きんじよ

第36回 じきゅうそう3200メートル

2018.02.05更新

 近所も近所、息をとめて路地を東へ走り、ミシマ社を左手に見つつT字の交差点に出れば、そこがもう鴨川の川辺。犬に、鳩、鴨や鳶、魚たちとヌートリアの楽園。そしてランニング天国。
 分厚いジャージのおっちゃん、背の高い外国人カップル、真剣な顔の女性、中学生の一団、少年野球団。次から次に、それぞれのスピードでひとが走ってくる。僕も走る。
 ひとひが小さかった頃は、僕ひとりで鴨川の東岸を、丸太町橋から下鴨神社まで、軽いジョギングで往復していた。およそ3キロほどの距離を20分くらい。
 ひとひが生活団の6さい組のとき、ランニングの目標を北大路バスターミナルに定め、そのため、毎朝ふたりで、丸太町橋から賀茂大橋までを往復して走った(「きんじよ」第26回「北大路バスターミナル」参照)。途中の広場で10分くらい、散歩中の犬たちと遊ぶのも日課に。駆けまわったりボール投げたりおやつあげたり。犬好きなのに犬の毛アレルギーのあるひとひに、ある日飼い主の奥さんが軍手をくれた。ひとひは犬たちの絵を一枚いちまい描いていっては、それぞれの飼い主にプレゼントした。
 小学校にはいると朝起きられなくなるのは誰しも同じ。ただ、足のサイズはどんどん大きくなって、靴を買い換えるそのたびに、新しい運動靴で、鴨川の河原を走りたがる。ぼくはえんえんジョギングだが、たまに、小学校一年生の足に引き離され、ともすれば、必死でダッシュしてようやと追いつくこともある。
「こどもって、つかれへんねんなあ」
 と、弾む息と動悸の底でそんな風に思う。
「しばらく、いっぱいいっぱいのダッシュで走ったって、ちょっとスピードゆるめたら回復する。乳酸いうもんが、ぜんぜんたまらへんねんな」
 京都の前は、信州、神奈川、それに東京。これまで移り住んできたどの場所も、振り返ってみれば、「きんじよ」に、日々走るための絶好のコースがあった。
 東京・浅草時代は、いまはスカイツリーが間近に建つ吾妻橋のたもとに住んでいた。マンションの真裏が隅田公園で、そこからスタートして、隅田川にえんえん沿って、メートル表示つきのランニングコースが作られてあった。
 三浦半島先端の三崎では、釣り船のぎっしりとまった北条湾を、埠頭沿いに、油壺まで走るのが日課だった。空気の澄んだ冬の朝には相模湾ごしに富士山のシルエットが浮かびあがった。
 信州・松本では、ぶどう畑のひろがる扇状地を駆けた。園子さんとふたり住まいの僕のうちが、近所で唯一、デラウェア農家でない家だった。アルプス公園にむかう長い長い坂道、それに、ほとんど誰も通らない裏山の森なんかも走った。
 ゼッケンをつけ、集団でスタートし、決まったゴールに一定時間内に飛びこんで、自分をほめてやる、といったマラソン競技にはまったく興味がないが、なぜか、ふっと時間があいたら身軽な服に着替えて走る、ということだけは、もう三十年近くつづけている。
 走っている途中、いろいろと、なにか考える。そのうちになにも考えなくなる。考えられない、でなく、頭のなかがひろがって、なにかを考える、という普段のギアが、オートマで切りかわる。ランニングハイ、とまではいかないが、川も海も山も、ふだんよりくっきりとした輪郭をもってみえる。そこを走っているだけでなく、そこに飛び込み、川や海や山や、道や空や風と、溶けている。一体になり、僕自身、海自体、道自体、風自体になっていると感じる。だから、やめないのかもしれない。
 京都はマラソン、駅伝が盛んな町だ。冬ともなれば、毎週のように道路を封鎖し、そこここで旗やうちわの振られるなか、全国から集まってきたスリムな男女が、うお、と息をのむようなスピードで駆けぬけていく。小学生のための大会「大文字駅伝」もある。
 この一月、ひとひの通う錦林小学校でも、全学年での長距離走大会がひらかれた。おそらく、将来の大文字ランナーを見いだす、そんな目的もあるんじゃないか。コースは、丸太町橋の北から北向きにスタートし、賀茂大橋の下で南へ折りかえし、スタートの丸太町橋に戻ったらまた北へ折り返す。20分間でどれほどの距離を走れたか、首からさげたカードに、コースのそこここに立つ先生が書き込んでくれる。
 その日は寒かった、午後から雪になると予想されていた。鴨川の芝生の上、90人の一年生たちにとりまぎれて、ひとひは少し、不安そうにみえた。まわりでは同級生たちがワアワアふざけあっているし、応援にかけつけた両親や兄弟に笑顔で話しているこもいるのに、ひとひはぽつんと座り、じー、と川面の鴨や灰色の空をみているか、あるいは顔をむけているだけでなんにももみていない。
「しゅうごう!」
 先生の声。立ち上がり、スタート地点にむかう90人。もう先に三年生、二年生はコースを走りだしており、一年生はつまりしんがりだ。
「スタート!」
 号令がかかり、一団は荒神橋のほうへ長細く伸びる生きものみたいに進んでいく。そして橋をくぐり、そのむこうへ消えてしまう。
「どれくらいかな」
 と園子さん。
「さーなー」
 と僕。
「大人がジョギングでふつうに走って、15分で一往復かなあ。ま、一年生の速い子やったら、20分で、一往復と半分くらいいけるんちゃう? ふつう、ギリギリ一周やろ」
 三年が帰ってき、折り返してまた北へ。二年の速い子は三年の中段に追いつく。もちろん三年でゆっくりマイペースな子もいる。二年の大半が帰ってこようというころ、
「お!」
「うわ」
 なんと、一年生の先頭が、もうすぐそこまで帰ってくる。ひとひと同じ、一組のフワくん。ペースは二年のトップ集団とそう変わらない。少し離れて、一年の2位、さらにつづいて3位を含めたダンゴ集団、と、
「あ、ぴっぴ!」
「おーい! ぴっぴー! すごいなあ!」
 ひとひが思いっきり口をあけて笑いながら目の前を疾駆していく。楽しそうなことでいえば全体でもいちばんかもしれない。さっきの表情は沈んでいたのじゃない。集中していたのだ。それに、忘れていた、ここはまさしくひとひにとって、慣れ親しんだホームコースじゃないか。
 どれほど経ったろう、すいぶん離れて、ぞろぞろ、ジョギングペースの一年生集団が走ってくる。
「がんばれー」
「もうすぐ折りかえしやぞー!」
「一周もどってきたー」
 顔見知りの子らが手を振ってくる。彼ら彼女らも、親たちが応援してくれるのを、こうして楽しんでいる。ただ、突っ走っていくのがひたすら楽しい、といった、ひとひやフワくんの感じはない。陸上競技の指導をしている先生の目には、もっとはっきり違いがみえるだろう。
「はい、にじゅっぷーん!」
 のコールがかかり、ほっとした子どもたちはゆっくり歩きだした。それでも、3年にも2年にも、刻限をすぎたにも関わらず、足が動くに任せて走りつづけるひとがいた。1年にもいた。ひとひが荒神橋のほうからダッシュしてくる。さっきと同じか、それ以上に嬉しそうに、顔じゅう口いっぱいにして笑っている。
「ぴっぴ、すごかったな! どこまでいったん?」
「うーん、かも大橋まで、2かいめいって、おりかえしてすぐで、20ぷんなった」
「しんどなかった?」
「ぜーんぜん」
 と笑い、またもや丸太町橋のほうへ駆けだしていく。
 子どもだから、つかれない、乳酸がたまらない、のじゃなかった。ひとひは長距離走に向いているのだ。鴨川のコースや犬たちや、ストライダーで培ったスピード感のおかげで。
 そうとわかってふりかえってみれば、ひとつ腑に落ちたことがある。どうして京都で、マラソン、駅伝が盛んなのか。じつは簡単なことだ。それは、この町がきっと、走っていて楽しいからだ。そして京都を知るひとは、そのこともよーく知っている。
 ミシマ社の敷地から10秒ほど離れたところに、生粋の京都人で、ご夫婦ともアスリート、という家族が住んでいる。ふたり、見事なまでにランナー体型で、仕事も、ちがうスポーツジムでそれぞれ指導者をされている
 その奥さんがいつか、こともなげに、
「うちは、よう走るからね。郵便物、京都市内やったら、ふつうに、自分で走ってもっていくし」
 とつぶやいたことがある。頑健な足さえあれば、この町では、「きんじよ」はどこまでも広げることができるのだ。


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いしいしんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞受賞。6月に新刊『海と山のピアノ』を刊行予定。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

KBSラジオ「いしいしんじのころがるいしのおと」を毎週火曜日午後9時半から放送中。イベント「いしいしんじとコロちゃんの(だいたい)78回転のアルバム」を京都・誠光社にて定期開催中。

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