「働くからだ」のつくり方

第6回 スリッパって、意外と危険!

2017.05.26更新

 前回は、手術を受けた病院を退院したところまでのお話でした。
 リハビリ病院に入院する前に、準備のため、いったん自宅マンションに戻りました。これまではパジャマを着て一日中ベッドの上で横になっていましたが、リハビリ病院では起きたまま過ごすことになるとか。そこで、カジュアルな部屋着などが必要になるのです。

 一カ月ぶりの我が家。この間に起こったことを考えると、ほんとうに信じられないような気持ちです。
 ほっとする間もなく、慌ただしく準備を開始。ところが、情けないほどからだが動かない。クローゼットから洋服を出す、それを箱に詰める――そんな何でもない動作がとてつもなくたいへんなのです!
 うっかり床に物を落としてしまったら、もう、それだけで涙目です。
 しゃがんだり、かがんだりすることが難しいので、菜箸を使うことを思いつきました。転ばないよう、何かにつかまりながらそろそろと腰を曲げ、落ちたものをつまみ上げて......。

 そのとき、病室にお見舞いに来てくれた知人の話を思い出した。彼女が腰の手術をしたときのこと。からだが思うように動かないので、「料理で使うトングで物を拾っていた」というのです。
 わたしの場合、腰というより、股関節のあたりを曲げられなかったのですが、状況はほぼ同じ。「便利だから、トング、使ったほうがいいよ」というアドバイスが、ようやく腑に落ちました。
 なるほど、菜箸よりはトングのほうが物をつかみやすい――退院後、長めのトングを買いに行ったことは、言うまでもありません。調理器具にも、いろいろと使い道があるものです。

 予期せぬ入院で一カ月家を空けていたのですから、たまった郵便物の整理など、やりたいことはたくさんある。とはいえ、最低限の入院準備だけでいっぱいいっぱい。不自由なからだでは、ほかのことは危なっかしくて手を付けられません。もしもリハビリ病院に行かずに、家で療養する選択をしていたら、どうなっていたことか。自分の判断は正しかったと胸をなで下ろしたのです。
 病室とは勝手が違うので、ただ単に部屋の中を歩くだけでもおっかなびっくり。もちろん、室内でも杖はついていましたし、トイレなどの手すりにも助けられました(ほんとうにあってよかった!)。それでもスリッパだと、どうにも足元が不安定なのです。

「これは怖い」と感じ、すぐにスリッパを脱ぎました。
 のちに知ったことですが、一般的なスリッパには足をホールドする機能がなく、脱げやすいため、筋力が弱っている人には不向きなのだそうです。
 健康なときは、まったく気にならないこと。でも、自分のからだが弱ったことで、その危うさを直感的に察知したのでしょう。

 退院後2年が経った今も、わたしの脚の筋力は依然として弱々しく、歩くとすぐに疲れてしまったり、膝が痛くなったり。もちろん、外で履く靴も見直しましたが(これについては、語ることがたくさんありすぎるので、また回を改めます)、スリッパに関しても試行錯誤をしたのです。
 退院後は、パカパカするスリッパは捨て、低反発の素材を使った甲の深いものを履くようにしました。以前よりは安定感が増しましたが、それでも足首がグラグラするときもある。それが膝や股関節にも響くので、いろんな人に相談したところ、「スリッパをやめて、室内でも靴を履いたほうがいいのでは?」と助言されたのです。
 あれこれリサーチし、考えた末に、靴同様に5ミリ刻みでサイズが揃うドイツ製の室内履きを購入。すると、足がしっかりと支えられ、ようやく歩行が安定したのです。「家の中で歩く距離なんてたかが知れている」などと、あなどってはいけないと実感しました。高齢者の方や、腰や膝に重大な痛みがある人は、今使っているスリッパを見直してみてはいかがでしょうか。

 そもそも、「室内では常にスリッパを履く」という習慣は欧米にはありません。基本的に、家の中でも靴を履いたままなので、当然のことでしょう。
 意外かもしれませんが、スリッパは日本生まれの履物なのです。明治初期、日本にやって来た「お雇い外国人」のために、靴を覆うオーバーシューズとして考案されたのがはじまりだとか。土足のまま家に上がってほしくないから、それを覆うものを用意したということでしょう。
 その後、西洋風の生活様式が一般家庭にとり入れられるなかで、履きやすい室内履きとして普及したのだと思われます。
 が、問題は靴としての機能です。一般的なスリッパはサイズもないので(あったとしてもS、M、Lくらい)、足にぴったり合うわけではない。ラクに履けるけれど、からだには無理がかかるらしいのです。

 そんなスリッパの危うさに誰も疑問を抱かないのは、靴や足の健康に関する知識が圧倒的に乏しいからではないでしょうか。
 日本で最初に靴(ブーツ)を履いたのは坂本龍馬だと言われています。ですが、一般庶民に靴が広まるのはもっと先。戦後になってからだと考えられます。つまり、日本人が靴というものと出会ってから、まだ日が浅いのです。
 下駄やぞうりの暮らしが長かった日本人は、靴とのつきあい方がよくわからない。西洋のように、「靴の正しい履き方」や「靴の選び方」を子どものときにきちんと教わることもありません。
 たとえば、赤ちゃんが歩けるようになったときに履く「ファースト・ベビーシューズ」も、欧米では、かかとの部分がしっかりした革靴が基本。骨が発達していない幼児に、ふにゃふにゃした頼りない靴をはかせることは、からだ全体の歪みにつながると認識されているからです。
 一方、日本では、「硬い靴はかわいそう」などと言って、柔らかい素材のものを履かせることが多いのです。

 また、保育園や小学校でも、上履きといえば布製のものと相場が決まっています(ちなみに、上履きも日本独特のものだそうです)。しかも、「すぐに大きくなるから」という理由から、ブカブカのものを履かせてしまうことが少なくない。
 やわらかい布の靴や上履きは、かかとがホールドされないのでからだにはよくないのだそうです。足元が不安定だとバランスの悪い歩き方になり、それが足や腰、膝などに負担をかけてしまうのです。
 スリッパといい、上履きといい、履きやすさを重視するあまり、機能面では問題が多いということ。おじさま方がオフィスで好んで履く「健康サンダル」も同じでしょう。しかも、ラクだからと大きめのものを履いて、ペッタンペッタン音をたてて歩いている。あんな歩き方をしていては、かえって「健康」に悪そうです。
 足と靴については、ほんとうに考えさせられることばかり。
リハビリをきっかけに学んだことのなかで、もっとも衝撃を受けたのは、靴にまつわる問題だったかもしれません。

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かじやま すみこ

ノンフィクション作家。神戸大学卒業。テレビ局制作部勤務を経て、渡米。ニューヨーク大学大学院で修士号取得。アーティストや企業経営者の人物ルポのほか、女性の生き方・働き方、ソーシャルビジネスなど幅広いテーマを追いかける。書評家や放送作家としても活動中。
2014年秋、交通事故に遭ってから、からだについて深く考えるように。歩くこと、座ること、車椅子の座り心地……。見過ごされがちな、だけど大事なあれこれを掘り下げる日々。
主著に『紀州のエジソンの女房』(中央公論新社)、『そこに音楽があった 楽都仙台と東日本大震災』(文藝春秋)、『トップ・プロデューサーの仕事術』(日経ビジネス人文庫)、『35歳までに知っておきたい最幸の働き方』(ディスカヴァー21)など。

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