなり、恋愛ショートドラマを年間40本書く男に一時期なってました。会うたび「恋愛のエピソードない? どんなことでも膨らますから」と聞かれたものです。不条理好きの永野さんは独白を主体にした不条理ムービーを撮り、それを発展させた「永野宗典不条理劇場」ではメタ演劇をやったり人形劇をやったりと、独自の不条理街道を突っ走ってます。土佐さんは2004年のオーディションに来て、正直チャラッとした怖い感じだったのでお断りしたんですが「やっぱり入りたいです」という謎のメールを送ってきて「そういうことでしたら...」と僕らも謎の対応をして入団したという人です。この調子でどこへ行ってもふらりと溶け込み、今では一番あちこちに出演が多いかもしれません。そして「週刊!ヨーロッパ2」というWebラジオを2年間やるなどすっかり劇団の顔です。

 本多くんも役者度数が高く、テレビドラマに出演する一方で「ブンピカ(京都大学文学部控室)」の劇に出る役者を僕は知りません。最高の両輪であり振り子であることでしょう。カッコいいし羨ましいです。中川さんも生涯役者を貫く感じを出してましたが、最近ふと撮ったショートムービーが賞をもらったことをきっかけに、急に映画映画言い出してちょっとなという感じです。2作目ではヤクザもののBLを撮って入賞を鮮やかに逃してました。そして西村さんは、元々ハンドメイドや雑貨が好きで、数年前から「西村ブックセンター」という不定期開店の本屋さんを始めました。自分で本を作る、とかではなく人に作ってもらってそれを売る店をやる、というのが独特だなと思います。独特と言えば西村さんは雲を消せる特技を持っていて、「暗い旅」でこれを追いかけたときはまさに雲をつかむような回になりました。

 こんな人たちが劇団という箱庭で、思い思いにぴこぴこ動き、仕事し、時にははみ出したり喫茶店でうだうだしているのがヨーロッパ企画です。先ほど役者の技術は集団的なことだと書きましたが、まさしくそうで、10何年も同じ顔ぶれでやっていると、さすがにお互いの凸凹や馴染み方、この人とこの人が絡むとこうなる、みたいなことが何となく分かってきました。が、フィールドが変わると話は別で、今や各メンバーが作品を作ったり企画を進め、お互いがそれに出たり関わりあうわけなので、そこから生まれてくる作品群の玉石混交ぶりは、さながらカンブリア紀の組み合わせ爆発のようです。それは言いすぎですけど、さらにスタッフや作家やディレクターもいて、その人たちが出演したりもするからなおさらことは複雑で。とはいえ多様性があるのは愉しいことだし、いつか進化と淘汰の果てに、思いがけない素敵なフォルムの作品や、楽園のような時間や、悪夢のような何かが生まれることを思うとどきどきします。さて僕は僕で、なおのことフリーキーに進化せねばなりません。もうじきこの人たちみんなが出る本公演の季節です。

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上田誠(うえだ・まこと)

1979年京都生まれ。1998年、大学入学とともに同志社小劇場に入団し、同年、劇団内ユニットとしてヨーロッパ企画を旗揚げ。ヨーロッパ企画の代表であり、すべての本公演の脚本・演出を担当。外部の舞台や、映画・ドラマの脚本、テレビやラジオの企画構成も手がける。

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