感じる坊さん。

はじめに

2016.07.04更新

「こんにちは。三十八歳、坊さんです」

 僕は三十八歳の「坊さん」だ。
 お遍路さんの訪れる四国八十八ヶ所の寺、愛媛の栄福寺の住職に二十四歳の時になった。尼僧(にそう、女性のお坊さん)である妻、四歳の長女、そして一歳の次女たちお寺に住んでいる。僧侶ではない両親や、先代住職の妻でもある祖母も健在だ。
 四歳の長女は、文字を書くことを覚え始め、昨晩もメモ帳に平仮名で、自分のプロフィールを黙々と書いていた(彼女はそれを<隊員帳>と呼んでいた)。
 そこには、
「おとさん(※自分の名前) 4さい(※年齢) 12がつ(※生まれた月) やきいも(※自分の好物) あめ(※好きなデザート) てら(※自分の住んでいる場所)」

と共に「こおぼうたし」と書いている。
「これはなに?」と聞くと、「弘法大師!」と即答する。「今の自分」を構成するたった七つの要素にすでに平安時代の僧であり、四国遍路や自分の住んでいる栄福寺を創建したと伝えられる空海を意味する「弘法大師」の名をあげることに、親としても僧侶としても少し驚いた。年間で平均すると、約七万人の巡礼者がこのお寺を訪れることも、彼女の心に何かしらの影響をあたえているのかもしれない。また僕にも経験があるけれど、ただ単に親を喜ばそうと思って、書いてみただけなのかもしれない。
 一歳の次女は、まだほとんど言葉を発することはできないけれど、こちらが言っていることは、かなりわかるらしい。そして、ニヤーッと笑ったり、時々とても不思議そうな顔で僕や虚空を見つめている。

 そんな小さな命に囲まれて暮らしている僕だけど、ここ最近は近しい存在の死が続いた日々でもあった。まず、広島に住んでいた父方の祖母が百歳で亡くなった。四国の寺の住職としての役割、しかも小さな子どもがいることを考えると、通夜に出席するのがやっとのような気がしていたけれど、妻が珍しく断言するように、「通夜、葬式、四十九日にはしっかり出るべきだよ」と口にし、それに従うことにした。広島の親戚たちは、久しぶりに会う僧服姿の僕をみると、「なんか安心するな。本職がついてるんだから」とすこし笑顔になって、喜んでくれた。むしろこういった時に「ああ、僕は坊さんなんだな」と実感することになる。

 もちろん一緒くたに語ることはできないけれど、長年、家族として生活を共にしてきた黒いラブラドール・レトリバーである犬のサクラも、すぐその後に亡くなった。広島の祖母も会うことを切望してきた犬である。大根を自分で土を掘って食べるという特技があり、ラブラドールの専門誌から取材を受けたこともある。サクラは当然と言うべきか、病院ではなく自宅である寺で亡くなったため、動かなくなったサクラを僕は、「本当に死んでいるのか」何度も確認することになった。そして、帰ってきた父とふたりで墓になる場所まで運んでゆく。動かなくなったその体は驚くほど重かった。
 自分は僧侶として、またそうでなくても身内の死などを通して、「死の現場」を少し、知っているつもりだった。しかし、サクラの顔を何度も眺め、体に触れ「死の確認」を何遍もしながら、重い体を運んでいると「ああ死ぬということはこういうことでもあるんだ」と、サクラが言葉にならない実感をずしりと教えてくれているようだった。

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ああ哀(かな)しきことよ。哀しきことよ。哀しみの中の哀しみだ。
ああ悲しきことよ。悲しきことよ。悲しみの中の悲しみだ。

弘法大師 空海『遍照発揮性霊集補闕鈔』巻第八(現代語訳)


「哀(かな)しい哉(かな)、哀しい哉、哀(あわれ)が中の哀(あわれ)なり。
 悲しい哉、悲しい哉、悲(かなしみ)が中の悲(かなしみ)なり」(漢文書き下し)


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 僧侶として、人の死の葬儀を司る時、僕は空海(弘法大師)のこの言葉を紹介することが多い。空海が愛弟子、智泉(ちせん)の死に際して放った言葉は、驚くほど率直だ。
「僕たちからみると、覚りきっていたようにみえるお大師さまにとっても、近しい人の死の悲しみはあまりにも悲しいものでした。僕たちが、いま、あまりにも深い悲しみの真っ只中にあるのは、当然なのかもしれません・・・」

 そんな言葉を添えて、ただその場所にある沈黙に耳を澄ませた。そして、

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「起きてくることを生と名づけ、帰って行くことを死と呼ぶ」

弘法大師 空海『遍照発揮性霊集(へんじょうほっきしょうりょうしゅう)』巻第四 現代語訳

「起るを生(せい)と名づけ、帰るを死と称す」(漢文書き下し)

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 この言葉の中に含まれている「死とは帰るということ」、その言葉のもっている感覚をそこに集まった人達と噛みしめあった。

 安芸門徒の多い広島ということもあり、父の実家の菩提寺は浄土真宗だった。聞き慣れないお経の音を追いかけながら、自分が今まで死者たちを送ろうとしてきたことを思い浮かべる。そして残された家族や友人に、弘法大師の言葉だけでなく、「自分が死者の立場であったら、残された人たちに<自分の死をどう受け止めてほしいか>ということを、繰り返し思い浮かべて欲しい。それは、ただの悲嘆ではないのではないでしょうか?」そんな問いかけをしたことが、今度は自分に跳ね返ってくる。死は言葉でいくらわかっていようとも、あまりにに深い悲しみを時に振り払うことができないし、たぶん、するべきでもない。
 僕を含めて人が意外と勘違いしているのは、自分の「死生観」というものが、「自分の死」で考えることができると思っていることだ。例えば、「自分は散骨をしてほしい」「自分は葬式はいらない」と言っている人が、例えば自分の親や子どもや友人の死に際しては、同じ言葉が出てこないことがある。つまり人の死生観は、ある意味では「他者の死によって顕在化する」。その時、人は自分の命を自分だけが所有していたわけではないことを知り、他者の命に自分が含まれていたことを知る。だからこそ人の死は、部分的に自分の死であり、あまりに痛くあまりにさみしい。
 そして同時に死者の供養をする中で、何度も感じ続けたことをまた感じる。【人は生まれてきた以上、きちんと死ぬことができるし、周囲の人たちも時間の中で多くの場合、それを受け止めることができる】そういうことだった。死は悲しみであると共に、残酷なほど究極の自然(じねん)でもあった。

 今年は、教えを受けている高野山の師から受けるように勧められた勧学会(かんがくえ)という伝統行事に出仕(しゅっし)することになったので、僕は四国から電車に乗り片道7時間ほどかかる高野山まで度々足を運んでいる。この行事は弘法大師が日本に伝えた密教の教義を学ぶためのもので、学僧としての仲間入りを届出するのに交衆(きょうしゅう)届けと呼ばれるものを提出し、競願(けいもう)願いを出して、勧学会への参加を願い出て、新衆(しんじゅ)の列に加わる。またその教えをどの師について学ぶかを師附(しづけ)と呼ばれる奉書に筆で書かれた書面を提出する。この階梯は、高野山山内の寺院住職にとっては、必須のものではあるけれど、僕のような地方寺院の住職にとっては必ずしも必要なものではなく、僕も受けることなど、想像だにしなかった。しかしある日突然、高野山で空海の著作を学ぶ師から、「勧学会を受けてはどうか。年をとってから、できないこともある。高野山に師僧がいないなら私がなろう」という機会を頂いた。しかし、正直一カ月も寺を空けることは不可能であろうと、妻に相談することにした。
「ミッセイさん(僕)の強みは、師がいることや。もう、その歳になると人の言うことも聞きづらいし、性格からすると聞く気もないやろ。でも、怒ってくれる人がひとりいたわ。それが師や。勧学会には、ミッセイさんの足りへんものが、詰まってるわ。さすが師はわかってはるな。子育て、寺の留守番、葬式法事、私に任せとき。みんなが声をかけてもらえるわけじゃないんやで。ありがたいことや」
 生まれ育った土地である関西弁で彼女は僕の目を見据えて言った。返す言葉はなかった。そして、「本当は自分がもっと仏教を修行したいんじゃろな(したいんだろうな)」と僕も四国の言葉で想像する。寺に縁もゆかりもないサラリーマン家庭に育った彼女は、比叡山に憧れながらも、縁のあった高野山の寺院で密教修行を修めた僧侶でもあるのだ。彼女の求道の勧めが、本当は悔しさもあるのかもしれないことを想像する。

 高野山から戻る途中の新幹線で、僕は何度かノートを広げ、こう書き連ね自問する。
「僕はこれからどうあるべきなのか?」
 となりでスポーツ新聞のスケベな欄を眺めながら駅弁を頬張っていた男性が、そのノートを一瞥して、次に僕の目を横目で確認し、またスポーツ新聞に目を戻す。もし彼が僕の知り合いであったなら、何と言って突っ込むだろう。僕も意に反して、スポーツ新聞を流し目で確認し、頭を振ってまたノートに自問する。
 結論はいつも、「自分にきちんと引きつけながら、仏教を学び、修行し、それを誰かに伝える。そういう気風をお寺という場所に漂わせる。時に今までにあまりなかった楽しくて創造的な雰囲気を発しながら」そういうことだった。今まで住職になり十五年、想像以上にできた部分もあるし、「ずいぶんさぼってしまったな・・・」と感じる自分もいる。

 そんな日々の中での出来事、感じたことを、これからみなさんにお伝えすることができればと思っている。

 今年は、四国遍路を逆に回る「逆打ち」の多い年ということもあり、僕は縁があって様々な場所で遍路のことをお話しする機会を与えられた。それは例えば観音霊場の寺院の集まりであったり、書店での「遍路本」関連イベントだった。そこで、ふだんは頭で考えることの少ない遍路の特徴について考えてみると、次のような要素が思い当たるところがあった。それは、①自然との交流。②体をつかう。③土地の文化、習慣を知る(土地とつながる)。④時にひとりになることができる。⑤時に誰かと一緒にやることを学ぶ。⑥死者との対話。 という六つの要素に加え、「仏」と呼ばれるものから発せられるメッセージに耳を傾けるために、現代人が持つことの少ない「祈り」を持つ機会を与えてくれるものだと感じた。
 そして、それは「遍路」「巡礼」に留まらず、僕たちが仏教から発せられるヒントを意味のあるものにすること、そして仏教から離れても、日々の生活の中で、多くの人たちが「不足しがち」な要素であると思う。
 僕がこれから書いていくものが、「言葉」でもありながら、みなさんに自然との交流を促し、体を使って街に飛び出し、自分の根っこにある文化や習慣に興味を持ち、時にひとりぼっちの暖かさを味わいながら、誰かと「一緒にやる」ことの楽しさを知り、今ここにはいない死者との会話を堪能しながら、仏教から発せられるものを、「祈り」と共に、受けとる。そんなものでありたいと妄想する。
 でも、そんな大きなことはなかったとしても、お茶をすすり甘い物をかじりながら、みなさんと、同じ時間を共にすることがでできればと思っている。それがつまり「生きる」ことだとどこかで思っているから。

今月のミッセイボイス
☆ 空海のシリアスな面も表現されている漫画『阿・吽』(おかざき真里、小学館)を読みました。おもしろかった! 続きが楽しみです。
☆ 同じ愛媛出身の禅僧、藤田一照師の著作を読んだり、ワークショップに参加しました。仏教や座禅に興味がある人は、ぜひ体験してほしい方です。入門には、『善の教室ー座禅でつかむ仏教の神髄ー』(藤田一照・伊藤比呂美、中公新書)もおすすめ。

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)、『坊さん、父になる。』がある。

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