K氏の大阪ブンガク論

第4回 それが「おもろい」かどうか

2016.11.02更新

 K氏は大竹しのぶ主演の『後妻業の女』を観に行った。
 黒川博行さんの大ファンであるとともに近しい関係であるK氏は、しばしば雀荘に呼び出されコテンパンにいわされている(その様子は『大阪ばかぼんど』に書かれている)。
 黒川さんの麻雀の強さ、エゲツなさはよく知られている。

 またK氏は、元マル暴刑事の堀内、伊達コンビが暴れまくる『繚乱』の文庫化の際、解説を書いているぐらいで、黒川小説に精通している。

 なので映画を観て帰ったK氏は、周りのみんなから「どうだった?」と訊かれた。
 「おもろかったで。よう出来てんちゃう」と答えたが、本心は「小説に比べたら、全然おもろない」と思っている。
 やはり台詞の部分で無理があるのだ。
 
 そのあたりについて大竹しのぶさんは文藝春秋のインタビューで、次のように話している。

 小夜子を演じるうえで、私が一番心配したのは関西弁です。もう、それが気持ちの90パーセントを占めていたぐらい。物語の舞台は大阪が中心で、登場人物のほぼ全員が関西弁を話します。

 関西の人たちは取ってつけたようなエセ関西弁が嫌いだとよく言われますから気が抜けません。

 原作者の黒川さんも関西在住で、鶴橋監督が映画化の話を打診したとき、登場人物の年齢や設定、ストーリーの一部を変更することは快諾してくださったのですが、関西弁だけはいじらないでくれ、と言われたそうです。最終的には黒川さんご自身が、セリフの言いまわしや語尾などの監修もされました。

 しかも共演者には豊川悦司さん、笑福亭鶴瓶さん、尾野真千子さん、水川あさみさんら、ネイティブ関西人の方が多く、東京で生まれ育った私には、正直かなりのプレッシャーがありました。


 さすが「よう分かってる」大女優だとK氏は思う。思うのであるが「ちょっと違うんやなあ」と言う。

 黒川さんが直木賞受賞第一作の『後妻業』について、「90%はホンマの話や」とK氏に語ったように、自分の知り合いが後妻業にひっかかったことを元に「世の中にはこんな酷い話がある」と小説を書いた。
 黒川さんがこの『後妻業』を書いたのは、筧千佐子容疑者が、小説そのものの容疑で逮捕される3年前のことだ。
 その後、千佐子容疑者は10人以上ものお年寄りを殺して遺産を奪った容疑で3回逮捕されている。

 ともあれ小説というよりノンフィクション、ドキュメンタリーに近いこの作品、やはり街場の現実の犯罪のリアルさ、とりわけヤクザ系のややこしい話を映画で表現することはなかなか難しい。

 K氏によると、ヤクザもののドキュメンタリーでは西岡研介氏がダントツだ。
 氏の一連のヤクザものなかでは、インタビュー・構成をした『鎮魂 さらば、愛しの山口組』(宝島社)はとりわけ秀逸である。

 五代目山口組組長の渡辺芳則とともに初代山健組の三羽ガラスといわれた元山口組直参組長である盛力健児の回想録で、そこでの抗争や殺人や暴力の振るい方に読者はゾッとするのだが、それを描写する大阪・神戸の極道の台詞の語り口は、神戸出身でヤクザもの作品の第一人者・西岡氏ならではのものだ。

 「これは西岡研介しか書けん、地元のブンガクや」とK氏は太鼓判を押す。

 クライマックスは第7章「『宅見若頭暗殺事件』の深淵」である。
 97年8月、最高幹部のひとりである宅見勝山口組若頭が、新神戸オリエンタルホテルで射殺された。その事件の真相についてであるが、このように書かれている。

 そしたら五代目が『宅見に居直られた』と中野に愚痴りよった。それを聞いた中野はパンと栓(せん)抜けてもて、『よっしゃ、あのガキ(宅見)ゃ、いてもたる(殺したる)』となったわけや。


「栓抜けてもて」ちゅうのはたまらん言い方やなぁ、と殺人現場になったオリエンタルホテルのコーヒー・ラウンジによく行ってたK氏は、「こわ〜っ」とビビりながら絶賛するのだ。
 作品中に多出する、「貫目が違う」「座布団が上や」「一服ついとった」「バン、バーンてカマシ入れられてもて」などという台詞も、K氏にとっては度胸千両系稼業の人びとが口にするのを耳にしていた「街場の言葉」である。
 溝口敦さんの山口組一連の作品と違うところは、「そこや」とK氏は心底思っている。つまり、台詞のワーディングの細部がリアルにノンフィクションかどうかだ。
 
 また同様に、ヤクザ映画の良し悪しは『仁義なき戦い』と『極道の妻たち』を見比べてもわかるが、ほとんど極道の会話のエクリチュールの理解にかかっている。

 K氏がここでいうエクリチュールとは、「その人間の社会的属性や地域性にふさわしい言葉遣い」ということである。用字用語はもちろんのこと、イントネーション、発声法もそれに含まれる。

 とくに大阪や神戸や京都の「具体的な世の中」においての関西弁のエクリチュールは、極道にしてもマル暴の警察官にしてもオカマにしてもそれぞれの独特さにおいて多様だ。

 西岡氏は、筧容疑者が殺人容疑で向日町署に逮捕されたときに、Twitter上で「今頃、向日署はてんやわんやになっとるんやろなぁ」「黒川さんに帳場に入ってもらえ」と呟いた。
 このエクリチュールこそがまさしく大阪のブンガク性であり、「そこらへんを分からんと、いっこも"おもんない"んや」と映画を観たK氏はボヤき気味なのであった。

 その「おもろい」こと。
 大阪(関西)人のコミュニケーションの技法と、台詞回しの巧みさには、何よりも「おもろい」ことが優先され、言うてることが「おもろい」かどうかがすなわち説得力である。
 
 非難したり、抗議したり、恫喝したりするときにも「おもろく言う」し、喧嘩の場合も同様だ。
「ヤカラ(言うの)はな、おもろないと効き目がないんや」とはK氏流の台詞だ。
 もちろん「おもろいことを言う」ということは、吉本芸人が人を笑わせるようなことを言うことではない。
 
 黒川博行さんに戻ると、『破門』の2014年直木賞受賞会見で実に興味深いコメントをしている。

 僕の小説読んで、よくせりふ回しが漫才のようであるとよく言われるが、わりと不本意なんです。上方落語は大好きでよく聴きます。大阪人というのは、ことさら面白い会話をしようと考えてるわけではなくて、日頃しゃべっている言葉があんなんです。だから作品の中で、ここで笑わそうとか、ここでしゃれたことを言わそうとか、意識したことはないです


 さらに『オール讀物』の直木賞受賞記念対談では、

 漫才は決して参考にしてません。俺の書いている台詞はそこまで下品ですかと、逆に聞きたいくらい(笑)


 と発言しているほどだ。
 「そこまで下品ですか」という台詞に、黒川作品の魅力を深く知るK氏はヒザを叩きまくるのであった。

 多分に逆説的だが、お笑いタレントの島田紳助が「俺のケツ持ち誰やと思とんねん」とシロウトにカマシてちょっとした事件になったのだが、K氏にかかれば「安もんの洒落にもならん。おもろいことも何ともない」と手厳しい。 
 「だれそれはだれそれのケツ持ちや」という言い方はあるが、自分で「俺のケツ持ちはだれそれや」というのはチンピラのエクリチュールだ。
 ちなみに「チンピラ」とは、「子供(小物)でありながら、えらそうな言動をするもの」(新明解国語辞典)とある。

 そのような昨今の吉本漫才の芸風を黒川さんは「下品」と喝破したのにちがいない。

 また、暴力団組長と政治家とはジャンルが違うが、かれらの権力にすり寄る、たむらけんじもよく似ている。

 吉本興業の芸人であり、『炭火焼肉たむら』のオーナーのただ面白いだけの男、たむらけんじです。ブログもやってますねん。

 これが、たむらけんじのTwitterのプロフィールだが、2011年頃の橋下大阪府知事が大阪市長に鞍替えしようとした頃から大阪維新の会に近い態度を示し、「政界進出か」と騒がれたのをK氏は「焼肉屋から今度は議員か。何もんやねん」と思っていた。
 さらに2015年の大阪都考想の市民投票時には、「反対の立場の人気持ちが悪い!」とTwitterで発言して炎上したのも記憶に新しい。
 Twitter上には「#たむけんおもんない」というハッシュタグができているほどで、「たむけんは橋下人気に便乗して名前を売りたいだけ」「たむらけんじが物凄くみっともない」「たむけんが立候補したら腹抱えて笑う」とかもう言われ放題だった。

 しっかし「たむけんおもんない」て「アホの坂田」みたいに人称名詞やなあ、ほんまうまいこと言うわ、とK氏はふと思い出し、「#たむけんおもんない」を検索すると、今も「#たむけんおもんないが出てきたので。あわててテレビ消しました」などと書き込みがあって、大阪の人間はホンマ殺生やなあ、と思うのであった。

 このように大阪人は前回にも書いた似非大阪弁と同様に、この手の大阪の芸人のスタンスに手厳しい。 
 「おもろいこと」を言うことが「商売」であるはずなのに「おもんない」のはなぜか。
 端的にいうと当の自分が口にしたり呟いたりする言葉と、それを担保するお笑いタレントとしての人格のズレであり、言語表現を支える思想の不在や空虚さを感じるからだ。

 K氏は横山やすしのファンであり、漫才の天才だと思っている。
 けれども街場で酔っぱらった芸人にエラそうにされたり、ヤカラを言われたりすると普通に腹が立つし、言い合いもする。
 もし蹴られたら蹴り返すし、シバかれたら警察に届ける。
 漫才師は政治家でも財界人でもなく、街場の人間である、というオーセンティックな認識があるからだ。

 もっぱら大阪の極道や警察官上がりのアウトローたちを書いてこられた黒川博行さんが「日頃しゃべっている言葉があんなんです。だから作品の中で、ここで笑わそうとか、ここでしゃれたことを言わそうとか、意識したことはないです」というのは、かれらが日常的にそう生きているからであって、かれらの徹底的に具体的な生活者としてのエクリチュールを見つめているからだ。

 おっと、10枚になってしまった。
 そのあたり、黒川作品についてくわしくは次回。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

江 弘毅(こう・ひろき)

1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部卒。 1989年京阪神エルマガジン社にて『Meets Regional』誌をたちあげ、12年間編集長を務める。 2006年に編集集団140Bを大阪・中之島に設立、現在取締役編集部長。 著書に『だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『有次と庖丁』(新潮社)、『濃い味、うす味、街のあじ。』『いっとかなあかん店 大阪』『いっとかなあかん神戸』(以上、140B)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの〜』『K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。』以上、ミシマ社)など。津村記久子さんとの共著『大阪的』(ミシマ社)も大好評発売中。

大阪的

バックナンバー