月刊 ちゃぶ台

第3回 自分たちの手で、自分たちの時代の「教育」を

2017.11.11更新

 『ちゃぶ台Vol.3』、先日の10月20日、無事に発刊となりました。
 幸い、読んでくださった方々の評判もよく胸をなでおろしているところです。
 ちょうど昨日、ある書店員さんからこう言われました。
 
「『ちゃぶ台』は結論を出しているわけではない。簡単にわかりやすい結論を出してないところがすごいな、と思います。(何かが解決したりするには)時間がかかる、そのために、「待つ」ということの大切さを教えてくれるようでした」
 
 あ、ありがとうございます。実際に涙を流すことはありませんでしたが、心のなかでは滂沱であったのは間違いありません。

 今回、特集のひとつを「教育」に据えることにまったく迷いがありませんでした。
 その理由はいくつもありますが、ひとつは、自分の子が経験したある出来事がありました。

 1年ほど前、(当時)3歳の長男が「英語話したい」というので、たまたま知った教室に「体験」で行きました。小学生たちに混じってのクラスでしたが、ずいぶん楽しかったようで「また行きたい」と言います。それで、私もその教室の方針を聞くことに。係の男性は、「ここがうちの自慢です」とでも言いたげな口調で、「文科省の定める教育方針に則っています」「(しかも)英語だけでなく、道徳教育を重視する方針ですが、それにも対応しています。「しつけ」もしっかりやります」と語ったのでした。
 聞いていて頭がくらくらするようでした。
 しつけって何? どうして、あなたたちに「しつけ」られなきゃいけないの?
 武道の道場やお茶や芸事の教室であれば、まだしも。英語の教室でどうして「しつけ」?
 いったい、何に基づいて「しつけ」るというのだろう?
 お寺や教会であれば、信念の拠り所にしたがって、そういうこともあるかもしれません。よき宗教者になるため、とまで行かずとも、その門派に何かしら惹かれるものがないと、そもそもそこに行かないでしょうから。たとえば、教会が主宰する英会話教室であれば、英語とともにキリスト教的感覚やキリスト教的しつけ、が付いてくるのは、ある意味当然のことのはず。
 ですが、息子が行ったところは、子供向け英会話スクールです。言ってみれば、教育をビジネスにしているところです。
 そんなところで、「しつけ」や「道徳」などやってもらっては、たまったもんではありません。
 そのことに何の疑問も抱いていないスタッフの人たちに、恐ろしいものを感じました。
 楽しくやる。勉強であれスポーツであれ、楽しい、という感覚が最初にあること。むしろ、楽しいという感覚、それだけあれば十分。と私は常々思っています。
 結局、3歳の息子は数回通った段階で、辞めることになります。
 ある日、教室にはいる前に消毒をすることを女性スタッフが強要。息子は「いや」と言って、手を背中にまわし拒否。それに対し「しつけ」の名の下、注意したのだという。3歳の子に・・。
 以来、息子は「Mセンセイ、大嫌い!」を連発。もう行かない、と言うので、そのまま辞めることにしました。
 小学生に対して決めたルールを3歳児にも適用してしまう。その愚かさに気づきもしない人たちが、しつけをおこなう。これが、「教育ビジネス」の実態なのでしょう。
 つまるところ、大人の言うことに対して従順な子をつくる、ということがせいぜい彼ら・彼女らの言う「しつけ」だった。
 その子のもつ潜在的能力を引き出したり、その子の力が開花するときまでじっと「待つ」ということをしたり、そういう本来、教育者であればすべからく身につけたであろう資質や技術は、ビジネスの現場ではいっさい必要とされないのです。
 内田樹先生が、『街場の教育論』のなかで、「教育はビジネスではない」と再三、警鐘を鳴らしておられた意味を、痛みをもって深く知りました。
 
 と書くと、その団体を非難したいかのように思われるかもしれませんが、そうではありません。教育でビジネスをする団体なんて、星の数ほどあるでしょうし、そのなかには、尊敬すべきものもあれば、卑劣なものだってあるでしょう。
 ただ、こうした経験を通じて、教育にかかわっているにもかかわらず、志も何もなく、教育をお金儲けの手段としてしか捉えていない人たちが闊歩している、という実態を知りました。ちょっと気を抜くと、こういうところにすぐに巻き込まれ、子供の良さをつぶしてしまいかねない。それだけは、親としてしてはいけない、と痛感しました。
 その実感や痛感を、「次の時代」を善くつくっていく種にしなければいけない。
 いつだって、『ちゃぶ台』のめざすところは、環境のせいにせず、自分たちの手で自分たちの時代をつくっていく、ということですから。
 
  *
 
 そんな思いを胸に取材を重ね完成した今回の『ちゃぶ台Vol.3』には、「これからの教育」の手がかりがいっぱい詰まっています。

 内田樹先生が、「しょんぼりと機嫌よく、知性を高める」に、「そうそう」と膝を打ったのは、周防大島サマースクールにいた人たちだけではありません。たとえば、はてなという会社をたちあげ、最近そこを辞めて新しい会社をつくった近藤淳也さんは、目を輝かせて「その通り!」と言ってました。
 本誌の最後に登場いただいた山極壽一先生の「教育をするのは人間だけ」という発言に、目からウロコが落ちたと感動された人たちも多いです。なんといっても、人類の誕生にまでさかのぼって述べてくださったわけで。説得力が半端ありません。大学教育にかかわる人たちへの言葉、大学生に対してのメッセージとともに、大人たちへのメッセージも、ぜひとも多くの人たちに受け取ってほしいです。
 「幼稚園中退」を語った小田嶋さんに救われた、という人もいます。
 
 こうした先達たちから、視界が開かれるような言葉をいっぱいもらうことができたのは、今号の大きな財産になりました。
 同時に、矢萩多聞さん、森田真生さん、瀬戸昌宣さんら、私同様、ちいさな子をもつ同世代の人たちの等身大の声を収録できたことで、『ちゃぶ台』に熱い血が通いました。
 高知県土佐町でおこなった森田さんと瀬戸さんの対談と、森田さんの書き下ろしエッセイ「世界のすべてを」は、当事者としての揺らぎと教育を真に考える者だけが持ちうる意志みなぎる、必読の二本といえます。
 
 「先生が一方的に正解を握っている近代的な「学校」という枠組みは一度あたまから消し去らないと、本当の「教育」については考えられないんだろうなと思います」(森田)
 「余計な枠組みで縛りたくない。ただただ子どもの邪魔をしたくない」(瀬戸)

 こうした言葉がこの本の血となって、これからの時代をつくる力強いエネルギーになっていくことを信じています。
 冒頭にも述べたように、『ちゃぶ台』は結論を提示する雑誌ではありません。あくまでも手がかりを示しているにすぎません。そうした手がかりをもとに、一人ひとりが自分たちの持ち場で動きながら、本誌で述べられたことが、「そうだよね」という時代の常識に、これからの時代の前提になっていくことを願ってやみません。

*イベントのお知らせ* 

『ちゃぶ台Vol.3』と『うしろめたさの人類学』の刊行を記念したイベント、「"これからの人間"にはうしろめたさが要る?」を12/1(金)に代官山蔦屋書店さんで開催します!
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