第12回 コリアンタウン・生野の焼肉。
大阪のキタ、ミナミ、船場といった中心街の周縁をかすめるようにぐるっと回るJR環状線。
その19の駅は「大阪城公園以外は全部下町や」というふうに言われている。実際にそれぞれの駅で乗り降りするとよくわかるのだが、たとえば大阪駅の隣の駅「天満」や、木津川と尻無川にはさまれた「大正」など、どの街も違った独特の下町具合な個性を持っている。河口や台地といった地形はじめ土地そのものの様子も集まる店や商店街、街の歴史や成り立ち方も、そこで生活したり仕事をしている人の感じも全然違う。
また駅前もチェーン系のスーパーが入り、マクドナルドや吉牛があるテナント駅ビルや、銀行や損保金融のオフィスビルがあって・・・、といったお決まりの光景ではなく、まだまだその街その街の手触りからして違うのだ。
なかでも大阪市南東部の生野区、東成区、天王寺区の3つの区の境界がちょうど接するロケーションにある鶴橋駅は、多くの小商店街と市場、そしてコリアンタウンが混ざりあう形でできているたぐいまれな喧噪の街だ。
この鶴橋駅は、JR環状線と近鉄、地下鉄千日前線の3つの「鶴橋駅」が交差し連絡する大ターミナル駅だが、まるで昭和30年代の市場や商店街の真っ只中に存在しているような駅だ。
JRと近鉄の駅が重なる鶴橋駅西口にあなたが降り立つ。するといきなりパチンコ店と立ち食いうどん店、串カツの立ち呑み屋が並ぶガード下の店舗密集地のど真ん中に放り出される。
書店の雑誌が積まれている平台は路地にはみ出し、まるで店の3分の1が通路を占領しているようだし、その向かいにはウコンや高麗人参、スッポン、マカといった精力ドリンク剤専門のスタンドがある屋台風店舗があったりする。
そこからほんの100メートル四方に広がるのが、「鶴橋といえば焼肉」として知られる焼肉・ホルモン店密集地帯だ。
また駅の東側には700軒といわれる店舗数の店が密集するマーケットが広がる。
西から順にざっと特徴を紹介すると、韓国衣装を含む衣料品やシューズ、バッグ、アクセサリーの商店街(ブランドもののコピーを扱うことでも有名だ)、その南は「高麗市場」と呼ばれるコリアン・フード・マーケット、さらに近鉄東口から東は鮮魚が飛び跳ねる水産物主体の「大阪鶴橋市場商店街」と「鶴橋卸売市場」である。
ちなみに近鉄大阪線には「鮮魚列車」という名前の電車が毎朝1便走っている。伊勢方面から大阪へ新鮮な魚介を運び、商売する行商人のための団体専用列車だ。
これは大阪市内へ向かう八尾や東大阪の通勤客が、同乗している伊勢方面からの「かつぎ」つまり鮮魚行商人の持ち込むトロ箱と魚介の匂いに閉口、苦情続出で、昭和38年から「伊勢志摩魚行商組合連合会」の貸し切り特別列車として運行しているのだ。
編成車両前後の表示窓には「急行/名張」などと記される代わりに、「鮮魚」と表示されているのが実にユニークだ。
その伊勢・宇治山田発の近鉄の「鮮魚列車」が毎朝到着する近鉄鶴橋駅の東口(いまもこの組合の詰所が改札口北側にあるらしい)はものすごい。
高架上にある駅以外はすべて市場の店舗で、高架下の改札口を出ると、すぐ前が海産物や塩干の卸に菓子やパンの店が並び、その斜め前はキムチや韓国食品の店といった様相だ。通路は人がすれ違うのにやっとの幅で狭く、さらにごちゃごちゃと交差し、そこに手押し車や自転車も行き交う。ほんの数坪の小さな店がモザイクのように狭いエリアを埋め合い、迷路のような通路が縦横斜めに交差する。
頻繁に聞こえる頭上の高架を走る電車の音を聞きながら、店がひしめきあうブロックを歩いていると、「JRの駅はどっちだ」「あれ、さっきここ通ったんじゃないかな」というように、必ず方角がわからなくなる。地元の人に案内してもらうか、店舗の店先にいる人に聞くかしないと迷ってしまうのである。
西に隣接する先ほどの高麗市場は、キムチや韓国食材、韓国料理用の鮮魚店や蒸した豚や豚足などが並ぶ精肉店がメインで、そのなかに焼肉店や店先の鉄板でチヂミを焼いている韓国料理店が混じる。唐辛子とキムチの赤さに目を射られ、ニンニクと魚介類のにおいに頭がクラクラする。
鶴橋の街としての性格を決定づけているのは、何といっても生野区だ。「区民の4人に1人は外国籍住民です」と区役所のホームページ「区の概要」に記されるエリアで、日本最大級の在日韓国・朝鮮人コミュニティ地区である。
鶴橋駅はちょうど生野区の北西の端にあり、区への出入口になっている。
生野区は古来から渡来系の人々が移り住んできた土地である。
時代が進み日韓併合後は、大正12年に就航した大阪・済州島間の直行便「君が代丸」で多くのコリアンたちが来阪した。その大半が「猪飼野」すなわち生野区の鶴橋から桃谷の東にかけての中心部に集住した。大半が済州島出身者であり、戦前は「日本・大阪・猪飼野、朴○×」といった宛名書きで郵便物が届いたという話もまことしやかに伝えられている。
近年コリアンタウンとして観光客に知られているのは、鶴橋駅のひとつ南にあるJR環状線桃谷駅の約500メートル東にある御幸通商店街である。この商店街は元々が猪飼野の在日コリアンの日常生活を支える市場であった。
前に述べた鶴橋駅北西側の一角は、とりわけ「焼肉・ホルモンの街」として知られている。
大阪で「鶴橋に行く」ということは「焼肉を食べに行く」ということと同義である。夕方過ぎに近鉄やJR環状線の電車に乗っていて駅に着きドアが開くと、「鶴橋に着いた」と気がつく。焼肉の脂とタレが焼けた匂いが飛び込んでくるのだ。通勤帰宅客で満員の車内で居眠りをしていても、iPhoneに見入っていても、その匂いで鶴橋に着いたのがわかる。
そして夕方過ぎに鶴橋駅西口のガード下に降り立つと、煙はほとんど火事場状態で目が痛いほどだ。
「鶴橋で焼肉」は「カラダの焼肉」だ。
鶴橋の焼肉店や韓国料理店はバラエティにあふれ、在日コリアンの家族がお見合いの席に使うような店もある。もちろん神戸牛や松阪牛といったブランドの黒毛和牛ロースや刺身のように扱われる極上の生タンを出すような店もあって、それらをグルメ的に楽しみたい欲望も捨てがたいが、どちらかというと身体的な欲求にダイレクトに応えてくれるような店が魅力だ。
すなわちカルビやテッチャン、ミノ、センマイといったホルモンをどかどかと網にのせ、カンテキ(七輪)が火を噴き、煙もうもうのほとんど非常事態のような状態で食べる焼肉こそ、「わざわざ本場・鶴橋へ焼肉を食べに行く」ことだと地元の大阪人は思っている。
帰りには衣服や髪に匂いが充満し眼鏡は水滴ならぬ脂滴まみれ、明くる日は人と会うのがはばかられるほどのニンニク臭。大阪の下町で育った人間にはそういう「街場」の身体的な記憶があるものだ。
唐辛子の辛さを効かせた「もみダレ」を揉みこんだ肉や内臓を七輪で焼き、さらにおのおのが手皿の「つけダレ」につけて食べる「焼肉・ホルモン焼き」は、半島ルーツの焼肉料理を大阪の在日が工夫発展させたハイブリッドなソウル・フードである。
この「つけダレ」方式は、戦後まもなく鶴橋に開店したホルモン焼きの名店[鶴一]がオリジナルだと、以前取材時に聞いたことがある。
ツラミ(=頬肉)、ココロ(=心臓)といった部位の呼び方は日本語由来で、この店の名物でもある「ミノサンド」は、ミノ(第1胃)を掃除(食べておいしくない余計なところを切り捨てる)する際、脂の部分を微妙に残した絶妙のメニューだが、そのミノサンドというちょっとバタ臭いネーミングも、何とも戦後のハイブリッドな感じがする。
生野区の焼肉・ホルモン店に行くのは、地元のコリアンに店を案内してもらうと余計においしい。
わたしの親しい友人に金村泰憲という生野出身のラガーマンがいる。現在48歳の声がデカくてよく喋る、うまいもんと酒(そして下ネタ)をこよなく愛する大阪のおっさん丸出しの好漢であり、元ワールドの名フランカーである。大体大時代は大学選手権3連覇中の同志社の連勝を71試合で止めた輝かしい経験を持つ。
生野区はこの金村選手はじめ「ラガーマンの名産地」である。彼は地元巽中学、府立布施工業、大体大と「生野出身のラガーマンのエリートコース」を歩んできた。
「焼肉は脂や。そやからやっぱりホルモン」。
そう言い放つタフガイのオススメの焼肉店はやはり旨い。鶴橋の焼肉店は長い在日の歴史と舌の肥えた地元民によって鍛え抜かれた「うまくて値打ちがないと店が潰れる」土地柄ゆえ、どの店も特徴があり行きつけ馴染みの店を持つ人が多い。
なかでも金村氏が「一番、鶴橋の焼肉・ホルモン屋らしい店」と言うのが[空]だ。
いつ行っても満員。飾り気がなくてシンプル。勢いで肉を食わせる豪快な店で、ホルモン中心に珍しい部位をあれこれと食べられるようにと「量も半分、値段も半分」なのが売り。
だいたい鶴橋の焼肉店は、1人前の量が130〜140グラムで、2人でなら3〜4皿注文すれば満腹になるのだが、この店は1皿70グラムの設定ゆえ、いろんなホルモンをあれこれ食べられる。
また細い道をはさんだ隣接する4つの建物が一軒の店になっていて、1人あるいは2人ならカウンターの店、グループならテーブルの店舗に案内され、どんなシチュエーションでもオッケーとなる。
定番は上ハラミ(量が2倍で1800円)と、脂が良い具合に残っているミノサンド、テッチャン、ウルッテ(これらはすべて500円以下だ)といったところ。赤身には醤油、ホルモンには味噌の特製のもみダレに揉みこまれた肉がステンレスの皿に載ってくる。それをどさっとタレごとガスコンロの上にぶちまける。
「売り切れ御免」の上ハラミは、さすが肉質に自信ありらしく、ぶ厚く大きく切られている。
ちょっと強火にして、忙しく箸で肉を広げたりひっくり返しながら、表面だけちょい焦げ状態を確認して付けダレにつける。ジュワーと音が鳴る。熱く煙の立つ肉をすぐに口に入れられるように冷やすように、タレにつけるこの感覚が最高だ。
ウルッテは喉の部分の軟骨で、食べやすいように細かく切り目が入れられている。こりこりとした独特の食感で、唐辛子味噌を利かせるとビールのつまみにぴったり。
これと同じく鶴橋的「通なホルモン」が、第1胃壁のちょうど脂がはさまった部分のミノサンド。こいつやテッチャンは焼けてくると、滴る脂で一気に煙と炎が出る。
まるで火事場状態のなか、焼ける端からどんどんタレにつけて口にほうり込む。そしてビールを流し込んで口腔と喉を冷やす。右手にホルモンの箸、左手にビールのジョッキ。これこそ[空]のホルモン焼きの醍醐味だ。
ところでこの4月に、「週刊現代」の巻頭グラビア・ページで、『大人のコリアンタウン』という特集があり、わたしは「日本最大のコリアンタウン生野。ラガーマンの名産地を歩く」という企画を提案した。
企画が首尾よく通る。金村選手のコーディネートによるディープな生野案内である。
わたしは「取材」というよりも、ひさしぶりに彼と生野の焼肉ということで、わくわくしながら鶴橋駅西口で待ち合わせる。
彼は[鶴一]や[空]の鶴橋西口の「焼肉密集地帯」をあえてパスし、まず高麗市場入口にある屋台風の店に案内する。
[ちぢみ屋・豊山なみえの店]。
グルメ誌やタウン情報誌で有名な店で、店を切り盛りする「豊山三姉妹」は地元ではちょっとした有名人だ。わたしのやっていた「ミーツ」でも、よく取り上げさせてもらったと記憶する。
目の前の鉄板で焼いているチヂミは10種以上。肉厚でボリューム満点。オリジナルのすじコン、いかげそ、そして済州島出身者好みのアマダイが絶品。くるっと丸めて紙に包んでくれ、すぐ前のベンチで食べる客もいる。
「そうか、チヂミか。そう来たか」と思うが、その姉妹の下の弟が日本代表にも選ばれたプロップの豊山昌彦選手(トヨタ)で大体大の後輩ということだ。
さすがラガーマンの名産地である。
金村氏とわかった三姉妹のひとりは、すぐ横の焼肉店[新かどや]に入り、初老の女性を呼んでくる。お母さんの道子さんである。彼はデカい身体でデカいチヂミを買い食い、立ち食いがてら、「おばちゃん」から後輩の現況を聞き、自分の現況報告をする。
金村氏は本人は後輩だからよく知っている。けれども「三姉妹」や「おばちゃん」とは、話した記憶がないそうだが、見ていて話の内容を聞いていると、まるで長い間会っていない親戚のようだ。
「もっと食べ」と、おばちゃんが焼きたての違う具のチヂミを差し出してくれる。
このあたりを歩くと「少年の町・生野区」という標語が書かれた看板を見かけるが、まさに「街自体がラガーマンを育ててきた」ということがよくわかる。
続く「アポなし取材」は、コリアンタウン御幸森商店街へ。
「明大の西原の実家ですわ」。
そう案内されたのが、商店街入口すぐの韓国食材店[ニシハラ]である。
へえ、明治の確か91年「大学日本一」の時の副主将だった西原在日選手の実家なんだ。西原選手は明治からNECに行って、現在は明治のヘッドコーチをしてるのでは。
お兄さんの正男さんが、わざわざ自転車で店に戻ってきた。金村氏が携帯電話をかけたからだ。
お兄さんへは前もって弟の在日さんから、「金村氏が取材で行くから」と伝えられている。けれどもメディアや雑誌名はじめ取材の中身は、まったくもって正確に伝えられていない。さすがの生野のラグビー人脈である。
とにかく「コリアンタウン生野を地元出身のラガーマン・金村泰憲さんが案内するんですわ」と説明する。
この店はキムチや焼肉セットなどのネット販売で有名だが、名物の「ホットッ」や「トッポギ」を店頭で調理販売している。ホットッとは韓国の伝統的なおやつで、黒砂糖&ピーナツ入りが正統。
観光客のギャルに人気のようだが、「これがまたうまいんですわ」と金村氏。
お兄さんがわざわざ焼きたてを渡してくれて、食べてみるとさっぱりと甘くてこれはイケる。おまけにそこそこ腹がふくれる。
「ホットッって、こんな甘い食べもんやったんですか」と言うと、「生野は100円。新大久保やったら200円」と笑う。
しかしこの人も言うこと、大阪丸出しやな。
「現役時代は弟からよく、肉はいらんからホルモンだけ送れ、と連絡ありましたわ」。
それ、いただきです、書かせてもらいます。
ひとつだけ取材前に「アポ」を取って行った店が[万才橋]である。
というのも金村氏が、巽中学ラグビー時代の1年先輩のキャプテンと1年後輩のキャプテンを「ひさしぶりに行こう」と呼んでくれているからだ。「オレだけキャプテン、やってないんですけど」と笑う。
さてこの[万才橋]は「ちりとり鍋」という少しショッキングな名前で呼ばれている焼肉料理の元祖だ。
ミナミやキタ、神戸で、この「ちりとり鍋」が食べられるようになったのはここ数年のことであり、それまではここ[万才橋]と、この店の次男にあたる中山由夫さんがやっている、ミナミの [まつりや]だけで食べられたと記憶する。
「ちりとり鍋」の発明は約50年前のこと。
この店の創業者が近所の町工場の溶接工に頼んで、盛り上がった傾斜の縁がついた鉄板を作ってもらったのがその始まりだ。創業者は鉄工所をやっていたから、仲間うち、仕事仲間である。
鉄板ではタレや旨みが流れてしまう。かといって深い鍋ではホルモンが煮込みのようになってしまう。鍋のような鉄板をつくって、肉やホルモン、玉ネギ、ネギなどその時に手に入る手頃な食材を甘辛いタレで・・・。
ホルモン焼きとすき焼きのおいしいとこ取りをしたようなユニークな発想である。
肉・ホルモンからじんわり肉汁や脂が染み出し、その旨みで野菜を食べる。そして締めにうどんまたはご飯をぶち込んで、鍋のエキスもろとも全部食べてしまおう、というカラダの焼肉である。
中山由夫さんによると、「父はこれはイケると判断したんやと思います。すぐさま空き地にバラックを建て、店を始めたんですわ」。
1人前30円。近所の人たちは「30円の鉄板焼きを食べに行こや」と、こぞってその店に行った。料理にまだ名前はなかったようだ。
店に着くとすでに「ひとつ上のキャプテン」の平松敏機さんが来られている。平松さんは現在大阪府立松原高の教諭であり、大体大の先輩でもある。
良い生地のグレーのスーツを着ているが、シャツはピンクのボタンダウン。ノーネクタイで胸の第2ボタンは外している。若い頃はさぞかし・・・、という高校の先生だ。
「あー、遅なってすんません」と先輩に言った後、席についてのすぐさまの金村氏の注文は「生中みっつ、キモ焼きみっつと上盛り合わせ三人前。生センマイ、ナムル、キムチ」と早口言葉のようだ。
食べ方は簡単だが方法がある。
まずキモ焼き。決して強火で焼かない。キモの周りが白っぽくなったら食べごろ。絶妙のレア状態にしてパクリ。それから上盛り合わせを人数分。食べながら飲みながら、味の具合を見てキムチとナムルを足していく。
「高校生の頃から、キンソン(金村)はよう(この店へ)来とったなあ。それから釜風呂もセットやなあ」
「中学校でラグビーせえへんかったら、ひたすら喧嘩ばっかりしてたんちゃいますか」
「ラグビー途中でやめて、クロウトになった者、ようけいてるな」
そういう汗臭く男ぽい地元話は、ちりとり鍋とともにカラダに浸みる。
とりわけ「日本人と在日がちょうど半々でした」という平松さんの巽中学の頃の話は面白い。
「体育のサッカーの時とか、自然に日本と韓国が別れるんですわ。僕、日本人ですけど、ズルいしいっつもそっちに入ってました。強そうやったですから」
半分ほど食べ終わった頃、「ひとつ下のキャプテン」城川清司さんがやってくる。
大工大高―京都産大というラグビー経歴で、現在は布施ラグビースクールで指導員をしている。
金村氏は「おい、キモ食べるか?」と言う。鉄板を新しいのに替えてもらってまた一から始める。男の気遣いである。
昔話に頷きながら「金村先輩には京産大時代、試合前によく呼び出されましたわ。ホンマもう大学生やいうのに、やんちゃなまんまですわ」と城川さんが笑う。
30年の前の話と20年前の話が、まるで圧縮されて昨日のことのようにシンクロする。
そしてグルメもヘチマもない、男の、カラダの焼肉、である。
