本屋さんと私―― 福岡伸一さん編
第3回目の「本屋さんと私」のゲストは、福岡伸一先生です。
福岡先生、8月のある日に、なんと自由が丘にあるミシマ社の一軒家においでくださいました。
「昔、こんなところに下宿してましたよ」とおっしゃる元・下宿部屋の一室で、本の思い出と本屋さんへの思いをぞんぶんに語っていただきました。
9月の毎週木曜日は、福岡先生の日です!
第12回 もし私が本屋さんだったら
「縁でつながっていくようなコーナーをつくりたい」
―― 先生がもし書店員さんになられたら、ということで少しうかがいたいのですが、選書も反主流派というか、そういう方たちの本が並ぶのでしょうか?
福岡うーん。どうですかね。
テルミナ店の鉄道おたくコーナーみたいなのをつくりたいですよね。
―― 先生ですと、あの店における「鉄道」は何になりますか。
福岡うーん。
地図のコーナーみたいなのを作りたいですね。地図というか旅のコーナーみたいなものを。
でもそれは、『地球の歩き方』のようなものを並べるのではなくて、結局旅をするというのは、名所旧跡を見るんじゃなくて、そこに到った時間の流れを知るっていうことですよね。
―― はい。
福岡ですから、この間、たまたまアイルランドに行ったんですけど、アイルランドの地球の歩き方もあるけれど、ケルト学者の鶴岡真弓さんの本を並べるとか、そういう縁でつながって行くようなコーナーを作りたいですね。
『エレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのか』(木楽舎、ライアル・ワトソン著、福岡伸一/高橋紀子訳) |
―― なるほど。それは行きたくなりますね。
福岡「渦巻き」とか、ケルト模様のデザインの本でもいいし、ケルト文学もほしい。アイルランドのジェイムス・ジョイス、サミュエル・ベケットなど、そういうふうに個人の好みでつなげていけるようなコーナーがあっていいんじゃないかなと思います。
―― すごくいいですね。書店員さんが本当に愛している部分が、その本を通して伝わってきますものね。
福岡そうそう。
「素朴な感想をポップにしてください」
福岡「こんな面白い本がありましたよ」という、押し付けませんけども、読んでみて下さいという、そういうプレゼンテーションがいりますよね。
―― はい。
福岡でも、「この本を読んで涙が止まりませんでした」みたいな、映画評みたいなものではない形で。
―― 確かに。ポップでもそういうのが多いといえば多いですもんね。
福岡そう。映画評に似ているのもありますよね。
映画評って、「意外などんでん返し」「ラスト1分に驚愕」とか書いてあって期待させるけど、実は全然そうでもなかったりするじゃない(笑)。
―― ええ、そういうのもありますね(笑)。
福岡ポップもそれに近づいていくと、誰もポップを信用しなくなっちゃう。
それを本当に読んだ人の素朴な感想を書いてほしい。
―― はい。

福岡なんかちょっと暑くなってきましたね?
―― あ、日が射してきたようです。
福岡日が射してきたからか。
―― すみません。温度下げます。先生の背中に西日が当たっているので(笑)。
福岡西日が当たってるんだね。それもいいよね。午後になると西日がきつい部屋。
―― そうなんです(笑)。この部屋日当りいいんですけど、一番の弱点は西日がやたらときついことです。
福岡日当りよい部屋は、西日がきついっていうのはしょうがないよね。仕方がないですよ。
でも、いいロケーションでいいじゃないですか、目の前には柿がなっていますし。午後になると室温が上がってくる。
いかにも「つながってる」感じがしますね。
―― つながってますか。確かに、冬はすきま風がビュービュー吹いてきて寒いです(笑)。
福岡一階も、さっき見せてもらったんですけど、網戸が網戸の役割を果たしてないですよね。10センチくらい空き間が開いていて。しょうがないから、蚊取り線香をそこに置いてある感じで、なんか夏っぽい香りだなと思いました。
って、今日のお話、こんな感じでいいですか?
―― もう(笑)。めちゃめちゃ面白かったです。今日は本当にありがとうございました。
(取材後記)
最後に「つながっている」感じがいいじゃないですか、という言葉でしめくくってくださった福岡先生。
その言葉を聞いたとき、そっか、確かに、つながっていることが大切なんだよなぁ、としみじみと感じいりました。
そして、本屋さんも出版社も、同じだよなぁ、と思ったのです。
分断されていないこと。
つながっていること。
『世界は分けてもわからない』に、こんな言葉があります。
「生命現象に『部分』と呼べるものは、ほんとうは実在しない。
ある部分(パーツ)がある機能を担っているとする考え方は、鳥瞰的な視点からの、マップラバーによる見立てにすぎない。」(112頁より)
この「生命現象」を本屋さんとか、皆さんのいる「業界」といった言葉に置き換えてみてはどうでしょうか。
たとえば、本屋さんに置きかえると。
「本屋に『ジャンル』と呼べるものは、ほんとうは実在しない。ある部分(ジャンル)がある機能を担っているとする考え方は、鳥瞰的な視点からの、マップラバー経営者による見立てにすぎない。」
なんだか、しっくり来ないですか。
福岡先生が、究極の本屋さんとして挙げておられた三月書房さんのように、そこにつながりのある世界があるかどうか、がほんとうは一番大切なんだろうと思います。
『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書) |
本屋さんがつくりだした関係性の渦に巻き込まれたい。
そういう空間に身を置きたい。
動的平衡よ、もう一度!
というわけです。
本屋さんに限らず、人が「いいなぁ」と感じる場には、可塑的で、絶え間のない動的平衡状態があるからなのかもしれません。
喫茶店であれ、劇団であれ、弁護士事務所であれ。生命が存在するすべての場所で。
ともあれ、
今回の取材で、本屋さんという枠を超え、まさに「広い世界」を教えてくださった気がします。
何度も何度も読み直したくなる、そんな記事となりました。
福岡先生、本当にありがとうございました!

