第11回 あれから一年がたった 3
<前回のつづき>
いっときも希望を捨てなかった。
どんな事態になろうとも、さらっといこうと決めた。
そのうえAさんのように美しく克服し若々しくいられたなら、同じ病いの女性を励ますことができる。私もそんな存在になれたらば、ガンになった甲斐もある。それだけが支えとなった。私には何かの使命がある。そうとでも思わなければ、やってられなかった。
私の新しい生活は始まった。
健全な精神と容姿を損なわず過酷な治療に耐えられるからだづくりに励んだ。
なぜガンになったのか考えてみる。
この一年、さまざまな思いが浮かんでいた。
『世界一の美女になるダイエット』(エリカ・アンギャル著 幻冬舎刊)は、美のためには一食たりともおろそかにしないという強固な信念と、国際舞台での実体験に基づき書かれている。そのなかで、
「ねんざをして腫れることなどが炎症ですが、これが体内の細胞レベルで起こると、老化が進むのです」
のくだりを読んでハッとした。
精製された砂糖や炭水化物、トランス脂肪酸、乳製品、とくに砂糖は体内でたんぱく質と結びつくと、プリンのキャラメルみたいな状態になるという。それらは摂りすぎると炎症を引き起こし老化をまねくという話なのだが、まさに私の20年におよぶ食生活の問題点を指摘している。
そして、プリンキャラメルとともに、この「炎症」という表現は、かなりぴったりくる。
そう、私は、炎症を所有し、受け入れた。
これが、私のガン体験である。
美のグローバリゼーションは、すなわち前回書いた「20世紀的生き方との決別」につながっている。
Aさんに会ったあと、いくつかの選択肢があったが、私は国際医療福祉大学三田病院の吉本賢隆先生の診察を受けることにした。
方角もよかった。
吉本先生は髪がハリネズミのように立っており、全体像はコアラだった。
コアラは、
「台風に遭った小鳥になったと思ってね」
と私に言った。
一時的な暴風雨から避難する小鳥。
私は小枝にとまり羽根を休め嵐が止むのを待つ自分をイメージした。
MRIやエコーなどをコアラのもとで再検査した。
検査はいちいち面倒で、待ち時間もお金も体への負担もかかるが、イヤイヤ飲むクスリは効かない。
私はなるべく前向きに検査をこなしたが、黒い影はやはり映った。
入院なら慣れていた。
ぎっくり腰、マイコプラズマ肺炎、そして2002年5月、私はらせん階段から落ちて大怪我をしている。
私の左足首は粉々に壊れ、それはもう驚異的な激しい痛みに襲われた。
左足首に人工骨を入れて、足と脚をつなぐ手術をした。まるひと月入院し、それからしばらく車椅子の生活をした。
八年経ったいまも、かるいものだが不自由が残っている。
あのとき入院した二人部屋で一緒だったのが、末期ガンのおばあさんだった。真夜中に流れてくる排便の匂い。痛ましい記憶。私が退院してまもなく亡くなったときいた。
