作家の方々は、本屋さんとどんなつきあい方をしているんだろう。
自分が書いた本が並べられる場所にたち、どんなことを感じているのだろう。
そんな素朴な疑問からたちあがった連載です。
毎月、気になる作家さんに、本屋さんの「お話」をうかがいます。
本屋さんと私 ―― 井上章一さん編
第8回 「『伊勢神宮』を語る」
「井上のやり方は、いつまでもやることができる」
―― 井上先生の書くものは、本のテーマだけを見れば、すごいジャンルにわたってますよね。
例えば、『パンツが見える。』『愛の空間』、『美人論』はそこに入るかわからないですが、そういう「エロ系」(笑)。今回の『伊勢神宮』『つくられた桂離宮』などの建築系、『阪神タイガースの正体』『関西人の正体』などの地元系、『名古屋と金シャチ』『人形の誘惑』などの「人形系」、『アダルト・ピアノ』など趣味系ですとか。
井上はいはい。
―― ご自身のなかでジャンル分けとかされてるんですか?
井上ちょっとわかりませんが、ある人に言われたことで、ひょっとしたらそうなのかもしれないなと思うんですけど、「井上のやり方は、いつまでもやることができる」と。
―― なるほど。
井上「井上は、そもそも志が乏しい。資料があれば技術的に処理ができる方法を使ってる。それに比べ、オレたちの場合は、魂を込めて書いてるんで、書き終わったらちょっと灰になるくらいやけど、君のやり方やといつまでも書き続けることができる」と。あんまり褒めた言い方じゃないんよね、これ。
――(笑)。
井上僕はあんまり、そんな使命感がないので、もう興味本意ですよね。
興味本位ですけども、ただ、こういう『伊勢神宮』みたいな本ですとね、多くの人が論じてるテーマですから、論じ手ごとに評価に違いがあるところらへんが面白いわけです。
―― そうですよね。
『伊勢神宮』(講談社) |
井上研究者なり、評論家なりが、伊勢神宮をどう書くか。彼らの書いてきた論文や批評文は、いっぱいあると思います。が、3つ4つ読んでいくと、著者によって論点の置き方が違ってたりするところらへんからね、いろんなものが見えてくる。論者によって違うっていう、そこのところがとっかかりになってますね。いろんな本の。
それは、ひょっとしたら、むりやりつなげると、ベートーベンのピアノソナタがミュージシャンによって違う表現になったりするとか、そういうところが面白がられたりするのとおんなじかもしれません。
で、だんだん、調子に乗ってくると、どうして違うんだ? っていう背景にみみっちいポリティックスを読むようになったりするんです。
―― あー。
井上「この人は1960年代に学問的青春を送ったからこういう論じ方になってしまったんだ」とか。「この人は京大のこの教室にいたからこうなってしまったんだ」とか。「ウィーンフィルのウィンナワルツは、1940年代のナチズムをへたから、あんな三拍子になった」というようにね。
―― それが、ご著書の醍醐味ですよね。
井上まぁ、そう言っていただけると、ありがとうございます。
「やっぱり建てかわった直後が綺麗です」
―― 最新刊『伊勢神宮』、ついに完成ということでどうもお疲れさまです。すごくおもしろく読ませていただきました。
井上ありがとうございます。
―― めちゃくちゃ力作ですね。
井上あー、そうですね。力こぶははいってるかもしれません。
―― 伊勢神宮へは何度も行かれたのですか?
井上今までで、4、5回あるかな。
―― 伊勢神宮では、定期的に社殿を建てかえるんですよね。
井上20年に一度、やっぱり建てかわった直後が綺麗ですよ。
―― やっぱりそうですか。
井上文句なしに綺麗やと思いました。
でも、今はずいぶん痛んでますけれども。それでも構え自体は立派ですよ。立派ですけど、やっぱり茅葺きの茅が、歯抜けになったりしてるし、みすぼらしくなってるなっていう印象はどうしてもあります。
できたときは檜がキラキラ輝いてますからね。
―― それはやっぱり綺麗ですよね。
井上専門の建築家たちは、そんなことは建築をする人にとって表面的なことでしかない、というふうに言うのですけど。
それでも、建てかえの直後が、見てくれはいちばんいいと思いますよ。
―― はい。
井上でも、なんか、味わいとしたら、エビの踊りとかね、カレイの活け造りとかね、とれたてを味わわないとすぐ値打ちが落ちるような、ああいう食品の味わいに似てるんじゃないでしょうか。
―― なるほど。
生鮮食品っていうことですか。
井上生鮮食品ですね。生ものですね。
檜がまだぴちぴちしてる頃が、まぁお見得っていうか。まあ、数百年もつ檜を、表面がきれいなあいだだけしか楽しまないのは、表面主義、面喰いがすぎるとも思いますが。
―― 次はいつされるんですかね?
井上3、4年後やと思います。
その直後が、相当ひねくれた人でなければ、綺麗だと思えると思いますよ。
―― そうですか(笑)。
ちなみに、今の伊勢神宮は、古代の建築様式なわけではないのですよね。
井上そうですね。あれはもう現代建築ですね。
―― 2000年前の姿を目にしてるんだっていう幻想を抱きがちだとみんな思うんですけど、そうじゃない。
井上結局は、伝言ゲームですから。
ちょっとずつずれてしまいます。
ですから、もともとどんな格好してたかわからないとしか言いようがないですね。
―― なるほど、そのあたりの様式の変遷のことなんかも、この本で知ってもらい、それから伊勢神宮に足を運んでみるのも楽しそうですね。
井上はい。
「僕の中では在庫の総ざらいです」
―― こんだけ時間かかった理由がそれだけ先生の中でも大きな思いがあったというふうにもとれるし、一方で、「あとがき」にもあったように、一つは建築史に対してのモチベーションが薄れていったというのもありますか?
井上薄れていきましたね。ちょっと自嘲ぎみに言うと、僕の中では在庫の総ざらいですよ。
―― そうですか(笑)。
井上はい。在庫処分セールですね。
―― もともと工学部建築学科の卒業で、最初から建築史がご専門ではなかった。そういう中で始めた建築史研究の集大成と位置づけられる一冊ですよね・
井上あぁ そうですね。はじめからなんですが、僕はね、もともと現代建築に興味を持ってたんです。けど、そうですね、京大の人文研の中では、現代建築についての話をほとんどふっかけらませんでした。古いものの話をよく聞かれますし、「君、いつもモダンなんかつまらんものにこだわってなくって、別に法隆寺からやってもかまへんやないか」というふうに言われたことがありました。
―― はい。
井上だけども、今更そういう古い時代の『日本書紀』から丁寧に読むなんていう仕事を、古代史の人から納得してもらえるようにやれるとは思えなかったですね。それよりも、古い建物を、近現代人がどういうふうに読み替えていったのか、そういう仕事なら、できると思いました。それこそ、ウィンナ・ワルツにだって変化があるようにね。別にドナウ川の産湯に浸かった人じゃないとできないリズムではなくって、ある時代に作られた部分であるわけですし。
―― そうですね。
井上で、やっぱり自分が建築育ちだなと思うのは、このごろはちょっと自信もないんですが、一頃は、建物を見るとそれが大体何年頃にできたか、わかったんですよ。
―― はー。
井上特に近現代のものは比較的自信のあったときがありました。
どんなにがんばろうとした表現でも否応無しに時代に捉えられてる部分があります。論文なんかを読んでも、「あー、これは戦後すぐの論文やな」というのがわかる。論旨なんて関係ない。とにかく論文の「書き方」で見えてくるもんがある。そういう、いわば「学問の様式史」みたいなものができるんじゃないかと、思うようになりました。
同じように、人文社会系の論文もそれぞれの時代の様式に捕われてるし、また出身大学に捕われてる部分もありますし。
―― そうでしょうね。確かに。
井上学会の主流に捕われてる部分もある。
―― 『つくられた桂離宮神話』を書かれたころは、先生以外に、そういう手法というか、そういう書き方をされていらっしゃった方はいますか。
井上周りにですか? 自分の周りにはあんまりいなかったように思いますね。あとでね、『桂離宮神話』の「あとがき」でも書きましたけど、「君、それは知識社会学だ」と言われたことはありました。私はそもそもそういう学問があるとは知らなかったので、「へー」というふうには思いました。
『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫) |
―― そうですか。
井上内藤湖南に『先哲の学問』という本があるんですが、その本で、富永仲基が紹介されています。富永仲基という人は仏教の研究を試みた大阪の商人なんですね。18世紀前半の。その富永仲基は「仏教の教団によって釈迦の言葉が違うのはなぜだ」ということと、「ほんまに釈迦がこんなこと言うたんか」ということを問いただします。
―― はい。
井上もしなんか言うたとしても、宗派によって釈迦の言葉を違うように描いているのはどういうことだ、ということを考える。で、彼なりに仮説を立てたんですね。「後の時代にできた教団ほど、釈迦の言葉を麗々しく飾り立てる傾向がある」、と。
―― あぁ、なるほどなるほど。
井上大げさなやつほど時代は下がってるんだ、っていう仮説を立てた。
で、これって知識社会学っぽくないですか?
―― そうですね。
井上私はそれでね、社会学の人に「井上くん、君のやってることは知識社会学だ」って言われたことにたいして、「いや自分は富永仲基のこころざしをうけついでいるのだ」と見栄をきりました。すると、「富永? それでは学問にならない。知識社会学ならマインハイムからはじめなければいけない」と反駁された。
―― そうですか。
井上社会学はつくづく舶来趣味やなぁと思いましたね。
フーコーとか、そういう名前を並べないと学問にはならないというのはいったい何なんだ? と。
―― なんなんでしょう。
井上私じしんはそんなに国粋主義でもないつもりですけど、社会学って、なんかふがいないような気がしますね。
「とにかく読んでください」
―― でもこうして15年の時を経てこうして完成されて、今はどういうお気持ちですか?
井上いえ、まぁ、「終りました」っていう。
―― 全部、在庫処理だったんですかね。
井上在庫処理でしたかねぇ。あの...ダンボール2箱半くらい紙の山と、考古学建築史がらみのうんざりするような数の本が処理できました。
―― 実際的に。
井上実際的にね。
―― 先生の中でも建築史系の本としてはしばらくはないな、という感じですか。
井上まぁ、もともと好きで始めたテーマですから、著作を世に問うみたいな気負いがなくなって、娯楽で、建物巡りとか、そんな文章も書くような仕事ができたらいいなと思ってますけど。
―― それいいですね。
井上こんなに力こぶをこめたようなものはもうええ、と思ってます。
―― 最後にひと言だけ、先生の本を一冊も読んだことのない人たちもいると思うので、ひと言メッセージをいただけますか。
井上どんなメッセージを。
―― いや、まぁ。
井上とにかく読んで下さい。
―― (笑)。

