K氏の大阪ブンガク論

第8回 『細雪』ーー大阪弁が現代文で書かれるようになった時代

2017.03.09更新

 谷崎潤一郎の『細雪』は近代〜現代の日本を代表する小説である。
 それは万人が認めるところだ。
 哲学、現代思想が専門の内田樹先生ですら、

「無人島に一冊だけ本を持って行ってよいと言われたら、何を携行するか」という究極の問いに、私なら迷わず『細雪』と答えるはずだからである。
 ずいぶん以前からそう思っていた。


 というふうに書かかれているほどだ。

 ただ、根っからの天の邪鬼であるK氏は、高校生の時ぐらいから教科書かなんかで『細雪』にふれ、「昔の船場のお嬢の辛気臭いちまちましたこと、ようここまでねちねちとてんこ盛り書くなぁ、大谷崎さんは」などと言ってきた。
 まったくぱらぱらとツマミ読みしかしてないくせに適当というか、だんじり祭岸和田の下町育ちらしい発言だ。
 しかしこの人の大阪弁も擬態語が多いな。

 それから半世紀経って「大阪ブンガク論」なる連載をしている今も、K氏は黒川博行さんのアウトロー極道小説を大変におもろがっていて、『細雪』については「船場のええしの家の事情を書いたもんをわれわれビンボー人が喜んでどないすんねん」などと嘯いている。

 あらら、そうか。「ええし」がわからん人がいてるんや。それならここにあるで、と牧村史陽編の『大阪ことば事典』(講談社学術文庫)を引いてみる。
 「エェシ(名)良家の分限者」とあり、近松の『女殺油地獄』から「よい衆の娘子達やおいへ様方」を引用している。

 この事典は昭和10年から編集が始まりきっちり20年かけて出版にこぎつけた大著だ。
 ということは、この全面大阪弁長編小説である『細雪』は、昭和11年から16年までのことを書いたものであるから、ちょうどこの牧村さんの大仕事と時期が一致する。
 これはなんだか面白そうだ、とK氏は直感する。

 さらに『大阪ことば事典』の巻頭「はしがき」には牧村さんがこう記されている。

 私が生まれた明治三十年代には、幕末生まれの者が社会の中核をなしており、それらの人達のほとんどは古い慣習を固守していた。この人達の言葉が私の耳に残っているのを、私は大変幸せなことだと思っている。こうした古い言葉を含めて、「大阪ことば」の今日までの変遷を記録することができるのは、私の年代の者をおいて他にはいないと思う。
 結局、本書は明治中期以後大正時代までの約三十年間を中心として、その後今日まで大阪市内で常用された言葉を集録したものであるが、大都市の性格上、他地方の方言がいくらか混入するのは免れない。都市も生きものであり、言葉もしかり、その点は諒とされたい。


 『細雪』に目を移すと、四姉妹は昭和11年(1936)段階で、鶴子36歳、幸子34歳、雪子30歳、妙子26歳である。つまり鶴子は明治33年(1900)、幸子は明治35年生れであり、一番下の妙子が明治43年生れということになる。
 なんとドンピシャである。

 今回、K氏が文豪・谷崎の『細雪』を読み直そうとしたのは、まさにこれを発見したからであり、ようやく大阪弁が現代文で書かれるようになったあの時代ーー戦前・昭和10年代ーーの使われ方を注意深く見直してみようということだった。つまり「どんな大阪弁をしゃべってたんやろ」「今となにが同じで、なにが違うんやろ」ということだ。 

 家の本棚を見てみると、古い上・中・下に分かれた新潮文庫と、背中4センチぐらいのぶっとい中公文庫(何と936ページ)があった。新しい中公文庫の『細雪(全)』(1983年初版)、「ナンで買うたんかなあ」などとぶつぶつ言いながらK氏は巻末の解説からめくるのであった(悪い癖である)。

 解説は田辺聖子さん。「おんな文化の『根の堅州国』」という副題がついている。
 ちなみに昨年(2016年)の角川文庫版は内田樹先生が解説されていて、これを読むためだけに新版を買う価値がある(ネット上でもそれが読めるのだが)。名フレーズをここに記しておく。

 『細雪』は喪失と哀惜の物語である。指の間から美しいものすべてがこぼれてゆくときの、指の感覚を精緻に記述した物語である。だからこそ『細雪』には世界性を獲得するチャンスがあった。

 そしてこういう結びで終わっている。

 昭和十年代にはかろうじてそのような美的生活の名残りが日本のところどころに残っていた。それがいずれ(近いうちに)根絶されるだろうということを谷崎は見通していた。この数行を谷崎はほとんど墓碑銘を刻むようなつもりで書いたのだろうと私は思う。
 谷崎潤一郎は夏目漱石、村上春樹と並んで外国語訳の多い作家である。『細雪』や『陰翳礼賛』を耽読する外国人読者が数多く存在するということを私は不思議なことだとは思わない。
 「存在するもの」は、それを所有している人と所有していない人をはっきりと差別化する。だが、「存在しないもの」は「かつてそれを所有していたが、失った」という人と、「ついに所有することができなかった」という人を。谷崎潤一郎の世界性はそこにあるのだと私は思う。


 その「存在しないもの」の一つが大阪弁であり、それは大阪語話者である『細雪』の蒔岡家も、これを書いているK氏も、さらに他語話者である人をも喪失感においては差別されない。
 また現在の大阪弁は大阪市が「大大阪」と呼ばれ、日本一の人口を誇っていた大正末から昭和初期にかけて形成されたのが通説だ。つまり『細雪』の大阪弁には現在喋られているそれの原型と、もう「存在しなくなった」大阪弁が混じり合ってるのだ。

 昭和4〜5年にかけて、谷崎の助手を務めた高木治江さんの『谷崎家の思い出』(構想社/1977年)という著書がある。
 高木さんは明治40年(1907)大阪市生まれ。大阪府女子専門学校卒後、谷崎家に住み込んで『卍』や『蓼喰ふ虫』の大阪弁指導・添削を行った。今でこそ和田竜さんのダブルミリオン・セラーの『村上海賊の娘』では執筆と同時に、NHK大河ドラマのように大阪〜泉州弁方言指導が入って「16世紀の海賊的大阪侍」のリアリティを再現し大いに成功したが、

「そうだ。僕が望んでいるのは、従来の大阪弁ではなくて、君達のようなインテリィの間で日常交わされている、現在生きている大阪弁で書きたいと思っているので、そのつもりで進めてもらいたい」(p.23)


 などと、谷崎自身の非常に興味深い発言を入れている。
 谷崎の草稿を読む高木さんは、会話文を中心に折々にふれ「この大阪弁ちょっとですわ。本当の大阪弁と違いますよ」と注意を入れ、『蓼喰ふ虫』では母方が京都の女性であることから京都弁の監修もやることになった。

 そんなところからもさすが文豪・谷崎、大阪〜関西語の奥行きと表現の多彩さを十分すぎるぐらいわかっているのが読み取れる。
 「そらそやろ、中姉(なかあん)ちゃんの幸子のモデルが嫁はんの松子さんやんかいさぁ」とK氏はあまり普段使わない古っぽい大阪弁でわざと強調するのであった。

 この長編小説は書かれる半分が四姉妹とその周りの会話で成り立っているが、このところ大阪語大阪弁文学に深く入り込んでるそのK氏をして「完璧ちゃいますか」と言わしめている。
 それは会話文で表現される船場言葉が、正統であるとか洗練されているとかそんなことではない。大阪弁の1バリアントとしてリアルにおもろいかどうかだ。
 ちなみに『細雪』は美しい船場言葉だと言われているが、若い女にしては結構汚く激しい言い方も多出していて、そこも谷崎の深い理解ゆえのことだ(「あとで出すわな」とK氏)。

 まず旧い大阪弁について、本家の義兄が東京に住むことになった際、父の妹の「富永の叔母ちゃん」がやってきたときの会話。

 そう云って叔母は、
「今日は雪ちゃんもこいさんもお内にいてやおまへんか」
と、昔ながらの船場言葉で云った。
「妙子はこの頃ずっと製作が忙しいて、めったに戻ってけえしえへん。.........」
と、幸子も古めかしい云い方に釣り込まれながら、
「.........雪子はおりやっけど、呼んできまおか」(p.183)


 「おまへんか」はK氏もよく聞いてきた、が「けえしえへん」「おりやっけど」「きまおか」は、これはとんと聞いたことがない。牧村さんの『大阪ことば事典』にも出てこない。
 けれども「古めかしい云い方に釣り込まれながら」が効いていて、これは「もう話されない旧い船場言葉やねんなあ」ということがわかる。非関西語圏の読者にはどうなのかはわからないが、K氏にはもちろん意味もありありと浮かんでくる。
 四姉妹の一世代上の叔母さん、つまりばりばりの「明治の人」を登場させ、敢えてというか手をこまねいてというか、そのような旧い船場言葉をしゃべらせるところが、谷崎の鮮やか凄いとこやねんなあ、とK氏は強調するのである。
 大阪弁は失われない。変わるものも変わらないものも少しずつ変わるだけだ。

 大阪弁の大きな特徴の一つであるオノマトペ(擬音語、擬態語)も『細雪』ではユニークだ。
 町人文化の大阪ではコミュニケーションにおいて、旺盛な音声会話によるやりとりが重視されてきたのだが、昭和に入ると作家・秋田實がエンタツ・アチャコに台本を書き、新しい「しゃべくり漫才」として登場させた。
 「きみ」「ぼく」といった新しい言い方の人称で、家庭生活やスポーツ、恋愛など日常的な題材を扱って、近代的でモダンなタッチの掛け合い言葉が、新興のサラリーマン層や主婦層に大受けに受けた。
 それが今の口語的関西弁の基礎になっているというのは通説である。

 実際ラジオを聞くシーンは『細雪』にもよく登場するが、レコードも含めた新しい都市型のメディアによって、大阪のみならず東京はじめ他地方でもよく聞かれたエンタツ・アチャコの『早慶戦』の書き下ろしを見てみると、「チョイはずれのボール」「チョコチョコ相手になンなァ」「球はぐんぐん延びてます」などとオノマトペが多用される。
 大阪大学文学部の金水敏教授によれば、オノマトペを多用した関西弁の特徴は、「現場性を大事にし、はじらうことなく、生き生きと描写することを好み、また、場面を共有することで、話す人と聞く人の距離を近くすること」と解説する。

 『細雪』ではこんな具合に使われている。

 うちは高尚な趣味だの理窟だのが分る人でなくてもよいし、ガラガラした粗雑な人間でも差支えない(p.478)
 それに、父がぱっぱっとした豪快な気象であるのに反し(p.640)
 たしかその時も、日頃の因循な雪子に似合わず、理路整然と詰め寄っていき、辰雄がギュウギュウ云わされたのであった(p.826)
 それからぽつぽつ着替えの衣裳の詮議に取りかかり、大小二箇のスーツケースとボストンバッグに荷物を詰め、夕飯済まして身拵えすると、もう時間がキチキチであった(p.846)
 そして翌朝、ぐずぐずに納得してはしまったものの(p.903)


 K氏は以前、どこかで谷崎の『細雪』の中の会話部分の執筆について、1日3枚のペースでじっくり推敲して作り上げたものだ、と読んだことあるが、昭和10年代の現在進行形で表現されたこれらの表現は、「今読んでも実際に話しても大阪的にイケてる言い方や」と唸っている。

 船場言葉については「洗練された大阪弁」として持ち上げられることが多いが、それを東京山の手由来の丁寧語による「ざあます言葉」のような「上品(を目的化した)」な言語イメージに直結させると『細雪』は面白く読めない。

 お母ちゃん悦子明日帰るよ、杉浦博士に診てもうええ、こないしてたら神経衰弱ひどうなるばかりやわ(p.394)
 何も自分たちは仕事をずるけたわけでもなければお秋さんに頼んだのでもない(p.436)


 「診てもうええ」「仕事をずるけた」という言い方は、上品/下品の範疇を超えている表現だ。
 いうなれば「診てもらうにおよばない」「仕事をずるくさぼった」という言い方の大阪流短縮版だろうが、字面からもずば抜けて生き生きしている大阪語的言語運用が読み取れる。

「娘(とう)ちゃんは肥えてはりますさかい、単衣のをお召しになると、お臀(いど)をきられまっせ」
と、小槌屋が云うと、
「切られへんけど、大勢あとに尾(つ)いて来るわ」
と、妙子が云っている(p.436)

「ほんに。.........あたしかて、こいさんのためには見方になって、自分が誤解されてまで尽くしたげたつもりやのに、人に煮え湯吞ますようなことするねんさかいに、.........」(p.484)
「もう今度から鯖は決して食べるこッちゃないな」(p.757)

眼ェにゴミがはいったぐらい何やねん、医者は銭取(ぜにとり)主義やよって大層そうに云うねん、そんなもん今日のうちに直ってしまうがな、と云って出かけた(p.811)

「利用できるうちは先途(せんど)利用しといて、もう利用価値ないようになったいうて、低能の坊々にええ口あるやたら、一人で満州へ行ってしまえやたら、ようそんなことが云えたもんや思うわ。.........」(p.826)


 これらは順に、突破者の「こいさん」つまり末妹の妙子、次女で「御寮人(ごりょん)さん」の幸子、幸子の婿養子の貞之助、もっとも古風な人格で描かれる三女雪子の台詞だ。
 こういう啖呵を切っているような歯切れの良さで、選び抜いたように「目にものを見せる」語彙を連打するところはこの大阪弁小説の圧巻であり、「はんなり」などといった船場言葉のイメージでいってしまうと読み飛ばしてしまうのだ。
 
 気がつけば13枚、大変にトバしたK氏流『細雪』の大阪ブンガク論であるが、次は「これはグルメ小説やんけ」という観点からますますドライブがかかっている模様。

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江 弘毅(こう・ひろき)

1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部卒。
1989年京阪神エルマガジン社にて『Meets Regional』誌をたちあげ、12年間編集長を務める。
2006年に編集集団140Bを大阪・中之島に設立、現在取締役編集部長。
著書に『だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『有次と庖丁』(新潮社)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの〜』『K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。』(以上、ミシマ社)など。近著に『濃い味、うす味、街のあじ。』(140B)がある。

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