凍った脳みそ

第16回 婆さんがたったひとりで

2017.07.20更新

 かくして、俺の1stアルバムに収録される楽曲のミックスが完了した。

 生きる気力を奪い取る地獄のような寒さだったけれど、シカゴ在住の巨匠の手によって、すべての音があるべき場所に配置され、それぞれの音が魅力的に振動する素晴らしいサウンドに仕上がった。

 思えば、完成までには様々な音楽的苦労があった。

 何しろ、ソロ活動はバンドに比べてやらなければならない仕事の量が多かった。

 音楽をはじめて以来、四、五人で行ってきたアレンジ作業をひとりでやるのだから、仕事の量が増えるのは当たり前だろう。そんなことは覚悟の上だったのではないか、と問われれば、確かにそうだよね、としか答えようがない。

 これまではドラマーが思いつくまま叩くリズムパターンにダメを出し、コード進行やグルーヴについての要望をベーシストに伝え、ギタリストに嫌味を言いながら自分の演奏パートを考えていれば、いつの間にか個々の楽器の演奏がそれなりの場所に着地して、これぞと思えるバンドサウンドを得ることができた。これが噂に聞くバンドマジックというやつだろう。

 ところが、辞書を引けば「歌唱、楽器演奏、演技などをひとりで行うこと」と書いてある通り、ソロはすべてをひとりで行わなければならない。

 と書くと、多くのソロミュージシャンはたったひとりで音楽を完成させているのか、それはすごい、逆にグループやバンドなどで活動しているヤツはなんだか狡いじゃないか、バンドなどぬるま湯だ、ソロミュージシャンを見習え、説明責任を果たせ、あるいは辞職せよ、と思う人がいるかもしれない。

 けれども、すべてのソロミュージシャンがたったひとりで音楽的な作業を行っていると考えるのは早計だ。彼らにはアレンジャーという編曲に特化したミュージシャンがサポートに付いていることもある。なかにはアレンジャーに鼻歌程度のアイデアを丸投げすることによって楽曲を完成させ、演奏は凄腕のプロの楽器奏者に任せて、自分は歌うことだけに専念するミュージシャンもいる。場合によっては歌うことすらままならず、放蕩と怠惰に専念する者もいる。

 このような事実を知ったからといって、ソロという言葉の辞書的な意味に背いているソロミュージシャンを責めてはいけない。

 なぜならば、楽曲制作のすべてをひとりで行うのは大変だからだ。

 例えば、これが牛丼だったらどうだろうか。

 何年か前にスタジオと民宿が一体となった施設で行われたレコーディング合宿に参加したことがある。その施設はご飯が美味しいと評判のレコーディングスタジオで、昼食と夕食を専属のシェフが拵えてくれる。ロビーも広く、深夜まで酒盛りをすることも可能だ。本当に素晴らしいスタジオだと言える。

 ところが、朝食を用意してもらえない。

 スタジオが動き出す時間も遅く、宿泊棟の清掃や解鍵などを行うスタッフたちも、のんびりと昼前くらいに出勤してくるのだ。

 確かに、レコーディングは夕方から深夜にかけて佳境を迎える現場が多い。ほとんどのミュージシャンが夜型の生活に慣れていて、朝食を用意しても誰も食べないということが少なくなかったのだろう。よって朝食は廃止され、代わって昼食が提供されるようになったと想像する。

 俺は極度の朝方人間なので、できることなら朝食を食べたいと常々思っている。軽めの朝食を摂り、珈琲を飲みながらメールの返信や原稿などの仕事を午前中のうちに済ませ、午後から音楽作業を行うというルーチンを理想としている。だから、なんとしても朝ごはんが食べたかった。

 冷蔵庫に何か残飯があるかと開けてみると、飲みかけのウイスキーや焼酎の瓶、買い置きと思しき麦酒があるのみだった。

 仕方がないので、外をプラついて朝食を食べられる店を探した。が、スタジオは神奈川の田舎町の住宅街に建っているため、近所には朝からラーメンを提供する奇矯なラーメン屋と牛丼チェーンしかなかった。

 ラーメンか牛丼。軽めの朝食を摂りたい俺にとっては究極の選択だった。

 地方の国道沿いの絶望的な飲食環境を目の当たりにして、脳みそがキンキンに、悪魔的に冷えていく感じがしたけれど、よくよく眺めると牛丼チェーンは朝の定食メニューを掲げていた。俺は迷わずに牛丼チェーンに入店した。

 それなりに広い店内には客がまばらに座っていて、カウンターテーブルの向こうでは不機嫌そうな婆さんがひとりで忙しなく牛丼やら味噌汁やらを盛り付け、客に提供していた。

 婆さんの配膳作業が一息ついた感じだったので、俺は婆さんに声をかけて朝定食を注文することにした。

 メニューを眺めると、法外と思える価格の定食がずらりと並んでいた。外食するくらいなら自分で作ったほうが安いじゃん、などとうっかり語ってしまいがちだけれど、そうした認識がメタメタに破壊されるほどの低価格だった。

 間近で見ると、婆さんは不機嫌というより、望んでもいないのに無理やりこの店で働かされています、というような顔をしていた。皺というよりは乾いた水たまりがヒビ割れたみたいな、土色の顔をしており、覇気がまったく感じられず、呪いのようなオーラを全身にまとっていた。また、帰ったら酒浸りの夫に殴られます、というような負のエネルギーも発せられているようにも感じた。

 そして、婆さんは超低空飛行のぶっきらぼう、みたいな感じで俺の注文を受けて、納豆定食の準備をはじめたのだった。

 提供された納豆定食はとても美味しかった。この価格でこの味、みたいな感動が婆さんの陰鬱さを吹き飛ばすように胸の内に広がって、気分が良かった。

 一方で、婆さんの時給を賄うためには、どれくらいの納豆定食が一時間に販売されるべきかについて考えると、とても暗い気持ちになった。

 このような破壊的に安価な定食を客たちが嬉々として貪ることで、企業はその破壊的な価格を維持するために、人件費を節約することになるのだろう。原材料費は変動するので、安定的な利益の確保と低価格の維持には人件費の削減が欠かせない。そのような理路によって、この店のように婆さんがたったひとりで、呪詛みたいな顔をして早朝から納豆定食を作る羽目になったのかもしれない。

 悲しい。婆さんよ、どうか幸せに。せめて、朗らかで心優しいバイト仲間が加わりますように。そして時給がアップしますように。

 と思うのが人の情だろう。

 もちろん、牛丼屋で抱いた婆さんに対する憐憫はソロミュージシャンにも向けられるべきで、辞書に書いてある通りに従って楽曲制作のすべてをひとりで遂行せよ、などという乱暴な言葉を投げつけてはいけないということは、改めて説明する必要のないことだと思う。

 では、音楽業界にワンオペは存在しないのか。

 そうした問いに対しては、存在すると即答したい。事実、俺の1stアルバム作業の大半はワンオペだった。

 ドラム音源をひとつずつマウスで掴んで、人間が叩いたかのような訛りを付け加えて行く作業は、右手がマウスと一体化してもげてしまうくらい地味だった。目が乾いてシパシパした。茶碗に湯を張って眼球ごと入れたいくらいであった。

 また、自分でマイクを立て、自分で演奏しながら機材のメーターやエフェクトのかかり具合、レコーダーに録音されている音量などをチェックするのは至難の技、というよりは単純に面倒だった。エンジニアがいてくれれば五分で終わるような音作りも、三倍から五倍の時間がかかってしまうのだった。

 こうしたワンオペ的な苦労を乗り越えて完成したのが『Can't Be Forever Young』というアルバムだ。

 俺の顔が土色になってヒビ割れ、そのヒビから呪詛のようなフィーリングが溢れ出すことを防ぐためにも、この文章を読んでいるあなたにこそ聴いてもらいたい。

 そうでないと俺はワンオペの亡霊になって、世界を丸ごと呪ってしまう。ような気がする。

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後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

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