K氏の大阪ブンガク論

第7回 大阪語を英語で言えますか?

2017.01.15更新

 大阪発祥に違いない「串カツ」「しゃぶしゃぶ」は、東京ほかでもすでに「ソース2度づけお断りのですよね」「お箸でつまんだまま、しゃぶしゃぶ」というような感じで知られている。
 K氏は一度、仕事で「たこ焼き」「バッテラ」などを含め、大阪の食べものを英訳したときにいろんな発見をした。英語は極めて直截的な言い方をする言語なのだ。だから英語で言えるということは、日本語のニュアンスをしっかり掴んでいるということになる。

 ちなみに「串カツ」は「snack cutlet stick」、「しゃぶしゃぶ」は「sliced beef and vegetable hotpot」とした。
 大阪で活躍している通訳の友人に入ってもらって、あーでもないこーでもないとやった結果だ。地元誌を長い間やって大阪についていろいろと著してきたK氏のこだわりは、こういうところに出る。

 11月に出たばかりの『なんでやねんを英語で言えますか?』(川合亮平著・KADOKAWA
)というおもろい英会話の本を見ていると、いきなり「しょうもな」(=That's dull.)、「しゃあない」(=Don't worry about it.)などという日常大阪弁が連発で、そうか標準語圏の人間には英語で説明するのも一つの手だなあ、と思った。

 大阪弁を変に発音されたり、会話の最中にニュアンスが違って捉えられたり、そういう他所者が使う「ピジン大阪弁」に不寛容な大阪人であるが、「大阪語」として英語できっちり訳したり説明したりする経験はなかなか貴重かも知れんなあ、などとK氏が思っていたところに、柴崎友香さんが朝日新聞の連載でこういうことを書いていた。

 アメリカで英語を聞いているとき、脳内では大阪弁に変換して理解していた。大阪弁で想像するとわかりやすかったし、気分が落ち着いた。共通語は浮かんでこなかった。わたしの母国語は日本語だが、「母語」は大阪弁なのだと実感した。しかし、細かく言えばわたしの母は広島出身、父は香川出身である。そうすると、わたしの言葉上の母は、大阪の街とそこに暮らす人達ということになる。




 さすがに芥川賞作家でますます作品に磨きがかかっている柴崎さんだ。「大阪の街とそこに暮らす人達」というところが最高やんけ、などと「街場」「街的」などという単語を多用してきたK氏はしびれているのだ。

 K氏もアメリカや中国や韓国、タイやマレーシア、イタリア、フランス、キューバ...といろんなところに旅し、いろんな言語に接してきたが、そういえばストレートに大阪語に訳して理解したりコミュニーケションらしきものをしている。
 その時の実感は「通じてるやん」というやつだ。

 ただ「How much money?」も「C'est combien?」も「なんぼ(いくらですか)?」である。が「自分、なんぼのもんやねん」は、「How much money about you?」ではないということを解っている。

 大阪弁の特徴はそういった言葉(そのもの)や言い回しはもちろんだが、大阪弁話者
だからこその話の転がせ方だ。ボケる、ツッコむ、話を折る。 
 ツッコミの「なんでやねん」は「Shut up!/No way!/ Nonsense!」などであり、グチっぽい「なんでやねん」は「What're you doing/What!?/ No way!」など、いろいろあることを川合亮平さんは指摘している。

 金水敏教授によると現代の「役割語」、つまり特定のキャラクターと結びついた、特徴ある言葉遣いとしての大阪弁は、冗談好きでおしゃべり好き、ケチ・拝金主義者、食いしん坊、派手好き、好色・下品、ど根性、やくざ・暴力団...といったステレオタイプがあるということだ。
 さらに反権力、建前よりホンネ、論理よりも感情...といった特徴があると指摘されるが、そういう色分けで大阪弁を見るのは、ちょっと的外れだ、とK氏は思うのだ。

 そうではなくて、大阪弁は人と接するときの言語運用のスタンスであり、大阪弁をベースにものを感じたり自己表現する際の作法のようなものである。
 大阪人が自己言及する際に、「あかんなあ」と自分を陥れたり、「ほんまにアホやろ」と自省的になったり、時として見られるテレやハニカミは、大阪弁が持つコミュニケーションについての様式である。大阪語を話すから大阪人はそういうふうな思考をし、表現をし、そういった行動をするという様式だ。

 冒頭の串カツもしゃぶしゃぶも、大阪人が培ってきた食べ方の様式だ、と思うとK氏が英訳した際の目の付けどころがよくわかる。
 補足すると「ソース2度づけお断り」も「肉を箸で挟んだまましゃぶしゃぶと」も、一人でするものではない。隣に他者がいてソースを共用する、誰かと鍋を囲む、その際の行動様式である。
 柴崎さんは先の朝日新聞で、アイオワで自分が書いた短編小説のなかの大阪弁の翻訳の会話の部分を、日本語がとても上手なアメリカ人が大阪らしい冗談を交えた朗読で熱演するのを見て、「日本語の共通語にするよりも」かれの英語訳の語りの方が「大阪弁に近いように感じた」と述べている。「言葉上の母は、大阪の街とそこに暮らす人達ということになる」と書かれた大阪語を母語とする都会人の理解や思考の様式なのである。

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江 弘毅(こう・ひろき)

1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部卒。 1989年京阪神エルマガジン社にて『Meets Regional』誌をたちあげ、12年間編集長を務める。 2006年に編集集団140Bを大阪・中之島に設立、現在取締役編集部長。 著書に『だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『有次と庖丁』(新潮社)、『濃い味、うす味、街のあじ。』『いっとかなあかん店 大阪』『いっとかなあかん神戸』(以上、140B)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの〜』『K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。』以上、ミシマ社)など。津村記久子さんとの共著『大阪的』(ミシマ社)も大好評発売中。

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