プロに論語

第11回 宗教と論語 釈徹宗さん(2)

2017.09.06更新

「怪力乱神を語らず」は誤解されている。禁オカルトではない。

ところで、『論語』の究極のところにある「楽」というものの持つ宗教性には興味津々なんです。これがどんなふうに語られているかについて、ぜひお聞かせください。もうひとつは、生と死の境界に関すること。「怪力乱神を語らず」がよく知られています。不可思議なことや神秘的なことは語らないという態度ですね。その一方で、宗教儀礼を通じて異界とコミュニケーションするという面もあったと思うんです。そういった境界領域に関して『論語』では何か語っているんでしょうか?

安田はい、「怪力乱神を語らず」というのは、誤解されているところがすごくあって。孔子は、現代から見ると、むしろ「怪力乱神」の世界に住んでいた人だと思うのです。現代的な目でみると怪異になってしまうような話は、『史記(孔子世家)』に載る孔子の伝記の中にはいくつかあります。たとえばこんな話があります。
 孔子の故国である魯の重臣、季桓子が井戸を掘ったときに土製の缶(かめ)が出てきて、中に羊のようなものが入っていた。これだけでも怪しいでしょ。で、季桓子は孔子を試そうと思ってか、「土の中から狗(いぬ)を得た」と言うのですが、孔子は「いや、おそらくそれは羊でしょう」と答えるんです。なぜわかるかというと「木や石の怪は虁(き)・魍魎(もうりょう)であり、水の怪は龍・罔象(もうしょう)、そして土の怪は墳羊(ふんよう)と聞いています」と孔子はいうのですが、この知識って、もう怪異そのものですよね。

「怪力乱神を語らず」の真意。カルト宗教への戒め

安田それと孔子が「語らず」というのは、そのまま受け取ってはいけないところがあって、たとえば孔子は「利と命と仁」に関してはほとんど言わなかった(子罕言利與命與仁)という文が『論語』にはありますが、『論語』の中の「仁」の出現回数は100回以上ですし、「仁」は孔子のもっとも大事な思想のひとつであることはよく知られています。ですから、「怪力乱神」を語らずというのもそのまま受け取ってはいけないと思うのです。
 それと、ここでいう「怪力乱神」というのは、神秘的なことというよりも、もっと暴力的なことの話だと思います。

暴力的というのは?

安田この「怪力乱神」はふつう「怪・力・乱・神」とひとつひとつ分けて読まれますが、「怪力」「乱神」と2つの二字熟語として読む読み方もあります。「怪」という字は中に土が入っていることでもわかるように土の神です。それに対して「神」は「申」が稲光の象形ですから天空の神。それに「力」と「乱」が付くので、土の神の力を使って自分の願いをかなえたり、天空の神の力を使って世を乱したりすることを戒めるということがいったのではないかと思うのです。

そうなんですか、おもしろいなあ。

安田そうなると「怪」や「神」自体はむろん問題ではない。それが「力」と「乱」と関係を持ってしまうのが問題だとなります。もっとだいぶあとの時代(漢代)「巫蠱の乱(ふこのらん)」というものがあるのですが、これなどは呪いを使って太子を廃そうという企てで、まさに「怪力」や「乱神」ですね。「怪(大地神)」や「神(天空神)」の力を自分の願いをかなえるパワーとして使ったり、さらには他人を呪い殺すとか、そういうことに対する戒めが、この「怪力乱神」だと思うのです。

つまり、カルト宗教への戒めといった言葉だと考えることもできるわけですね。

安田はい。

「礼」や「楽」などに沿ってないのはカルト宗教だ、ってなるのですか?

安田「礼」や「楽」に沿っていないだけならばいいのですが、孔子がまずいと思ったのは自分の祖先を祀らずに、パワーがあるからといって異国の祖霊を祀ったり、邪神を祀ったりとか、そういうことのようです。

孔子がわざわざオカルトやカルト宗教への警告を行ったのは、その当時にそういった営みがあったり、集団があったりしたということですよね?

安田そうなんです。「義を見てせざるは勇なきなり」という句が『論語』の中にありますでしょ。この句は、前後の文脈から考えると、本来はまつるべきものではないものをまつり、というのを、ダメだって言えないことは勇気がないことだという意味なんです。

そうなんですか。やはり、古語を調べたり、前後の文脈を読んだりするのは大切だなあ。そういえば、『梁塵秘抄』の有名な今様「遊びをせんとて生まれけむ」の「遊び」にも「宗教儀礼」の意味がありますよね。

安田そうですね。遊びはもともとは「神遊び」ですものね。

だからこの今様は、「神や先祖を祀るために、我々生まれてきたんだ」というような意味が内包されているわけで。

安田おお! 確かにそうですね。孔子の時代は、それがいろいろ崩れ始めた時代なんでしょうね。先ほどの「義を見てせざるは勇なきなり」は、前後の文章から切り離されて、この句だけが独立して読まれることが多いのですが、『論語』本文ではこの前に「自分の祖先じゃないのに祀るのは諂(へつら)うことだ(その鬼に非ずして祭るは諂うなり)」という文が置かれます。
 貝塚茂樹先生によると、当時は新しい神の霊を奉ずる女巫の新興宗教が流行っていて、しかも時の権力者もそれを祭っていた。だから、それに迎合するように人々も自分の先祖ではなく、そちらの神を祭るようになっていた。それが「諂う」ですね。祭るべき祖先ではなく、新興宗教の神を祭ってはいけない。しかし、権力者の意思に反して新興宗教を断固として排斥することが、大変勇気を要したことである、これが「義を見てせざるは勇なきなり」だというのが貝塚先生の読み方です。
 出土した青銅器の銘文などを読んでも「義」という字は、当時は「宜」という字が使われています。「よろし」です。これは祖霊に供犠して祭るという意味ですから、正しい祭りが「宜」で、祭るべきではない神々を祭ることが「不義」だったのでしょうね。

それはとてもよいことを教えていただきました。

安田いえ、いえ。貝塚先生の受け売りです。

そういえば『日本書紀』にも、似たような事件が記されていますね。

安田おお、そうですか。

大生部多(おおうべのおお)という教祖の事件です。文献上で確認できる日本初のカルト宗教事件といってもよさそうな話で。

安田常世神ですね。

蚕みたいな虫を神として祀ったようです。

安田実はこの話、いとうせいこうさんが大好きな話で、今度せいこうさんも交えて、ぜひまたの機会に(笑)。


孔子は境界を生きたマージナルな存在だった

安田ご興味があるとおっしゃったことのもうひとつの「境界」ですが、境界にもたとえば「死者と生者の境界」とか、それから「差別する人と差別される人」との境界など、さまざまな境界がありますね。

はい、そうですね。

安田孔子一門は葬礼の専門家という説もあり、また「礼」自体が祖霊とのコミュニケーションをするものですから、孔子一門が死者と生者の境界の人々であったことは確かなことだと思います。また、もうひとつの差別の方の話でいうと、孔子は差別される側の人間だったようなのです。

それは、葬儀に関係する仕事に従事する人として差別されたのですか? それとも、また別の理由?

安田それだけでなく、まず出自からして差別されていたようです。孔子は「自分は若いとき卑賤だった」と書いてます。卑賤だったから多芸(多能)なんだと...(吾少(わか)くして賤し。故に鄙事に多能なり)。

賤民と多芸が、つながっているんですね。被差別者だったからこそ、世俗の物事に対して多才・多芸であったという理路は興味深いです。ある意味、「いろんなことをやって生きてきた」といった意味も含んでいますね。

安田はい。まず、その出生から差別されていたようです。『史記』の「孔子世家(こうしせいか)」の中で、孔子は「野合」によって生まれたと書かれています。で、この「野合」とは何なのかということについて、さまざまな説があります。ひとつはお父さんとお母さんが正式な結婚ではなかったとか...。

そういう説もあるんですか。当時はそういう人は排除されちゃうのかな。

安田あるいは年齢がすごく離れていたとか。また、お母さんが巫女で、それで、お父さんは知らない人っていうのとか...。日本でもそうですし、ヘロドトスの『歴史』にも出てくる神聖娼婦もそうですが、巫女はさまざまな人と交わるからこそ、神以外の誰のものでもない聖なる存在であるという、性聖一如的な...ま、いろんな説があるのですが、少なくとも「普通」の出生ではなかった。

うんうん。

安田野合による誕生なので、生まれたときから差別されていて、そして成長してからも貧しかった、それが「少(わか)くして賤し」で、当然貧しかった。母子家庭の貧困生活で、差別もたくさん受けていたのでしょうね。

そういった視点から『論語』を読みなおすと、かなり印象が変わるでしょうね。政治や倫理や儀礼などに長けた人による語りだと思っていたけど、、もっとマージナルな存在で、怪しい領域を行き来した人が語ったのなら、なんだか『論語』がすごく魅力的に感じるのでは。

安田はい。『論語』はとても血が通っている書物で、そしてマージナルな書物なのです。


小人と君子の意味するところ

安田たとえば小人と君子という言葉がありますでしょう。『論語』の中ではよく、小人はこうで、君子はこう、というふうに対比されて使われています。で、この君子と小人ですが、ふつうは「君子はよくて、小人は悪い」とか、あるいは「君子は優れている人で、小人はつまらない人だ」とか言われています。
 でも、古い文献、たとえば『尚書(書経)』などを読むと、「小人」はつまらない人という意味ではなく、「普通の人」という意味で使われています。
 たとえば、殷に祖甲という王様がいたのですが、祖甲は長い間、王にならずに「小人」でいた、という風に書かれています。

そうなんですか。

安田「小人=普通の人」だとすると『論語』の中の、小人はどうのこうの、君子はどうのこうの、という文は、「普通の人(小人)はこうするけども、君子はこうする」と読むといいと思うのです。

はい。

安田で、君子ですが、これは今までの対談でも何度も話しているので読者の方には「またか」の話だと思いますが、君子は「尹子(いんし)」がもとで、これは背むしの男という意味ではないかという説があるのです。

それはまた意外な。


孔子は身体的な欠陥を抱えていた。法然さんも

安田はい。そして、孔子自身も身体的に欠陥があった人のようなのです。

はっきりわかってるんですか?

安田いろいろ説があるのですが、たとえば孔子は異常に大男だったと『史記』の「孔子世家」に書かれています。あるいは、これとは真逆で異常なくらいの小男だったという説もあります。

どちらの記述もあるんですか。不思議な話ですね。少なくとも、ごく普通の体格ではなかったと。

安田また、孔子の名が「丘(きゅう)」であることから、頭頂がへっこんでいたんじゃないかという人もいます。

そうなんですか? 法然さんみたいですね。

安田え、そうなのですか。

法然さんは、頭頂部にクボみがあったとの記述があります。肖像画をよく見ると、それがきちんと描かれていますよ。京都だったか、昔、へこみがある頭のことを法然頭っていったそうです。


君子になるには卑賤で欠陥があるのが条件。シャーマンの系統

安田法然さんと孔子さんがつながるんですね。で、どうも君子であることの絶対条件というのが、卑賤であることと、そして身体的な欠陥あるいは精神的な欠陥を持つことだと思うのです。
 だから、『論語』の中の君子云々、小人云々という文も、「普通の人(小人)はまあ、これでいいけども、君子は、こうしないと生きていけない」というふうに読むと面白いと思うのです。

そういうことか。ずいぶん一般的な話と異なってきますね。卑賎の者や身体的特徴が大きな者は、ある種の聖性が生じたりしますからね。ということは、孔子はシャーマンの系統に位置付けることもできるんじゃないですか? 

安田そうです、そうです! もう完全にそうです。孔子一門はみんなシャーマンだと言われています。古代の聖人はみな特別な身体的特徴があったらしくて、たとえば黄帝は龍顔すなわち眉の骨が高くて丸く、顓頊(せんぎょく)は怒り肩、帝嚳(こく)は2枚の前歯が1枚になっていて、堯(ぎょう)は八の字眉、舜(しゅん)は瞳ふたつで、禹は耳の穴が3つ、湯王などは一本の腕に肘がふたつで、文王はなんと乳が四つ、武王はいつも遠くを見ているようであり、皋陶(こうよう)は馬のように大きな口、そして孔子も頭の真ん中がくぼんでいると『論衡(ろんこう)』に書かれています。

異形のもつ聖性はシャーマンにもあてはまります。だから、古代ではわざと異形に形成したみたいですよ。頭蓋骨の化石で、ものすごく変形したやつが出てきたりするのですが、これは子どものときから顔を布などで縛ったりして、変形させるようなんです。

安田えー、そうなのですか。

それはシャーマンの役割を担うためだっただろうとされています。シャーマンとして育てられる。そのため、異形性が必要となる。

安田纏足(てんそく)ももともとはそのへんからくるかもしれませんね。

ああ、そうかもしれないですね。

安田『論語』の巻頭は「学んで時にこれを習う」ですよね。で、それを「亦(また)説(よろこば)しからずや」となるのですが、この「説(よろこ)ぶ」という字ですが、むろん現代で書けば「悦」ですが、孔子の時代には「悦」も「説」もなくて、あったのは右側の「兌」だけです。で、この字は「兄」が元です。「兄」って、示す偏をつけると「祝う」という字になりますでしょ。「祝」というのは「巫祝」、すなわち神主ですね。で、「祝」の頭からこう、霊が出ているかたちが「兌」です。これ、脱魂の「脱」になります。



あ、こんな風になるのか。

安田はい。で、孔子が目指したのは、その、「また説(悦)ばしからずや」の状態で、これは儀礼をすることによって、脱魂状態になるという意味なのです。頭頂から霊が出るので、そのためには頭頂はへっこんでいた方がいい(笑)。

そこにつながりますか。頭がへっこんでるのは、シャーマンとして逸材、みたいなことなのかな。
 先ほど纏足のお話ができましたが、纏足だと揺れるような歩き方になってしまいますでしょう。夏の禹王が足を悪くして独特の歩き方になったことが、呪術のステップにつながったという話があって......。

安田確かに、それが呪術のステップであり、あらゆる武術の足遣いの基本である「禹歩(うほ)」ですね。能では序之舞という舞の「序」という足遣いや、『道成寺』の乱拍子に残っています。

歩き方が特殊であることにも、宗教性や聖性が発揮されるわけです。だから、纏足による歩き方にも強烈な魅力が生じる可能性はあるのでしょうね。個人的には全然共感できませんが。いずれにしても、身体的に大きな特徴があったり、歩き方に大きな特徴がある人たちは、マージナルな存在として、あるときは聖なる人としてあがめられ、あるときには差別の対象・卑賎な存在となる。この構造は世界中どこの文化圏でも見られるのでしょう。


楽師はみな目が見えない

安田そうそう。古代の楽師は「瞽師(こし)」ですから、目が見えない人ですね。

それはどういうところで出てくるんですか?

安田『周礼(しゅらい)』という本に出てきます。

あ、『周礼』に。

安田はい、『周礼』のなかで春官というところに属します。

瞽師は何をする人ですか?

安田音楽を演奏する人たちです。

目が不自由なんですね。じゃあ、日本でも同様の形態がありますね。

安田そうですね、琵琶法師やゴゼさんみたいなですね。ゴゼさんって漢字では「瞽女」って書きますでしょ。日本の瞽師ですね。

そうか、同じ字を使うのか。芸能と宗教性、芸能民と宗教者、いよいよ我々の本領に入ってきましたね(笑)。とりあえず、宗教儀礼あたりからお話を進めていきましょうか。


儒教における儀礼の対象は先祖の霊

先ほど、「義を見てせざるは勇なきなり」が先祖祭祀について語っている件ですが、ということは孔子の果たした大きな役割のひとつに、「崩れかけていた死者儀礼を立て直した」といった面があると考えていいのでしょうか。

安田おお、なるほど! 死者儀礼を含めた「礼」と、それから「楽」の立て直しです。

儒教で考える「儀礼」は、人知を超えたもの・人間を超える存在への祈りが中心なのですか。

安田はい。『儀礼』という経書には結婚式や成人式などの儀礼が載っていますが、そのような通過儀礼を保証するのが先祖の霊なのです。

主に祖霊なんですね。それは今日的に言っても、宗教だと捉えることができます。そこに儒教の宗教性があるわけですね。祖霊への儀礼において、鎮魂や招魂などといった概念も混在していることでしょう。

安田はい。

それに関して『論語』ではどのように語られているのでしょう。

安田儀礼としての鎮魂や招魂に関しては、あからさまには語られていませんが、孔子自身も先祖の霊(鬼)は大切にしています。古代の聖王である禹を評した文の中に「孝を鬼神に致し」というのがあります。生きている親だけでなく、死んだ親、祖先に対しても最大限の孝行をするんです。ただ、直接それと関係をもってしまうのは危険だとも思っていたようです。直情径行の愛すべき弟子の子路が「先祖の霊(鬼神)に仕える方法を知りたい」と孔子に迫ったときに、孔子は「人に仕えることもできないのに、先祖の霊などに仕えることができようか」と諭します。先祖の霊に対する孔子の基本的な態度は「鬼神を敬して遠ざく」です。
 また、白川静先生などは孔子自身が葬礼の...。

葬礼を担当する家の生まれだと...。

安田はい。そういう説もありますね。


葬礼ではとにかく悲しむべし

安田『論語』のなかでは、やはり葬礼は重視されています。今回、『論語』の中の葬礼に関する章をまとめてきました。

ありがとうございます。それはうれしい。

安田葬礼をあらわす漢字は「葬」と、もうひとつ「喪」があります。「喪」は「喪に服する」のような意味で使われることが多いのですが、葬礼という意味もあります。
で、この一覧から、「喪」がどういうキーワードと近接しているかを見てみると、やはり「哀しむ」が多いですね。同じような意味で「戚(せき)」も使われています。

葬・喪・哀・戚ですね。

安田はい。葬礼の本質は「哀しむ」こと。そして、もうひとつは儀礼の大切さです。孔子は「親が生きているときには『礼』で仕え、亡くなったら『礼』で葬り、霊となってからは『礼』でお祭りをする」と言っています。金文には「享孝」という言葉があります。「享」は金文では饗宴という意味で使われますし、「孝」の下の子が「食」になっている文字もあります。先祖の霊を養う、それが「孝」のもとの意味でした。


東アジアの宗教の本質は儀礼そのものにあり

東アジアの仏教は「法要を重視する」ところに特徴があります。そしてその法要からさまざまな文化も生まれてくる。そこから類推しますと、東アジアの宗教性は、信じている信じていないといったことよりも、儀礼という行為に宗教の本質がある感覚をもっているんじゃないでしょうか。そこにキリスト教思想やキリスト教文化がやってきて、「確たる信仰こそ宗教」のイメージが展開される。すると「じゃあ我々は無宗教なんだ」となる。そんな図式があるかもしれませんね。でも、儀礼を営むところに宗教性を見るならば、無宗教どころか過剰なほど宗教があふれています。儒教の宗教性について考察する場合も、そのあたりにテーマがあるでしょう。
 仏教でいうならば、日本は「戒律嫌いの儀礼好き」だと感じますよ。仏教の戒律体系はあまり機能しない、でも儀礼に関してはものすごく発達させてきた。

安田確かに(笑)。これはとても面白いですね。

儀礼を営むことによって、とても成熟した宗教領域を展開してきた。また、儀礼を通して、その場その場に心身をチューニングする宗教性を育んできた。信じる宗教じゃなくて、感じる宗教といったところです。
 また、仏教儀礼でいいますと、声明(しょうみょう)や説法を土壌として、多くの音楽や芸能が...。

安田あ、説法も儀礼なんですね。

「法要の要素」としてとらえるならば、高い儀礼性をもっています。


法要を法要たらしめる2つの要素。声明と勧化

東アジアの仏教では、正式な法要にはふたつの要素が必要となります。ひとつは勤行です。経典を読誦する、表白(ひょうびゃく)、講式、祭文などが勤められます。こちらは前近代の音楽や発声法の基盤となりました。梵唄(ぼんばい)や声明と呼ばれるメロディーや節や抑揚です。

安田はい。

もうひとつは、説法です。これは、勧化(かんげ)・説法・講釈・講談・法談・説教・説法・唱導などとも呼ばれます。いずれも仏法を説き、伝えるという行為です。
 勤行のパートと説法のパートの両方がそろって正式の法要として成立します。

安田おお、そうなのですか。

日本の法要文化って、なかなか大したものなんですよ。そこへ身をおくことと、信仰のあるなしは、少し異なります。行為の問題と内面の問題ですね。近代をリードしてきたキリスト教プロテスタンティズムは、どうしても内面重視の傾向があります。そういった宗教性と、日本の前近代の宗教性とはぴったり一致しないでしょう。どちらが良い悪いといった話ではなく、宗教のタイプの違いです。

安田へえー。それは面白いですね。

ついでに言いますと、私は「第三のパート」があったと捉えています。それは、法要終了後の娯楽会やお食事会です。ご存知のように、大きな法要は終了後に延年(えんねん)が開かれました。僧侶が寸劇をやったり、子どもが歌を歌ったりしました。能狂言の源流のひとつですよね。法要後に芸能を楽しむという営みは重要だと思います。今日でも、法要後に落語を聞いたりするお寺はけっこうあります。また、法要後にみんなで食事をする。共食行為です。これらを総合して法要文化なのだと思います。


儀礼を重視する儒教は東アジアの宗教そのもの。葬式を描いた映画

そんなわけで、しばしば「儒教には儀礼はあるけども、宗教はない」と評する人がいるのですが、「いやいや、これぞ東アジアの宗教」とも言えるのではないでしょうか。特に死者儀礼の問題は重要です。
 あの、僕はお葬式を描いた映画をたくさん集めるのが好きなんです。

安田そうなんですか(笑)。

はい(笑)。ときどき自分のコレクションを寺子屋で観てもらったり、講義で学生に観せたりしているんです。東アジアのものであれば、たとえばチャン・イーモウ(張 芸謀 )監督の『菊豆(チュイトウ)(1990年)』。

安田はい。

1920年代の中国の様子を描いた映画なんですけど、お葬式の場面があって。もちろん儒教の死者儀礼なんです。自分のお父さんの葬式を出すんですが、お家から出棺するときに、息子夫婦が必死になって出棺を止めようとするんです。しかし、出棺役の人たちは、それをバーンと払いのけます。蹴ったりするんです。それで、ゴロゴローッと地面に転がされて、泥まみれになって。それでも、何度も何度も食らいついて、出棺を止めようとするんです。そして、それをジーッと近隣の人は見ているんですよ。つまり、そこでどれだけ頑張ったかが、親孝行の証なんですね。出棺を押しとどめようとする態度があまり淡泊だと、「あ、この息子は親不孝モンや」と言われるから、もう命懸けでやる。これなどは、儒教の孝の思想をベースにした死者儀礼だと思われます。もちろん、きちんと死者を祀る、祖霊を祀ることが重要になります。
 台湾の映画にみられる道教の死者儀礼も実に興味深いです。また、韓国は中国以上に儒教を軸とした死者儀礼を営みます。

安田韓国の儒教って徹底していますよね。

韓国の『祝祭』という、お薦めの映画があるんです。これは伊丹十三の『お葬式』の韓国版といったおもむきです。主人公の母の葬儀が主旋律なんですけど、どういう手順があるのか克明に映していくんです。都会で暮らしている主人公は、田舎の母の訃報を聞いて、妻に貯金をおろすように命じます。妻が「どのくらいおろすのですか?」と尋ねると、「全部おろせ。金はこういう時のためにあるんだ」と言うんです。そして、何日も死者儀礼にかかりっきりになります。しかし、年長者は「最近はお葬式が簡略化されてしまってなげかわしい。それが今の社会が歪んだ元凶だ」などと語ります。どれほど儒教の死者儀礼が煩雑で大変だったかがわかりますね。もちろん、仏教や韓国の土俗信仰も混入している儀礼なのですが。映画としてもよくできています。お通夜に賭博やるんですよ、徹夜で。その掛け金は喪主がもつんです。


古事記と中国の泣き女

あるいは中国映画の『涙女(なみだおんな)』もお勧めです。これはまさに現代の中国の様子を描いています。不良娘が、やくざな男と結婚して、生きていくためにいろんなことをします。違法DVDを売ったり、夜逃げしたりして。子ども育てなきゃいけない、夫の借金はある。それで、絶体絶命のピンチの時に、ウソ泣きで切り抜けるんです。すると、ウソ泣きするのが上手いという才能に気づく。

安田はい、はい、はい。

そして葬儀で泣き女の仕事を始めるんです。これが評判になる。中国や韓国では、泣き女(哭き女)という職業があります。遺族は葬儀のために、激しく泣ける人をわざわざ雇うのです。
 この点は韓国も中国も台湾も共通しています。葬儀において、いかに泣くか、いかに悲しみを表現するか、というところがポイントなんです。東アジアの死者儀礼における大きなテーマです。日本でもそういう習慣はあるそうですが、映画やネットで観る葬儀場面で比較検討する限りでは、中国や韓国とは比べものにならないほどめずらしい。少なくとも、現代の日本ではほとんど見られない。

安田『古事記』や『日本書紀』のなかで、アメノワカヒコが亡くなって鳥がお葬式に参加するんですが、キジが泣き女の役をしますね。でも、たしかに、ふだんはあんまり見ませんね。

はい。古代では日本各地で行われたとも言われています。また、私の子どもの頃は、大阪でもたまにありましたよ、泣き女さんが来て慟哭するお葬式が。大阪は朝鮮半島や済州島との行き来が盛んな場所ですからね。。

安田なるほど、なるほど。海側に多いといいますね。有名な能登の七尾の泣き女も海の近くですね。

泣くという行為は、魂呼ばい(霊魂を呼び戻す)に結びついています。これは世界各地に散見できるようです。でも、「泣くのが孝の証し」といった意味づけをしてきたのは儒教ではないでしょうか。また、南方の海民は、あまり泣かない気がしますね。勝手な推測ですが。


海民は人が死ぬのが日常だから泣かない?

安田あ、それすごく面白いです。『論語』の中ではやっぱり「泣きなさい」って書いてあります。泣かなきゃダメだと。で、泣き女は海辺に多いといいますが、でも葬式などであまり泣かないのは、海辺の人なんじゃないかな~。

そうなんですか。

安田実家はいちばん海に近い家なので、海で人が死んだというと、うちの庭が、死体捜索本部になるんです。子どものころは毎年一体ずつぐらいは土左衛門(水死体)を見ていたのですが、あまりショックを受けなくなります。

海辺の人は内陸部よりも死が身近なんでしょうか。異界観の違いも関係しているかな。

安田新潮から出ていた芹沢光治良という人が、『人間の運命』(ほかに『人間の幸福』『人間の意志』『人間の生命』)といった本で、昭和初期ぐらいの漁村の様子を書いてるんですけども、彼のところもやっぱりそうだって書いてありますね。人の死というのは日常的なんで。


異界を行き来する能の基本構造

お能のほうで、お葬式の場面で泣くなどといった場面はあるのですか?

安田お葬式で謡う謡というのはありますが、能の中のお葬式というのは、ちょっと思い当たりません。

考えてみれば、それもちょっと不思議な気がしますね。もともと異界との境界を行き来する芸能なのに。ひとつやふたつはあってもよさそうなんですが。
 もしかしたら、むしろ死者が登場人物としてやってくるために、お葬式がテーマとして取り上げられなかったのかもしれませんね。だから、異界へと送ることよりも、異界からやって来る方がテーマになる。

安田確かにそうですね。ちょっと『論語』と離れてしまうんですが、能の場合、「とふ(とう)」という言葉は、もちろん「弔ふ」もあるんですが、「問ふ」も「訪ふ」も「とふ」で、
この三つは、ほぼ同じふうに使われているんです。

なるほど、同義になっちゃう。

安田ほとんどの幽霊はその場を動かず、生者がそこに「訪ふ」ことによって幽霊と出会い、「問ふ」ことによって「弔ふ」というのは、基本構造なんです。ですから、能の幽霊の多くは空間的な移動はしないものが多く、同じ空間の別のレイヤー(層)から出現します。

そうなんですか。

安田だから、死者の方が偉くて「お前たちが来い」みたいな...。

むこうが中心なんですね(笑)。

(つづきます)

     

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安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)、『異界を旅する能ワキという存在』(ちくま文庫)『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』(実業之日本社)、『あわいの力「心の時代」の次を生きる』『イナンナの冥界下り』(ミシマ社)など多数。

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