きんじよ

第31回 きりしたんくま

2017.04.22更新


 幼稚園のいわゆる年中、年長の時期、ひとひは片道二時間をかけ、西宮の「ようじせいかつだん」に通っていた。「せいかつだん」は週に二度、しかもひとひが乗り物好きだから、なんとか二年間通いつづけた。
 「ようじせいかつだん」は、全国に点在する自由学園の幼児教育施設で、僕も四十五年前、大阪南部の「せいかつだん」にかよっていた。京都にも「せいかつだん」はあるのだけれど、人数がそろわないので、年少の「4さいじグループ」までしかない。うちからのルートを考えると、京都駅からJRの乗り継ぎだけでいける西宮がいちばん便利だった。だからひとひの「きんじよ」は、ふつうの京都の六歳児とはちがい、大阪をこえて神戸のこちら側くらいまでひろがっている。
 この四月から、小学校にあがる。丸太町通を東へひたすらまっすぐ。うちから歩いて十数分のところ。家の前をつぎつぎと、色とりどりのランドセルをしょったこどもたちが通りすぎていく。
 僕は小学校に、おそろしい思い出ばかり持っている。ちょうどその頃、教育環境自体がバカ荒れしていたこともある。ランドセルをしょって教室にはいった初日、最前列で、男の子ふたりがガアガア声でしゃべっている。僕はそのとき机にあぐらをかいて座る人間をテレビ以外ではじめてみた。ふたりは顔をしかめ、老人みたいに喉の奥で笑いながら、
「でなあ、うちのおばはんがやあ」
「おう、きのうもおばはん、無茶ばっかしいいよんねん。ほーんま、かなんわあ」
「おばはんのパンツ、くらげみたいに、ガバガバなんやんか! かがっはっは」
 この「おばはん」て...このひとら、ひょっとして「おかあさん」のことを、「おばはん」とか呼んではる!
 三年間「せいかつだん」に守られて育った僕と、大阪ディープサウスの野良餓鬼と、ことば、考えから、服装、習慣まで、なにからなにまでちがっていた。「ずがこうさく」のとき、グループのひとりに、
「ごめん、ちょっとその、おのり取って」
 と声をかけると、僕以外の全員から、
「おのり! おのりやて! こいつ、どんなぼんの口がしゃべってんねん! ぼく、な、おはさみ、つかうか。な、おパンツ、ぬがせたろか?」
 などと、徹底的にからかわれた。
 一年の担任は、おとなしい、地味なおんなの先生だった。二年になって、児童教育の理想に燃えた、というか、ガソリンをまき散らしてこどもを焼き殺さんばかりの、三白眼の若いめがね男にかわった。たぶん三日に一度は、スリッパで耳の横をぶんなぐられた。
 なにか、大きな流れみたいなものに乗っかって泳ぐおとな、それをまわりに強要しようとするおとなが、「せいかつだん」の頃から大嫌いだった。「あんたら、自分の口でしゃべってへん。教科書よみあげる、テープレコーダーや」と公言し、めがね男たちに渡す日記帳にもそれを書いた。「こどもを、自分らにしたがうにんぎょうに、つくりかえようとしてる」と。六歳で、二十歳年上のひとびとの、底を見抜いたようなことをつぶやきながら、おとなでしかないおとなたちを軽蔑していた。「おとなに、こどものなにがわかんねん」と、心底おもっていた。「あいつら、もう、ただのカスやないか」
 初日、ひとひは、小学校からかえってくるや、
「たんのしかったわ~」
 そう叫んだ。そして、担任の先生がはさみの達人であること、トイレのべんきょうをしようとしたら2組のみんなが先にはいっていて、まってるあいだ紙芝居をよんだこと(ひとひは1組です)、熊野神社までこどもたちを引率した「おっちゃんのせんせい」が、「ルート6」と書かれたうちわを、ときどき持たせてくれたことなどを、興奮してまくしたてた。
 ひと学年100人余りの京都の小学校と、西宮の「せいかつだん」とは、心配していたほどのギャップをもっていなかった。あるいはひとひ自身で、ギャップを軽々と飛びこえた、ということかもしれない。
 しきりにいっていたのは、「あんなにおおぜい、いてるんねんで」「いっぱい、いっぱい、あそべるやんなあ」(せいかつだんではこどもは九名だった)
 同じ幼稚園時代をすごした相手がひとりもなく、知り合いが誰もいないかとおもっていたら、ふたつ前の席に、スイミングでずっと一緒の女の子がいた。隣には、しょっちゅう買いにいく、パン屋さんの子。ななめ前には京都でいちばん好きなお漬け物屋さんの子が座っている。なんのことはない、小学校に通う子らは、みんな「きんじよ」で育つのだ。
 じつは校長先生とひとひは、前年の十月からつきあいがあった。
 この連載にも書いたように、ひと冬、ひとひと僕は毎朝三キロほどのランニングをつづけた。いろんなコースを走るのだが、そのうちのひとつに「しょうがっこうコース」があった。四月から通うことになる小学校まで走り、その外周をぐるりと一周してから、岡崎方面にむかう。
 小学校の正門の近くに、すらっとした女性がいつもいて、「おはよう! 亀田くん!」「おはよう! 茨木さん!」と、元気よく声をかけている。校長先生だ。ある朝ひとひは立ち止まり、みずから先生のほうに歩みよって、
「あのう、こんど、ここのがっこうに、くるん」
 といった。すると先生が腰をかがめ、
「あ、そうなの! たのしみだなあ」
 そういってからピンと背を伸ばし、
「じゃあ、おなまえを、いってください!」
「いしい、ひとひ、です!」
「わかった! いしいくん、しがつに、がっこうのみんなでまっています。げんきに、きてくださいね!」
「はい! わかった!」
 おもえばこの日から、就学前だったひとひは、もうすでに小学校の一員になっていた。校長先生の存在が、ギャップの上にかかる、ゆるぎのない橋になってくれていたのだ。







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いしいしんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞受賞。6月に新刊『海と山のピアノ』を刊行予定。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

KBSラジオ「いしいしんじのころがるいしのおと」を毎週火曜日午後9時半から放送中。イベント「いしいしんじとコロちゃんの(だいたい)78回転のアルバム」を京都・誠光社にて定期開催中。

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