作家の方々は、本屋さんとどんなつきあい方をしているんだろう。
自分が書いた本が並べられる場所にたち、どんなことを感じているのだろう。
そんな素朴な疑問からたちあがった連載です。
毎月、気になる作家さんに、本屋さんの「お話」をうかがいます。
本屋さんと私 ―― 井上章一さん編
第7回 もし私が本屋さんだったら
「はっはっは(笑)」
―― もし本屋さんだったらどんな本屋さんにしたいですか?
井上あの、そうですね。品揃えによって来るお客さんはある程度コントロールできるわけでしょ。
―― そうですね。そこがポイントですよね。
井上ポイントですよね。で、とりあえず、本屋として儲けようとは考えないというのを前提にすると。例えばですね、若い女の人だけが集まりそうな本屋はつくれますよね。はっはっは(笑)。
―― つくれますね(笑)。なるほど。
井上で、その本屋はグランドピアノが置いてあるんですね。
―― (笑)。そっちですか。
井上で、まあ書店ではよくBGMが流れてますが、私の脳に描かれた本屋では、そのBGMを私が弾いてるんですね。
―― (笑)。はい、なるほど。
井上多分、グランドピアノの面積分書棚がもったいないという話になるんだと思いますけれども。
―― 「本を置けよ!」と、店長からいわれるだろうと。
井上はい。まぁでも、わざわざ吹抜けをつくっている書店だってあるじゃないですか。
―― あります。
井上あれだってまぁ、グランドピアノ以上にフロアをつぶしてるわけですから。
―― いまは、お客さんを快適に、というのがすごい重要視されますからね。
井上あぁ〜、本をつめこむだけが能ではないと。
―― そうです。回転率だけやないと。
井上そうそうそう、美術本に多いと思うんですけど、回転率だけではないかのように、なんか「床の間に一冊」みたいな感じで置かれてるのもあるじゃないですか。
―― あります あります。床の間わざわざ用意して。
井上あそこに置かれたい。
―― あそこに置かれたいですか(笑)。
井上あそこに置いてある自分の本をみたら、すっごい嬉しいんじゃないかと。
―― そりゃあ、嬉しいでしょうね(笑)。
井上まぁ、でもね。ああいうところに置かれる本って言うのは、そんなによく売れる本じゃあない。それよりは、凝った作りの装丁で、やっぱりお金がかかってる本ですよね。
―― そうですよね。
井上だから、あんまり薄利多売を狙う本はね、置かれないですよね。
―― う〜ん。そうかもしれないですよね。
井上はい。で、私はやっぱり、装丁よりも多売のほうに興味がありますから、矛盾してるんですよ。
―― あそこに、どーんと多売? っていうのも、似つかわしくない......。
井上うん。
―― だいたい一点ものですよね。あそこにどんと山積みは......。
井上山積みはちょっとみっともないもんね。
私の初CD『アダルト・ピアノ』、あれがね(笑)。
井上章一さんの初CD『アダルト・ピアノ』
―― 井上先生が本屋さんだったら、グランドピアノを置くわけですね。
井上女の子が興味もちそうな本だけを並べる。
で、ピアノを弾きながら本探しの相談に乗ってあげるおじいさん。
―― それは超贅沢な(笑)。
井上そうですね。
―― 『アダルト・ピアノ』の中に書いてらっしゃる老後の楽しみは「ナイトクラブでピアノを弾く」というのは......。
井上ナイトクラブから声がかかるということはまずないと思います。
『アダルト・ピアノ』(PHP新書) |
―― そうですか(笑)。あの本出してもですか。
井上ないです、ないです。
―― それを本の世界で実現すると。
井上そうですね、それでちょっと悔しいのが、『アダルト・ピアノ』も、あんまり音楽のコーナーに置いてないです。
―― (笑)。あ、そうですか。
井上まぁ さすがに、エロ本の棚ではまだ見かけませんがね。
―― それでいうと、『伊勢神宮』のあとがきに、ジャズからクラッシックに移ったと書かれてますが。
井上そうですね。
―― それは驚きです。
井上ちょっと傲慢な言い方なんですが、やっぱり、10何年もピアノに関わってると、耳が肥えてきてね。
例えば、若い頃にベートーベンの、ピアノソナタっていうのを聴いたことがあったんですが、あとがきに書いたECMっていう会社。ジャズの銘柄なんですが、ついでにクラッシックもまぁちらほら出していて。その、ECMから出てるベートーベンのピアノソナタのレコードを、たまたま渋谷の試聴コーナーで聴いたら、それがね、すごく面白くってね。
―― ほう、面白い。
井上なんていったらいいのかな、もちろん譜面通り弾かなあかんのやけれども、杓子定規の譜面通りじゃなしに、少しずらしたり構成が面白いんですよ。
―― へー。
井上再現部ってあってね。譜面ではおんなじ音なんやけど、2回目の時に、1回目とちょっと違うニュアンスの弾き方をしているとか。そういうのが面白くってね。
アンドラーシュ・シフという人のベートーベンのピアノソナタ(とりわけ、32番は絶品)。
多分これ、昔ならわからなかったんですけど、クラッシックも聞きようによっては面白いな、と思いました。
―― へー。聴いて違いとかわかるもんですか?
井上そうですね。
―― スタンダードがこれで、それに対してこうしてるな、と。
井上ま、例えば4拍子なのに、ちょっと4拍子からずれたりするんですよ。
―― ジャズ風ってことですか。
井上ジャズ風というんでも特にないです。ものすごくデリケートなずらし方ですね。
多分、キーボードを押すタッチが違うんだと思うんだけど、曲のいろんなところで押え方が全部違うんですよ。いろいろ工夫してるのが聞こえるんです。
―― なるほどなるほど。
井上で、これ、こういう細かいこだわりはジャズのミュージシャンにはないし、あぁ やっぱり奥が深いもんだなって思いました。
例えば、おんなじネタをやっても、なくなった枝雀がやるのと米朝さんがやるのとはで、ニュアンスが違いますよね。
落語の中で、客が酔っぱらうような場面がありますが、客っていうか、登場人物がね。ハチとクマやったら、クマが酔うている。ハチはしらふでクマをいさめるっていう役なんですけども、若い頃のざこばなんかは、朝丸のころですけど、芸が未熟やったんかな、話が始まった直後のクマの酔い方と、話が終る頃になる酔い方がおんなじなんですよ。
―― なるほど。
井上酔い方に変化がない。
ところが、米朝なんかだと、段々酔い方が深まっていく。
―― へー。
井上しかも、ハチのつっこみによって、その酔いのニュアンスを変えてたりとか。そこがまぁ、古典落語のおもしろいところやと思うんだけど、それが、傲慢ないいかたなんですが、ピアノでも読みとれるようになったと。そういううぬぼれを書いてるんですね。
―― それは、すごいですね。
井上だから、この前お渡ししたと思うんですが、私の初CD『アダルト・ピアノ』、あれがね(笑)。やっぱり耳の肥えた私には、やっぱり聴くに耐えぬ部分が多いんですよ。
―― 自分で弾かれたものが......。
井上はい。
―― あれ、収録っていつでしたっけ?
井上7年の8月の中頃ですね。
―― もう、じゃぁ、日進月歩で耳が肥えていってると。
井上いや、あのときから耐えられへんかったんですよ。
弾いてるときはわからないんだけど、後でCDに入って客観的に聴くとね。
―― あぁ〜 なるほど。
井上はい。つまり、13年間トレーニングしたおかげで、耳が肥えたんですよ。
―― そうかぁ。で、まだ耳のレベルに腕はついていけてないと。
井上そうなんですよ。耳の方が肥えてしまって、指が肥えないんですよね。
―― いやいや、そんなことないですよ。
井上ジャズは、例えば三枝のやる新作みたいなもんですね。
―― ええ。
井上曲をいじり倒しますから。
ですから、本当にピアニストの力量を聴き分けようと思うと、決まった古典のネタを、どう処理するか、その腕前とかで見えてくるんじゃないかと思いますね。もちろん、そんなのには向いてないっていう人なら、ジャズをやらはったらいいんやし。
―― そうですね。
井上ムリに八方あたりへ古典やれいわんでも。
ま、八方でも、古典はやらはんねんけどね。
―― 古典をやると、落語でも音楽でもなんでもそうだと思うんですけど、やっぱりある
程度調教的な訓練を経てないとやっぱりムリなもんなんですか。
井上かもしれませんね。
ベートーベンのピアノソナタをアンドラーシュ・シフというピアニストがやってるECMのやつなんですが、けっこう崩してるんです。が、大枠のところで崩さないんですよ。
―― なるほど。
井上別の、アファナシエフというピアニストがブラームスを弾いてるアルバムがあるんですが、これなんかは型を崩しすぎてるんです。
―― はい。
井上ものすごくテンポをゆったりとってね、ちょっと思わせぶりすぎるんですよ。
―― へー。
井上そうなると、面白いかもしれないけれど、台本と違うやないかと。ポリーニのショパンは、圧倒的に美しい。でも、これがショパンかという想いもいだかされます。
で、台本どおりに弾かなあかんっていうのが、いわばミュージシャンに課せられた縛りなんですよ。
―― そうですね。
井上縛られて、縛られたまま木偶の棒になってしまうと面白味も何にもないんだけど、縛られながらのたうち回る、縛られた範囲で。そこに、古典のあじわいがある。SMショーの比喩になってしまったけど(笑)。
調教された上で、その調教に収まりきらへん何かを出す。その何かに、古典をたのしむかんどころがある。
―― なるほど。それで聴かせる人が一流。
井上そうなんじゃないかな、と思うようになりました。
―― あくまでも縛られてるんですね。
井上縛られてるんです。
「おれはそんなつもりでかいたんちゃう」
井上縛られてるっていうのは、もう一つ別のことなんですが、アンドラーシュ・シフに限らず一流と言われるピアニストがやってることを見ると、ものすごいデリケートなんですよ。作為にみちあふれている。
―― はい。
井上でね、作曲家がこんなに丁寧に扱われることを果たして考えられてたやろか、っていう気もしますね。
落語の古典のネタなんてあほらしいもんが多いじゃないですか。
―― たしかに。
井上それをもう......50年、100年の歴史の積み重ねのなかで磨き上げられて、今の芸があるわけでしょ。でも、原作者は、そんな長続きするやろ思ってないだろうと思うのです。
たぶん、ベートーベンなんかは意図的に長持ちすることを考えたと思うけど、ハイドンとかモーツアルトとかはあんまりそんなこと考えてないと思うんですよね。
―― 大量につくってますもんね。
井上大量につくってはるし。だけど、今の世のピアニストや、いろんな人たちが練りに練って、そうとう神経質にやるようになってます。
例えば、ベートーベンの運命「ダダダダーン」っていう冒頭の部分あるじゃないですか。
―― はい。
井上あれ、指揮者でね「ダダダダーン」の、あのタイミング、全然違うんですよ。
―― えー。
井上「ダッダッダッダーン」でやる人もいるし、「ダダダダーン」の人もいる。
誰のコントロールか、オーケストラによっても違います。
どんな指揮者が来ても、「いやぁ うちのオーケストラは伝統的にダダダダーンでやっている。ダッダッダやダーダーダーはこまります」というふうに言われりゃ指揮者の方も納得するやろうし。
あとはその、パラフレーズするところね、「ダダダダダダダダダダダッダッダッダーン」といくところは、最初から「ダダダダダダダダダダダッダッダッダーン」となってないんですよ、譜面は。
―― へー。
井上リタルダンド、つまりしだいにおそくという指示全然なしに、全部おんなじ16分音符が並んでるんですよ。
でも、あれは200年の伝統の中で、だんだんテンポを落としていったんですね。だから、作曲者が聴いたら「オレはそんなつもりでかいたんちゃう」と。
―― 作曲者がベートーベンの頃だとどんな感じになるんですか?
井上それはもう記録が残ってないからわからんとしかもういいようがないんです。
―― 記録がもうないんですか。
井上だって、録音がないしね。
―― そっか、そうですよね。そうか、今の形でしか再現はできないわけですよね。200年経って受け継がれてきて、どっかで変化したかたちしか僕たちは聴けない。
井上そうはいうものの、200年間いじり倒してきたっていうことはすごいことですよね。
それで、作曲者も想像しなかったほどデリケートなつくりになってしまってるんでしょうね。
―― そうですね。
井上で、そのピアニストも、今までの伝統を十分意識しながら、自分の味わいをそえていったりしはるんですよ。
例えば、ウィーンフィルハーモニーが、「ウィンナワルツ」をやると、ちゃんとした三拍子にならへんわけです。変なひっかいたようなリズムでやるんです。
―― へー。
井上これを、極論する人は、ドナウ川の産湯で育った人じゃないとつかめないリズムだとかいうように言うわけです。
ところが、さすがに20世紀になると録音が残っています。すると、そのリズムが1940年頃に登場して後に段々誇張されていくことを読みとれるんですって。
―― なるほどなるほど。
井上おそらく、ナチス支配下に同じドイツ帝国の中に編入された時、ウィーンの反ドイツ感情が高まってウィーン的なものをこしらえてったんじゃないかっていう風にも解釈できる。
―― なるほど。ものすごい特徴的に、「これがウィーン的だよ」というのをつくったと。
井上はい。ま、そういうふうに説明すると、やや社会学っぽくなるんで、ほんまのことはわかりませんけどね。
―― おもしろいですね。
そういうのを研究すると面白いですよね。
井上ま、音楽学の人がやらはるんやと思いますけどね。僕にはまず、そこまでの耳はないし、系統だって聞く時間がないし、無理です。
次回「『伊勢神宮』を語る」をお届けします。
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