がんに侵され、自らの人生の最後を段取ろうとする父親の姿を娘が描いたドキュメンタリー映画『エンディングノート』。妊娠5カ月後に第3期のがんが発覚したヨメとそのダンナである自分の日々を綴った闘病ドキュメント『がんフーフー日記』。身近な肉親の生と死を作品にした映画監督砂田麻美とライター清水浩司による、ユーモアたっぷりの対談後編。
(取材・文:堀 香織 写真:森 王子)
第25回 映画監督 砂田麻美 × ライター 清水浩司――愛する肉親の生の記録を作品にするまで(後篇)
哀しみを昇華するモーニングワーク
砂田清水さんはブログ「がんフーフー日記」を、いつごろから本としてまとめようと思ったんですか。

清水もともとブログは備忘録であったりメモであったり、友人たちに伝えておきたいことの伝言板としてはじめたんです。ただ、書くのは仕事だし、もちろん好きだし、どうせ書くなら面白いものを書きたいというイヤらしい欲も出てきて(笑)。で、いつごろだったかな・・・、なんかこれ一冊にまとまるんじゃないか、とふと思ったんですよね。
やはり「本」という形態が好きだし、ヨメの最後の1年間の軌跡を残したいと。あと、子どもには母の記憶がないので、彼が大人になったときのために、この時期を密封して渡してやりたい。そして関わってくださった友人知人に対して、ともに生きた1年間弱の時間の「ありがとう」という気持ちもこめたい。もちろんライターの本能として、強い作品になるという読みもありました。

砂田似ているんじゃないかなと思うのは、私も撮ってきたものをひとつの形にしたいという想いがもちろんあって、でも誰かがしてくれるまで待てない!(笑)っていう。だから自分で始めた。
清水(笑)同じ同じ。
砂田「これは売れるとか売れないとかいう誰かの判断を待っている場合じゃない!」みたいなね。そういう意味では自分のためだったかな。
やっぱり人間ってどうしても忘れていくじゃないですか。傷跡が・・・、傷がかさぶたになって、カチカチになって、剥がれちゃう前に、やっておきたかったんです。
清水僕もこういう状況だから、担当編集が「もっと時間をかけて、気持ちが落ち着いてから作業にかかってもいいですよ」と気づかってくださるんですけど、どうしても妻が逝ってすぐ取り掛かりたかった。やりきることでもって次に進みたかった。かさぶたになってからだと遅いというか。
砂田清水さんは周りの方に自分の素直な感情を見せることができる方ですか?
清水たとえば人前で泣き崩れたり、とかですか?(笑)
砂田「思っていたよりも淡々としているね」と言われるとか。
清水確かに雨に打たれながら大声で泣いたりとかはしてないですね(笑)。
砂田(笑)映画『ノルウェイの森』のワタナベみたいな。
清水そうですね、そこはね。
砂田もちろん「ちょっと元気ないな」というのはあったかもしれないけど、本に書かれているようなシビアな状況を常に人に言えるタイプの方だったのかなと思って・・・。
清水うーん、100%じゃないかもしれないけど、変にオトナになったので、弱音は周りに吐くようにしてましたね。泣き言は人に言う、と。それでも100%の泣き言は伝えきれないですから。
砂田そうなんですか。私はぜんぜん言えなかったんです。
清水そういう状況であることを、周りの方々は知っておられたんですか。
砂田是枝監督はご両親を亡くされているから、根本的なところで理解してくれていたと思います。いろいろと気づかってくれました。でも是枝監督含め、私の周りの人たちは愛のある突き放し方をするので(笑)、「大丈夫?」と過保護にする人はぜんぜんいなくて。
「・・・あの、父が亡くなってまだ1カ月なんですけど・・・」と言わないと、忘れられてる?みたいな(笑)。
清水「まだ生々しいんですけど! もうちょっと優しくして!」と(笑)。
砂田ホント、ぜんぜん前と変わらなくて、それが私としてはよかったというのもあるんですが。ただ、ぜんぜん吐き出す術がなかったですね。それは周りがどうのというのではなく、私個人の性格の問題ですけど。
家族で集まっても、姉は優しいというか、感情を包み隠さない人だから、父の話になろうものなら喋りながらホロリとなるんですが、私はぜんぜん淡々としていて、家族の前でもそういう気持ちを出せなかった。でも逆にそれが一気に編集へのモチベーションとなった(笑)。
清水ハハハ、わかります。じゃ逆に編集しながら泣いてしまったことは?
砂田一切なかったです(笑)。
清水へえ、そこはクールに?
砂田編集初日はすごく心配だったんです。生前の父ともう一度対面するわけですから、どんな気持ちがするんだろう?と。でも一回開けたら、楽しくて楽しくて。
清水じゃあ、「To Do Listで構成しよう!」とか?
砂田ええ。「うちのお父さん、おもしろいな〜」とか。「こういうオチ、ちゃんとわかってるね〜」みたいな感じで(笑)、編集しているときはまったく寂しくなかった。
清水亡くなられて3カ月後に編集に向かわれたということですが、それまでの3カ月はさすがに精神的に落ちたりしたんですか。
砂田直後はすごく元気だったんです。1カ月くらい。父が亡くなったあとで神父様に挨拶をしに行ったときに、神父様が「私も母親を亡くしているんだけど、直後はぴんとこなかった。ゆっくり来るから気をつけるんだよ」とおっしゃって。「そうかなあ? 私はそうはならないんじゃないか」と思っていたんですが、言われたとおり、それはゆっくりとやってきました(笑)。
清水わかります(笑)。僕も最初の2、3カ月はけっこう平気なもんだなって感じだったんです。逆に「自分って冷たい人間かな」と思うほどで。でも途中から足下が不確かになっていくというか・・・。あとから来ますね、あれは。
砂田不思議ですよね。
清水直後は何も感じないことで自分を護っているのかもしれないですね。そして少し和らいできたときに、少しずつ小さい波が来て、ある日ドカーン! と決壊させていくというか。
砂田たとえば失恋は別れた直後の強いインパクト、衝撃がすごく強い気がするんです。ガンッ! と顔面パンチされたような。その痛みがすごく強いから、さすがにその瞬間には考えられないけれど、「必ずその痛みは引いていく」ということがわかる。打ちひしがれているんだけど、ある種の希望というか、絶対に時間がなんとかしてくれると思える。でも、今回の父の死はまったく出口が見えなかった。
私の場合は、父親がいなくなって寂しいというよりも、「人って死んじゃうんだ」ということに対してのショックが大きかった。「自分も死んじゃうんだ。じゃあ、なんで人は生きているのかな」という・・・。
あるとき紀伊國屋に行ったんです。うちの父は本が好きだったんですが、紀伊國屋に本がいっぱい並んでいるのを見て、「父親が何十年もかけて読み貯めた本の知識ってどこに行っちゃったんだろう?」と。あんなに一生懸命、目に見えないモノを体のなかに入れようとしていたのに。多くの人が毎日仕事をしながら何らかの形で成長していくわけじゃないですか。その努力ってなんだったんだろう? とか。死んじゃったらすべて終わりなんじゃないかって。
清水そうですよね、頭のなかの知識とか意志とか想いとか愛する気持ちとか、どこに消えるんだろう?
砂田それがむなしくて・・・。後からずっしりとやってきました。
清水そのむなしさがあったにもかかわらず、編集作業をしているときは楽しかったとおっしゃっていましたよね。つまり、編集作業の前後で何か変わったのですか。
砂田編集の最中は自分が何かを乗り越えようと思ってやっているという意識はなかったんです。ただ無心だった。あとから振り返ると、その作業はある種の防衛本能として必要だったと思うし、清水さんもそうだと思いますけど、もう一人の父親を(作品のなかに)つくってしまった、生み出してしまったわけで、それは消えないものだから、そういう作業をしたことによってある種の寂しさはすごく和らぎました。
いまの正直な気持ちとしては、父が言っていたように70歳まで生きたというのはとらえようによっては長生きしたと思っているから、そんなことでメソメソしているのは変だぞと。いや、他の方がどのように悲しんでもそれは人それぞれでよくて、ただ私はもうそこで止まっていたくない。父の死の哀しみを超えて、もっと深いものに欲張っていきたいと。
清水個人的なお父様を亡くされたという事実よりも、そこで感じられた生とか死のようなものをもっと突っ込んでいきたい、考えたいということですか。
砂田そうですね。そこに留まっているとものをつくる人間として止まっちゃうなと・・・。
是枝監督も『歩いても歩いても』は自分のご両親のことをモチーフにしているんですよね。私はあの映画に脚本づくりの段階から関わらせていただいたんですが、そのこと自体は映画が完成した後で知った。ミーティングのときにも「これは僕の両親を想ってつくりました」的な話はまったくなかったから、本当にビックリしたんです。
淡々としている是枝監督ですら、何年か経って自分のなかに存在するある種の後悔を映画にしようと思うくらいだから、失った人に対する想いを何かしら作品にしていくのは、至極自然な気持ちなんだろうと思うんですよね。
清水砂田さんのように自分が撮りためていた映像をこういう形でドキュメンタリー作品にする場合もあるだろうし、是枝監督のように想いを昇華させてひとつのフィクションを構築する場合もある。こういう作業って、「モーニングワーク(喪の仕事)」というらしいですね。何らかの作業に没頭することで、人は哀しみを昇華をさせているんですよね、きっと。
家族感の変化
砂田清水さんは本ができたあと、どんな心境でしたか。「一人でも多くの人に読んでもらえたら嬉しい」という感じでしたか。
清水うーん、それもあるし、同時にすごく怖い。本当に正しいことをしているのかどうか・・・。ま、何が正しいかわからないけれども、倫理的なことを考えますし・・・。あとは関わってくれた周りの方々の心に対してはすごく気を使いますよね。プライバシーの問題など誰か傷つけることになるかもしれませんし。
砂田書いているときは、ブログだから他の人も見ているけれども、基本的には自分と奥様のふたりだけの密な世界、密な結びつきですよね。それを公にしたことによって、一人歩きするような感覚はなかったですか?
清水それはやはりありますよね。ブログを開いていること自体も変ですし、書籍自体も個人的な内輪話を外にさらすわけで。でも同時に多くの人に読んでもらいたい気持ちもあるわけで、ホントに複雑。本にしてよかったのか悪かったのか、いまは正直わからないです。
砂田ブログにしているということは、本になる前からまったく自分たちが知らない人が自分たちのことを見ているわけですよね。
清水そうですね。極端な言い方をすれば、自分は妻が死んでいく実況中継をやっていただけなんじゃないか、という負い目というか、倫理的にどうだったのかなという想いはありますよね。いいのか悪いのか、それは夫としてどうなのか、いまだ結論は出ない。
砂田監督は作品が完成して、そういう気持ちの整理はついているんですか。
砂田ぜんぜんついていないですね(笑)。ぜんぜんというのはちょっと大袈裟だけど、いまはふたりの自分がいるような感じがします。宣伝しているときは「一人でも多くの人に観てもらいたい」と素直に思っているけど、片方では、たとえば取材相手の方からすごくエッジの利いたことを言われると、映画に対しての批判ではなく家族に対しての批判のように感じてしまう瞬間があって。そこの折り合いがなかなかうまくつかないんです。
清水そうですよね、そこに踏み込んで話を聞き出そうとすれば、「生き方に対する是非」とは言わないまでも、グザグザと刺さる質問になってしまう。
砂田まだそこまでグサッ! ていうのはないですが、これからたくさんあるのかなと思うと足が竦むというか・・・(笑)。あと、これは次にフィクションを撮ってみないとわからないと思うんですが、いまこの『エンディングノート』が単純に映画だけのものとして受け止められていない感じがするから、そういう不安というか恐怖はありますね。
清水プライベートな部分までってことですか。
砂田そうですね。それと自分の意志で、自分が望んでつくったものなのに、突然、遺族感情がめばえる感じがあって。その矛盾は自分でわかっているからこそ、そこが一番、折り合いつけるのが難しい。
清水そういうの、僕もありました。ワイドショー的な媒体の取材だと「このときってどんな気持ちでしたぁ?」とか、平気で内面に踏み込んで来るんですよ。
砂田そう、そうなんですよ(笑)
清水「奥さんが亡くなられたとき悲しくなかったんですか?」とか、もう一問一問が巨大な鉄球に殴られてるような感じで。「あの、もうちょっとナイーブに質問してほしいんですけど・・・」って(笑)。
砂田悪気はないことはわかるので不快ではないんですけどね。ただ単純にきつい。
清水「思いだして喋るのもけっこう辛いんですよ・・・」的なね。弱音っちゃ弱音ですけど。
砂田自分で蒔いた種ではあるんですが。
清水じゃあ、砂田監督の場合は、次にフィクションを撮られたときに何かいろんなことがわかるかもしれないですよね。
砂田そうですね。でも将来、役者さんを使って撮ったときも、これくらい同じ気持ちでいられたらいいなって。「私は監督だから演出まではやるけど、あとは関係ない」と突き放すのではなく、役者自身のすべて、彼等がさらされることのすべてまで自分も責任を感じられるような、親のように見守れる監督でありたいです。
清水なるほど。当然のことですけど、監督は次回作を考えてますよね。僕が取材で一番困ったのは「次回作はなんですか?」と訊かれたことなんですよ。もう身近な人、死なないし、っていう(笑)。
砂田でも『がんフーフー日記』に準じたものではなくても、純粋に何か本を書きたいというのは?
清水いまはないですね。この本は「自分がクリエイトした」という感覚ではなく、たまたま体験した出来事の総責任者として出版までたずさわった感じがするので。
砂田さんはお父様を看取って、『エンディングノート』をつくって、家族観は変わりましたか?
砂田・・・やっぱり、見送るときはものすごく感じましたね。特に最後の数カ月は一人の人を見送るためにみんなが集結していたから。喧嘩するしないじゃなくて、いろんな意見があるから当然ぶつかることもあるけれど、ひとつの課題に全員が集中するというのは、病気以外はあり得なかった。たとえば結婚式だったら当日みんなが現れるだけじゃないですか(笑)。
清水当日だけの一悶着と解決はあっても、何週間、何カ月、顔を付き合わして課題に集中するというのはないですよね。
砂田私、家族ってチームメイトみたいだなって思ったんです。すごい理不尽に集められたチームで、それぞれ野球やりたい、バスケやりたい、手芸やりたいと思っていたのに、突然理不尽に集められて、チームを組まされた人達の集団。辞めることもできるんだけど、辞めるのはかなり厄介で(笑)。何の因果だよ! みたいな。
清水性格も合っているんだか合っていないんだかわかんないみたいな。
砂田そう。だけど近々大きな重要な試合があるわけですよ。そこで作戦会議しながら向かっていく感じがしたんですよね。特に、病気って答えがないから何がいいのかということを本人を含めてとことん考えるじゃないですか。それがものすごく貴重な体験でした。
清水書くのは個人競技ですけど、映画は団体競技ですよね。砂田さんは映画にずっと携わっている。でも『エンディングノート』はそういう種類の映画とも違っていたわけですよね。
砂田少し意味合いはちがいますが、父が亡くなる2日前、ものすごく忙しかったんです。延命措置をどうするかとか、痛み止めをどうするかとか、決めることが次から次へと出てきたとき、家族みんなのチームワークの良さに、「映画の現場みたいだな」と思った瞬間があります。
映画はある種ピラミッドなんですね。トップに監督がいて、それ以外の人達の独自の判断というのはなくて、どうしたら監督の撮りたいものを撮るかという感じ。会社だと、社長はいるけれど、それぞれのセクションが独立して判断しながらやっていくでしょう。でも映画の撮影現場はそのピラミッドが非常に強い。その感じに近いな、と、最後の見送る瞬間で感じたことをいま思いだしました。
清水撮影現場で言うところの"監督"は、そのときの砂田家にとってはお父様だった?
砂田ええ。父自身はもう何も命令できないんだけれども、父がどうしたいかというのをずっと耳を傾けて、いま何をしてほしいか、いま困っているのは何か、してあげられることはないか、ということに家族みんなが集中して、それを必死にやっていました。
清水それは、いい"現場"でしたね(笑)。喋れなくなった"監督"の意向をなんとかみんなで汲み取っていた。
砂田そうですね。もちろん病院の先生もその一員だったと思うし、本当にものすごいチームワークを感じた2日間でした。

清水それは実際に『エンディングノート』を見て感じたことです。映画、多くの人に届くといいですね。
砂田ありがとうございます。今日は本当にありがとうございました。
清水こちらこそ。とても楽しかったです。



