『レンブラントの帽子』(バーナード・マラマッド 著、小島信夫・浜本武雄・井上謙治訳) |
「夏葉社」という若く小さな出版社がにわかに注目を集めている。1976(昭和51)年生まれの島田潤一郎さんが、吉祥寺でひとり営んでいる出版社だ。
夏葉社は、2009年9月の創業以来、これまでに2冊の本を世に送り出してきた。
1冊目は、ユダヤ系アメリカ人作家・バーナード=マラマッドの短篇集『レンブラントの帽子』。2冊目は、東京は大森で古書店を営み、川端康成や三島由紀夫をはじめ数多くの作家と交流をもった関口良雄氏のエッセイ『昔日の客』。
いずれも、絶版本の復刊だ。
前者のマラマッドは、よほどの文学好きでなければその名を知る人は少ないが、70年代を中心に、かつては日本でも多くの著作が翻訳されていた。いまでは、そのほとんどが絶版となっている。後者の『昔日の客』は、30年ほど前に自費出版で刊行された。古本好きの垂涎の書と言われている。1冊15,000円くらいの値が付いては、古書店に並ぶとすぐに売れていく。
『昔日の客』(関口良雄) |
そんな、言ってみればマニアな本が、さまざまなメディアで大いなる反響をもって迎えられ(*)、着実に読者の数を増やしている。『昔日の客』にいたっては、1月9日付けの朝日新聞の書評欄で大きく取り上げられ、若手お笑い芸人ピースの又吉さんが本書を愛読していることが、ツイッター上でちょっとした話題になっている。
* ピース又吉さんの『昔日の客』読書姿。本への愛が感じられます。
聞くところによると、島田さんはフリーター歴が長いという。
そこから、なぜ、どのように夏葉社を立ち上げたのか?
そして、この素晴らしき2冊の本は、どのようにして生まれたのか?
新春第一弾の「本屋さんと私」では、独特の存在感を放つ、夏葉社さんの魅力と秘密を爽やかにお届けします。
(取材・文 萱原正嗣)
* これまでのメディア掲載歴
『レンブラントの帽子』:朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、神戸新聞、日刊ゲンダイ、サンデー毎日など
『昔日の客』:朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、北海道新聞、図書新聞、週刊文春、週刊朝日、サンデー毎日、男の隠れ家、レコード・コレクターズ、雲遊天下など
第56回 夏葉社ができるまで~出家(!?)、失恋、そして、リーマンショック~(夏葉社・島田潤一郎さん編)
―― 本日はよろしくお願いします。『レンブラントの帽子』も『昔日の客』も、どちらも反響すごいですね。その辺りをじっくり伺わせていただきたいところですが、その前に、まずは夏葉社を立ち上げられた経緯や、なぜ夏葉社を立ち上げようと思われたか、ということをお聞かせください。

島田ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。本の反響はありがたい限りです。2冊ともご好評いただいて、恵まれすぎていると思っています。
それで、夏葉社を立ち上げた経緯ですよね。どこからお話するのがいいか・・・。
―― どこからでも大丈夫です。差し支えなければ、島田さんの生い立ちからお聞かせください。
島田生い立ちからですね、わかりました。
私は高知県の室戸で生まれました。室戸岬があるあの室戸です。といっても、生まれただけで、育ったのは東京です。高校は日本大学の付属高校に通っていて、大学はそのまま日大に進みました。学部は商学部会計学科です。
会計学科なだけあって、学生の多くは公認会計士を目指していました。入学当初から、みな猛烈に勉強するんですね。学校側もそのサポートに力を入れていて、大学の正規の授業が終わった夕方に、特訓コースが毎日3時間組まれていました。私もなんとなくその流れに乗っかって、大学1年生のときからダブルスクール状態で会計の勉強の毎日でした。
夏休みは夏休みで、ものすごい量の宿題が出ていました。1日8時間くらいは勉強していましたと思います。私もなんとか頑張って、簿記2級を取るところまではいったんですが、8月に入ってすぐに、突然なにもかもがイヤになってしまいました。濁世に嫌気が差したといいますが、「出家したい」と思って、その日のうちにカミソリで髪を剃り上げてしまいました。いま考えると、軽いノイローゼだったと思います。
―― それはまたすごいですね・・・。
島田そうなんです。当時もいまも実家住まいですが、あまりに突然のできごとに、母に泣かれてしまいました。
坊主頭にしたからというわけではありませんが、しばらくは外に出かける気にもなれず、かといって何もせずに家にいると、わけのわからない焦燥感に襲われてきました。時間だけは山ほどあったので、本を何冊かまとめて買ってきて読みました。それが、私が文学と出会ったきっかけです。
―― そのときはどんな本を読まれたんですか?
島田『車輪の下』(ヘルマン・ヘッセ)と『三四郎』(夏目漱石)と・・・、新潮文庫の「夏の百冊」に必ず入るような古典文学の類です。確か一度に7、8冊買ってきたんじゃないかと思います。
―― 『車輪の下』も『三四郎』も、青春の苦悩にはまさにジャストミートですね。
島田そうなんです。あのとき読んだ本は、いまでも自分の軸になっているような気がします。
それから、本の世界にのめりこんでいきました。大学に通いながら、本を集めては読む生活を送るようになります。学部は違いますが、文学部の教授について、文学の勉強、小説を書く勉強もしていました。
日大には学内の小説コンクールがあって、大学4年のときにそのコンクールで賞をいただきました。そのとき、黒井千次先生という、芥川賞候補に何度もノミネートされ、いまは芥川賞の選考委員を務めておられる作家の方に褒められて、調子に乗ってしまいました。思い込んだら一直線の性格ということもあって、小説家を目指して生きていこうと、就職するのもやめました。
コンクールの賞金で30万円をいただけたことも、就職をやめようという思いを強くしました。ちょうどそのとき親に二十数万円借りていて、賞金できれいに返せたんです。それで、「世の中こうやってまわっていくんじゃないか」なんて思ってしまいました。
大学を卒業してしばらくは、アルバイトをしながら文章を書き、勉強のために本を読む、という生活をしていました。
―― どんなアルバイトをされていたんですか?
島田いたって普通です。「セブンイレブン」と「すきや」で働いていました。
―― 普通すぎるほど普通ですね。文学に関係することをされていたのかと思いました。
島田そうだったら面白いんですけどね。でも、セブンイレブンもすきやも、どちらのバイトも好きでした。
―― そのころ読まれていたのも文学ですか?
島田そうです。世界文学、日本文学の名作とされているものを片っ端から読んでいました。『ユリシーズ』(ジョイス)とか、『細雪』(谷崎潤一郎)とか。谷崎が訳した源氏物語も読みましたし、現代の作家では村上春樹もだいたい読みました。
―― まさに「文学」ですね。
島田文学って、人生の総体を学問にしていると思うんです。「人が生まれて死ぬっていうのはどういうことなのか?」それを知りたくて文学を読んでいます。当時もいまも、それは変わりません。
文学を数々読んでいて、ひとつ気づいたことがあります。日本の近代文学には戦争がついて回るということです。大岡昇平や野間宏がその代表格でしょうか。戦争を知らない人間には生や死の本質なんてわからないなんていう感じが、本からビンビン伝わってくるんです。でも、私は戦争を知りません。「戦争がわからない。戦争って何なんだ?」と、戦争が知りたくなって沖縄の糸満に引っ越しました。ひめゆりの塔があるところです。
糸満でも、やはりアルバイトをしながら本を読む生活を送っていました。東京の生活から変わったことと言えば、戦争の史跡巡りが加わったくらいです。
―― またすごい行動力ですね。沖縄ではどんなアルバイトをされたんですか?
島田今度は「ツタヤ」です。朝番で、9時半から夕方5時まで働いていました。ツタヤも楽しかったです。何が楽しいって、男が私ひとりに、女の子10人っていうシフトでした。本当に毎日楽しかったですね。
―― それは間違いなく楽しいですね。羨ましい限りです。
島田そうこうしているうちに、バイト仲間の女の子に恋をしまして・・・。数いる女の子とちょっと付き合っては振られ、女の子はその度にバイトをやめてしまう、というダメな恋愛をしていました。バイト先で3人目を好きになったときに、「このままいったら自分はダメ人間になる」と思って、沖縄を離れることにしました。
―― 青春ですねぇ。
島田我が青春ここに極まれり、という感じです。そのころは、本を一番よく読みました。つらいことがあると、本を読みたくなりますから。
―― 沖縄にいたのはどれぐらいですか?
島田一年です。沖縄を離れて、いったん東京に戻ります。東京では旅費を稼ぐために派遣社員をしていました。。実は、沖縄で一番好きだった女の子に振られたときに、「俺はこれから世界を見てまわるんだ」と泣きながら訴えたんですが、それは、彼女に振り向いてもらいたいがために出た言葉でした。彼女に心配してもらいたいという気持ちもあったんでしょう。思い切って、アフリカに行くことにしました。
アイルランドで3カ月語学学校に通って、そのままヨーロッパを縦断して、モロッコからサハラ砂漠を見て回り、セネガル、ガーナと旅をしました。旅の行く先々で、振られた彼女に「いまどこを旅している」というメールを送っていました。
そのしつこさに彼女はうんざりしたんでしょうか、途中でメールが届かなくなりました。茫然としましたが、さっぱりもしました。それから、アフリカ旅行を思う存分楽しみ、元気になって日本に帰ってきました。それが、26才のころのことです。それからまた、派遣社員や短期の仕事をしながら、本を読む生活を送りました。
2008年、31才のときに状況に変化がありました。学校の教科書や学習教材をつくっているA社さんが、なぜか私を雇ってくれることになりました。営業の仕事を担当しまして、各地の高校をまわりました。
営業ははじめての経験でしたが、どうやら性格が向いていたようです。上半期は教科書、下半期は副教材という営業サイクルでしたが、一年目の下半期には、十数人いる営業職のなかで成績トップになりました。
―― 一年目ですごいですね。
島田それで、またしても調子に乗ってしまいました。自分はもっとできるんじゃないかと思って、私を拾ってくれたA社を一年でやめちゃうんですね。それが、2009年の3月です。
自分が好きな文学系の出版社に行きたいと思って、やめてから転職活動を始めましたが、それまでの経歴がデタラメですし、どこも採ってくれないわけです。某人材紹介サービス「◯◯ナビ」に登録していましたが、そもそも出版社はほとんど紹介してくれませんでした。本当は岩波書店とかに行きたかったんですが・・・。
「◯◯ナビ」の担当者に、出版営業が向いていると思うっていう話をすると、どう見てもマルチ商法とか先物取引の怪しげな会社を紹介してくる始末でした。パチンコ屋を紹介されたこともあります。
―― 「◯◯ナビ」ひどいですね。でも、「◯◯ナビ」で岩波の求人は、たしかになさそうですね。
島田晶文社は求人があったんですが、書類選考で落ちてしまいました。

そんなこんなで、とにかくどこにも受からないわけです。50社落ちたら別の道も考えようと思っていたところが、あっという間に50社落ちてしまいました。当時は、リーマンショックの影響もあって、求人がめっきり冷え込んでいた、ということも関係していたのかもしれません。
とにかく、就職は厳しそうだということを実感して、これから先どうしようかと思っていたのが2009年の春から夏にかけてのことです。
―― リーマンショックの影響はすごかったですよね。私もちょうどその前後に会社をやめてしまいまして、2009年には就職活動をしていたこともあります。「リーマンショック以来、求人が驚くほど劇的に減った」という話を何度も聞きました。
島田ちょうどそのころ、若くて小さな出版社が、ただあるだけではなくて、書店で存在感を放っている姿をあちこちで見かけるようになりました。それこそミシマ社さんに始まって、アルテスさん、ナナロク社さん、フリースタイルさんといった出版社さんです。出されている本も素晴らしいし、丁寧に営業されているという話を聞いて、勇気づけられたというか、とても嬉しい気持ちになりました。
私は、一冊も本をつくったことはなかったんですが、こうした出版社さんの活躍を見ていたら、なぜか自分でもできるような気がしてきたんです。それで、私も出版社を立ち上げようと思いました。
―― それまで経験がないのにいきなりつくるってすごいですよね。準備や資本金はどうされたんですか?
島田ちょっと話が前後しますが、派遣で働いてお給料もらっていたときは、月給22万円として、毎月18万円くらい貯金していました。お金を使わない性分なのと、実家だったことが大きかったと思います。いつも半年くらい働くと、100万円くらい貯まっていました。そのときは、なんだかんだと貯金が300万円くらいはありました。
出版については、あまりにも何も知らなかったので、出版社に勤めている友人に聞いたり、手伝いで少しだけ書店営業をやらせてもらったりして、勉強させていただきました。
こうして、夏葉社を立ち上げたのが、2009年の9月です。
考えると、不思議な巡りあわせだと思います。大学のときの軽いノイローゼも、失恋も、リーマンショックも、どれひとつ欠けても、夏葉社は生まれていなかったと思います。実にありがたい巡りあわせですね。
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ちょっと胸に手を当てて考えてみてほしい。
「あなたは、ほとんど未経験といってもよい業種、業界で、ひとりで会社を立ち上げることができますか?」
そう考えてみると、島田さんがとった行動のすごさが実によくわかる。
そして、ただ始めただけではなくて、『レンブラントの帽子』と『昔日の客』、素晴らしい2冊の本を世に送り出している。多くの人の心に爽やかな風を送り込んだ。とんでもないことだ。島田さんは、実にとんでもないことをしでかしている。
そこで、次回の予告。
この2冊の本がどのようにして生まれたか?
島田さんがどういう思いで本をつくっているか?
ということに焦点を当てて、夏葉社の、島田さんの魅力と秘密にさらに迫ります。
