似合わない服 ミルコの六本木日記リターンズ

第6回 スイートベイジル 

2017.08.14更新

 私が六本木に住んでいた頃、<スイートベイジル>というライブレストランが六本木にあった。
 六本木駅そば郵便局の裏にあり、木造の外壁に囲まれている。都会の雑踏の中にありながら、緑の丘のような、異空間だった。バンド仲間のウェディングも、多くのミュージシャンとの出会いや再会も、そこにあった。
 あの場所には、いやな思いが一つもしない。楽しかった思い出しか、ない。なのに、六本木の町から<スイートベイジル>は消えた。
 前はあったのに、いま、ない。
 けれどそこで過ごした時間はいまも生きていて、私もこうして生きている。
 お店で働いていた人も、ステージで演奏した人も聴いた人も、みんな寿命があれば生きていて、寿命が尽きても、私たちのたましいは消えない。

 その<スイートベイジル>で働いていたナカムラ君から、久しぶりに連絡をもらった。
 <EQを観に来ませんか?>
 しばらく失業していたナカムラ君は、六本木の新しいライブハウス<クラップス>に移っていた。
 EQは、サックス奏者・コイケさんのバンド、といってもジャズのカルテットである。

 私がコイケさんと最初に会ったのは、90年代の半ばごろだった。
 当時の私は、文芸の他に芸能の書籍や雑誌も多数手掛けていたので、いわゆるJ-Pop業界とやらにどっぷりと浸かっていた。
 アーティストとよばれる人びととの付き合いや、レコード会社、芸能プロダクションとの打ち合わせや会食が、六本木や西麻布で毎晩のようにあり、武道館はじめ首都圏や地方のアリーナなどコンサート会場へ、足を運ぶのが日常だった。
 そんななか、ある人気アーティストYちゃんの紹介で、私はコイケさんと会った。
 その晩遅くに、恵比寿の狭いバーで、三人でお酒を飲んだ。
 Yちゃんは私が学生時代にジャズ研でサックスを吹いていたのを知っていて、自分の信頼するミュージシャンであり、人気サックスプレイヤーの一人であるコイケさんを、私に引き合わせてくれたのだった。
 会ってみると、大ステージで豪快にブロウする人と思えないほど、彼は控えめな人物だった。じっさいは大柄なのに、小さく見えた。
 あれから、20年の時が流れた。

 私と同じくナカムラ君から誘いを受けていたデザイナーのツチヤさん(ビッグバンドジャズ愛好者のためのフリーペーパー「Bigband!」を編集・発行している)と<クラップス>で待ち合わせた。
 千代田線を乃木坂で降りて、六本木交差点に歩いて向かう。
 ア~私の街・・・って、いまは住んでないけど、なんか落ち着く。
 いまだ六本木は東京のなかでも私にとって特別な存在なのだ。
 ぶらつく途中、あの店がない、この店はある、ある、ない、ある、ない、・・・と、街の変わりようを確認する。
 私の通った店の半分以上が、なくなった。
 それでも残っていた店を、用もないのに覗いたりしながら進んでいくうち、かつて住んでいたマンションに着いた。

 当時、この場所で不良外国人同士の抗争による、殺傷事件があったことは忘れられない。
マンションは中庭のようなスペースを有しているのだが、ある朝、私が起きて外に出ると、そこが血だらけになっていた。朝方、大きな悲鳴を聞いた。あの瞬間に、殺人がおこなわれたのだろうか・・・・。
 警官の人たちが駆けつけ、現場を取り囲んでいた。
 「何があったんですか?」とジャージ姿の私。
 「縄張り争いだね~、外人さんの」と刑事さんのような人。
 殺人は毎日ではなかったが、そうした酔っ払い外国人らが毎晩のように騒いで暴れていた。
 深夜から朝まで、騒ぎは続いた。私はたいへん寝つきが良く、眠りが深い。そんな体質でなかったら万年寝不足となり、とてもじゃないがあの街に住めなかったと思う。

 不良外国人台頭の一方で、信心深いクリスチャンのフィリピン人が多くいた。マンションの一階に、彼らが小さなフィリピンレストランを出した。私はその店にたびたびカオを出して、ごはんを食べていた。お昼頃になると、フィリピン大使館で用を済ませた人なのか、教会の帰りなのか、どこからともなくわらわらと大勢のフィリピン人が集まってくる。私はそこで「ミルキー」と呼ばれ、インチキな英語であれこれ喋ってみんなと仲良くなった。彼らはいまもいるのだろうか――と思ってマンション付近をうろついていたら、なんと奇遇なことに、
 『あー、いたーっ・・・!!!』
 ・・・いたけど、声をかけることはできなかった。なぜなら私はここを去るときにお別れを言っていない。だからどこからまた始めたらいいのかわからなかった。

 <クラップス>は、私の住んでいたマンションの目の前だった。
 <クラップス>が出来る前か、そのまた前か、私の住んでいた当時、その場所はファミリーレストランだった。そこで私はよくゲラを読んだ。家で仕事に集中できない時に、書籍一冊分のゲラの束(たば)を抱えてたびたび行って、ドリンクバーとシュリンプサラダをついばみながら、原稿を読んだ。あの場所が、いま姿を変えてナカムラ君の職場となり、その夜EQのステージとなっていた。

 演奏は、見事だった。
 全てをかけて事を極めた人の凄みとは、ああいうものだ。
 楽器を完璧にコントロールしながらも人間味あふれる美しい演奏だった。
 一緒にライブを観たツチヤさんは、「やっぱりこの分野の最高峰ってかんじでしたね」と言った。
 この分野、とはジャズを指している。まったく同感であるとともに、この分野(Jazz)、のみならず、あの分野(Pops)、でも最高峰のプレイヤーであったことも、忘れておけない。コイケさんはJ-pop界でさんざん活躍したあと、そこでのポジションをすべて捨てて、いったんゼロになり、ポップスよりぜんぜん儲からないと言われていたジャズを、一から勉強し直した。人気アーティストのお抱えプレイヤーとして、贅沢なホテルに泊まり高いギャラをもらうツアーともお別れをして、孤高のジャズプレイヤーとして生きる道を、選んだのである。

 ライブのあった夜おそく、久しぶりに再会したコイケさんから、メールをもらった。
 <ジャズはやっぱり楽しいですね。ミルコさん、サックス吹いていますか?>
 あたたかな問いかけに、胸がいっぱいになった。
 私はしばらく演奏活動から遠のいていたので、仲間とのライブの楽しさ、なつかしさが込み上げてきた。
 真正面で見たEQのライブを反芻する。
 正々堂々と、頂点へ駆け上がる音の、なんと純粋だったことを。

 メールには続けて、こう書かれてあった。
 <すべてを失っても、やってきて本当によかったです>

 ぼう大な時間が流れても、やっぱり消えてない。
 こうして再会は祝福されているではないか。
 このあと生きているあいだにどれだけのことができるかわからないけれど――
 過ごした時間分の重みをたしかめるように、生きていきたい、そう思い直して、返信キーにそっと触れた。

初出・Bigband!29号(掲載分に加筆、改稿をしました)
*EQ= Sax小池修 Piano青柳誠 Bass納浩一 Drums大坂昌彦 によるアコースティックジャズユニット


2015年9月~2016年2月までミシマガで連載されていた、「5年後、」に大幅に加筆・修正した書籍『似合わない服』が、今年8月後半に発刊になります!!本連載は、その発刊を記念した、期間限定連載です。

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山口ミルコ(やまぐち・みるこ)

1965年東京都生まれ。出版社で20年にわたり、さまざまな本をつくる。数々のベストセラーを世に送り出した末、2009年3月に退社。闘病を経て作家活動に入る。著書に『毛のない生活』(ミシマ社)、『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)がある。

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