感じる坊さん。

第3回 先にあげる

2018.02.02更新

 僕が住職をしている栄福寺に新しい人が二人、働き始めた。といっても週にわずかな日数だけど、ほぼ十数年変わらないメンバー(家族以外では二人ほど)で運営をしてきたので、なんだか新鮮な気持ちだ。
 ひとりは近所の自転車屋の娘さんで二十代前半の女性。小さい頃から書道をやっていたこともあり字も達者で塾の講師の合間に、お遍路さんの納経帳(朱印帳)を書いたり、事務的なことをしてくれたりする。
 もう一人は、僕よりいくぶん年上の僧侶を目指す大柄の男性。しばらく高野山で働いていたが、縁あって愛媛にしばらく前から住んでいる。スイミング教室で子供に水泳を教える合間にお寺のことを手伝ってくれている。お寺の仕事が終わった後、僕とふたりでお堂で瞑想と読経してから帰ることも多い。
 なんだか急に年齢だけみても、幅広いメンバー構成になった。

 年末には毎年、京都の本山で修行道場に入っている若い僧侶達が、団体で四国遍路をお参りに来てくださるので、四国五十七番札所である栄福寺の境内には若々しくて、力強い読経の声が響く。

 修行中なのであまり無駄口を叩かない彼らと無言で合掌を交わしあう。これから全国のお寺に散ってゆき「お坊さん」として動き始めるのだなぁ、と思うと「お互い、がんばろうぜ」というような気持ちになったりする。そして指導役のお坊さんに苦労話を聞いたりしながら、少し離れた場所にあるバスの駐車場まで歩くのを、僕は少し楽しみにしている。多くの指導役の僧侶はもう僕よりも年下だ。四十歳。プロ野球選手ならばかなりの選手が引退する年齢。若くはない。しかし老け込む年でもない。坊さんである僕にとっても微妙なお年頃だ。
 バスに乗り込んだ僧侶達を再び合掌で見送っていると、修行僧達も全員で合掌を返してくれ、見えなくなるまで無言の視線を交わす。そして軽く一礼して、僕はまた栄福寺に帰る。
 
 十二月三十一日、大晦日は除夜の鐘だ。突き始めるタイミングはお寺や地方によって様々なようだげど、栄福寺では大体午後十一時四十五分に突き始め、その途中で新年を迎えると近くにいる人達と「新年明けましておめでとう」と口々に(やや、わざとらしく)挨拶を交わしあい、百八回まで残りを突く。
 真冬の深夜ということもあり、かつてたくさん来てくれていた栄福寺周辺の住民の皆さんは高齢化が進み、除夜の鐘を突きに来る人も減少傾向にあったけれど、ここ二年程は若い人を中心に再び少しずつ増えてきている。それでも数十人ほどなので、ひとりが三回、四回、いや十回と何度も突き、手を合わせる。

 一月一日は、座敷に家族が集まり「今年の神様」を床の間にお呼びして全員でパンパンと手を打つ。この日は、お寺にも初詣での人たちや、新しいお守りを買いに来られる方も結構いる。
 新年二日、三日、四日は市内の檀家さんの家を「お年始」と称して廻り、多くの家では家に上がって仏壇の前で読経する。正直言うと、「お正月から他人様の家を訪問して、上がり込むのもどうかな」と毎年思うのだが、お参りを終えた後は、なんとなく「これはお互いにとってもなかなか良いことではないかな...」と思い直し今のところ毎年行っている。病人がいる家、子供が産まれた家、奥さんが亡くなった家、本当に様々な雰囲気があり、人生の悲しみや深み、あっけなさのようなものを深々と感じる。
 お年始を終えると、栄福寺のある今治市玉川町には真言宗のお寺が七寺あるので、そのすべてのお寺を一日ずつまわり、「大般若法会(だいはんにゃほうえ)」を勤める。大般若経典は仏教経典最大のボリュームがあるので、転読(てんどく)といってアコーディオンのように経典をパラパラと大きな動作で開いてゆき、その前には大きな声で「大般若波羅蜜多経〜〜(だいはんにゃはらみたきょう)!」と僧侶達が叫びまくる。行事の後では、「ぼっかけ」と呼ばれる汁の多い牛丼のような郷土料理など、お寺によって決まった料理が出される。(ちなみに栄福寺は毎年、「うどん」である。栄福寺の大般若法会では、儀式の後、地域の人と昼食をとる。今年は、地域の方が、自分で作ったお米を三十キロもお供えしてくださった。)

 というわけでもう二十四歳の頃から、十五年以上のルーティンではあるが、なかなか忙しい一月である。

 昨年から、僕自身も四国八十八ヶ所のお参りを始めている。今は車で廻っているが、それを終えてすぐに一ヶ月に一週間ずつの「くぎり打ち」(遍路を分けてお参りすること)で歩いてお参りしようと思っている。「お寺で拝む時間」「歩く速度」によっても違うが、四国遍路を歩いて廻ると(つまり四国を一周することになるわけだけれど)、大体五十日程かかることが多いらしい。
 以前歩いて廻った時の経験や、今お参りしている時に僕も経験したが、四国遍路を巡る「お遍路さん」が必ずといっていいほど経験するのが、「お接待」(せったい)だ。巡拝者が地元の人に食べ物やお金を布施されることをそう呼ぶ。それはどこかに「お遍路さんは弘法大師と共にお参りされているから」という思いもある。
 栄福寺でも、手作りのお菓子やお弁当をお遍路さんにお接待するのを繰り返す人がかなりおられる。その人達が、共通して口にするのは、「させてもらっている」という言葉だ。「してあげている」とは対極的な態度。
 この「あげる」ということは、口にするのは簡単でも、実行するのは難しい。それはもちろん(?)僕を含めてそうである。しかし、この「見返りを求めない贈りもの」の精神は、仏の教えの大きな根幹をなしていると僕は感じるし、たぶん僕たちの生活にとっても大きな存在だ。

「広くものを与えることを楽しみ、たえ忍び柔和であることを楽しみ、禅定に入って乱れないことを楽しみ」(『維摩経』より部分抜粋)


 僕の部屋の壁にも、仏教経典からのこんな言葉が長年貼られている。「楽しむ」という表現も胸に響く。

 自分や現代の社会にあるお金や物に限らない、行動や人間関係をみていると、「もらったものだけ返そう」と思っている人たちが、とても多いように感じた。例えば「親切な人」「恩義がある人を選んで〝もらった分だけ、返そう〟としている。そして、それもまた耳が痛い。
 「もらったものだけ返そう」の精神には、ひとことで言うと、あらゆる関係の中で「自分だけが損をしたくない」という気持ちが多く含まれているように思う。もらったものだけを、もらった人に対して、返していれば永遠に自分は一見、損することはない。
 しかしふと考えてみると、その自分に対して何か「贈りもの」与えてくれた人は、「先に」「返してくれるか保証のないまま」贈りものをくれたのである。そしてそこになにか大事な物があると僕は予感する。贈りものや慈悲は、いつだって〝先出しじゃんけん〟のようなものだ。
 今まで生きてきた中で、「あげたもの」よりも「もらったもの」のほうが、ずいぶん多くなってきた気がする。これからも「頂くもの」もずいぶんあるのかもしれないけれど、「贈るもの」「渡すもの」があると素敵だし、なにやら楽しそうな気もする。その合い言葉は、「先にあげる」だと胸に刻もうと思った。それは何も大きなことばかりでなく、友人や夫婦、知らない誰かとの「小さな関係」の中でもそうなのかもしれない。その時、僕は始めて「お接待」の意味を知るだろう。
 
 年始の忙しい時間の中で、ある日、本堂で弘法大師(空海)の著作を声に出して読みたいと思った。まず手にとってのは『即身成仏義』である。

「仏身すなはちこれ衆生身、衆生身すなわちこれ仏身なり、不同にして同なり、不意にして異なり」(弘法大師 空海『即身成仏義』)

「仏の身体はすなわち生きとし生けるものの身体であり、生きとし生けるものの身体はすなわち仏の身体である。不同でありながら同一であり、不異でありながら異なのである」(現代語訳)


 空海、そして彼が日本に伝えた密教に色濃く香る絶対的な平等性。仏の身体は僕たちの身体である。そして、それは「同じ」とか「違う」といった概念自体を吹き飛ばすものだ。
 その深遠な思想も、ふと「先にあげる」といった行動の中で、見えてくることもあるのだろうか、と想像した。


「日本においてお坊さんであることは一体どういうことなのだろう?」そんな疑問が頭をよぎることが何度もある。昔のあるいは世界の仏教の僧侶と違い、まず僕は普通の生活者と同じように一般的な暮らしをして、妻がいて娘達もいる。今年、小学生にあがる長女は、最近、はじめて自転車を買った。

 初期の仏教が大乗仏教に展開した時期は、西暦紀元前後にギリシャ、ローマ、中央アジアの西方文化がインド大陸に流入した時代であり、インドの伝統文化も「そのまま」ではいられなくなった時だ(松長有慶『密教・コスモスとマンダラ』)。また僕たちが教えを受けた密教では、大いに呪術を行うけれど、元々、釈尊は呪術を仏教に持ち込むことを禁じた。しかし仏教がガンジス川流域のリベラルな人たちの多い都市地域から、バラモン教の伝統を残す農村地域に広がる中で、身を護るための呪文は徐々に許されてくる(『同』)。
 つまりあらゆる仏教がその時代と地域によって独自の姿を見せる「ローカル・ブディズム」(© 釈徹宗先生)なのである。
 僕が、冒頭に書いた「お年始」を各家で拝みながら、〝得も言われぬフィット感〟を感じたように、日本には、日本のそして今の時代の仏教が同じようにあるはず。

 昨日、娘にスキンヘッドを指差し、冗談で「お父さんの髪型、変かな...」肩を落としてと言うと、
「お坊さんやからやろ! 似合ってるやろ!」
といきなり謎の怒りを持って励ますように叫んでくれたのを、僕はなんとなく思い出していた。

 親と子供の関係も「先にあげる」の連続かもしれない。親が子にあげるだけでもなく。子が親にあげるだけでもなく。

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)、『坊さん、父になる。』がある。

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