おせっかい宣言

第35回 憧れの力

2017.04.27更新

 「いやもう、憧れていたのは、栗原小巻です」と、タオさんは言うのだ。ハルピンからやってきたタオさん。

 映画が素敵すぎたんですよ。栗原小巻さんのきれいだったこと。あと三田佳子とか、中野良子とか。あこがれましたよねえ。中野良子さんがハルピンに来た時はね、学校を、「病気です」、なんて言っちゃって休んで、母親と一緒に見に行ったんです。母親が学校サボらせてくれてるわけですよ。日本の有名な女優さんが来るんだから、見に行こう、一緒に行こうってね。いやあ、綺麗な人だったわあ。あんな綺麗な人が世の中にいるんだなあ、と、うっとりしてみましたね。

 私たち、今、40代の世代でもね、変わっていった中国を全部覚えているんです。鄧小平の時代になって、中国のことだけじゃなくて、世界中のいろいろなことがわかるようになって、わあ、こんないいことがあるんだなあ、とか、こんなきれいな人がいるんだなあ、とか、新しい情報が入ってくるようになった。毎日、どんどん、ワクワクしていくんですよ。それまではね、近所の事しかわからないの。中国がいい国だっていうから、いい国だと思って、まあ、不便なこともあったけど、そんなものだと思って暮らしていたんですよ。知らないんですから。食べるものもあって、家族で暮らしていて、それはそれでよかったんですけれど。でも、新しいことにはほんとうに、どきどき、ワクワクした。

 中学生の頃は、まだ、聴ける音楽がね、ほら、今、北朝鮮のことを報道するとき、テレビのニュースでときどきやっているでしょう、あんな感じの「おお〜」みたいな大げさな歌い方するような歌しかないの。ポップスとか、歌謡曲とか、ないんですよ、そういうのは・・・。姉と二人で、ハルピンのおうちでね、布団の中に入ってラジオのチューニングを合わせて、かすかに聞こえる日本のラジオを聞くんです。「瀬戸の花嫁」なんて、もう、うっとりして聞いていました。なんて綺麗な声なんだろう、なんて夢みたいな音楽なんだろう、こんな音楽が存在するなんて・・・と思っていましたね。

 山口百恵さんの「赤い・・・」シリーズのテレビドラマなんて、もう、ステキすぎる。私たち、みんな、百恵ちゃんのことが大好きでしたよ。憧れていました。だから20代初めの頃に、自由に日本に行けるようになった時、もう、絶対行きたい、日本に行きたい、と思った。すごく憧れていて、美しい人がいっぱいいて、音楽もすてきで。母に、私、日本に行きたいの、行かせてください、って言ったんです。それまでずっとハルピンで家族の周りで暮らしてきていたのですから、母親は絶対反対すると思っていたのですけどね。それにね、おじいちゃんとかね、戦争の時代のことをよく覚えている人たちがたくさんいるわけだから、日本によくない印象を持っている人がいることも知っていましたし。私が日本に行く、なんて、家族に絶対反対されると思っていた。でも母は、行ってらっしゃい、といって準備をして送り出してくれました。初めて自分の生まれ育った街を出たんですよね。

 タオさんの日本語は流暢である。雰囲気も佇まいも、ごく普通の日本の40代後半の女性のようで、黙っていたら、彼女が中国人であることはわからない。神奈川県内で保険の営業の仕事までなさっていたことがあるそうで、そのときには、結構良い成績などおさめておられたようである。いわゆる生命保険の「営業」だから、個別に自宅訪問などもするわけで、見知らぬ家のチャイムをピンポンと押して、それぞれの保険のことを事細かに説明して、生命保険を買ってもらう.日本人だってなかなかできない仕事だけれど、そういう営業仕事も、満州育ちのタオさんは、日本でできてしまうくらい、日本語がうまい。日本にやってきたタオさんは、日本語学校に通い、日本で働くようになり、そうしているうちに、紹介してくれる人があって、わたしの親戚の若い男性と結婚したのである。今も日本で暮らしている。子どもはいない。夫である私の親戚の男性に、とてもよくしてくれていることがいつ会ってもわかる。家を整え、料理を作り、彼を愛してくれている。ある程度の年齢になると、親戚の若い男の子のことを大事にしてくれている「お嫁さん」には、ただ、感謝の気持ちしかなくなる。

 普段は家にあまりいなくて、うろうろして一年を暮らしている私なのだが、クリスマスとお正月のあたりには必ず家にいて、それなりの料理を作って、人を迎えている。このところ、元日には、夫の親戚にあたる若い人たちが訪ねてくれるようになった。タオさんは、私の作るおせち料理を心から喜んでくれて、関西風の白味噌のお雑煮を愛でてくれていて、毎年食べに来てくれるのである。あんまりおいしい、おいしい、と喜んでくれるので、ついついわたしは、今年も彼女に食べてもらえる、と思いながら作ったりしてしまうほどである。
 
 中国の人はね、ほんとは、冷たい食べ物は体に悪いと思っていますね。だから冷たい食べ物とか、冷たい飲み物とかは避ける。お茶も冷たいのは飲みたくなくて、あたたかいのがいいんです。おにぎりもね、日本にきたばかりのころは、冷たいのがいやで、体に悪いと思って食べられなくて、コンビニでおにぎりを買ってもいつもあたためてもらっていました。今は慣れましたよ。おせち料理も美味しいし、冷たい料理もおいしいと思います。でもね、ハルピンに帰るたびに駅前の屋台で、餃子とかね、肉まんとかね、ゆげがあがってるのをみると、ああ、帰ってきたんだなあ、と思ってすごくうれしい。着いたときにいつも、屋台でお腹いっぱい食べると、わたし、すごく幸せになるんです。

 タオさんは我が家にくるときには、いつも手作りの餃子をたくさん持ってきてくれる。もちろん皮から彼女が作っていて、中に入っているのはたくさんのキャベツや白菜、そして肉。本当はセロリがおいしいんですけどね、とタオさんがいう。セロリの葉っぱも茎もぜんぶつかうんですけど、うーん、中国で売ってるの、ちょっとちがうのかな。日本のセロリはちょっとしかないし、高いし。でも今度はセロリで作ってみますね・・・。

 我が家のお正月はおせち料理とお雑煮の他に、いつもタオさんのつくる満州の餃子がならぶようになった。遠くて近い隣国。とりわけ満州は、日本植民地時代の記憶もまだまだ遠いものではないところ。大連、ハルピン・・・。満州の街。2017年現在、まだ、これらの満州の街で生まれ、あるいは育ち、暮らしていたことのある日本人が存命であるほど、まだ、とても近い歴史を共有する土地であるが、彼らの老齢化とともに、だんだん満州の話は、良くも悪くもあまり耳に入らなくなってくる。そんな土地で生まれ、憧れの力だけを胸に、日本にやってきた私の親戚の女性。憧れの力は、人を動かす。ハルピンで生まれ、育ったタオさんを、栗原小巻や山口百恵が日本へといざなう、というのはとても不思議な気がするけれど、実際わたしたちの行動を決める原動力は結局、いつも、なにかへの強い憧れや恋心なのである。彼女の胸の内に芽生えた憧れの力が、「ハルピンから来た親戚」がいる私、にしてくれたのだ、と思うと、人の心のふしぎさに、あらためてうっとりとしてしまったりする。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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