凍った脳みそ

第22回 プロ技くん vs. キューちゃん

2017.12.21更新

 録音ブースが完成し、コールドブレインはいよいよ本格的にスタジオらしくなった。

 これまでは、個人用のスタジオであることが心のどこかに引っかかって、友人知人には「自作の作業場」と案内していた。ところが、ブースが完成したことによって、複数のミュージシャンやスタッフを迎えての作業も容易になり、音楽活動の現場としての説得力がグンと増したように感じられた。

 こうしてグレードの上がったスタジオを「作業場」と呼ぶと、場というかスペースに礼を欠いているような気分になる。何より、必要以上に卑下したり、卑屈に振舞ったりすると心地が悪い。そうした心理も手伝って、俺はコールドブレインを「自分のスタジオ」と他人に紹介するようになった。

 呼び名というのはとても大事である。

 平社員と係長の違いや、単なるアルバイト店員とアルバイトリーダーの違いについて考えてもらえばわかるだろう。

 同じアルバイト店員であっても、リーダーという称号を得るだけで印象が大分違って来る。時給にはそれほどの差がなくても、リーダーと呼ばれた者はリーダーという言葉の響きに祝福され、なんとなくリーダーを経て本当のリーダーになってしまう場合が多い。商品の発注を任されたりする者もいる。

 この点は係長についても然りで、管理職になって残業代がごっそりカットされたとしても、ひとつの係を任せられている係長という称号そのものに言祝がれて、収入減を銀河系の果てまで投げ飛ばすパワーを得るように思う。そうしたパワーが課長、さらには部長への道筋を開いてゆくのかもしれない。

 ところが、素直に役職名の正のエネルギーを取り込まずに、「いやいや、リーダーっつってもバイトなんで。時給変わんないんで」みたいな自虐を繰り返したり、「係長って言っても、学校のいきもの係みたいな感じで、薄給の窓際族ですよ」みたいなジョークを言ったりしていると、自分が吐いた言葉によって呪われてしまう。現状維持は可能であっても、環境を好転させる機会を少しずつ逃してゆくだろう。

 言葉や名前は己の精神や内面的なエネルギーに大きな影響を与えるので、気をつけねばならないのだ。

 また、言葉や名前に集う外的なエネルギーについても注意が必要だ。

 ドイツ製の高級外車に乗りながら、「僕のところは国産車なんで」と偽って人付き合いをしていた人が、ひょんなことから仲間内のツーリングに参加する羽目になったらどうなるだろうか。端的に嫌なヤツだと思われるだろう。逆恨みされて、ギザギザの硬貨で車体に傷をつけられるような被害に遭うかもしれない。

 こうしたことを書くと、最初から「高級外車に乗っています」と言い回っているヤツこそが嫌なヤツなのではないか、真っ先に愛車に十円パンチを食らうのではなかと、夜行性の猿のように目を輝かせて憤怒する人があるかもしれないが、それは間違っている。

 なぜならば、卑下するでもなく、自慢するでもなく、フラットな気持ちで「高級外車に乗っている」と話せる人は、高級外車に乗っていることを話しても大丈夫な場所やコミュニティに自然と導かれるからだ。

 例えば、阪神のユニフォームを着た軍団の中にひとりでジャイアンツのユニフォームを着て混ざると、むちゃくちゃ居心地が悪い。甲子園球場ならば、殴られる前にレフト側に移動しよう、みたいな感じで、人間は場に対する居心地の悪さを解決しようとする。居心地に対する感覚を養い、それに従って行けば、人間は座るべき場所に着席できるようになるのだ。敏感な巨人ファンは甲子園のライトスタンドではなく、ビッグエッグのライトスタンドに座っている。

 作業場ではなくスタジオである。そう言い切ることで、作業場の陰鬱な音片付けのような作業ではなく、スタジオで立派な録音をしたい人たちが俺の周りに集まり、プロデュースの仕事も増えてゆくはずだった。

 ところが、未だ胸を張ってスタジオだとは言い切れないところがあった。

 多くのスタジオでは、『Pro Tools(プロツールス)』という録音編集ソフトを使って、ミュージシャンたちの演奏をハードディスクに記録している。演奏の録音と編集に長けたソフトで、「プロ用品」という尊大な名前に負けることなく、世界中のプロたちが愛用している。

 一方で、コールドブレインでは『Cubase(キューベース)』というソフトを使用していた。何塁打なのかよく分からない名前を訝しむ人もいるかもしれないが、こちらも世界的な音楽制作ソフトフェアで、多くのミュージシャンが使用している。もちろん、高性能だ。

 では、どうして胸を張らないのか。胸を張れよ。前半部で偉そうに「卑下するな」と綴っていたではないか。主張と実態が分裂しているぜ。メガネを折るぞ、この野郎。といった叱咤や激励を俺に投げかけたい人もいるだろう。

 解決しなければいけないのは、ふたつのソフトのファイル共有の問題だった。

 前述した通り、多くのスタジオでは『Pro Tools』、俺が呼ぶところの「プロ技くん」というソフトで録音編集がなされている。「プロ技くん」で録音された楽曲のファイルは「プロ技くん」でしか開くことができない。外のスタジオで録音した楽曲をコールドブレインで編集する場合には、それぞれの楽器の音を単独の音源ファイルで書き出し、『Cubase』で読み込む必要があった。

 これがどれくらい面倒くさいかと言うと、100枚の写真を同時に編集できるソフトで100枚の画像を一枚ずつ書き出し、別のソフトで取り込んでから100枚を正しい順序で並べ直す、みたいな感じなのだ。それなりの作業時間を要する。

 多くのエンジニアたちが『Cubase』、俺が呼ぶところの「キューちゃん」の使い方を知らないということも懸案だった。優秀なエンジニアをコールドブレインに招いたとしても、「キューちゃんの使い方わかんないんスよね」と苦笑いされるばかりなのだ。

 スペースと防音の問題で、コールドブレインではドラムの録音ができない。それは賃貸契約をする際から分かっていたことなので、仕方がない。生演奏のドラムの音が必要な場合には、外部の大きなスタジオをレンタルして、「プロ技くん」を使ってドラムやベースの録音を行うことになる。

 ロックバンドなどをプロデュースする機会が増えれば、「プロ技くん」に触れる機会も増えるに決まっていた。

 もちろん、何らかの音楽的な作業を付け加える場合には、「プロ技くん」で録音した音をそれぞれ書き出して持ち帰り、「キューちゃん」で読み込まなければならない。さらには、コールドブレインで作業した後に、変更したパートの音源ファイルをすべて書き出し、「プロ技くん」を使ってミックスを行うエンジニアに納品する必要がある。

 想像するだけで恐ろしかった。

「プロ技くん」と「キューちゃん」を行ったり来たりする膨大なファイルの読み書きの時間で、俺の音楽人生は食いつぶされてしまうかもしれない。そんな恐怖にかられて、脳はギリギリと凍りついて行くのだった。

 買やぁいいじゃないだか。と、楽観的な静岡県民は思うかもしれない。けれども、「プロ技くん」は自らプロ用品だと名乗るソフトウェアだけあって、「キューちゃん」の10倍くらいの価格なのだ。

 値段とは別に「キューちゃん」と「プロ技くん」には長所と短所があった。

 簡単に言えば、「キューちゃん」は何から何まで個人的なスペースで行うことに長けていた。それはパソコンの内部でリオのカーニバルを完全再現できるみたいな機能を持っていて、地球の真裏まで行かずとも、たった一人で仮装のお祭り空間を再現できるような音楽ソフトなのだ。自宅で行うデモ音源の制作にはうってつけで、長らく愛用していた。

「プロ技くん」はといえば、リオのカーニバルに行って現場の熱狂を収録し、編集して誰かに伝えることに特化したような音楽ソフトだと言える。ベットルームでの妄想をコンピューター内の仮想スタジオで実現する「キューちゃん」に比べて、制作環境を整えるのにお金がかかるのだ。

 自分のソロアルバムであれば、妄想のカーニバルを実現するだけでいい。

 けれども、バンドの人たちの妄想のカーニバルは共同幻想みたいな性質なので、それぞれの妄想を物理的な音像として再現しない限り、メンバー同士で共有する術がない。それぞれのカーニバルを身体と楽器で発露させ、合奏しながら俺とお前のカーニバルに落とし込んで行く。

 従って、どこかのスタジオに集まって、実際にバンド全員でカーニバルを行う必要があるのだ。

 というわけで、バンドでの作業は「プロ技くん」との相性がいい。

「プロ技くん」もそうしたアドバンテージと圧倒的なシェアを背景に、高圧的だとも評される価格をキープしていた。

 というわけで、バカヤロー。クソ高いけど買うしかねえじゃねえか、ダボハゼ。
  

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

何度でもオールライトと歌え

『何度でもオールライトと歌え』後藤正文(ミシマ社)

2016年4月27日発売!!

バックナンバー