K氏の大阪ブンガク論

第12回 東京ほか他地方へ移住した関西人の関西語

2017.09.15更新

 以前も書いたが、東京に住む川上未映子さんが芥川賞受賞の際のインタビューで、「標準語で喋ると、脳味噌の一部がすごく硬くなっている気がするんです。イントネーションが分からんまま、探りながら喋っているから、すごい疲れてしまう」と述べていた。
 「すごいようわかるわ」と言うK氏だが、大阪や京都から東京ほか他地方へ移住した関西人にとって、すでに血と骨にまで身体化された大阪弁、関西語の言語運用は実際のところどのようになっていくのか。

 これについては国語学者で東京大学名誉教授の尾上圭佑さんが、著書『大阪ことば学』(岩波現代文庫)のあとがき「内なる大阪ことばを求めて」でとても興味深いことを書かれている。
 尾上さんは大阪の十三に生まれ、小学校は豊中市、中高で灘校に通い、東大に進んだ。

 大学受験のために上京してはじめて山手線に乗って聞いた東京の人の話しぶりというのは、それはもう、とても信じられないようなものであった。別に言わなくてもいいようなわかりきったことを、もってまわってたいそうに、声高に恥ずかしげもなくしゃべる人たちが世の中にいるということが、その時の私には驚きであった。スポーツ新聞の見出しにあるような大げさでものものしい漢字語を、私の感覚ではどうしても書きことばでしかない堅い堅いことばを、電車の中で堂々と生きた人間がしゃべっているというのは、大発見であった。日本にはいろんな所がある......はじめて故郷を離れた者が必ず持つその感想を、私はそういう仕方で持った。
 そのような、よその土地で生活をするという息苦しさが、その後三、四年続いたように思う。それはことば遣いだけでなく、人の表情や身のこなし、電車の車内の暗さから街の景色、風の強さまで含めた、東京の空気の息苦しさであった。そんな空気の中で、私はどうしゃべればいいのか。



 この文章は強烈である。その後続けて「あのくそなまいきな話し方」とまで書いている。
 K氏も東京駅で山手線に乗り換えたとき、車内で子どもまでが「それでいいんじゃないの」「そうだろ」などと東京弁を喋ってるのを訊いて同様に「東京はガキのくせになまいきなことを言いよる」と思ったことを記憶している。けれどもそのうえで「やっぱり言語の問題は克服せんとあかんのか」とK氏は思ったが、さすがに国語学者の尾上さんである。同じ時期に上京した高校の同級生の話し方を分析する。

 一つは、東京の人の話し方は論理的でよいと、意識的にあるいは無意識に東京に同化して、夏休みに大阪に帰ってもにわか仕込みの東京弁を使うタイプ。二番目は、東京でも大阪でもあい変わらず高校時代のままの関西風の話し方を続けるタイプ。これは、わりあい色の薄い関西弁をしゃべる男に多かった。三番目は、相手により場所により大阪弁と共通語を、アクセントや言いまわしまで含めて使い分けるタイプ。四番目は大阪風と東京風がごっちゃごちゃに混ざってしまうタイプで、聞いていてこれが一番気持ちの悪いタイプであった。この四タイプが人数にして四分の一ずつぐらいあったように思う。私は、三番目のタイプであった。第一や第四のタイプは私には気色悪くてできなかったし、かと言って、目の前の相手の話す東京風のことばとリズムやテンポが水と油のように全く違う大阪弁を押し通すという第二タイプも、私にはできなかった。第三の使い分けで行くよりほかに、できなかったのである。(p.196)



 この文章を読んで「おお、そうなんか」と膝を打ったK氏、仕事場でよく一緒になる金井文宏さんに「東大の時、金井さんはどうでしたん?」と訊いてみた。現在こちらでまちづくりや子育て、教育の仕事に従事する金井さんは、神戸市灘区の水道筋商店街生まれで、灘校から東大文一へ進んでいる。全く尾上さんと同タイプの進路である。

 「これの二番目やで。いや、周りのほとんどがそうやったんちゃうかなあ。東大ほかでも関西出身者はみんな関西弁やで。話していてちょっと東京弁が入ろうものなら、お前カラダでも悪いんか、言うてた」とのことだ。
 「何だその東京弁。気持ち悪いぞ」でも「馴れない標準語しゃべるなよ」でもなく、「カラダでも悪いんか」とぶっ放すところは、実に関西語話者的である。思わず笑ってしまう。
 第一のタイプの東京弁〜共通語に即座に同化する奴らに関しては、「地面を踏みしめる思考の足がついてない、観念の化けもんや」となかなか象徴的なことを言う。

 しかしながら、神戸高校から早稲田に進んだ村上春樹さんは完全に一番目のタイプである。
 「週刊朝日」連載の『村上朝日堂の逆襲』は86年に単行本化されたが、そこに「関西弁について」という文章がある。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞を取り、次に上下巻で計1000万部を超える大作となった『ノルウェイの森』を書き下ろしていたあたりの時代の文章だ。

 東京に出てきていちばん驚いたことは僕の使う言葉が一週間のうちにほぼ完全に標準語ーーというか、東京弁ですねーーに変わってしまったことだった。僕としてはそんな言葉これまで使ったこともないし、とくに変えようという意識はなかったのだが、ふと気がついたら変わってしまっていたのである。気がついたら、「そんなこと言ったてさ、そりゃわかんないよ」という風になってしまっていたのである。
 同じ時に東京に出てきた関西の友だちには「お前なんや、それ。ちゃんと関西弁使たらええやないか、アホな言葉を使うな」と非難されたけど、変わっちゃったものはどうしようもないのである。(新潮文庫版p. 23)



 村上春樹さんのその「関西弁について」というコラムは、自分の小説は東京で書く文章であり、関西弁でものを考える独自の思考システムにはまりこんでしまうと、文章の質やリズムや発想が変わってしまう、と結んでいる。
 毎年のようにノーベル文学賞候補に上がる「村上春樹のブンガク性」は、無国籍的だと指摘され続けてきたが、母語であった関西弁を捨てたところから始まっているといえるだろう。

「村上春樹は、そらそうやろ。それはそれでええんやんけ。悪くない、や」。「悪くない」というところだけ東京弁で発音するK氏に笑かされてしまうが、これがブンガクの多様性を尊ぶK氏のスタンスのエエところである。「でもオレらは恋愛小説の『ノルウェイの森』でも何でも、関西イントネーションで読んでるもんな」とつけ加える。というよりこの人は、標準語で書かれた文章をNHKのアナウンサーのようには読めない。そのことを自分でわかっているというか、悟っているようなのだ。

「同じ第一のタイプは、黒川博行さんこんなふうに登場させてるで。出たばっかりの『果鋭』にこう書いてる。おもろいで。ここや」と示す。

 高校生まで大阪にいながら、東京の大学に四年いただけで、大阪にもどってきても、しつこく東京弁を喋るやつがたまにいる。今里署刑事課長の野中というヒラメがそのたぐいだった。(P.175)



 「えげつないな、魚扱いや。けどヒラメはうまいなあ」。K氏の話は逸れた(いつも逸れている)が、東京に出て行った大阪人の、それも作家や編集者など文章を書いたり、前述の尾上圭介さんのように日本語について研究する仕事に従事する人の言語感覚の裂け目は、津村記久子さんが『大阪的』(ミシマ社)で、ニューヨークの友人の話を例に見事に指摘している。

津村 高校の友だちがニューヨークに嫁に行ったんですけど、ニューヨークって世界の中心じゃないですか。なんでもある。それでその子からしたら、ほかの場所がちょっと見えにくくなってもうた感じなんですよね。



 から始まる、大統領候補(当時)のドナルド・トランプ氏について、「ヅラなんかな」と思い続け、「ヅラやな、ヅラと思う?」みたいな話をし続けないとだめなんですよ、という意識感覚の言及がそれだ。
 けれどもニューヨークで友だちに「トランプてヅラなん?」と切り出した津村さんに対し、友人は「そんなん旦那にも友だちにも聞けない」と言う。

 大阪の人やのに。絶対その子、ヅラかどうか確かめてくれると思ってたのに。その話をする前から、旦那は共和党なんだけどトランプが嫌いな共和党らしくて、ばりばりの弁護士で堅い。大統領選ですごい今盛り上がっている、ていう話を聞いてたんですけど、トランプってヅラなん? みんなヅラって思ってんの? って聞いたら、聞けないって。これが大阪の人だったら聞けるじゃないですか。「これはニューヨークに染まってしまったな」と思った。本当にヅラかどうかはわりとどうでも良くて、みんなヅラだと思っているかどうか、ってことを聞きたかったんです。(p.84)



 「そうや、ズラやズラ。さすが芥川賞も川端康成賞も今度の紫式部文学賞も総取りの津村記久子さん。これぞ大阪のブンガクど真ん中やなあ」と、同様に日常的に「ヅラ」とか「ハゲ」とかについて、それこそチューインガムのコピーの「お口の恋人」のように言う土壌に生まれ育ったK氏は感嘆するのだ。

 あんな大富豪なのに、なんでそんなヅラっぽくしてるのかとか、ヅラっぽい髪型なんて大富豪やったら修正できるのになんでしないのかとか、もういっぱい疑問があるんですよ。でもその子は答えてくれなくなっちゃった。これが中央へ行くってことか、と思って。



 「中央へ行く」ちゅう言い方が、大阪人としての双方にたまらん哀しさがある。K氏はそう言うが、「問いとしてのヅラ」は、「しゃべることが生きることであるという文化の中に、大阪人は生きているのである」(『大阪ことば学』p.193)といった大阪語話者特有のコミュニケーション流儀と、「笑いは複数の文脈が衝突し、重なるところに生ずる。初めからすっきりと一つの文脈の中に安定し、他の方向へも展開し得るような要素をあらかじめ排除してしまっているところには、笑いは生まれようがない」(同p.188)複眼的重層性をもった思考様式は、ポピュリズム化する大統領選を徳俵に足を掛けながらうっちゃり、ひいては日米地位協定における辺野古問題の関節を脱臼させる強度に満ちている。

 いよいよテンションが高くなってきたK氏は、「オダサクの書く『大阪の精神』についても、そこのとこや」とぶっ飛んだこと言う。
 織田作之助が『可能性の文学』で書き出すのは、大阪が生んだ将棋の鬼・坂田三吉の死についてであるが、『勝負師』では坂田三吉と自分が共有する、大阪人が東京へ出て行ったときにしばしば揮発し露出してしまう「ヅラ的な問い」について、坂田三吉の端歩突きを例にこう書くのだ。

 私は坂田の中に私を見ていたのである。もっとも坂田の修業振りや私生活が私のそれに似ているというのではない。いうならば所謂坂田の将棋の性格、たとえば一生一代の負けられぬ大事な将棋の第一手に、九四歩突きなどという奇想天外の、前代未聞の、横紙破りの、個性の強い、乱暴な手を指すという天馬の如き溌剌とした、いやむしろ滅茶苦茶といってもよいくらいの坂田の態度を、その頃全く青春に背中を向けて心身共に病み疲れていた私は自分の未来に擬したく思ったのである。
(略)
大阪の人らしい茶目気や芝居気も現れている。近代将棋の合理的な理論よりも我流の融通無碍を信じ、それに頼り、それに憑かれるより外に自分を生かす道を知らなかった人の業のあらわれである。(『勝負師』織田作之助全集4p68/ 講談社)



 そういうオダサクの引用をしているところに、タイミング良く町田康さんの新刊『関東戎夷焼煮袋(かんとうじゅういやきにぶくろ)』(幻戯書房)と、「新潮」9月号の200枚の作品『湖畔の愛』が立て続けに届くのであった。
 いやさ、これぞ「現在進行形の、最前線の、大阪人のブンガクや」とK氏はプルプル震えている。さあ次回はいよいよ町田康さんの登場である。

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江 弘毅(こう・ひろき)

1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部卒。
1989年京阪神エルマガジン社にて『Meets Regional』誌をたちあげ、12年間編集長を務める。
2006年に編集集団140Bを大阪・中之島に設立、現在取締役編集部長。
著書に『だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『有次と庖丁』(新潮社)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの〜』『K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。』(以上、ミシマ社)など。近著に『濃い味、うす味、街のあじ。』(140B)がある。

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