ヘンテコ医学史漂流記

第16回 饅頭の箱のなかから

2016.06.22更新

 前回に引き続いて、医史学界の「インディ=ジョーンズ」、小曾戸洋先生のもう一つの大発見についてお話しましょう。今回ご紹介する話は、私もリアルタイムで経緯を見聞きしたので、非常に印象深く残っています。

 2011年の5月のある日、小曾戸先生は研究室でガックリ落胆したご様子で、ビールをあおっておられました。どうされたんですか? とお伺いすると、『小品方(しょうひんほう)』に匹敵する"幻の医書"が出現したらしい、との情報を得て、千葉のほうに出かけたのだけれども、すでに失くなってしまっていた、とおっしゃるのです。
 私が身を乗り出して、えー!? もう少し詳しくお聞かせくださいよ...と言いますと、小曾戸先生は次のようなお話をされました。2008年に館山市の博物館で「村の医者どん」という小さな展覧会が催されて、地域に伝わる医学史の資料が展示されたそうです。そのときに発行された図録に載っていた、一枚の小さな写真が小曾戸先生の共同研究者の目に留まりました。これは14世紀以降行方不明になっている"幻の医書"、『孫真人玉函方(そんしんじんぎょくかんほう)』ではないのか??

 私も「村の医者どん」の実物パンフレットを見せてもらったので覚えているのですが、よくぞ見つけたなぁ! と思うぐらい小さな、見落としそうな写真で、本職の歴史学者の目利きぶりに驚かされました。
『孫真人玉函方』の著者、孫思邈(そんしばく)は7世紀に活躍した医学者・神仙思想家で、史上初めて導尿術を行ったり、ヒツジの甲状腺を使ってヒトの甲状腺機能低下症を治療したと言われます。彼が著した「備急千金要方」「千金翼方」という医学書は現在に至るまで活用されているテキストです。しかし、長きにわたり隠遁生活を送り、皇帝から繰り返し朝廷に仕えるよう召し出されても断り続けたので、伝記に謎の多い人物です。

 あるとき、ひどい旱魃(かんばつ)が起こりました。宮殿の庭に設けられた広大な池も次第に水位が下がり、皇帝は高僧を招いて雨乞いの儀式をさせましたが埒があきません。
 そんな折、孫思邈の前に見慣れぬ老人が姿を現します。老人が言うには「私は宮殿の池を守る龍神の化身です。雨乞いをやっている高僧は霊力がなくてどうにもなりません。このまま旱魃が続けばわれわれの命が危うくなります。どうかお助け下さい...」
 孫思邈は「あなたがお住まいになっている龍宮に、門外不出の医学書があるという伝説を聞きました。その医学書を見せていただけるならお助けしましょう」。老人はしばらく困った様子でしたが、孫思邈が人々の健康に役立てたいと熱心に懇願するのでついに折れ、医学書の公開を約束しました。孫思邈は「どうぞお帰り下さい。もう池の水位は回復しているはずです」龍神が池に戻ると果たして池の水が満ちていました。後日、老人は玉手箱(玉函)に入った処方集を持って現れ、孫思邈に感謝の意を表しました。

 医学知識にも通じ、龍神に頼られ、自然現象も左右できる...こんな人物がいたら、いまの私たちなら超人・スーパーマンだ! と言うでしょうが、当時の人々は、大自然の法則を体得し、それに則った生き方(=「道」)を真に極めた仙人だからこそ到達し得る境地だ、と尊崇し、彼を「真人」と呼びました。まるで超能力者のような孫思邈のほうが「真の人間」であり、自然の摂理に逆らって好き勝手している我々凡人のほうが「真人間ではない」というのはヘンテコのように思われますけど、私はこういう昔の人の謙遜したものの見方が嫌いではありません。

 孫思邈が龍神に教えてもらった秘伝処方を書き写した『玉函方』は、その後どうなったかというと、『小品方』や『傷寒論(しょうかんろん)』と同じように、宋時代に出版されました。それが日宋貿易で鎌倉時代のわが国にもたらされ、執権北条実時が設けた金沢文庫に蔵書として収められたのですが、室町時代以降は行方不明となり、中国本土でも失われた書物となってしまいました。「村の医者どん」の図録に載っていた『玉函方』の写真には、「金沢文庫」の蔵書印が見えたので、これは大変なものかもしれない! と小曾戸先生たちが色めき立ったのです。

 写真の史料を博物館に提供したのは地元の和菓子屋さんで、ご先祖様は『里見八犬伝』で知られた安房里見家に仕える家臣というお家柄。ほかにもいろいろな歴史的史料を所蔵しておられました。小曾戸先生たちは了解を得て早速調査に取り掛かろうとしましたが、肝心のモノがいくら探しても見あたりません。確かにここに入れておいたはずなのに...という饅頭の空き箱は空っぽ。ほかに無くなっているものは一つもないのに「玉函方」だけが見つからないのです!
 小曾戸先生は手ぶらで調査させてもらうのは失礼と、菓子折りを持参して向かわれたのですが、まさか行った先が和菓子屋さんとは知らず、まさか行った先でお目当ての実物だけがないという結果に終わるとも知らず、菓子折りをそのまま持ってしおしおとお戻りになりました。私はプレゼントされなかったお饅頭をいただきながら、小曾戸先生の歎きをひとしきり聞いていました。なんであれだけがないんだろう...まさか、中国人窃盗団にやられたのでは...いやいや、先生、あの史料の価値は先生たちしか知らないはずですから...じゃあ捨てちゃったのかなぁ...なんであれだけ捨てちゃったのかなぁ...。

 ところが、それから1年後、またもや仰天ニュースが飛び込んできました。別の饅頭の箱から『玉函方』が出てきたというのです。その日の晩は小曾戸先生たちと夜通し祝杯を挙げたことは言うまでもありません。今度は饅頭ではなく、なけなしの研究費をかき集め、お礼を用意して訪問されたそうですが、和菓子屋さんは丁重にお断りになったそうです。
 調査の結果、孫思邈が龍神から教えてもらったという処方は30にも上ることがわかりました。それらの多くが他の医書にすでに記載されている内容と類似していることや、鎌倉時代に書かれた本邦の医学書が『玉函方』を参考にしていたことも明らかになりました。
 小曾戸先生の鑑定では、数千万円(!)はくだらない、という価値の古文書なのだそうですが、饅頭も調査費も受け取らない和菓子屋さんは、なんと無償で「村の医者どん」を催した地元の博物館に寄贈されたそうです。無欲な仙人であった孫思邈は100歳を超える長寿に恵まれましたが、彼が遺した宝物がそれに相応しい人々の手で大切にされてきたと思うと、なんだかすがすがしい気持ちでいっぱいになるのです。

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津田篤太郎(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。

子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

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