凍った脳みそ

第10回 機材選びにともなう様々な困難

2017.01.19更新

 スタジオの片付けをしながら項垂れ続けているわけにもいかず、ヌハッと気合いを全身に漲らせて整備拡張せねばならないのは、録音機材の数々だった。

 数々だなんて大げさな、気合いを入れなくてもできるだろ、というような言葉をうっかり口走ったり、インターネット上でさえずったりする人もあるかと思う。けれども、音の録音には存外にたくさんの機材が必要なのである。

 その程度については、俺がこうした軽佻で浮薄な随筆に「である」という学術論文的な断定形を使用し、声高に主張しなくてはならない事情を想像して欲しい。

 全国の録音愛好家やミュージシャンにとって、録音機材にまつわる予算の確保というのは作品のクオリティに直結する肝心と呼ぶべき問題なのだ。「この間、買ったばかりよね」的な財務担当者からの検査監督、および予算削減に悩む同人たちが、俺の薄弱な文体によって更なる窮地に立たされてはならない。そういった事態は幾重にも回避しなければならないのである。

 というわけで、音楽の録音にどのような機材が必要なのかについて、コールド・ブレインの機材がどのようにアップデートされていったのかを踏まえながら説明したいと思う。

 まずは録音・記録を行う装置=レコーダーが必要だということは、誰にでも理解の出来ることだろう。予算が無尽蔵であるならば思い切ってステューダー社の16トラック・アナログテープレコーダーを購入したい。とにかくアナログテープは音が良い。録音された各楽器がまろやかに馴染むのだ。けれども、システム全体で数百万円を超えてしまう。メンテナンスにも多額の費用がかかるし、録音の度にテープレコーダーの扱いに長けた技術者を派遣してもらう必要が生じる。

 そのようなコストを削減すべく、現在ではほとんどの人がD.A.W.(デジタル・オーディオ・ワークステーション)というシステムをパソコンに立ち上げて、パソコンのハードディスクや外付けのハードディスクに音楽を録音している。D.A.W.の開発と普及によって、本格的なスタジオ以外での音楽制作が容易くなったのだ。全ての作業を自宅で完結させるプロフェッショナルも少なくないし、音楽制作の裾野はD.A.W.によって飛躍的に広がったと言える。

 移転前のコールド・ブレインでは2008年のiMacにスタインバーグ社の「Cubase」というソフトの組み合わせで作業を行っていた。「Cubase」の魅力は周辺機材も含め比較的安価な割に操作性が高いところで、現行のソフトはバージョンが何段階かアップデートされていたけれど、デモ音源の作成においてはこれといった不自由を感じていなかった。
 まあでも、せっかく新しい環境を得たわけだし、何より、これからはソロアルバムの完成を目指して作業を重ねるのだから、最新バージョンを採用して音質の向上を目指したい。そう思い立った俺は数万円を支払って「Cubase」のアップデートを行ったのだった。

 すると、どういうことが起こったのか。なんと、録音周りの機能を司る他社製ソフト(これを「プラグイン」と呼ぶ)の多くが使えなくなってしまったのだった。関連サイトを確認すると、それぞれ最新のバージョンの有償アップデートを受けることによって、継続的な使用が可能になるとのことだった。

 仕方がないので、それぞれのプラグインのダウンロードページへ行き、カチカチとマウスを数回タップした。瞬時に十枚近くの福沢諭吉が消え失せてしまった。

 またしても精神をボキボキに複雑骨折して脳が凍りついたのであろうと、娯楽のひとつとして俺を嘲笑する人がいるかもしれない。ところが、こうしたソフトウェアのアップデートにおける散財というのは、多くのミュージシャンやエンジニアにとっては数年に一度、あるいは年次の儀式であり、閏年やオリンピックといった式典よりもむしろ軽い存在で、さすがに無傷というわけにはいかないが、眼窩を落ち窪ませながらホームセンターを徘徊するまでのダメージを受けないように我々のメンタルはトレーニングが済んでいる。

 それでも、録音ソフトのアップデートについては本当に悩ましい。可能ならば出費を減らしたい、インターフェイス(操作手順)が変わるほどの大変革は止して欲しい、と切に願っている。

 ところが、ソフトウェアを開発している会社も数年に一度はこうして大なり小なりのアップデートを行うことによってユーザーから金銭を徴収し、その利益でソフトまわりの機器やソフトそのものの開発を行っている。収益がなくなれば会社そのものが潰れて、アフターケアなどのサービスもすべて止まってしまう。遷宮とかケインズとかニューディール政策とか、あるいは泳ぎ続けないと死ぬマグロなどの回遊魚、そういった事物を連想すれば仕方のないことなのかもしれない。回す、ための努力なのだろう。

 Macも含めて、近年では様々なソフトウェアが競い合うようにアップデートを行っており、大昔に大金を支払って購入したソフトが突然に年会費徴収制度へと移行し、「お使いのOSでは正しく作動しません」的な扱いを受けることがある。海賊版などによる被害もあってのことだろうけれど、真面目に購入した身としてはなんとも言えない気分になることが増えた。頻繁に支払いがある割に、手にする喜びというものも味わうことができない。

 その点、アナログ機材はソフトウェアではなくハードウェアなので、それぞれに機械としての身体がある。それぞれに身体があるということはどういうことかというと、個体差があって代えが効かない。物質的な情報として手に取ることができる。抱きしめたりもできる。ゆえに価値が生まれて、売り買いの対象になる。つまり、資産になるということだ。だから、散財というよりは投資だと考えることができる。

 よし。さっそく投資だ。俺は投資家だ。買って抱きしめよう。と、息巻いて国内外の録音機材専門サイトへ行き、無邪気にポチポチとカートに商品を放り込みたい。けれども、それは不可能だ。なぜなら、録音のための機材はとても高価なのだ。

 例えば、俺が以前に音楽の滝壺へ飛び降りるつもりで買った「NEVE 1066」というプリアンプ(マイクや楽器とレコーダーの間につなぐ前置増幅器)のペアは、3桁の福沢先生をドルに変換し旅立たせたのだった。合わせて購入した「RETRO 176」というコンプレッサー(音を圧縮する機材)によっては、二桁の諭吉が通帳からテレポーテーションの技を使って消え失せたのである。

 額面だけで考えれば、なんたる贅沢と罵られても仕方ないし、また、途方もない散財と肩を落とすこともできよう。ところが、前述したように、これらのアナログ機材は中古市場で販売することができる。場合によっては買い求めたときよりも値上がりする可能性もある。実際に「RETRO 176」は現在、およそ倍の値段で輸入販売されている。つまり、俺は捨て鉢に「バンジー」と叫びながら滝壺へ飛び降りたのではなく、背中にパラシュートを付けたうえで飛び立ったというわけだ。

 ソフトウェアはそういうわけにはいかない。課金しまくってレベルを上げ狂ったゲームアプリを、「めっちゃ強い」ということを理由に高額で友人へ転売できないのと同じように、アカウントやライセンスで管理された録音ソフトもまた、基本的には他人に販売することができないのだ。

 ただし、実機に比べて安価だったり、持ち運ぶ必要がなかったりと、ソフトウェアにもメリットはある。数十万のプリアンプを模したプラグインを数百ドルで手に入れることができる。性能も年々進化して、ほとんど実機と変わらない効果を得られるものも多い。実際、シカゴのインディロックの中心的な人物であるジョン・マッケンタイアのスタジオを訪ねた際、彼は機材の多くを手放すつもりだと語っていた。長らくシカゴ音響系と呼ばれるシーンをリードしてきた彼の口から重ねて発せられた「プラグインで十分こと足りるからね」という言葉には、彼が積み重ねてきた実績分だけの重みがあった。

 機材選びとは、こうして財布の厚み、預金の残高、円相場、気温、体調、何より財務担当者の機嫌に十分気を使いながら、思い切って憧れの実機、あるいはここはソフトウェアで、などと難しい判断を積み重ねてゆくことである。

 などと独りごちながら、俺は本格的な機材の選定と購入を進めたのだった。

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後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

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