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参拾 士農工商と斬捨御免、および鰻重読み

2018.02.15更新

仮説でしかない定説

 そもそも、この世における〈定説〉などというものは、という物言いは僭越にすぎるので、日本史における〈定説〉は、と制約的に言い直しますが、所詮はその時点における〈仮説〉でしかありません。

 従来の日本史教科書が既成事実のように記していたことでも、その後に大幅に改定されたり、削除されたりしていることは、マスコミでも話題になっています。「仁徳天皇陵」は、実は埋葬者不明だから「大仙古墳」と呼ぶとか、645年の「大化の改新」は、「乙巳(いっし)の変」というクーデタでしかなかったとか、鎌倉幕府の成立は1192年ではなく1185年だった等など、数え挙げれば切りがありません。

 なかでも、江戸時代の身分序列だったという「士農工商」については、太字で強調されていましたが、現在では教科書から完全に削除されています。考えてみれば、その数ページあとには、武士の出身である三井高利が呉服店「越後屋」を開業したと書いてあるのですから奇妙なことでした。だって、身分とは「世襲的に定まっており、他の身分への移行は許されない」ものでしょう。自身の意思で変えられるのなら、それは身分とは言えません。ましてや、高利の場合は、身分序列最上位の「士」から最下位の「商」に移ったというのですから不可解なことでした。


落語『佐々木裁き』と士農工商

 では、落語のなかに「士農工商」を探ってみましょう。まず落語『佐々木裁き』から、その粗筋は以下の通りです。

 町奉行の佐々木信濃守が市中見廻りしていると、大坂・住友の浜で子どもたちが「お白洲ごっこ」をしており、桶屋の息子の四郎吉は佐々木信濃守の役を演じていた。本物の信濃守は奉行役の四郎吉の機転に感心し、奉行所に招くが、四郎吉は持ち前の頓智で与力たちが見守るなか、信濃守をやり込める。


 奉行所における信濃守と四郎吉との会話が面白い噺ですが、この後、四郎吉は信濃守に引き取られて、立派な奉行所の与力になったと締めくくられるのです。「桶屋の子=工」から「与力=士」へ移行したということです。

 四郎吉を「桶屋」の息子とするのは、「立派な与力になって、世間の箍(たが)を締めました」というオチをつけるためでした。しかし、現在では「桶の箍」がピンと来なくなったので、単に「立派な与力になりました」で終わることが多いようです。

 八五郎が「工」から「士」になることについては、「士農工商」を身分だと教え込まれた世代の方々は、落語ならではの作り話だと思われていたかも知れません。しかし、この噺は3代目・笑福亭松鶴(1845~1857)が明治時代に作ったものですが、松鶴は幕末に成人していますから、「工」から「士」への移動はリアルタイムで見聞きしていたことなのです。けっして、作り話ではありません。ということは、やはり「士農工商」は身分ではなかったのです。


落語『八五郎出世』と士農工商

 もう一つ、落語『八五郎出世』でも、主人公は「工」から「士」に移行します。まずは、粗筋から。

 大工の八五郎の妹のお鶴は、殿様の側室(貴人の妾)となり、お世継ぎを生んだ。そこで、八五郎は殿様にお目見えのため登城する。八五郎は長屋付き合いのような態度で殿様に接し、家老たちをハラハラさせるが、殿様は八五郎を気に入り、家臣として召し抱えることになる。


 この噺も、八五郎と殿さんとの対話シーンが面白いのですが、いまは「大工=工」が「家臣=士」に取り立てられることに留意したいのです。やはり「士農工商」は身分ではなかった。
「身分でないのなら、何なんだ!」と腹立たしい世代もあるかと思いますが、もともと「士農工商」は紀元前の中国における代表的な職分の指標でした。わが国に伝わってからも、例えば戦国期の蓮如が「お文(布教のための手紙)」に、布教の対象として「侍能工商」と書いているように、やはり職分の意味でした。
 では、江戸幕府はどのように考えていたのかというと、実は、幕府の法令に「士農工商」の文字は出て来ないのです。全く裏付けのない〈定説〉だったのです。いまさら、そんなことを言われても、と戸惑う世代も少なくないでしょう。


「鰻丼読み」について

 ところで、この『八五郎出世』は、『妾馬』の別名でも口演されます。先に紹介した粗筋では、馬が出てこないので、この演題の意味が解りませんが、この粗筋の後に次のように続きます。

 家臣に取り立てられた八五郎は、馬に乗って使いに出かけるが、乗馬の経験がないため馬が暴走してしまう。「なぜ急ぐのか?」と聞かれて「馬に聞いてほしい」と答える。


 しかし、この後半は略して口演されることが多く、その場合は『妾馬』ではなく『八五郎出世』と呼ばれるようです。それはさておき、しばらく『妾馬』の読みに寄り道させてください。
『妾馬』は、「めかけうま」ではなく、「めかうま」あるいは「めかんま」と読みます。通常は「妾」を「めか」と読むことはありませんので、ちょっと気になりますね。「なりません」と言う方も、無理やり気にしてください。

 このように漢字を略して読むのは「鰻」に典型的に見られます。「鰻丼」は「うなぎどんぶり」ではなく「うなどん」と略し、白焼きの鰻と胡瓜の三杯酢で和えた「鰻作」は「うざく」と読みます。これを「うなぎづくり」と読んだのでは、「鰻の造り」のようで違和感が生じます。
 ただし、落語の『鰻谷』は「うなぎだに」であって、「うだに」と読みません。これは、江戸時代から明治初年にかけての町名ですから仕方ないのですが。そういえば、八代亜紀が「鰻谷から難波まで」と唄っていましたね(河島英五作詞・作曲『鰻谷』)、いまは関係ないけれど。

 このような省略読みを「鰻丼読み」といいます。あっ、いや、正確には今初めて「鰻丼読み」と名付けました。「重箱読み」や「湯桶読み」に倣っての命名です。
 「鰻丼読み」は、落語界にも散見されます。例えば、落語『狸賽』は「たぬきさい」ではなく「たぬさい」です。また落語家さんの名前も、「松鶴」は「しょうかく」ではなく「しょかく」、「鶴光」は「つるこう」ではなく「つるこ」、「鶴瓶」も「つるべい」ではなく「つるべ」という具合です。

 落語界以外でも、むかしは、よその娘さんを「御娘(おむす)」と呼びました。「おむすめ」ではないのです。あーっ、だから「モーニング娘。」の略称「モー娘。」は「モーむすめ」ではなく「モーむす」なんだ!
 話が「士農工商」から遠くなりましたので、話を戻します。


落語『試し斬り』『首提灯』と斬捨御免

 時代小説やテレビの時代劇などで、ときおり、武士が町人を「斬捨御免」にする場面が登場します。先に「士農工商」には法的根拠がないといいましたが、「斬捨御免」はその根拠となる定書があります。『御定書百箇条』の第七一条です。

一、足軽の体に候とも、軽き町人・百姓の身として法外の雑言など不届きの仕方、止むを得ざること切殺し候者、吟味の上紛れなきにおいては構いなし。


 武士が町人や百姓から「法外の雑言」を受けた場合は、切殺しても「構いなし=無罪」と定められています。しかし、これは武士が「士農工商」の最上位であることによる特権ではないのです。もし「士農工商」を踏まえた特権なら、「農」は「工」を、「工」は「商」を切り捨ててもいい、という話に発展しかねません。

 正しくは、政治的支配者(士)が、被支配者(農工商)の無礼な振る舞いによって、その名誉を侵害されたままでは、政治的秩序が維持出来ないので正当防衛を認めたということです。そのため、「斬捨御免」は「無礼打ち」とも言います。しかも、無条件の特権ではなく、現地の役人の吟味を経て認められることが条件でした(高柳真三『江戸時代の罪と刑罰抄説』有斐閣、1988年)。それにしても、生命や身体を守るためではなく、名誉を守るための正当防衛権は世界的にも珍しいことなのです。

 では、落語『試し斬り』をみます。これは、落語『たけのこ』の後半部にあたるのですが、後半だけを独立して口演されることも多い噺です。

 侍Aが「備前の古刀」を購入したが、切れ味を試したくて仕方ない。侍Bに相談すると、Bも新刀を入手したばかりで、昨夜、日本橋の南詰めで寝ていた乞食を試し斬りして来たばかりだという。その夜、Aは日本橋に向かい、そこに寝ていた乞食を斬った。すると、乞食は「だれや? 毎晩どつきにくるのは!」と叫んだ。


 なんともバカバカしいオチですが、もしも、この刀の切れ味が良くて、乞食が死んでしまった場合は、地元役人の吟味を受けて、殺人罪に問われることになります。名誉を守るためでなかったからです。

 同様に名誉の絡まない刃傷が描かれた落語に『首提灯』があります。この噺も、その前半だけを『上燗屋』として口演されることがあるのですが、いまは『首提灯』の後半の粗筋をみましょう。

 上燗屋で酔っ払った客が、勘定の金を崩すために向かいの道具屋に行く。酔っ払いは、同店で仕込み杖(刀を仕込んだ杖)を買って帰るが、何かを斬ってみたくて仕方がない。そこで、表戸を少し開けておいて泥棒をおびき寄せ、その首を斬った。泥棒は皮一枚を残した首を支えながら外へ飛び出すが、近くで出火があり、人々は提灯を突き出して逃げていく。群衆にぶつかった拍子に首が落ちるが、泥棒は首を拾い上げて前に突きだして「火事だ、火事だ!」。


 自分の首を提灯代わりに突き出すとは、なんともナンセンスなオチですが、この場合は政治的支配者の侍ではなく、酔っ払いの町人ですから「斬捨御免」とは全く無縁の所業です。
 やはり殺人罪に問われるはずです。いや、泥棒は殺されたことを自覚していないのですから、果たして罪を問えるのでしょうか。そもそも、首を切り落したら殺人だという〈定説〉さえも、現時点における〈仮説〉でしかないのかも知れません。


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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に、本コラムを書籍化した『上方落語史観』』(140B)のほか、『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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