第6回 わんちぇんむぅがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!(下)
DAY3
いよいよ、今回の訪台のメインイベント、台北でのサイン会である。
会場は台北のシンボル「台北101」を間近に見上げる、市内で最も大きな書店だ。台中でのサイン会がどこかアットホームな雰囲気ある会場で行われたのに対し、台北は客席の正面にステージが設けられ、背景に作品の大きなパネルが掲げられ、会場全体から、これからイベントをかましまっせ! という意欲が充ち満ちていた。当日配られる整理券を求め、書店のオープン前から人が並んでいたとか、遠く香港からわざわざ参加している人がいるとか、またまた「ほんまかいな」の前情報が目白押しだったのだが、会場入りして、実際にイベントスペースにひしめく大勢の人たちを見ると、あながちウソではないのかもと思えてきた。
おもしろかったのが、サイン会開始を待って書店のあちこちに座りこみ、時間を潰している人の前を堂々通りバックヤードに向かうのに、誰ひとり私に気づかないことである。膝の上に『偉大的咻啦啦砰』を置いて座っている男性と思いきり目が合っても、かけらの興味を示されることなく視線を外されてしまう。そりゃ知らんわな、と思うのだが、知らないのにこの場に来てくれているというところが、逆に作品への愛着を何より雄弁に語ってくれていてうれしい。
台中サイン会では、同行の台湾出版社の女性がいきなりマイクをつかんで司会を務めたが、今回はちゃんとプロの司会の女性がスタンバイしていた。司会の方が先に登壇し、場をあたためるので、「しゅららぼんコール」が聞こえたら、それに合わせて登場してください、と手はずを伝えられる。何だよ、「しゅららぼんコール」って、と思ったが、今のうちにトイレ済ませておくよう促され、質問する間もなくトイレに向かう。ちょうどイベントスペースの裏を通ったとき、司会の方が先導し、
「はいッ、三、二、一――」
「しゅ、ら、ら、ぼ〜ん」
「声が小さいッ」
「しゅ、ら、ら、ぼ〜ん」
「まだまだあッ」
「しゅ、ら、ら、ぼ〜ん」
と会場を煽って反復練習しているのが聞こえてきて、あまりにシュールなやり取りに危うく尿意が消えかけた。
さて、準備は整った。
ついたての裏にスタンバイし、例のコールが鳴り響くのを待つ。
「しゅ、ら、ら、ぼ〜ん」
練習していたときとほとんど変わらぬ、それなりに声は大きいが、まったく揃っていない、かつ、どこか物憂げに響くコールに合わせ、私は会場に飛び出した。
ここでようやく、冒頭部分(「わんちぇんむぅがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(上)」の冒頭)のシーンにつながるわけだが、いくら一日前に同じサイン会を体験しているとはいえ、やはり異国の地で二百人を前にして、平静ではいられない。
中国語でのあいさつを済ませ、台湾サイン会前の恒例のトークセッションが始まるも、火照った頭はなかなかクールに戻らない。しょっぱなから、小学6年生の少年が、
「関西を舞台にした作品が多いなかで、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』だけが、他と全然作風がちがうのはどうしてなのか?」
という、「キミ、本当に小6かよ」と言いたくなる質問をぶつけてきて、いたく動揺する。
もちろん自分で書いたことなので、時間をかけたら説明はできるのだが、そんな悠長な回答は少年だって求めていまい。今回の台湾訪問で私が学んだ教訓のひとつに、「間に通訳を挟む場合、自分の意見は端的に、正確に述べよ」というものがある。端的に、正確に、よりよい答えを述べなければ、というプレッシャーがいよいよ頭の動きを鈍くする。さらには、余人が聞くと「嘘だろ」と思われるかもしれないが、書き始めるに至った動機や経緯というものは、案外、本人は忘れてしまうものだ。働き始めて数年の人に、「就職活動のとき、どんな志望動機を語って採用されたのか?」と質問したら、たいていの人が「ええと、何て言ったっけ?」とまずは小首を傾げるのと少しだけ似ている。
だらだらと作品へのスタンスの変化を説明しても仕方がないので、少しだけ軸をずらして答えることにした。
「人間、同じことを続けているとモチベーションが保てないから、ときにはちがうものを挟んで気分転換をし、さらなる高みを目指したいと願うものなのです」
と十二歳の少年に語っても、何のこっちゃわからないだろうから、
「ずっと掛け算のドリルばっかりやっていたら、飽きてきて、ときには割り算の問題もやりたくなるでしょ? そういう気持ちの変化です」
とあえて目線を下げて回答してみたら、まったく腑に落ちない顔で返されドギマギした。司会の女性が笑いながら、
「ちょっと小6には難しい説明だったかな〜?」
とフォローするのを聞き、私は完全にたとえ話が滑ったことを了解した。
台湾滞在中、私はあまたの質問を受けたが、果たしてどれだけ相手が納得できる回答を返すことができていたのだろう。今となって思い返しても、まったくといっていいほど確たる手応えを得た記憶がない。
「もしも今、小説家を辞めたら何になりたいですか?」
という質問に至っては、
「寿司職人」
という、これまでの人生のなかで、一秒たりとも考えたことのない選択肢を突如として口にしてしまい自分でも驚いた。いったい、どうしてそんな回答をしてしまったのか、海外にいる開放感がなせるわざだったのか、いまだ不思議である。
もっとも、おおむね頓珍漢な私の回答を、台湾の人々はあたたかく笑って受け止めてくれた。いや、くれたような気がする。台中と同じく、台北サイン会の参加者は十代から三十代がほとんどだったが、男女比はほぼ同じだった。とても興味深かったのは、今回の台湾での二度にわたるサイン会と、普段日本で行うサイン会――、両者における参加者の雰囲気が極めて似通っていた点だ。
まず、何と言ってもメガネ率が高い。
実に七割を超えていたと思われる。
あと、非常に思慮深く、内向的な雰囲気を、その面差しから感じ取れる人が多かった。
もっとも人間の生活のなかで、読書ほど内向の極みにある行為もないので、どれも読書好きの特徴そのままと言われたらそれまでなのだが、何というのだろう、ほんの少し視線が合っただけで、「本当はたくさんしゃべりたいことがあるのだけれど、しゃべることができない」という、照れともどかしさがない交ぜになった豊かそうな光が、眼の奥でキラキラ、むずむずしている人が日本でのサイン会と同じく、たくさんいたような気がしたのだ。
サイン会はどこか雑然と、ときに粛々と、得てして和気藹々と続いた。
私がサインをする間に、はにかみながらパイナップルケーキの詰め合わせを差し出してくれる男性がいた。本当に「香港から来ました」と緊張に震えながら教えてくれた女性がいた。一回でサインは二冊までと決まっていたので、律儀に三回列に並び、これまで台湾で出ている万城目作品すべてにサインをもらって帰っていった女性がいた。自分も台湾で小説を書いている、と自著をプレゼントしてくれた男性がいた。私のエッセイの翻訳を大学の卒論にしました、と冊子にした論文を見せてくれた女性がいた。身長といい、顔つきといい、どう見ても中学生くらいの幼さなので、「中学生ですか?」と訊ねたら、「大学四年生です」と泣き笑いで答えてくれた女性がいた。ちなみに、この過ちを、私は三時間のなかで三回繰り返した。忘れた頃に、中学生としか思えない女性がやってくる。その都度、「中学生ですか?」と口にしたら、決まって「大学四年生です」と返ってきた。四度目、明らかに中学生と思われる女性に、「大学四年生ですか」と訊ねてみたら、「そうです」と驚かれた。
全員にサインを終えたとき、開始からおよそ三時間が経っていた。スタッフの方から、定員二百人に途中参加の五十人が来場したと教えられた。ひとり二冊のサインゆえ、ざっと五百冊にひょうたんの絵を描き、名前を書いたことになる。
私は大きく伸びをした。
心地よい疲労感と達成感に加え、ああ、これで終わっちゃうのかという、祭りの幕が閉じることへの、ちょっとさびしい気持ちとともに、手にした太マジックにキャップを戻した。
不思議な国での、不思議な滞在は終わった。
それはまるでジェットコースターに乗っているかのような毎日だった。
朝からいくつもインタビューを受け、サイン会をして大勢の人に出会う。読者懇親会というのも開催された。夕食後はきっちり夜市に繰り出して遊び、遅くにホテルに戻って寝不足のまま、翌日はまたインタビューの仕事からスタートだ。あまりにぎっしりと内容が詰まっていたために、昨日こなした仕事を思い出せない。日本に戻ってからも脳内から妙なホルモンでも出続けていたのか、いっこうに気持ちが鎮まらず、出発前の状態に落ち着いて執筆の仕事を再開するまで四日もかかってしまった。
もしも、こんな生活が十年、二十年と続き、その後、ぱたりと売れなくなってしまったら、とてもじゃないが簡単には元には戻れないだろう、と薬物に頼って悲劇を招いてしまう往年のスターの心理が、ほんの少しわかった気がした。ひゃあ、おそろしい、と肩をすくめ、私は本来あるべき、彩り薄き、身の丈に合った日々に戻る。やはり、私にはこっちの根暗な執筆生活のほうがお似合いである。
台湾でしこたま撮った写真を現像したら、ぶ厚いアルバムが一冊埋まった。
どれも楽しい思い出ばかりが写っている。
小説を書いていても、楽しいことなんてほとんどないし、そもそもがそういうものだと思っていたが、たまにこんなすばらしいご褒美をいただけることがある。てんで出鱈目を書いただけの物語が、ふらりと海を越え、これほど大勢の人をよろこばせることができるのなら、ちょっとしんどいくらい別に構わないではないか、と思えてくる。
だって、ほら、アルバムに写っている台湾のみなさんはどれも、こちらがくすぐったくなるくらい笑顔ばかりじゃないか。
