K氏の大阪ブンガク論

第11回 下品なやつは下品なものに過敏

2017.08.23更新

谷崎の昭和7年に『中央公論』に書いた「私の見た大阪及び大阪人」(『谷崎潤一郎随筆集』岩波文庫に収録)に、このような「大阪の味覚」についてのくだりがある。

 幸いにして此方の気候と食物とが最初から東京よりも自分の体質や嗜好に合っていた。私の叔父や親戚なぞの中には、たまたま此方へ遊びに来ても白い刺身に箸を付けず、煮物の水っぽいのが物足らず、醤油の仇塩っ辛いのが気に入らずというような頑固な江戸っ児があるが、私は味覚の点においては始めから関西好みであった。


 さらにこう続ける。

 私は昨冬六甲山麓の岡本の山荘を売り払い、借家住まいの身になったけれども、それでも上方を離れようという気はない。出来得べくんば今後も永久にこの地に腰を据え、やがては両親の墓をさえ、分骨して此方のお寺へ持って来ようと考えているくらいである。私のような純粋の東京者がそうまでこの土地と関係を結ぶようになったことを思うと、不思議な因縁といわざるを得ないが、それと同時に、関西の風土人情に対して、善いにつけ悪いにつけ、私の愛情が日増しに深くなって行くのは甚だ自然の道理である。(p.116)


 「もう上方趣味なんか、はるかに超越してるなあ」とK氏は唸っている。ただ、「けだし私はいつまでたっても東京人たる本来の気質は失わないであろう」とも書く。「東京からの移住者」という軸足の置き方だ。


 「私の見た大阪及び大阪人」は、いきなり冒頭から

 銀座に道頓堀のカフェ街が出現して大阪式経営法で客を呼んだり、法善寺横丁の「鶴源」がその裏通りに開業するという時勢になっては、東京人が上方に対してケチな反感を抱いても追っ付かなくなってしまったが、


 と書き出す。K氏によると、谷崎より一回りほど下の明治33年生まれの東京人・安藤更生が昭和6年に自分の地元としての銀座を著した『銀座細見』(中古文庫)に、ずばりその「大阪カフェの銀座進出」というのが出てくる。谷崎の「私の見た大阪及び大阪人」は昭和7年に書かれたものだから、まったく同じ時代のことだ。


 章タイトル「七 カフェ」とされる下の要約からこうだ。

銀座はカフェの王であり、カフェは銀座の王である。プランタンの流れを引く家内工業的なカフェに対する、大阪カフェの大企業的撩乱。エロの乱舞、イットの安売り、かくして銀座はどこへ行くのか。(p.70)


 続いて見出しが『カフェの起源』。嚆矢としての「プランタン」のことが書いてあり、松山省三がやっていたこと、店名は小山内薫が付けたことから始まり、「歳は二十六七」の2人の女給の「お柳」「お鶴」のことも書いてある。さすがに「細見」である。

 その「プランタン」は、一般にはまだまだカフェがどのような店かは知らない人が多いことから、五十銭の「倶楽部」会費の「維持会員」を募った。50人ぐらいのメンバーが記されてあって、黒田清輝から始まり、森鴎外、永井荷風......、高村光太郎、北原白秋の次に谷崎潤一郎が出てくる。
 「やっぱり谷崎、居てるなぁ」とK氏は納得する。
 次の『カフェ列伝』は、カフェライオン、タイガア......と店名が小見出しになった強烈な店紹介だ。バーのルパンや銀座ビヤホール、資生堂のカフェなども書かれている。


 「ここや、ここ」とK氏が指摘するのは、『大阪カフェの東京進出』とわざわざ見出しを立てての以下のような罵詈雑言だ。

 昭和五年の六月には美人座が銀座に開店し、三十人の大阪娘を女給として、数回に渉って飛行機で輸送し一大センセーションを起した。十月には日輪が京橋橋畔のビルディングに進出した。その家賃千八百円、敷金三万円、設備費二万円、宣伝費二万円と伝え、前ビルディングを被う大阪式五彩の電気サインで賑々しく開店した。次いで十一月の十二日には赤玉が...、


 と開店資金と設備の話が詳しく続き、

 銀座は今や大阪カフェ、大阪ムスメ、大阪エロの洪水である。
 大阪カフェの特色はまず第一にエロだ。大阪女給はエロ工場での熟練工である。この点ではまったく東京娘は敵わない。濃粧と、調子外れの色彩と、イット満喫ではどこのお客でもダァと参ってしまわざるを得ない。それともうひとつの特色は大衆性にある。(略)そこへ行くと大阪のカフェの空気は全くインテリ性を没却している。(略)
 大阪風のカフェは、他のカフェやバーに比較して、その値段は著しく高い。赤玉ではサクラビールと突出しで一本一円という馬鹿らしい値段である。こんなことではたして東京でやって行けるのかどうか。(p.115)


 彼女らはとくに大阪弁を使い、特に大阪風に振る舞う。試みに銀座会館の三階は上がってみたまえ、ここは最も濃厚に大阪色を呈している。そこにはたらく者は全部大阪人である。そのサービスも悉く大阪風である。入口に「○子さあん」と大声で女給を呼び上げる声、喧しい大阪弁、一人の客に一人の女給という濃厚な大阪式サービス、諸君は自ら果して東京にあるや大阪にあるやを疑うに至るであろう。(p.118)



 ほんまにめんどくさい東京のおっさんである。この手の徹底的な「大阪嫌い」の東京人はしばしば見かけるが、「最後までブンガク性ゼロゼロやなあ」と言うK氏の通り、安藤のこの「銀座の大阪カフェ」についてのこの文は終わり方までエゲツない。キーボードを叩いていてもアホくさくなってくる。

 だが、これはいったい何の事だ! 私は大阪が嫌いである。そこには何もない。あるものはエロと金ばかりだ。こんな文化が文化なら、我らは一日も早くブチ壊してしまなければならぬ。
 ダブダブの足袋と、口をきけば唾の飛ぶような関西弁と、無智な会話と、鈍感なサービスとエロ本位と、碌な食物も飲物もない、何がいったい面白いんだ。
 私はインテレクチャルな要素のないものは何でも嫌いだ。客の個性も見分けることの出来ないようなサービス振りは大嫌いだ。大勢女を集めて騒ぐのが好きならレビューでも観に行った方がよほど気がきいている。そうでなければ玉の井かチャブ屋へでも出かけた方がいい。


 「だいたい無教養のやつは無教養に、下品なやつは下品なものに過敏なんや」とK氏は嘆く。
 対して谷崎の「私の見た大阪及び大阪人」は真逆であり、とくに「東京弁」と「上方弁」の「声」の違いまで言及しているところはするどすぎる。
 長らく関西に住んでたまに東京に行くと、「東京人のカサカサした、乾涸らびたような声」で真っ先に「東京だなあ」と感じる。とくに女性については「アケスケで、お侠で、蓮ッ葉であるだけに、何んとなく擦れっ枯らしの感じがして、かえって下品だ」とまで書く。

 また「遊ばせ言葉」が嫌いで、「一つ一つの動詞に悉く『遊ばせ』をつけて、その廻りくどいいい廻しを早口に性急にべらべらしゃべり立てるに至っては、沙汰の限りだ。あのくらい物々しく、わざとらしく、上品ぶっていてその実上品とは最も遠い感じのするものはない」とボロクソで、K氏は「まったくその通りや」と、谷崎の声や語調の美意識のセンスに感心している。
 安藤更生と同じ東京人、こうも距離が違うのか。


 『細雪』では「大阪人」からの視点のあからさまな「東京弁」と「東京流」のエクリチュールについて言及している。「ほんまロラン・バルトの先取りや。さすが大谷崎」というK氏だが、「言葉遣い」は「ふるまい方」に直結しているというバルトの思想は、それより20年以上も前に谷崎の小説によって以下のように書かれている。

 彼女は相良夫人のような型の、気風から、態度から、物云いから、体のこなしから、何から何までバリバリの東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女も阪神間の奥さん達の間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こういう夫人の前へ出ると、何となく気が引けてーーというよりは、何か東京弁というものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差控えたくなり、かえって土地の言葉を出すようにした。それに又、そういえば丹生夫人までがいつも幸子と大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれないのであった。(略)今日の夫人はいつものおっとりとしたところがまるでなく、眼の使いよう、唇の曲げよう、煙草を吸う時の人差し指と中指の持って行きよう、ーー東京弁はまずしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄がにわかに悪くなったように思えた。(上巻二十p.168)



 「彼女」は次女の幸子、つまり谷崎の妻・松子がモデルである。徹底的に東京嫌いの幸子であり、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、やなあ」とK氏が言うところは、幸子が東京へ移住した姉夫婦を訪ねる際の記述だ。


 分けても彼女は東京の場末の街の殺風景なのが嫌いであったが、今日も青山の通りを渋谷の方へ進んで行くに従い、夏の夕暮であるのにもかかわらず、何となく寒々としたものが感じられ、遠い遠い見知らぬ国へ来てしまったような心地がした。(略)京都や大阪や神戸などとは全く違った、東京よりもまだ北の方の、北海道とか満州とかの新開地へでも来たような気がする。場末といってもこの辺はもう大東京の一部であり、渋谷駅から道玄坂に至る両側には、相当な店舗が並んでいて、繁華な一区画を形作っているのであるが、それでいて、どこかしっとりした潤いに缺けてい、道行く人の顔つきの一つでも変に冷たく白ッちゃけているように見えるのは何故であろうか。(略)これが京都の市中などであると、たまたま始めての街筋へ出ても、前から知っていた街のような親しみを覚え、ついその辺の人に話しかけてみたくもなるのに、東京というところは、いつ来てみても自分には縁もゆかりもない、餘所々々しい土地なのである。(略)それにしてもよくまあ姉がこういう街で暮していられるものよと思い、実際そこに行き着くまではまだ本当でないようにも感じられた。(中巻十四p.378)



 間違いのないように書き添えるが、太平洋戦争の爆撃で完膚無きまでに壊される前の「花の東京」である。そしていよいよ渋谷道玄坂の住宅街の姉宅でのシーンはこのように書かれる。

「叔母ちゃん、叔母ちゃん」
「お母ちゃん待ってはるで」
「僕の家すぐそこやで」
(略)
「みんな大きゅうなったわなあ。大阪弁使うてくれなんだら、どこの子たちやら分からへん」
「あいつらみんな東京弁巧いんだけれど、叔母さんに歓迎の意を表して、大阪弁を使ってるんですよ」(p.379)



 『細雪』で谷崎が書く姉妹達の「東京嫌い」は、東京に住んでいる大阪人の言語運用にまで及ぶが、大阪人が東京弁すなわち標準語を操ることの違和感は、第3回で書いた他地方の人間が「変な大阪弁」を話すことの違和感同様に大きいものがある。
 このあたりがK氏の力説する「大阪人の大阪語/標準語の書き分けによるブンガク性」である。(以下次回)

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江 弘毅(こう・ひろき)

1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部卒。
1989年京阪神エルマガジン社にて『Meets Regional』誌をたちあげ、12年間編集長を務める。
2006年に編集集団140Bを大阪・中之島に設立、現在取締役編集部長。
著書に『だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『有次と庖丁』(新潮社)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの〜』『K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。』(以上、ミシマ社)など。近著に『濃い味、うす味、街のあじ。』(140B)がある。

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