大越「今月の一冊 合宿編」ということで、今回は趣旨を変えて、それぞれが持ちよった本を別のメンバーが紹介するというかたちでやっていきたいと思います。合宿中にそれぞれが読み、3日目に発表する。
という企画が発表されたとき、みんな「どうなることやら」と思っていました。
ところで、これの意図は?
三島合宿ならではのイベントにしたかったんです。
かつ、これまでは持ってきた人しかその本を読んでいませんでしたが、単純に、ひとりシェアする人が増えているということで。いままでとは違う化学反応が起こるのではないかという期待もあって。
大越なるほど。では、一味違う、今月の一冊を始めましょう。
ジャンケンほい!
第1回 2010年8月(前編)
「怒らず 恐れず 悲しまず」
『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』(池田光、知的生きかた文庫) |
三島では、私からいきます。『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』(池田光、知的生きかた文庫)。これを合宿中に読ませてもらいました。これは渡辺さんが持参された本でした。
一読して、すばらしい。全員に読んでもらいたい一冊です。合宿中にやった朝の呼吸などが図解で全部紹介されています。(詳しくは「合宿レポート」を!)
大越「べー」のことも書いてあるんですか? (呼吸の最後に大声で叫ぶ)。
三島そういう呼吸法のことも最後に書かれているお得な一冊です。特におもしろかったのは、ひとつは「アンラーニング」について書かれていることです。
「既存の知識を捨てることをアンラーニング(学習棄却)といいます。捨てた者こそ新しい学びを始めることができる」
一同おお~。
三島それを、どういうふうに天風先生は学んだか。
天風先生は30歳の頃、結核を発病します。当時、不治の病で医者から見放されるのですが、ヨーロッパやアメリカなどに救いを求めていろいろ回るんですね。でもどこに行っても「あかん」といわれてしまう。そこで、「もう自分は死ぬしかないのか」と思ったとき、カイロでインドのヨガの聖人といわれているカリアッパ師に出会います。そこで、弟子入りして一緒にインドに行くんですね。
インドでは、すぐに重要なことを教えてもらえると期待していたのですが、なかなか教えてもらえない。そこで「どうして教えてくれないのですか。教えてください」と天風先生は頼みました。するとカリアッパ師は「丼に水をいっぱい汲んでここに運ぶように」といいます。指示に従うと今度は「お湯を持ってこい」、そして「丼の中に湯を入れてみよ」と命じられるんですね。
そこで、天風先生は「水がたっぷり入っている中にお湯を入れたら、両方ともこぼれてしまいます」と答えた。そのとき、カリアッパ師はこういうことをいいました。
「丼の水がお前だ。お前の頭の中にはいままでのへりくつがいっぱい入ったままではないか。いくら私の教えを湯のように注いでもお前には受け取ることはできない」
そこで、天風先生ははっと気づいた。そこから「よろしい。生まれたての赤ん坊になって私のところに来なさい」といって修行が始まります。まずアンラーニング(学習棄却)をすることから修行が始まっていくのだということが書いてあるわけです。
窪田なるほど。
三島仕事もそうだと思うんです。編集の仕事も、一冊つくるといろいろと知識はつきます。でも毎回まっさらな気持ちで「どうしたらこの本はおもしろくなるかな」という気持ちで向きあわないと、玄人向けの本はできても、核心をぎゅっとつかんだ面白いものはなかなかできない。だから、このアンラーニングは自分のなかで大切にしたいなと思っています。
それと、もうひとつは「肛門をしめる」ことの大切さです。
窪田コーモン?
三島このエピソードがまた強烈です。沈没した船があって、死体が波打ち際に打ち寄せられていた。その死体を並べていくのですが、その中にひとりだけお坊さんがいた。でも彼には死相がでていなかった。そこで師は「肛門がしまっているか見ろ」と弟子に指示するんですね。調べたらしまっていた。「彼は肛門がしまっているから生きているにちがいない」といって、蘇生させたら死んでいなかった。
そのお坊さんは、航海の前にひとつだけ自分の師からいわれたことがあった。それは「どんなことがあっても肛門をゆるめるな」ということだった。こんなふうに、尻の穴をしめる重要さを強烈なエピソードとともに書かれています。
一同なるほど(笑)。
三島日本の多くの人が天風先生の教えに学んでいます。天風先生関係の本はいろいろな角度から書かれているので、何冊か読んでおいたらいいのではないかな、と思いますね。
渡辺エピソードがいいんですよね。
三島この本は、すいすい読めるので、入門書としてすごくお薦めです。では次、木村さん。
少女ではいられなかった、サラの少女時代を思う
『サラの鍵』(タチアナ・ド・ロネ著、高見浩訳、新潮クレスト・ブック) |
木村はい。私は、『サラの鍵』(タチアナ・ド・ロネ著、高見浩訳、新潮クレスト・ブック)です。これは見てのとおり、すごく分厚くて「これを持ってきた人は鬼だな・・・」(持ってきたのは三島)と思ったのですが、読み出したら止まらずこの2日間で読み切りました。
三島鬼ですみません・・・。
木村(笑)いえいえ。ざっくりいうと、ナチスのユダヤ人迫害の話が書かれています。ユダヤ人の迫害は、『アンネの日記』とかで、今までいろいろ知る機会があったと思いますが、この『サラの鍵』のおもしろいところは、1942年のナチス占領下のパリを舞台にしているところです。
私はこれを読むまで知らなかったのですが、フランスでもユダヤ人の迫害はあったんですね。ポーランドのアウシュビッツでの迫害というのは、男の人が主に連れ去られて強制労働をさせられ、ガス室に送られるというものでした。
ですが、フランス政府は「これを機にユダヤ人を一切フランスから追い出してしまおう」という思惑のもとに、解釈を少し歪めて、女の人も子どもも一斉検挙して収容所に送っていたんですね。
まず、その事実を私は知らなかったのですごく驚きました。
三島フランスでは誰もその問題に踏み込もうとしないらしいですね。
木村国の恥じだということで。
大越戦後の新政権下でもそんな事実はないと隠された。
木村これは小説なのですが、実際にされていることはむごたらしいですよね。
サラの家族は、お父さんとお母さん、そしてサラと弟がいます。1942年7月16日にユダヤ人一斉検挙が行われ、フランス政府の警察がサラの家にもやってきます。
男性から連れていかれるだろうということで、お父さんは隠れていました。弟も納戸に隠れて、サラは外から鍵をかけていた。でも、女性である本来連れていかれるはずのないお母さんとサラがそのまま連れていかれそうになる。そのときお父さんはたまらず「僕も連れていってくれ」と出てきて、一緒に家を離れます。連れていかれた先は、トイレもないひどい状態のドーム。そこにまとめて押し込められる。
結局、弟は納戸に閉じこめられたまま亡くなってしまうのですが、サラは自責の念にかられるんですね。サラはすぐに帰ってこられると思っていた。自分たちがなぜ徴収されるかもわからなかった。フランスで生まれ、フランスで育っているのに、なぜユダヤ人の血が流れているというだけで徴収されるのか。ユダヤ人であることの何がいけないのかもわからない。押し込められたドームの中では、分け与えられる食べ物も最小限のものだけで、本当にひどい状態だった。
サラは途中で脱走して弟を助けにいこうと動きます。そこから、現代の主人公のジャーナリストと接点がでてきます。時間軸がナチス占領下のパリと現代のパリとで順番に展開されていきます。
窪田おもしろそうですね。
木村まず、ジャーナリストだったとしても、実際に自分の家族がサラの家庭につながっていくことを知ったときに、正面からその事実に向きあえるかなと読みながら思いました。
三島結果的に、旦那さんのルーツを探ることにもなるんですよね。
木村今の時代、女の子って、ふわふわしていようと思えば何歳でもいられると思うんですね。でも、主人公のサラという女の子は、途中で少女でいられなくなった。どうやってもしっかりしなくてはいけない状況に置かれるつらい運命についても考えさせられました。
貴金属を渡さなければならない順番待ちだったり、衣服を脱がされて、頭も丸坊主にされる順番待ちだったり、そんな恐怖の連続の少女時代を過ごした。それが、100年も前の話ではないのがすごく恐ろしい。
そして、ひとりのジャーナリストがその事実と向きあわなければいけなくなったとき、ここまで取材しなくてもいいのに、一生懸命自分の家族のルーツ、というか旦那さんのルーツを探っていく。
少し重い内容ですが、迫害というものがどういう精神的なダメージをもたらすのか、ということは読んでおいたほうがいいと思いました。
三島日本ではほとんど知られてないですもんね。
渡辺いわれてみれば、タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』はナチス占領下のフランスが舞台ですよね。冒頭のシーンは、ドイツの親衛隊、SSがユダヤ人をかくまっている農家にやってくるところです。でも、フランス政府が主体となってやっていたということは知らなかったです。
三島ナチス側は別に子どもと女性は隔離するという指示は出していなかった。フランス政府が主体的に行っていた。それは戦後いっさい公表されずにいる。
木村シラク大統領のときに演説で認めて、謝罪が実際にあるという進歩があります。でも戦争は迫害だけじゃなく、戦争をもたらすことで、日本でも同じようなことが起きた。
それに、読んでいてサラの自責の念が悲しくて悲しくて。
三島ジャーナリストがフランスで生まれ育ったアメリカ人なんですね。旦那は生粋のフランス人。だから、彼は彼女の取材には徹底的に反対している。そんな暗い歴史で、しかも自分たちの家族について追うことになるから「なんでそういうことをするんだ」と反対なんですね。そういうこともあって、主人公のジャーナリストはどんどん追いつめられて孤立して行きます。
そういう、自分の置かれている、フランスにおいて何者でもない人種という立場から見えてきた客観的視点というところで歴史を明らかにしていく、という手法で描かれています。
木村『戦場のピアニスト』でもドイツ人の将校に助けられるシーンがありましたが、この物語のなかでもサラが脱出するとき、町の警察でいつも親しくしていた人が助けてくれたりする。どんな迫害や絶対的な思想のなかでもやっぱり人の善意は出てきて、それがすごく光になって救われる。
窪田それがないとすごく怖いですよね。
木村とにかく心が切られるような一冊です。ぜひ読んでください。では次は、亜希子さん。
スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんという立ち位置
『仕事道楽――スタジオジブリの現場』(鈴木敏夫、岩波新書) |
亜希子わたしは窪田さん紹介の『仕事道楽――スタジオジブリの現場』(鈴木敏夫、岩波新書)を読みました。鈴木敏夫さんは、スタジオジブリのプロデューサーですが、この本は「鈴木敏夫さんの考える仕事論」を書いているというよりは、スタジオジブリの一スタッフとしての立ち位置で、インタビュー形式でまとめられた本です。自分のまわりにいる、宮崎駿さんや高畑勲さんといったすばらしい監督たちの個性とぶつかりながら、それに対して自分はこういうふうに仕事をしてきました、という感じで話がまとめられています。
この本は人をすごく描いているので読みやすかったです。人に恵まれて仕事をすることがいかに大事か、ということを思いました。
たとえば、「スタジオジブリはウォルト・ディズニーを超えるようなアニメーションをつくりたい」という思いがあって、はじめて立体的なアニメーションを目指した。そういうことが、さらりさらりと書いてある。
そこで、「宮崎さんとかは映画を進めるにあたって、実はこんなに淡々とつくっているんだ」とか、「ラストはつくらないことにしているんだ」とか、そういう裏話的な話がでてきます。
割と意外だったのは、「3人の関係がうまくいったのは、尊敬しあう関係でなかったからうまくいったんだ」「信頼はするけれども、それは尊敬という位置づけではなくて、お互いがお互いいいたいことをいいあって、思ったことを伝えて、そういう空気感のなかで仕事を進めてきたのが、自分たちのなかではうまくいった」というところです。宮崎さん、高畑さん、鈴木さんは、そういう関係で成り立ってたんだなぁ・・・と思いました。
林へー。
亜希子鈴木さんもすごく勉強熱心で、一緒に仕事をするからには「知らない」とはいえない。知らないうえで何かを語ることはできないし、それに対して判断することはできない。もし知らなければ知らないというし、答えようと思ったら、それに関するすべての文献を読み込んでちゃんと話ができるレベルにまで自分を持っていく。
そういう、自分への厳しさや仕事に対する責任感を当然のものとして持ったうえで、そのなかで結局鈴木敏夫さんにとって何が一番楽しいかといったら、人とつきあうことほど楽しいことはないと言っている。
「好きな人ととことんつきあう。好きな人に囲まれて仕事をする。それは最高じゃないですか。精神衛生上もいいし」と語っています。
この本を最後まで読みきれなかったので、鈴木さんがプロデューサーとして実際にどういう仕事をして、どんな役割を果たしているかはしっかりとはわからないのですが、仕事に向きあう心の持ちようがすごくよく書かれているいい本だなと思いました。
窪田そうだったんですね。そういうことが書かれてたのか・・・といま話を聞いて思いました(笑)。
木村そうなの?
窪田僕が印象的だったのは、鈴木さんが『アニメージュ』という雑誌をつくるにあたって初めて宮崎駿、高畑勲の両者にあったとき、「なんだこの人たちは。すごくおもしろい」と思ったそうなんです。でも、話していることについていけないから、毎日会うなか、一語一句書きとっていった。話を全部メモして、打合せが終わったらひとり喫茶店にいって、今度は書きもれているところを補足してもう一度全部書いていった。そして、それを家に帰ってもう一度全部書き写して復習するということを何年間もやり続けていたという話があります。
そういうド根性の上に鈴木さんがあるんだぁ・・・と。
鈴木さんはアニメーターではないので、自分自身が絵を描けるわけではない。だけれど、プロデューサーというサポートのしかたですごいことができるんだなと。僕も自分が著者として何かを書けるわけではないですが、営業として本づくりに関わっている。何かをつくるときの関わり方というのは無数にあって、突き詰めようと思えばいくらでもできるんだなと思った次第であります。
自分自身が「宮崎駿になりたい」ということだけじゃなくて、「鈴木敏夫としてクリエイティブなことができる」というところがおもしろいなと思って、持ってきました。
亜希子宮崎さんが鈴木さんの意見を聞いて、設計を変えたり、結末を直すこともあるというのを読んで、そういうこともあるのか、とすごくおもしろかったです。
三島仕事道楽っていうのはどこから来てるの?
星野この本はインタビュー形式で、最終的にインタビューをしていた人が「仕事道楽」ってつけたんですよね。
亜希子私が感じたのは、鈴木さんは仕事をとても楽しんでいる方、という印象で、仕事=生活のため、ではなく、仕事=遊び・生活、というところから「仕事道楽」なのかな、と思いました。鈴木さんも宮崎さんもあまり過去にとらわれなくて、執着しないですぐ忘れるんですって。だからこそ、どんな激しい言い合いをしても次にまた新鮮な気持ちでものづくりができると。
窪田鈴木さんはもともと編集者なんですよね。編集型プロデューサー。
このなかに、宮崎監督と鈴木さんふたりでぼんやり座っている写真があるのですが、この絵が鈴木さんの一番お気に入りの写真だそうです。そういうところも、鈴木敏夫さんの人柄が出ていていいなと思いました。
亜希子では、次、大越さん。
沖縄という島の「時間を超越したような美しさ」
『南の島の星の砂』(Cocco、河出書房新社) |
大越私は、Coccoさんの『南の島の星の砂』(河出書房新社)です。これは林さんオススメの本です。私は自分で読むために絵本を買ったことがなかったので、新鮮でした。林さんは、なぜこの本を買ったの?
林これは8年くらい前、当時からCoccoさんの歌が好きで聴いていたので、店頭で見たとき中身も見ないで即買いした一冊です。Coccoさんの描いた絵をみたことがなかったんですけど、なんというか、試行錯誤しながら描いてるのではなくて、Coccoさんだけに見えてる世界をそのまま描いているようで、すごいと思いました。いろいろ遊び心もあって、じっくり見るとおもしろいです。
大越ちなみに、どんな話かといいますと、南の海に、小さな島があって、人魚が暮らしている。そこに降る「星砂」のことを描いているんですが、非常に幻想的な一冊です。私はあんまり絵のことがわからないんですが、それでも、「この絵はすごい」と思いました。なんというか、ミュージシャンが片手間に描いた絵では、決してない。
窪田すごいですね。
木村色彩感覚もすごいですね。ベースが黒の絵本ってそれまでそんなになくて、出たときすごく売れたんですよ。ベースが黒なのに明るい景色が描かれてたり。
大越これは、黒い画用紙にクレパスで描いてひっかいたんですかね?
木村どうやって描いたかもよくわからないですよね。
窪田色塗ってその上にまた黒を重ねるんですかね?
大越帯に「遠い昔の琉球 記憶の中のオキナワ そして現実。沖縄で 息をするのは残酷です。でも今 それに挑んでいます。Cocco」というメッセージがあるんですよ。この本が出たのは2002年の9月。2001年に9.11のテロがあって、その頃って、イラク開戦の直前で、アメリカが戦争に向けてどんどん準備をしていった頃ですよね。
イラクには沖縄の米軍基地からも相当の数の部隊が行ったそうですから、当時の沖縄に住んでいると、戦争に向かっている感じがひしひしと伝わってきたんだろうなと思ったんですね。
Coccoさんからすると、自分が生まれ育った琉球、沖縄の小さな島がそういう巨大な力に押しつぶされていってしまうのが、耐えられなかったんではないかな、と。
Coccoさんの今回のコンサート(Rock in japan 2010)でも、「今日の声が広島に届くことを祈ります」ということをおっしゃっていましたが、この絵本を読むと、沖縄という島が持つ、時間を超越したような美しさを感じます。それをCoccoさんはこの絵本に込めたのかな、なんてことを思いながら読みました。
三島Coccoさんの高校のときのボーイフレンドは、お父さんが米軍基地の兵隊さんのハーフなんですね。だから、沖縄の人たちが「基地反対、基地反対」ということも受け入れられない。でも、自分は沖縄人。気持ちとしてはどっちでもないわけです。そこで、Coccoさんは自分の無力感に葛藤する。でも、そういうひとつひとつのことをないことにしないで向きあって、歌だとか詩や絵本といろいろなかたちにしている。全部を背負ってやろうとしてらっしゃるところが心を打ちますね。
亜希子昔は、在日米軍と日本人の間に生まれたハーフの子たち否定するようで、「基地反対」ということは公には声に出していえなかったそうなんですね。そういう人たちの立場を思うと、いえなかった。けれど、いまはあえていう。「沖縄から基地がなくなればいい」と。
はっきりと口に出していうようになるまで、いろいろな葛藤があって、いまそれを前面に出して歌も歌っている。すごいことだったんだろうなと、その思いをちょっとでも感じたなら受け止めないといけないのかなと思いました。
大越という本でありました。ありがとうございました。では、渡辺さん。
(後編に続きます!)
