K氏の大阪ブンガク論

第18回 大阪弁を誰よりも知っている――司馬遼太郎『俄 浪華遊侠伝』

2018.01.16更新

 「大阪で生活してる者はもちろん、仕事や文化にかかわったりする者は、すべからく司馬さんの『大阪の原型----日本における最も市民的な都市』を必読とすべしやなあ。これは絶対通っとかなあかん」。
 いきなりK氏の「絶対」が出たのだが、『大阪の原型』は司馬遼太郎さんが「自分の大阪て一体なんやねん?」というところからがっぷり四つに取り組み、歴史を通して「大阪の全体性」を真俯瞰で書いたものだ。

 この『大阪の原型』も所謂「司馬史観」が端的に反映しているといわれるエッセイであるが、多分に「大阪ブンガク的」であると思う。
 日本を代表する小説家である司馬遼太郎のエッセイについては、阪大招聘教授の髙島幸次さんが、原稿用紙約60枚の『大阪の原型』が全文で特別再録された雑誌「大阪人」2012年3月号の司馬遼太郎特集で、「エッセイ(『司馬遼太郎が考えたこと』新潮文庫)だけで15巻組める作家なんて他にはいないと思います。それを読まないのは、バッテラ寿司の昆布を食べ残すようなものだ」と、これまたまことに大阪的な言い方で、実に上手いこと指摘している。
 ちなみに『司馬遼太郎が考えたこと』は、1953年から逝去する96年までのエッセイ・短文を収録したもので、作品数1,100を越える大著だ。『大阪の原型』は13巻に所収されている。

 『大阪の原型』は、1行目から、

 私は、大阪で生まれた。
 以後、六十四年もこの街に住んでいる。


 と始まる。
 続いて、

 「よほど大阪が好きなんですね」
 とよくいわれるが、そうでもない。人間というのは、病的な自己愛のもちぬしでないがかぎり、鏡の中の自分の顔、テープに再現された自分の声を、冷静に見たり聴いたりすることができないはずである。つねに多量の、もしくは微量な嫌悪感がつきまとう。私の大阪への感情もそれに似ている。
 この感情を拡大すれば、私がすでにこの街に自己同化してしまっているということになるだろう。そういう感情があるために大阪が好きか、と問われれば、返事にこまるのである。私は自己に対して嫌悪感からまぬがれたことが一度もないため、
 「きらいです」
 と、一応答えざるをえない。ただし人間は、自己を心底きらいなままで、三日も生きていけない。


 とくる。
 このような「身体化された大阪」に対してのアンビバレントな感覚は大阪人の書き手によく見られる。
 西加奈子さんが『NHKきょうの料理』に連載したエッセイ集『ごはんぐるり』(NHK出版2013年)にも、こういう記述がある。

 でも、大阪出身者がお好み焼き好きであるとか、たこ焼きを食べたがるとか、ああもう、恥ずかしいのだ、どうしても。ベタベタやんけ。たこ焼き、お好み焼きの佇まいそのものがあまりにも「大阪」すぎるからだろうか。
 串カツ、ホルモン、かすうどん、などもそう。
 全身からむんむんに、「大阪の味だっせー」という空気を放出していて、それが、ものすごく恥ずかしい。
 美味しい、めちゃくちゃ美味しいのは分かる。大好き。でも、大声で大好きとは、どうしても言えないのだ。 

 例えば誰かに、
 「西さんは大阪出身やから、やっぱりたこ焼きとか好きなの?」
 などと聞かれると、心の中では、
 「大好き!!」
 と叫んでいるのに、 
 「うーん、まあ、そうですね。大阪ではおやつみたいなもんやし、みんな好きなんと違うかな」
 などと呟く。 (「大阪すぎる」P.164)


 「大阪、好っきやねん」「コテコテでなにが悪い」とは、なんかよう言わん。そういう真っ直ぐな自己意識とはまた違(ちゃ)うんねんなあ。その感覚が都会的大阪人ならではやねん、とK氏。ふむふむ。さて肝心の小説はどうか。

 「そら『俄』やろ。大阪の塊みたいな話や」。
 間髪入れずそうK氏は断言する。
 『俄 ――浪華遊侠伝』は、幕末から明治にかけての大阪の侠客・明石屋万吉の一生を描いた作品だ。前回の『村上海賊の娘』同様、『俄』も歴史小説である。
 司馬の歴史小説については、東大史料編纂所教授の山本博文さんが『歴史をつかむ技法』(新潮新書)で、「時代小説が、仮に実在の人物や事件を登場させても、その物語はフィクションを主体にして展開するのに対して、歴史小説は基本的に実在した人物を主に用い、ほぼ史実に即したストーリーが描かれます」(P.63)としたうえで、司馬が膨大に書き遺した歴史小説について、「フィクションを交えている場合でも、できるだけ史実に沿おうとする姿勢が見て取れます」と述べている。

 ただ『俄』は、豊臣秀吉や宮本武蔵、坂本龍馬や西郷隆盛といった超スターたちを書いてきた一連の歴史小説とはちょっと違う。
 主人公で「極道屋」の明石屋万吉と、そのまわりの「駄菓子屋のお婆ン」や「河童博奕の連中」「丸屋(堂島の米問屋)の旦那」といった大阪市井の人々がメインの登場人物で、土方歳三、桂小五郎、山内容堂など「幕末の大物」がまるで万吉の引き立て役のように出てくる。場面も京都が少し出てくるだけで、大阪の町中ばかりだ。

 小説は冒頭から万吉が北野村の「現在(いま)の阪急ホテルの裏あたりにあった」家を出て無宿人になるところから始まる。なんと11歳、今の小学校5年生である。「どんな悪事をはたらいても家族に迷惑がかからんように人別長から名前を抜いて」もらい、無宿人の極道として生きる決心をする。

 家もすて戸籍もすて命さえも捨ててかかってる以上、もはや将軍といえどもこわくはない。
 (なんぞやることはないか)
(略)
(浪華は天下の金どころや。死ぬ気で歩きまわればどこかで金とぶつかるやろ)


 と花柳街「北ノ新地」「堂島新地」を抜け、「お初天神」に着く。境内で出くわしたものは「河童博奕」だ。

 「考えてもごらん、百(文)賭(は)れば二百になるんじゃ。思い切って賭った賭った。殴(は)って悪いのは親爺(おやじ)の頭」
 と、冗談(ちゃり)まで入れ、
 「どやどやどや、もっと賭れ。胴にはこれだけの銭があるんじゃ。これをみんなぶっしゃげたい(取りあげたい)とは思わんか。男なら賭れ」
 さらに射幸心をあおるために、
 「ばくちゃな、わが握っている銭を銭だと思うから負けるんじゃ。紙と思え。石ころと思え。思いきって賭れ。ケチるやつには果報は来んぞ」(P.24)


 といった十三四才のガキ胴元の「香具師の客寄せ口上のように流暢な」丁半博奕をぼんやりみていた万吉は、賭場の悪銭を取るのがなぜ悪いと思い「この銭、貰(もろ)うた」と賭け銭の山に倒れ込む。
 「殴(ど)つかれ屋」の誕生である。
 (痛しぐらいで銭が入れば言うことはないわい。死ぬと思え、わいは死人やと思え)
 と、鼻血がござを染め、頭の皮がやぶれ、さらに踏んだり蹴ったりぼこぼこにされても我慢して、せっせと銭を懐に入れる。
 そのうちに河童博奕打ちどもは、コブシも血でぬるぬると濡れてきて「気色(きしょく)のわるい」とおじけづく。「どこの子じゃい」「天涯の無宿じゃ」。
 悪ガキたちはおそろしくなって、「きょうのところはゆるしてやる。懐に入れただけの銭はくれてやるさかい、二度とこの境内にまぎれこむな」と言う。
 「浪華最大の社」天満天神でも、「この銭、貰うた」をやって、「容赦なくコブシの雨」をふらされたが、(わいは我慢屋じゃ。我慢さえすれば銭が入る)と耐える。

 「いきなりごっつい英才教育されとるガキだらけの環境から始まるんや」とK氏は感嘆する。「ナニワのど根性」とはちょっとレベルとジャングル(笑)が違うんやなあ。司馬さんはこう書いたあるんや。

 兵法者は勝つことを工夫し、そのために惨憺たる修行をし、ついに「勝つ」ことによって自分を磨き、また衣食の道を得たが、万吉のばあいは負けることで男を磨き、負けることで衣食の道を得ようとした。
 (結果はおなじことや)
 しかし勝つ修行よりも、万吉の修行のほうがはるかにつらいにちがいない。
 (おれはその道で行ったる)


 (おれの一生はこれや。これでゆく)と、腹に決めた万吉は、すぐに太融寺の駄菓子屋「大源」のお婆ンの二階に下宿するようになる。
 すでに万吉の姿を見る河童博奕の方が、「また山荒らしが来くさったか」とおそれて逃げるようになっている。
 お婆ンの台詞は「このごろは、えらいええ顔でもどって来るな。腫れてへんがな。不景気か」である。
 司馬はぴっしゃりと「待ってンか。いま才覚しているとこや」と万吉に言わせる。
 「才覚」すなわち今度は元和通宝を細工したインチキ博奕である。

 「賭場荒らしは、やめたのか」とおずおずと聞く悪相の河童博徒たちに、「安心さらせ、ふっつり廃(や)めた。きょうからはガラリと変わってわいが貸元(かしもと)や」と言う。

 「銭はあるンけえ」 
 「無(の)うて賭場(やま)がひらけるか。体が冷えるほどグッスリ銭は用意している」
(略)
「この銭ア、みなわいらの賭場をあらした銭やないか」
「銭に素性(すじょう)はないわい、どの銭も天下公儀の通宝じゃ。口惜しけりゃ、張ってとれ。ど性根きめて張って来い」(P.61)


 「ガキのくせに惚れ惚れさせるなあ」とK氏が称賛する最高の大阪弁の啖呵である。
 インチキ博奕は盛大を極め、七十二両という途方もない大金にのぼる(「安い家なら七十八軒も買えそうな大金」と司馬は書く)銭を万吉がこっそり窓から放り込むのを「泥棒をしている」と怖ろしくなった母親が人に話してしまう。
 その噂を聞きつけた天満の役所の御用聞きが十手を見せて引っ捕らえ、同心の元へ連れて行く。
 さんざん拷問を受けるが、多額の銭のことは最後までは吐かない。北野村、曾根崎、天満、船場、堀江など、子供の万吉が馴染みの駄菓子屋のお婆ンを呼びつけて調べるうち、すべて賭場荒しとインチキ博奕の銭で、ただ動機が北野村の母親と妹を養うため、ということが判明する。

 賭博そのものが天下の御法度だがら、奉行所はそれを裁くことはできない。おまけに動機は家族を養うことである。
 ふむ、そういうことか。

 司馬は「筆者、言う。」と書き出し、

 早く大人になってくれねば、と思うのだが、小僧時代があまりに面白いので、筆者もつい興に乗りすぎている。
 実はこの小僧が、お上からなんと「孝子」として正式に表彰されたのだから、江戸時代とは奇抜な世の中だ。(P.97)


 と続ける。「ほんま司馬さん、このあたり、ノリノリやなあ」とK氏がにっこりする箇所だ。

 母親に親子の縁を切ってもらって「侠客になりたい」ということを「侠客」という言葉が照れくさくてつかえない万吉は、「極道屋」という言葉を使って頼み込む。「侠客とか親分とか、そんなんは人から言われてナンボや。そこが実に大阪の侠客らしい」とK氏。
 次は本物の博徒が開帳する本当の賭場を荒し、刀を持った浪人者に「殺すぞ」といわれても、「博奕は天下の御禁制、御禁制の金は悪銭、その悪銭を借りてやってなぜわるい」と、また「殴つかれ屋」をするうちに、万吉は堂島の米相場を荒らす仕事を問屋衆から頼まれる。
 莫大な利益を得ようとする御用役人が米を買い占めていて、相場の高騰に大阪の米商人が困っている。潰れる米問屋も出始める
 加えて市井のお婆ンどもが困っている。 

 「このところ、どうしたんやろ、清正の雪隠(せっちん)入りみたいな米の値段や」
 と、青い顔でボヤいているのを聞いたことがある。
 「清正の雪隠入り」というのは大坂風のシャレで、少々品が悪い。加藤清正といえば槍を持っている。その清正が便所に入るときだけは槍を放して入る。つまり槍放し、ヤリッパナシ、天井知らずにあがっていく高騰ぶりをいう。
 「そいつを、食いとめてほしいのや」(p130)


 その「命仕事」を引き受け200人の力自慢の人足を集めた万吉は、「相手は御買米の江戸商人(あきんど)にやとわれたやくざ者や。七十人はいるやろ」という会所に殴り込み、相場を叩きつぶしてしまう。
 ただ万吉は手を出さない。
「そもそも志しを立てたときから、殴られ専門で度胸をみがいてきた」「わいは大将であるよってに武者働きはせぬ。この赤松の上から下知するぞ」
 司馬は見事な台詞を万吉に言わせる。

 まんまと相場をこわして、「そら、あとでひっぱられる。そのときはおれ一人が縄付きになる」という手はず通り、皆を逃がし自分だけ捕まり西町奉行所で「吟味」される。
 「骨が砕けた者もあれば、眼球が飛びだした者もある」という拷問に米問屋の旦那衆が集められ、その前で「たれに頼まれた」と、肉がはじけとぶような音をして万吉を打ちすえ、皮が破けて血が流れ、血止めに傷口に砂をかけられ...。

 播州米を一手にあつかう天野屋利兵衛が、堪えきれずに「自分が頼んだ」と言う。天野屋は「例の赤穂浪士の事件のとき、大石内蔵助にたのまれて武器の買いあつめをした同名の侠商の子孫であった」。

 「お疑いのとおりこの万吉に頼み、おそれながら公儀お買い米の妨げをいたしてござります」。
 「待った」
 万吉は、大声を出した。ここが男を売るか売らぬかの瀬戸ぎわである。
 「わいはそんなおっさん知らんでえ」
 「これ万吉、お訊ねもなきに口をきくな」
 「しかしながら」
 万吉は浄瑠璃口調でいった。
 「存ぜぬものは存ぜぬと申しあげるしかいたしかたござりませぬがの」
 「存ぜぬか」
 「名アも聞かず、顔も見たことがござりません。ましてや」
 声に節がついた。
 「ものを頼まれしことなど思いもよらず」
 当日の吟味はこれでおわりになった。(P.187)


 もっとひどい拷問の「算盤責め」さらに「蝦責め」にされて白眼をむいて息絶えて蘇生した末に放免されるのだが、「堂島の壊滅を救うてくれた守り神や」ということで、横堀川で芸妓をのせ三味線をひかせながら迎え舟を出す者から貧民まで、一万二万の民が出迎えた。

 万事がこんな調子である。
 「話が出来すぎてへんか」とK氏は訝るが、酷い万吉への拷問を自ら指揮した大坂与力・内山彦次郎について、天保の乱のとき大塩平八郎が「零細民の敵」として討つつもりだったこと、のちに新選組によって殺されていることなど、さすが歴史学者よりも博学な司馬の歴史小説だということがひしひしと伝わってくる。

 『俄』(講談社文庫新装版)は上下二巻に別れていて、下巻はわずか一万石だけの一柳藩の武士「小林左兵衛」になったものの、 大坂の入口となる尻無川河口を警護する大公儀の番所は自費で建て、兵隊は自分の子分だ。そんなところに明治維新の嚆矢となる戊辰戦争が起こるところから始まる。

 三十艘の船に毛利藩の定紋の船旗をはためかせながら、大坂から京に続々とのぼる敵の長州藩士が尻無川から上陸するのを見て、「打ちかかってもたたきのめされるのは必定」と、裸になって尻を向けて寝ている。

 「こうして裸で寝ている。貴殿も武士ならあわれと思うて素直に川をお通りなされ」
 「面白いやつだ。返答次第では軍陣の血祭りに上げてやろうと思ったが、ゆるしてやってもよい」(P.531)


 「おもろいやろ。そこからが幕末や。こうなったら司馬さんの独壇場やな」とK氏。

 ところが長州軍は、蛤御門まで討ち入ったが幕軍に敗れ、逆に総崩れになって大坂に落ちてくる。その長州兵の指揮官が遠藤謹介で、三十人の敗残兵を「明石屋万吉の屋根の下だけは長州も大公儀もない」と客人扱いし、挙げ句の果ては「子分」として賭場の手伝いをさせ長く匿い、摂津西宮〜讃岐丸亀〜長州三田尻港のルートで逃がしてやった。
 その最後の組の遠藤が別れるに万吉の手をにぎり「御恩は生々世々(しょうじょうよよ)忘れん」と涙を流した。
 なぜここまで親切にするという質問には、「これが、稼業やがな」とだけ答えた。

 さて、一柳藩幕軍の小林左兵衛こと万吉は、かき集めた大坂のやくざ者を自分の兵卒とし、鳥羽伏見の戦いに薩長軍に挑む。歴史が残す通り薩長軍が「勝てば官軍」、錦旗まで出るのを万吉は目にする。
 司馬はここでの大坂贅六のやくざ者がいかに命を惜しんで逃げ出すかの臆病さをおもしろおかしく書いている。

 ここからはK氏の名調子、名口調で伝える。

 大坂城に入った維新軍は、腐敗した幕府の下でのうのうと暮らすヤクザはけしからんということで、大坂博徒の大親分を粛正にかかるんやなあ。
 革命裁判やから即刻河原で打ち首や。
 そのとき前を通った馬上の遠藤謹介が見つけて声をかける。ここのシーンがこの司馬作品の一番エエとこちゃうか。

 「おれだ、わすれたか」
 「はて」
 万吉はとぼけた。このあたりが、万吉の侠客としての腹芸のひとつだろう。
「わすれてもらってはこまる。お前に命をたすけられた長州の遠藤謹介だ」
 (ああ、理屈屋の遠藤か)
 むろん、万吉は馬上の士を見たとたんに思いだしているのだが、そういう顔つきをすれば万吉の男稼業がすたるであろう。
 「一向に存じませんな」
 (略)
 「ここでなにをしておる」
 「首」
 自分の首に手をやり、
「これだす」
と、刎ねるまねをした。(下 P.306)


 遠藤は、万吉を処刑すれば長州の恥であり、なぜわれわれを救ったのを言わなかったのだ、と尋ねるんや。

 「わすれましたのでな」
 万吉はもう芝居がかっている。
 「わすれたわけでもあるまい」
 「たとえ覚えていても、この場になって昔の恩を担保(かた)に命乞いをしようとは思いまへん」
 「申したなあ。それでこそ任侠だ」(下 P.307)


 遠藤は放免するだけでなく、薩州屯所に宛てて書いた手紙を万吉に渡し、それで恩返しをしたんや、とこういう話や。

 話はつながるか知らんけど、鷲田清一せんせ(臨床哲学家/京都市立芸大学長)が『しんがりの思想』(角川新書)で、「リーダーに備わっていなければならない条件」として、かつて松下幸之助がパナソニックで言った話を挙げてるんや。まず「愛嬌」で、次に「運が強そうなこと」、最後が「後ろ姿」やけど、万吉には全部備わっているんやなあ。

 米相場の殴り込みでも、大いくさでも「いったんひき受けたもの」は、命を賭けてやる。その命は「死ぬのに為めは要るか。わいは何の為めも無く死ぬ」(P.361)


 「よろしおま。死にまッさ」
 と、鮨屋が出前にでもゆくような気やすさでいった。(P.228)


 武士になっても、維新後に大阪知事の頼みで消防頭になろうとも、母や妹の生活費のためになった子供の「殴つかれ屋」であった。

 胆力、膂力で悪をやっつけるのではない。すべての話が死ぬ一歩手前の大危機を紙一重でどう逃げ切ったかということ。万吉の「俄」つまり「仁輪加」、路上河原の即興芝居にたとえる最も大阪的な小説に違いない。

 K氏は「こんな感じええ、風のような大阪人を書けるのは、やはり司馬さんが、大阪弁を誰よりも知ってはるんや」とつけ加える。

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江 弘毅(こう・ひろき)

1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部卒。 1989年京阪神エルマガジン社にて『Meets Regional』誌をたちあげ、12年間編集長を務める。 2006年に編集集団140Bを大阪・中之島に設立、現在取締役編集部長。 著書に『だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『有次と庖丁』(新潮社)、『濃い味、うす味、街のあじ。』『いっとかなあかん店 大阪』『いっとかなあかん神戸』(以上、140B)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの〜』『K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。』以上、ミシマ社)など。津村記久子さんとの共著『大阪的』(ミシマ社)も大好評発売中。

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