本屋さんと私


 今回の「本屋さんと私」は小説家の滝口悠生さんにお話を伺いました。そして新人ノザキの人生初インタビューです。本の虫でもなければ、小説を山ほど読んできたわけでもない、そんな私がたまらなくいいと思った書き手の滝口さん。日記にも書き残さないような日々の出来事や感情を捉える語りには、電車の中で読んでいても、ついつい口元が緩んでしまいます。

「たしかにあったどうでもいいことは、この世界にどのように残りうるのか。それともどうでもよさゆえに忘れられ、いつかは消えてなくなってしまうのか。」――『死んでいない者』滝口悠生

 これが私のお気に入りの一節です。さて、西武線のこと、小説を書き、届けるということ、そして最新刊の『高架線』についてもたっぷり伺いました。滝口さんのお話を全3回にわたってお届けします。どうぞお楽しみください。

 第1回目の今日は、「滝口さんの原風景」に迫ります!

(聞き手・構成・写真:野崎敬乃 構成補助:星野友里)

第205回 そこに住んでいないと生まれない感覚(滝口悠生さん編)

2017.11.13更新

書いていく中で思い出されるもの


―― 滝口さんの小説には、日々の生活で目にする小さな面白さや自分の中に生まれる微妙な感覚を掬いとってくれる印象があります。滝口さんは小説をどのように書き始めるのですか?

滝口書こうと思うことをためておいてそれを書くというよりは、書く内容としての準備はあまりない状態で書き始めるんです。書いていく中で、旅先で見た光景だとか、見かけた人のことを思い出すことはあるんですけど、ネタ帳にストックをして、みたいなことは全然しないです。普段から歩いたり、電車に乗っていろいろなものを見たりすることが好きなので、面白いものを見つけて、なんだこれ? と思うことを見つけることは多いかもしれないですね。

―― そうなんですね。


滝口たとえば『死んでいない者』だったら、自分が親戚の集まりとか、お葬式でも結婚式でもいいですけど、冠婚葬祭みたいな場で目にしてきたことっていうのがやっぱりもとにはなっているんですけど、それを書こうという動機で書き始めたわけではないです。書き始めっていうのはもう少しぼやんとしていて、雰囲気とかムードとか、場所とか土地とか、最初にあるのはそういうものですかね。『死んでいない者』の場合は、ちょっと田舎のほうの土地とか、空が開けた景色とか。あまり細かいことというよりかは、そういう大雑把なことだけがあって、それからじゃあ葬式でも書いてみようかい、というふうに書き始めることが多いです。

―― 地方や田舎へはよく足を運ぶのですか?

滝口そうですね。最近はふらっと旅行に行くことはなかなかできなくなっちゃいましたけど、昔はよく行きました。今だと、たとえば仕事で関西のほうに行って翌日何も用事がないと、ぶらぶら1日街を歩いてから帰ってきたりします。

―― 海外にも行かれますか?

滝口海外は機会がなかったり、若いころはお金もなかったりしたので、全然行っていなかったんですけど、今年ヨーロッパで友だちの結婚式があったので初めて行きました。あと昔から空路の移動がだめで。飛行機そのものは平気なんですけど、移動の方法として陸路じゃないと動いた感じがしないというか、距離がよくわかんないことになっちゃう感じがあって。昔アルバイトしていたころに九州に飛行機で仕事しに行ったら、90分くらいで着いちゃうじゃないですか。90分で羽田から福岡って、どっかでなにかワープみたいなことが起こっているとしか思えなくて。

―― 千葉-東京間でも電車の各駅に乗ったらそれくらいかかりますよね。

滝口90分だと飛んでも大阪くらいかな? っていう気がして、九州だったら嘘でもいいから3時間くらいはかけてほしい。当時は埼玉に住んでいたので、家から羽田まで2時間くらいかかるのに、そこから90分で九州に降り立つというのはどうも納得がいかなくて。新幹線も速すぎてずっと嫌いだったんですけど、最近は体力がなくなってきて、昔みたいに鈍行だとつらいので、許せるようになりました。飛行機も、このあいだはロンドンまでいったので12時間くらいかかったんですけど、12時間くらいかけてくれると、わりとどこに連れてかれてもまあ着くかなと思える。


東京の奇妙な距離感

―― 今のお話、とても面白いです。ある場所に対する近さと遠さの感覚というものは、滝口さんの小説の中に豊かに書かれている気がします。例えば、『高架線』の新井田くんと田村くんが一緒にかたばみ荘を見に行った後に公園で過ごすシーン。そこでの会話には、池尻大橋と春日の地名が出てきます。田村くんが春日の家に誘ったときに、新井田くんは「遠いかな。今日は。気分的に。」と言うのですが、その会話には、場所に対する近さや遠さの感覚が人によっても、状況や気分によっても違うということが表れていて、そこに共感しました。あのシーンが『高架線』の中での私のベストシーンです。

滝口そこをベストシーンに挙げる人は初めてだ、面白いですね。僕は実家が埼玉の西武池袋線にあって、池袋まで電車で40分弱ぐらいなんです。新宿とか渋谷に出ようとすると電車だけで1時間、家からだと1時間半くらいかかって、どこに行くにもそれくらいかけて出かけていく感覚がベースにありました。今住んでいるところは渋谷まで10分で、渋谷から東京の真ん中のほうに行こうとしても20分くらいなので、1時間以上かけてどこかに移動するっていうのが都内に関してはほとんど無くなったんですね。電車に乗る時間もすごく細切れで、どこ行くにも近いなって思って暮らしていて。でもだんだんこっちに暮らす時間が長くなってくると、前に比べれば全然すぐの場所なのに、ちょっと面倒くさいなとか出にくいなっていう感じが出て来るんですよ。『高架線』のその場面は、そういう東京に住んで暮らしている人独特の距離感とか移動の感覚を、新井田さんがちょっと言い訳に使っているんです。

―― そうなんですね。

滝口もう一つは、慣れるとどうってことないのに、不慣れな路線に乗らないといけないっていう緊張とか抵抗とか、そういうのもありますね。僕は大江戸線とかがそうで、青山一丁目とかだと乗り換えもわりとすぐなんですけど、ほかの駅で大江戸線に乗ろうとするとめちゃめちゃ歩かされたりするじゃないですか。そのイメージが強くて、だから大江戸線はなるべく乗りたくないとか。

―― わかります。

滝口さっきの場面で、新井田さんはすごく曖昧に、田村の家に行かないっていうことを表明するんだけれども、彼は西武線で育って、東京に出てきて、今は東急線の池尻大橋にいるっていう鉄道の属性が僕と一緒なので、大江戸線使うのいやだな、みたいな感覚はたぶん僕と同じです。乗っちゃえば何分だからすぐだよ、みたいなことではないんだっていう。

 東長崎から春日に行くのと池尻大橋に帰るのって大して変わらないか、もしかすると春日のほうが近いかもしれない。だから遠いって言うのは理屈としておかしいんですけど、そこにはまず彼の行きたくなさがあって、それに乗り換えとか地下鉄の深さみたいな抵抗が重なっている。それに、たぶん田村もその筋の通らなさをよくわかっている。そういうやりとりだから、あそこは理屈が通っていなくてもいいんです。


鉄道属性

―― 先ほどの「鉄道属性」という言葉がすごく面白いと思いました。なぜ滝口さんは西武線を書くのかということについて改めてお伺いできたらなと。ちなみに私は属性が東急線です。

滝口はいはいはい、ライバル関係。池袋とか嫌いでしょ。行きたくないでしょ。

―― あまり行ったことがないです。

滝口そうですよね、用がないですもんね。池袋に行ってもその先は埼玉にしか行けませんからね。なぜ西武線を書くのかということについては、西武線を自分の十八番のようにいつも使おうという意識はあんまりなくて、ただ、そこに住んでいないと生まれない感覚や、さっき言ったような独特の距離感や心理的な抵抗みたいなのがどの沿線にもあると思うんです。そういうことが人物を書いていくときに重要だったりするので、そうすると、そこを知っている、ということがすごく大きいんですよね。だから自然とそれを選んでしまう。ただもうさすがに毎回書いてるんで、そろそろやめようかなと思ってるんですけど。

―― では今回のは集大成ですね。

滝口これだけ書けば、次やりにくくなるだろうってうのはあります。

(つづきます)


   

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滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)

1982年東京都生まれ。
2011年、「楽器」で新潮新人賞を受賞しデビュー。
2015年、『愛と人生』で野間文芸新人賞受賞。
2016年、「死んでいない者」で芥川龍之介賞受賞。
他の著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』がある。

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