本屋さんと私―― 福岡伸一さん編
第3回目の「本屋さんと私」のゲストは、福岡伸一先生です。
福岡先生、8月のある日に、なんと自由が丘にあるミシマ社の一軒家においでくださいました。
「昔、こんなところに下宿してましたよ」とおっしゃる元・下宿部屋の一室で、本の思い出と本屋さんへの思いをぞんぶんに語っていただきました。
9月の毎週木曜日は、福岡先生の日です!
第11回 少年の日に出会った幻の図鑑
「虫の虫が、本の虫に」
―― 本が好きになった、子どもの頃の原体験って何かございますか?
福岡そうですね、私は虫の虫というか、昆虫おたくだったんですね。
おたくの特徴というのは、「調べることが好き」ということと、「集めることが好き」ということなんですね。
調べるためには、レファレンスとしての本がいります。つまり図鑑とかそういうものが必要になってくるんですね。だから、必然的に虫の虫が、本の虫にもなっていった、という感じです。
―― なるほど。
福岡それで自然と、学校の行き帰りなどに公立の図書館に通い詰めるようになりました。図書館には、開架式になっているところとは別に、書庫がありますよね。最近の図書館は、あまり書庫に自由に立ち入りできないようになってますけど、昔は司書の横を通って、スルスル行けるようになっていました。
―― へぇ、そうですか。
福岡そうやって中に入った書庫は、まさにワンダーランド。
このままずっと潜んでいたら閉館になっても誰も気がつかないまま居られるんじゃないか。そう思うくらい人が来ないようなところに並んでいる本を見るわけですよ。
そこで手にする本には、10年以上も誰も借りていないような本もあるわけです。
当時は後ろにカードがささっていて、いつ誰が借りたかっていうのがわかるようになっていたんですね。
「こんなすごい本が10年以上もここにずっと並んでるのか・・・・・・」。
ある種の時間旅行ですね。いい場所でした。
―― 素敵な時間ですね。
「え!? こんな本があったのか」
福岡私が昆虫に明け暮れていたのは昭和40年代の最初(小学生)の頃ですけれども、日本の虫に関しては図鑑があったんですね。なかなかいい図鑑がたくさんあって、そういうのはくまなく端から端まで読んでいました。
日本の虫なら大体わかるようになっていたんですね。
―― それはすごい・・・
福岡でも、世界にどんな虫がいるかっていうのは、断片的にしかわからなかった。デパートなんかの昆虫展では、ヘラクレスオオカブトとかは来ているので、そういう有名な虫は知っていましたが、網羅的に知りたいと思っても、それを教えてくれる本はなかったんです。
―― はい。
福岡ところが、ある日のことです。
図書館の書庫の隣りに、「禁帯出」の赤いシールが貼ってある大きめの本が置いてあるコーナーがありました。たまたまそこに入ったわけですよ。
そういうところには美術書などの大きい本が置いてあります。その頃はあまりそういう本には興味なかったのに、たまたま入ったんですね。
―― はい。
福岡その図書館では、あまりよくないと思うんですけどカバーをとって、むき出しの背表紙に「禁帯出」が貼ってありました。ですから、何の本かわからないことが多かったんですね。
そのとき何気なく置いてある本をピッと手に取ってみました。
それが、『原色図鑑 世界の蝶』(北隆館)という本だったんですよ。
―― おお!
福岡「え!? こんな本があったのか・・・・・・」と思いました。
それは黒澤(良彦)先生という国立科学博物館の昆虫学者が、もう一人の泰斗、中原和郎先生とで昭和33年頃に出された本で、フルカラーで実物大の蝶の写真が載っており、その写真のページを保護するためにパラフィンがかけられ、解説もあるという、世界の蝶が網羅されているすごい本でした。
「この本をなんとか自分のものにしたい」
福岡「こんな本があったんだ・・・・・」、けど、「禁帯出」なので借りられない。
それで、その場で夢中になって読んだんですよね。
何度も読むうちに、「この本をなんとか自分のものにしたい」と思うようになりました。もちろん万引きとかじゃないですよ(笑)。
―― ええ(笑)。
福岡自分でもこの本を買いたいと思ったんですけど、残念なことにその頃にはもう絶版になっていたんです。
―― ああ・・・
福岡仕方がないので私は、その黒澤先生に「この本がどうしても欲しいので、先生がお手持ちならば購入させて下さい」とお手紙を書きました。
今にして思うと昆虫学者って暇だったのでしょうか。こんな少年が書いた手紙にも関わらず、すぐにお手紙を返してくれましたから(笑)。
―― はい(笑)。
福岡でも、「誠に残念ながら、この本を自分も自分の手持ちの分しかないので、あとは古本屋で探していただくしかありません」。
そう丁寧なお返事が来たんですね。
それで今度は神保町に通うようになりました。
「『あ、あった』と思って、おろしてもらったら・・・・・・」
福岡本当は書店員に聞けば探し出してくれたと思うんですけど、まだ少年だったもので、なかなか怖そうなおじさんに聞けなかったんですね。
だから、一軒一軒、書棚を探してました。
そのおかげで、お店によってどんな本が置いてあるかという傾向がわかっていきましたけどね。
そして、一年くらい経過したある日、明倫館書店という古本屋の二階の奥の棚に、『原色図鑑 世界の蝶』を見つけることができたんですよ。
―― おお! あったんですね。
福岡「あ、あった」と思って、おろしてもらってみたら・・・・・・4万円の値札がついてました。
―― はは(笑)。
福岡定価ベースで昭和39年版で6000円くらいで高かったのですが、プレミアがついて4万円に。
少年が買える値段じゃないですよね。お年玉でも届かないし、お小遣いだってそんなにもらってないし。ラーメンでも90円くらいでしたから、当時は。
―― なるほど。
福岡目がかすむ思いでした。
くらくらするような感じで、「こんなにすごい本なのかぁ・・・」と。
そのときは手に入れられなかった思い出があります。
こういったことが本にのめり込む一つのきっかけでしたね。
――おもしろいですね。
福岡結局、『原色図鑑 世界の蝶』は、大人になってから大人買いしてしまいましたけどね。
―― 数十年の時を経て、あの4万円の本がついに手元に来たのですね。それはすごいですね。
福岡そのときは、当時より下がって2万5千円でしたね。
でも、今見てもね、なかなか素晴らしいですよ。
―― へぇー。先生の本に対しての愛情とか原点というようなものがすべて詰まった一冊なんですね。
福岡確かに、そんな一冊ですね。
「私はどちらかというとソリチュード(=孤独)な少年だったというか(笑)」
福岡そのうち図鑑だけでなくて、小説なども読むようになっていきました。
そういうものも図書館がきっかけになっていました。
なんとなく手に取ってぱらぱらっと見たら、面白い。
SFとか、ドリトル先生とか、いろんな本に触れていくようになりましたね。
―― そうですか。
先生の場合、昆虫が好きというころから図書館に通い、それがきっかけでSFや文学の方にも広がっていっていかれたわけですけど、逆に、ずっと一つの分野だけにとどまる方もいますよね。
福岡ええ、いますね。
―― 先生の場合はそうならずに、昆虫の分野だけでなく他にも興味をもたれるようになったのは何が一番大きかったと思いますか。

福岡そうですね・・・・・・。
まぁ、あまり友達がいなかったせいかもしれませんね。
―― はい・・・
福岡ある種のおたく趣味を支えて行くためには、同好の士という、サークル的なものが必要になると思うんですよね。
―― ええ。
福岡そうやって、同胞とのコミュニケーションによって育まれるものがあって、それがあるから好きであり続けていけるっていうことがある。
けれど、私はどちらかというとソリチュード(=孤独)な少年だったというか(笑)。
一人ですと、やっぱりどこかで飽きちゃうんですよね。昆虫を集めることに。
―― そうなんですか。
福岡キリがないわけですよ。コレクションっていうのは。
しかも、結局のところ、コレクションは、お金の問題に行きついちゃうわけですよ。
蝶って、なかなか採れたり採れなかったりするんですけど、高いお金を出せば、あっさり標本を買えるわけですよ。
切手やコインも、さらに集めようとするとどうしても財力の問題になってきます。子どもの趣味としては限界があったといいますか。
―― ええ。
「ファーブルの反主流的なところに惹かれました」
福岡そうなってくると、ちょっと別のものに目移りするんですね。
本でも、図鑑以外のものが読みたくなる。
そういう中で出会った本が、ファーブルの「昆虫記」。
実際読んでみると、昆虫の話というよりは、ファーブルがいかに世間を斜に見ていたか、そういうところがおもしろかったりするわけです。
ファーブルの反主流的なところに惹かれました。
―― へー、ファーブルは反主流だったんですね。
福岡あの当時すでに、学会の主流は分析的な科学を追っていました。
でもファーブルは、そこをすねて、「あなたたち(学会)が見ているものは、死の昆虫学ではないか」と言う。つまり、死体を見ているだけじゃないか、と。
「でも、私は生命を見ている」。そういうふうに書いています。
―― なるほど。
福岡そうすると、昆虫自体を集めるというよりは、人の生き方とか主張や意見に共感するようになりました。
―― はい。
福岡そういった側面も、新しい読書への扉を開いてくれたのかもしれません。
だから、何かすねものを好きになるといいましょうか、判官びいきみたいなところが私にはあります。
基本的に私は、ナンバーツー的な人たちの話ばかり書いてるわけですけども、それも、子どもの頃の読書体験からきているのかもしれないですね。
―― なるほど。ナンバーツーと思われているけど、実は一番誰よりも本質をついているという人たち。
福岡南極探検はアムンゼン隊よりも、悲劇のスコット隊の方にドラマがある。
そういうことですよね。
次回は、「もし私が本屋さんだったら(福岡伸一さん編)」をお届けします。

