プロに論語

第12回 宗教と論語 釈徹宗さん(3)

2017.09.07更新

葬式ではとにかく悲しむべし

(この対談のために、安田が『論語』の中から葬礼に関する章句を中心にまとめたものを眺めながら...)

今日、挙げていただいたこの『論語』の文章などは、それぞれお葬式の場面なんでしょうか。

安田お葬式の「場面」だけではありませんが、お葬式に関するものを集めました。まず、この章句では、お葬式には大切なのは「礼」だといっています。

(論語原文:喪02-05)

(前略)子曰わく、生けるにはこれに事うるに礼を以てし、死すればこれを葬るに礼を以てし、これを祭るに礼を以てす(子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮)。


そうか、「礼をもって祭る」ですか。

安田はい。葬礼のときにも、それから亡くなったあと祖霊となった方を祭るときにも「礼」をもってしなさいと書かれています。また、こちらの方は、痛み悲しみなさいと言っています。

「喪は其の易(おさ)めんよりは寧ろ戚(いた)め(喪與其易也寧戚、03-04)」


安田いまの章句では「戚」の字が使われていますが、次の章句では同じ「かなしむ」でも「哀」という漢字が使われています。どちらも葬礼では哀しまなければ意味がない、と。

「喪に臨みて哀しまずんば、吾れ何を以てかこれを観んや(臨喪不哀、吾何以觀之哉、03-26)」



喪に望む際には「かなしむ」ことが重要。

安田また、これは、お葬式のときには孔子はお腹いっぱいまで食べなかったと書いています。

子、喪ある者の側らに食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。子、是の日に於いて哭すれば、則ち歌わず。
(07-09)
子食於有喪者之側、未嘗飽也、子於是日也哭、則不歌、


喪において、食べられず、哭いて、歌わず...。

安田悲しんでいると、あまり食べられなくなりますものね。

お葬式の場面で、あんまりバクバク食べたら、あいつ悲しくないのかって思われるかも。

安田そうですね(笑)。

そこに集う人たちに見られるという意識も、儀礼作法の中に組み込まれているのでしょうか。

安田なるほど、そうですね。喪主がパクパク食べているのを見られたらちょっと変ですね。こちらの方では「不敢不勉・あえてつとめずんばあらず(喪09-16)」。もうすっごく一生懸命やる。葬式に関しては、自分ができる限りのことをせよと言ってます。先ほどおっしゃられていた韓国映画の『祝祭』のようですね。

本当ですね。


仏教はもともと反儀礼。東アジアで仏教が儀礼化したのは儒教の影響?

東アジアで儀礼中心の仏教が発達したというのも、儒教の影響が大きい可能性もありますね。なにしろもともとの仏教は反儀礼の立場だったのですから。

安田え、そうなのですか。仏教というと儀礼のイメージがありますが。

仏教が成立する前提となったバラモン教が儀礼中心の宗教なんです。これに対して仏教は「儀礼で救われるのではなく、智慧によって解脱するのだ」という立場をとります。バラモン教へのカウンターですね。

安田へえ、そうなのですか。

とはいえ、仏教という宗教が体系化され、人々に土着する過程で、儀礼は発達していくのですが。


「礼」の先に「楽」がある儒教、アートの先に信仰があるキリスト教

この「礼」の先には、「楽(がく)」が出てくるのですね?

安田はい。「礼に立ち」のあとに「楽に成る」があります。

そこをぜひお聞きしたいのですが、すでにいとうせいこうさんとお話された後なんですね、残念(笑)。しかし、やはり興味深いものがあります。たとえば、キリスト教文化だと、キェルケゴールが言ったみたいに、まず第一段階として倫理的な領域があり、さらにアートのステージがあって、その先には信仰の領域がある、などといった思想があります。でも、儒教だと究極的には...。

安田「楽」なんですね。

キェルケゴールに照らし合わせれば美的段階、つまりアートといってもいいですよね。

安田おお、確かに「楽」はアートですね! いまごろ気づきました(笑)。


儀礼の場をつくるのが日本の宗教性の本質

先ほど、法要文化のところで「第三の要素」についてお話しました。つまり、勤行・説法のあとに行われる芸能的要素やアート的要素です。延年は能楽の源流のひとつだと言われています。また能楽の場合は、さらに勧進劇(寄付行為を促進するための芸能興行)の性格にも展開していきます。

安田はい。江戸時代には勧進能という、何千人もお客さんが入る能の催しがあったようです。また、昔の演能の絵などを見ると、お客さんは飲み食いしながら能を観ていますしね。また、本来、山伏の芸能である延年も能の中に取り入れられていますし、法事である大念仏なども入っています。それもモドキのような格好で。能の中では念仏が法事というよりはエンターテインメントになっています。

能は現役の舞台劇としては世界最古だそうですね。なぜ能がこれほど続いているのか。それは能が核となる宗教性を手放さないからではないかと思います。宗教の場は三層か四層構造になっていて、核に宗教性があり、その周りに儀礼があり、その周りに儀礼に関わるイベントがあり、その周りに参加者や観客がいる。しかし、どれほどイベント部分を拡大したり華やかにしたりしても、核の宗教性が枯れれば、やがて消えてしまいます。能は芸能の中に潜む宗教性を決して手放さない。だからこそ芸能としての魅力を発揮し続けることができるのではないでしょうか。
 そのあたりの感性で『論語』を読むと、実にしっくりきます。『論語』の宗教性が見えてくる気がします。


『礼記』と『周礼』と『儀礼(ぎらい)』

安田アートも汲み入れた儀礼の場をクリエイトするのが僕たち日本人の宗教性で、それで『論語』の宗教性を考えるとしっくりくるというお話はとても面白いですね。五経のひとつに「礼」がありますが、高校などでは五経の礼というと『礼記(らいき)』だと教わることが多いのですが、『礼記』はどちらかというと注釈書的性格の強い本で、礼の基本書は『儀礼(ぎらい)』です。漢の時代くらいまでは、礼といえば『儀礼』という本を指していました。この『儀礼(ぎらい)』が今おっしゃったアートを含めた儀礼の本なのです。しかし、この本は儀礼の手順やアイテムなどが詳細に記してあるので、読みものとして全然面白くないので、一般の方はほとんど読まないと思います。
礼には『儀礼』『周礼(しゅらい)』『礼記』がありますが、『礼記』がいちばん有名なのは、『礼記』がいちばん面白いからなんです。

そうなんですか。

安田はい(笑)。「男女七歳にして席を同じうせず」とか「弱冠」などは『礼記』の中の言葉です。で、ほかのふたつ『周礼』と『儀礼』は、礼に特別な興味がない方が読んでもぜんぜん面白くない。


死者とのコミュニケーションを応用したのが「禮」

安田「礼(禮)」というのも、もともとは先祖の霊といかにコミュニケートするか、から始まりました。で、そんな非在の存在である先祖とコミュニケーションできるんだったら、それを人間にも応用したらいいんじゃないか、というのが、いま僕たちが使う「礼」なのです。

もともとは祖霊とのコミュニケーション技法だったのですね。

安田はい。で、『礼記』の方は、どちらかというと人間関係の「礼」、コミュニケーション方法が中心に書かれているので、わかりやすいんです。これがなかなか細かいことも書かれていて、たとえばご飯を食べるときには、椅子に浅く腰をかけ、人と話をするときはゆったりと座るといい、みたいなことも書かれています。

死者とのコミュニケーションが先立っていて、それを人間関係に援用するわけですね。非存在者とコミュニケートできるようになれば、存在者とのコミュニケーションなんて楽勝ですよ、ってことでしょう。そんなの、ちょっと、考えられないような理屈じゃないですか(笑)。

安田(笑)

なにしろ現代人の苦悩の大半は人間関係ですから。

安田そうです、そうです(笑)。

これは使えるかもしれないなあ。人間関係に熟達するためには、まず死者とコミュニケーションしよう。

安田(爆笑)

そこから始めろ。なんかイケるような気がする...(笑)。


国家システムをさだめた『周礼』

安田で、あとのふたつのうちのひとつ『周礼』は、その方法論をシステムとして使うと共同体のコントロールも簡単じゃんってことで、いまでいう官僚システムというか国家システムというか、そういうものを提示します。基本的には組織論なのですが、それを天地自然と関係付けているのが面白いです。しかも、かなり具体的に、長官、誰で、下に何人いるとか、そういうことを書いたのが『周礼』という本です。

はい。

安田そして、もっとも基本の『儀礼(ぎらい)』というのは、主に士(し)と呼ばれる人たちの儀礼(ぎれい)の具体的な方法が書かれています。「士冠礼」という成人式から始まって、結婚式もありますし、お酒を飲む式もあるし、もちろんお葬式もありますし。

なんだかユダヤ教の「レビ記」みたいですね。

安田おお、なるほど。『儀礼』に書かれている方法もとても具体的で、何回礼をするとか、西の階段から上るとか...。

同じだ。「レビ記」でもそのあたりはすごく厳密に書かれています。幅どのくらい、高さどのぐらいの祭壇を作って、などと細かいんですよ。親族関係の中で、どこまで性行為は許されるのか、とか。

安田そうですか。今度、ちゃんと読んでみます。世界最古の文字といわれるシュメール語で書かれた儀礼文書というのもあって、これもレビ記のようにかなり細かく書かれています。シュメールからアッカドに引き継がれ、それがユダヤ教にも引き継がれたのでしょうね。アッカド語とヘブライ語は同じセム語系の言語ですし。


祭祀のハウツーをまとめた『儀礼』

安田で、『儀礼』のほぼすべてに入っているのが、先ほどのお話に出た音楽なのです。そして、先生がおっしゃって、おお、なるほど、と思ったのは、説法に近いことも入っています。正確にいうと説法というほどちゃんとはしていないのですが、やはり何かを言う、それが大事なんです。

そうなんですか。

安田はい。ただ粛々と儀礼を遂行するだけではなく、やはり何かを言います。
 また、先ほどの場のクリエイトの話なんですが、甲骨文などを見ると中国でも最初は、日本の神籬(ひもろぎ)のようにテンポラリーなもの、仮設だったようです。儀礼の場を占いをして決める。そのテンポラリーな神域をあらわすのが「土」という漢字ですし、これが後に示偏がついて神社の「社」になったり、そこに依代としての木を植える「封」という字になります。
 そして、やがてそれが固定化されていき、「堂」、すなわち霊廟ができていきます。「堂」という漢字の上にあるオバQの毛のような三本線は神気の漂うさまをあらわすともいいます。いまの学校の講堂も、この霊廟の形、儀礼をする場所がもとになって作られていますが、もともとはテンポラリーな聖域をクリエイトして、そこから儀礼が始まったようです。

毛の三本線は、何か普遍性はありそうだと思っていました(笑)。温泉マークとかも、どこか怪しげですから。

安田確かに(笑)。で、日付を含めて占うことがぜんぶ決まっていて。もしそこでダメだったら次の十日を占うとか、すごい細かく決まってるんです。

そのような細部にわたる規定と共に、それにともなう心のあり方みたいなものは述べられていないのですか。

安田心はぜんぜん書いていませんね。

そうか、そうでしたね。教えていただいたところでした。

安田この『儀礼』という本は、さまざまな儀礼のマニュアルですね。


『儀礼』に出てくる食のタブー

では、タブーみたいなものは出てこないのでしょうか? 「レビ記」であれば、儀式のやり方と共に、さまざまなタブーが語られています。性に対するタブーや食に関するタブー。有名な「ひずめが割れていて反芻する動物」「水生生物はひれとウロコがある」ものしか食べられないってやつです。そのあたりはどうでしょう?

安田孔子は食のタブーは書いてますね。

そうなんですか。

安田はい。すごく当たり前のタブーだったりします。

食べ過ぎるな、とか。

安田匂いの悪いものは食うなとか。

腐ったものダメだとか(笑)。

安田はい。ただ、ひょっとしたら儀礼的な食に対するタブーには、もうちょっと深い意味があるかもしません。古代中国で料理人というのはすごく重要な役割を持っていますから。

というのは?

安田殷の創設に功績のあった伊尹(いいん)も料理人ですし、包丁の語源になった庖丁(ほうてい=包丁)っていうのは、伝説の料理人ですし、しかも深遠な哲学を述べたりします。

包丁って人の名前だったんですね。


論語における「楽」の機能は死者を呼び出し一体化すること

繰り返しになりますが、やはり興味があるのは、最高の人格のあり方に、音楽を設定するというような儒教の思想です。この点、日本の宗教は、儀礼をとても重視するものの、倫理や信仰やアートや音楽が、同一面上にあるような印象をうけるのです。あまり段階的にとらえない。それぞれに境界はあるものの、アマルガム的に混在している。むしろ境界線上が一番猥雑でクリエイティブだと感じます。だから、日本の宗教者や芸能民はみんな境界線上をウロウロしますよね、安田先生みたいに(笑)。
『論語』にはそのあたりはどのように語られているのか、教えていただけませんか。

安田孔子も、まさにアマルガム的な存在ですね。宗教者であり、教育者であり、音楽家でもある。

はい。

安田孔子は「礼」という宗教的なことも重視しますが、しかし彼の学団では、「楽」という芸能的な要素をもっとも大切にしています。で、論語の「楽」のなかには舞が含まれ、詩が含まれ、そしてもちろん音楽も含まれるのですが、それは儀礼との関係も深く、「楽」の基本的な機能というのは、「礼」の基本機能と同じく、先祖、すなわち死者を呼び出すことなんです。

「楽」も祖霊・死者とのコミュニケーション技法なんですか。

安田で、どうもこれがただ呼び出すだけではない。これは『論語』ではなく、『史記』の話になるのですが、孔子は音楽を学びながら、その曲を作った殷末の周の王である文王と一体化してるんです。

死者との同一化、憑依でしょうか。

安田死者を呼び出し、その人と一体化することが、たぶん「楽」の機能だったようです。


「楽」の演奏形態。

江戸時代に生まれ、わずか三十歳ほどで早逝した町人学者・富永仲基(とみなが なかもと)が『楽律考』という本を書いています。戦後にその内容が明らかになりました。

安田あ、その本持っていますがちゃんと読んでいません(笑)。

いま、全文が読めるようになっています。それを読みますと、本来の儒教の「楽」のあり方は、荻生徂徠が主張しているような中央集権的なのじゃないんだ、もっとフリーハンドなものだし、もっと人々のかなしみに関わるものだと述べています。そこはいかがでしょうか? 本来の「楽」とは、やはり儀礼の場で営まれるものであると『論語』では語られているのですか?

安田このお話は面白いですね。まずフリーハンドのお話からしますと、孔子は自国の魯の国の音楽の長官に楽の構造を話している章があります。それによると...

最初は「翕如(きゅうじょ)」で始まり、
それから、これを受けて「純如(じゅんじょ)」になり、
やがて「皦如(きょうじょ)」になり、
そして最後に「繹如(えきじょ)」となって完成する


...というのです。

 最初の「翕」というのは、鳥が一斉に飛び立つさまをあらわす漢字です。すべての音が一斉に鳴る。西洋音楽でいえば「tutti」です。これで思い出すのは、フルトヴェングラーの『運命(ベートーヴェン)』。ベルリンフィルの指揮者だった彼が、ナチスとの関係で公職追放になり、他国のオーケストラを振ったときに、そのオケも素晴らしいんだけれども、「ワインのコルクを抜いたような音だ」と言ったらしいんです。みんなが完璧にあっていて気持ち悪い。彼が期待したのは、ザザザッ!という入り方。まさに群鳥が羽ばたくような「翕如」という入り方です。

 次の「純」は、「まじり気がない」という意味。ザザザと入った楽団が、徐々に一体化してきて、完全にひとつの音になる。それが「純如」です。
 その次の「皦如」は面白い漢字で、このままだと「はっきりと、白く輝く」という意味になります。でも、ここから「白」と取った「敫」は白骨化した屍を鞭で打つさまで、死者の呪霊を刺激して、他のものを呪ったりする意味で、かなり激しい。ですから、これにさんずいを加えた「激」は「はげしい」という意味になりますし、これはもともと水を堰き止めることによって、水流をより激しくすることをいいます。
 ですから「皦如」というのも、先ほどの「純如」のようによどみなく流れ始めた音楽を一度、止めることによって、それに反発する力を利用して、より激しい音楽にする。堰き止められた水が洪水となると濁流となるように、それらは音としても、また音楽的な要素としてもいろいろとものが混じり合ったものになります。しかし、逆説的にも聞こえますが、それによって音楽は、より一層はっきりと輝く(皦如)ものになります。

 そして最後が「繹如」です。「繹」の右側の「睪」というのは獣の屍体です。濁流のように混じり合った音楽が「睪」でしょう。「繹」は、その屍体が風雨にさらされて、ほぐれるように解けることをいいます。その混じり合った音楽が徐々に解けていき、大団円に向かう。さまざまな動機や主題、さらには変奏が解決していき、終曲に向かっていく。
 それを孔子は「成る(完成する)」と表現しています。
 孔子の音楽論はまさにこれで、この「翕如(きゅうじょ)」、「純如(じゅんじょ)」、「皦如(きょうじょ)」、「繹如(えきじょ)」だけを体得しておき、あとはフリーハンドで自由に演奏する。通奏低音やジャズのアドリブに近い。それが孔子の「楽」でした。
 また、「かなしみ」の話をしますと、『詩経』の冒頭に置かれる「關雎(かんしょ)」という曲があるのですが、これは孔子がもっとも重視した曲のひとつです。で、孔子はこの曲を評して「楽しみて淫せず、哀しみて傷(いた)まず」といっています。人は悲しむと、それによって自分を痛めてしまうことがあります。で、自分を痛めてしまうと、心身の苦しさによって、純粋に悲しみに浸ることができなくなります。「關雎」は、自分を傷めずに悲しめるので、純粋な悲しさを感じることができる、そんな評です。

 しかも、この「關雎」は儀礼の中でよく使われています。「關雎」だけでなく、『論語』の中の「楽」はほとんどが儀礼の「楽」だと思っていいと思います。『儀礼』という本の中では、どこでどんな音楽を演奏するかが詳しく書かれていますが、しかし『論語』の中ではそのような書き方はあまりされていません。
 また、「楽」の音を聞いて他の人が、なんかコメントするというものもあります。

そうなんですか。

安田はい。「楽」の音を聞くと、その人のことが分かる、とか。


日本の雅楽に見られる「楽」の名残り

では、そういう「楽」の形態が今なお、中国のどこかで継承されているのですか。おそらく、そこから派生した芸能はずいぶんあるだろうと想像はつきますが。

安田少なくとも現代には、古代の「楽」を継承したものはないと思われています。

じゃあ、やはりもう途絶えてしまっているんですか。

安田はい。江文也氏が『上代支那正楽考』という本に書いていますが、ここでもすでになくなってしまったというようなことが書かれています。

実は私も、中国や韓国でもいったん途絶えてしまったと聞いています。そのことを確認しようとお尋ねしました。

 というのも、日本には細く長く残っているとも言われていまして。日本の雅楽は、特殊な事情を抱えています。もともと中国や朝鮮の宮廷音楽や大衆音楽だったものが、仏教と一緒にやって来たために、仏教儀礼や神道儀礼で使うものになってしまったのです。それがために、今日まで続いている。例の「宗教性の核があれば続く」の法則です。もちろん、日本風に変質やアレンジは加わってきたのですけど、今でも継承されているのはとても貴重なことだそうです。中国や韓国からやって来て、日本の雅楽を学んだり、研究したりするそうです。

安田おお。

むこうでは途切れてしまったので、古いものを調べるために日本に来られるらしいです。

安田そうなのですか。でも、日本の雅楽も、いま演奏されているものは明治時代に定められた「明治選定譜」によって演奏され、その速度もかなりゆっくりになり、明治時代から比べても三倍近くの長さになっていると聞きますね。


焚書坑儒があるまでは、楽は「六経」のひとつだった

安田いとうせいこうさんの回でもお話ししたのですが、中国のほんとうの「楽」が滅んだのはかなり早く、殷から周になったとき(紀元前1,000年くらい)に、一度なくなっているのではないかと思っています。

お話に出てきた武王や周公旦のあたりですね。

安田はい。しかも、かなり意図的になくした。孔子はそれを復活させようとして、たぶんある程度まで、復活は成功したけれども完全にはいかなかった。そして、そのあともう一度完全に抹殺されたんじゃないかと思うんです。
 というのは、「五経」ってありますのでしょ。これはむかしは「楽」が入って「六経(りくけい)」でした。で、これがいつなくなったのかは、はっきりしないのですが、秦の始皇帝の焚書坑儒あたりが怪しいなと思うのです。焚書坑儒では、五経(六経)もすべて焚書されましたが、「楽」経だけは復活させることができなくて、完全に失せちゃった。想像ですけどね。この「楽」経があったら、すごかったんじゃないかと思うんです。

どんなものだったんだろう。おしいなあ。


舞雩で舞を舞う

安田宗教儀礼としての楽ですが、『論語』の中に「舞雩(ぶう)」という語が二度出てきます。この「舞雩」というのは雨乞いの祭をするときの石舞台ではないかといわれています。
 孔子が弟子たちに「普段お前たちはいろいろ言うけども、もし、好きな地位を与えられたら、何をするか?」と尋ねます。弟子たちは、自分はこんなことをしたい、あんなことをしたいと、主に政治的なことを言うのですが、ひとり何もいわないで瑟を弾いている曾皙という弟子がいます。孔子が「お前はどうか」と尋ねると、彼は「自分はほかの人たちのとは違うので」と言いよどむのですが、孔子は「かまわないから言ってみよ」というと彼はこう言います。

「莫春には春服既に成り、冠者五六人・童子六七人を得て、沂に浴し、舞雩に風して、詠じて帰らん」


 春の暮れに「春服」を着て、成人五、六人と、童子六、七人を連れて沂(き)水で「水浴」をして、そしてこの舞雩で「風(ふう)して」、それから詩を「詠じて帰る」と。
 現代語訳をしちゃうと「雨乞いの台のあたりで涼みをして、詠いながら帰ってまいりましょう」などとなってしまいますが、そんなのんびりしたものはでありません。
 「春服」というのは儀礼の服装ですし、「舞雩」も雨乞いの石舞台です。そして「浴」、「風」、「詠」、「歸(帰)」というのも、みな宗教儀礼の用語です。
 「浴」というのはただ水浴びをするだけでなく、身を清める儀礼です。キリスト教でも洗礼をしますし、神道でも禊をしますが、金文にはこのような文字があります。



 これは「盤(ばん)」という大きな水盤の青銅器の中に人が入っている姿ですが、おそらくただの水浴びではなく血の中で禊をしている姿ですね。
 また、「風」ですが、「風」という文字は「凡(はん)」プラス「虫」ですが、「虫」はもともとこれは鳥で「凡」と「鳥」、すなわち「鳳」なんです。



はい。

安田で、上の「凡(はん)」というのは「凡(槃)祭(はんさい)」という祭りがありまして、「茅(ちがや)」を持って、鳥のように舞います。そうすると、風を招いたり雲を招いたりもできる雨乞いの舞です。「茅(ちがや)」は易の筮竹の材料でもありますし、聖なる植物です。

儀礼の服装を身にまとい、雨乞いの儀式を行い、易や詩を...。

安田で、「詠(えい)」は、そこで、詩(うた)を詠じます。「詩」には「興」という日本の「枕詞」に当たるものがあって、これがすべて宗教儀礼と関連しているんです。ですから、詩を詠じるというのは、そのような宗教歌を詠いながら、そして「帰る」となるのですが、ここで帰っちゃあいけない(笑)。
 「帰」の字はもともとはこう書きます。



 右側は箒(ほうき)を立てた形です。

そうですね。

安田これに「女」をつけると「婦」という字になりますが、この「婦」というのは「巫(ふ)」と音系が同じですし、「舞」とも同じなんです。で、もう片方は「追」と同じで「行く」とか「来る」とかいう意味。もともと神様や先祖の霊が、家にやってくることが「帰(き)」です。

そうなんですか。

安田ですから彼は、雨乞いの石舞台である舞雩で、儀礼の装束を着て、禊をして、詩を詠じながら雨乞いの舞を舞って、霊をここに呼ぼう、ということを言っていると思うのです。それまでの三人は政治的な話をして、彼だけ突然そんなことを言い出したのですが、孔子は「わたしもそれがいいな」ってことを言うんです (笑)。

おお、孔子も共感したんだ。


儒教における儀礼装束

質問ばかりして申し訳ないのですが、先ほど「春服」のお話があったでしょう。儒教の礼のなかで染織なんかは出てこないですか? 機織りとか。あるいは相撲とか。星の動きとか...。

安田『論語』の中には、染織や機織りの話ははっきりとは出て来ません。星の動きに関していうと、無為の政治の比ゆとして北極星の話が出て来ますが、星の運行がどうのこうのという話は出てきていませんね。また、服装の話は出てきますが、機織りの話はありませんし、相撲もありません。孔子よりあとの漢の時代には相撲の絵が出てきますね。

ああ、そうですか。日本の宗教儀礼にはいずれも重要な要素なんですよ。機織りに関しては、渡来系の人たちが担っていた宗教性だと思うんですけど...。

安田おっしゃる通り、機織りは渡来系の人たちのものですね。能にも「呉服(くれは)」という演目があります。この演目に出てくるのは「呉織(くれはとり)」と「漢織(あやはとり)」という姉妹の霊です。たぶん「呉織(くれはとり)」というのは南方系の服飾を伝えた人たちの象徴で、「漢織(あやはとり)」というのは北方系の服飾を伝えた人たちの象徴じゃないかと思います。
 いまの着物を「呉服」というように、おそらく前者が日本では優位になった。吉田兼好も「家の作りようは、夏をむねとすべし」といっていますが、湿気の多い日本では、胸の部分が開いていて風の通りがいい南方系の服装の方が合っていた。北方系の「漢織」は首の部分がちゃんと閉まる、たとえば現代でも神主さんが着る狩衣のようなものだったのではなかったかと想像しています。呉服にしても漢服にしても渡来系のものであることに変わりはありませんね。
 『論語』のいまの章句でも「春服」と言っていますし、周の時代の金文でも王が臣下に織物や服飾に関するものを送っていますから、儀礼における服装の重要性ということはうかがえると思います。

私は大阪府池田市に暮らしていますが、ここには「呉織」と「漢織」の伝承があります。やはり大阪湾から猪名川を遡上して来た渡来人です。池田には呉服(くれは)や綾羽(あやか)といった地名があります。

安田おお、そうですか。今度、ぜひ教えてください。

はい。その、儀礼の服装に関してはどのようなことが決められているんですか?

安田たとえば冕(礼の冠)は本来は麻だったが、このごろは「純(絹)」を使っているとか...。

やっぱり麻ですか。神道と同じですね。

安田はい。

麻とか絹とかには特別な意味があるんじゃないですか。

安田そこら辺はよくは知らないのですが、おそらく伴ってると思いますね。誰か教えてくれないかなぁ。
 また、『論語』よりももっと古い金文ですと、王が褒章として臣下に下すものの中に、布とか馬とか、お金(貝)とか、それから奴隷などもあるのですが、そこに靴(舃)が入っていて、これはすごく面白いと思います。

靴は貴重品だった、ということだけではなさそうですね。

安田はい。数々の高価な贈り物のなかに、わざわざ靴が入るっていうのがすごく不思議なんですが、どうも古代中国においては、靴はすごく重要だったようなのです。
 たとえば中国では新石器時代から出土品の中にも「靴」がありますし、漢を創設した劉邦の軍師であった「張良」が、黄石公という石の精霊のような不思議な老人から、千年前の太公望の書をもらうのも「靴」がきっかけになっています。この物語は『張良』という能にもなっていますし、中国でも豫劇で『張良拾鞋(黄石公攔路)』という曲として演じられています。


儀礼における服飾の重要性

宗教学だと、そういった儀式用の服装や小物類の様式まで、儀礼の範疇に入れて考察します。建物の様式もしかり。どれも、宗教的象徴が意匠として組み込まれています。また、宗教的な場を生み出すための仕掛けでもあります。

 私、服飾が持つ宗教性については、現代人がもう一度考えなければいけないと思います。

安田はい。

そもそも、衣文化と宗教は密接です。聖職者が着るための衣装であったり、儀礼用の衣装であったり、また同じ信仰をもつ人々が共有する衣装であったり、民族衣装の起源が宗教を基盤としていたりと、調べてみるといろいろつながっています。死者だけに着せる衣装があったりもしますね。仏教の袈裟とか、ユダヤ教のキッパーやタッリートとか、イスラムのブルカやチャドルなども目にします。儒教や道教の服装もすごいですよね。
 そもそも人間社会にとって、どのような服装で生活するかは、とても大きな意味をもっています。服装は内面の表現でもある。服装によって、自分はこういう人間ですよ、と主張する。

 文化人類学的に衣文化を見れば、紋様のデザインなどもとても宗教的です。たとえば、渦巻き模様は神秘的な力があるとか。宗教的記号性とデザインの関係。そのあたりも、我々の宗教を考えるうえで、見落としがちなところです。

安田中国では特に殷の時代の模様がすごいですね。

模様がすごいとは?

安田饕餮(とうてつ)という怪物がいて、この怪物の模様、饕餮文(とうてつもん)が殷代から周代にかけて青銅器に彫られています。あ、彫られているというよりも立体的な模様です(読者の皆さま、「饕餮文」で検索してみてください)。能の装束もとても立体的ですし...。それがだんだん平面的になっていきます

そうですね、能の装束はとても立体的だと感じます。でも、殷の時代ではとても立体的だったものが、次第に平面的になっていくのですか。知らなかった。何かエポックメイキングがあったのでしょうか。

安田おそらくそうですね。文字の発明によって、具体から抽象に変わってきたのではないかと思うのです。


丸裸に紐を巻く装束の意味

最近、京都の帯屋さんとお話する機会があったのですが、その方も文様の宗教性に注目している人でして。いろいろと服飾の文様について調べてはるみたいなんです。世界中あちこちまわって調べているそうです。たとえば、暑い国だと小さな子どもなどは丸裸で暮らしていますよね。でも、まるっきりの丸裸っていうのはあまりないんですって。紐を一本、腰に巻いていたりするらしいです。
 紐を巻いているだけだから、服としての機能は果たしていないですよね。でも、腰に巻いておく。それはある種の呪術性だろうと言っておられました。子どもが病気にならないような願いが、その紐にはあると。また、それは人間としての境界のようなものじゃないかとも思うんです。紐を一本身にまとうだけで、他の生物との境界が生じる。そんな記号であるのかもしれません。

安田おお、なるほど。

(つづきます)

     

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安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)、『異界を旅する能ワキという存在』(ちくま文庫)『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』(実業之日本社)、『あわいの力「心の時代」の次を生きる』『イナンナの冥界下り』(ミシマ社)など多数。

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