セトウチを行く

 岡山に移り住んで、数カ月が過ぎた。この間、岡山や四国の田舎を訪ね歩いた。そこには<トウキョウ>からみえていた世界とは、まるで違う日常の景色が広がっていた。

 20年近く前、最初にエチオピアを訪れたときもそうだった。わきあがるのは「日本人」や「日本社会」についての疑問だった。エチオピアからみて、はじめて日本のあたりまえの暮らしがゆがんでいることに気づいた。自分の世界の小ささを思い知らされた。

 瀬戸内海をはさんで中国・四国地方に広がる<セトウチ>への旅。今回の連載では、見知らぬ土地をめぐり歩いた記録をつづりながら、日本で生きる自分たちの姿をみつめなおそうと思う。はたして<セトウチ>から、日本や世界はどうみえるだろうか?

 <セトウチ>は古くから歴史の舞台だった。日本の「国生み」が描かれる『古事記』では、最初に淡路島がつくられ、次に四国がつくられた。そして九州や近畿などにつづいて、小豆島や吉備児島(岡山県の児島半島)などの島々が生まれた。最初にできた国土。それが<セトウチ>なのだ。

 <セトウチ>はつねに周辺の地でもあった。政治の中心地から離れ、豊かな富を都にもたらす交易路であり、供給地だった。そして現代、<セトウチ>の離島や山間部は、人口減少という波にいち早くさらされてきた。そこは日本の未来の姿を想像させるフロンティアでもある。

 古い記憶を織り込む過去、身体で感じとれる現在、いまここに芽吹く未来の兆し。それぞれに思いを馳せながら、<セトウチ>を旅していこう。

第1回 「美」のありかを探しに 小豆島1

2015.09.07更新

 岡山に来て、まず行きたかったのが小豆島だ。2010年の瀬戸内国際芸術祭で訪ねて以来、小豆島にはどうしても再訪したい場所があった。肥土山(ひとやま)という集落である。

 芸術祭では、美しい千枚田で有名な中山地区に巨大な竹製のドームがつくられていた。ドームの中はさわやかな風が吹き抜ける。しばし涼んだあと、川沿いのあぜ道を歩いてくだると、こんもりとした木々のなかにきれいな茅葺き屋根が見えてきた。

 離宮八幡神社に建てられた歌舞伎舞台だった。観光客で賑わうアート展示とは対照的に、誰もいない。おそるおそる境内に入る。荘厳な空気が流れる。一対の狛犬が舞台に向かってじっと睨みをきかせる。その空間の静謐さと美しさに心打たれた。いつかこの舞台で上演される農村歌舞伎を見てみたいと思った。アート作品の記憶は薄れても、あの歌舞伎舞台の美しさはずっと心に残っていた。

 2015年5月の連休。瀬戸大橋を渡り、高松からフェリーで小豆島に向かった。小豆島は、瀬戸内海の離島では最多の3万人が暮らし、面積も淡路島に次いで二番目に大きい。島の各所に大型船の着く港が6つもある。高松からはフェリーと高速艇が頻繁に往き来し、岡山、日生、姫路、神戸からも毎日フェリーが就航している。

 「島」というと、閉じたひとつの空間のように考えがちだが、そうではない。歴史の古い小豆島も、時代ごとにさまざまな地域から漁民や開拓民が集まり、ときに入れ替わりながら現在の姿になってきた。方言や習俗の地域差も大きく、西部や北部は備前、東部は播磨や阿波、南部はいろんな地域との関係が深い。江戸初期の文書には、遠く薩摩から移り住んだ人の名も記されていた。小豆島は、人や文物の行き交う海の回廊のただ中にあって、つねに海に向かって開かれた空間だったのだ。
 
 農村歌舞伎は15時開演だった。時間があるので、その前に立ち寄ってみたかった場所へと向かう。島の北東にある福田港だ。角田光代原作『八日目の蝉』のドラマや映画でロケ地となった。主人公の希和子が逃亡する直前に港で捕まり、そのとき彼女が発した言葉が物語のクライマックスにもなっている。

 切り立った崖のつづく東海岸を車で走る。かつて、このあたりは島内でも船で行き来していたようだ。途中、海に面した小さな集落の前で車を停める。ゲートボール場の一角で、おばあさんたちが談笑している。ゆったりと違う時間が流れている。防波堤に1組の家族連れの姿もあるが、連休中にしてはひっそりしている。

 少し行くと、大阪城築城のための石切丁場跡がある。瀬戸内の島々は、古くから花崗岩(御影石)の供給地だった。石を切り出して陸上を運ぶのは大変だが、島であればすぐに海から川へと運搬できる。島々の石は、本土沿岸部の塩田や新田開発の埋め立てに用いられ、のちに国会議事堂や日本銀行本店本館など日本の代表的な近代建築でも使われてきた。香川の庵治、広島の榎波、山口の大島、大津島とならび、小豆島も多くの石工を世に送り出している。

 福田港の駐車場に着くと、すぐにフェリーの係の人がやってきた。
 「姫路行きですか?」
 「あ、いや、あのお店に・・・・・・」
 苦しまぎれに、目の前にあった食堂を指さす。
 「じゃあ、あっちの端っこに停めてください」

 あまり観光客は来ないのだろうか。基本は、フェリーの乗客が前提のようだ。なりゆきで食堂に入る。まだ10時過ぎで、先客はひとりだけ。港は、フェリーのターミナルも新しく建て替えられ、ドラマで観た雰囲気はあまり感じられない。醤油の醸造所が並ぶ坂手港や草壁港の周辺は、観光客がぞろぞろと歩いていたが、こちらはひっそりとしている。原作の小説が10年前、ドラマは5年前のことだ。食堂の壁に貼られた映画のポスターも色あせて見える。

 周囲を歩く。2013年の芸術祭で展示された作品があるようだ。細い路地を抜けると、立派な神社があった。葺田八幡神社。応神天皇巡幸の伝説を残す「小豆島五社」のひとつ。大きなクスノキの濃い緑のなかに社殿が建っている。その凜とした姿がとても美しい。

 神社の横に著名な建築家の作品が設置されていた。大きな二枚の鉄板が貝のように重なり、その間のスペースに人が入れるようになっている。なかをのぞくと、スリッパが脱ぎ捨てられ、落ち葉が降り積っていた。

 隣に2009年に廃校になった福田小学校がある。そこも芸術祭でアートスペースに改装されたようだが、扉は施錠されていた。校庭に出て見渡すと、中国の山水画にあるような山々が周囲に連なる。静かな校庭では、高松から帰省したという姉妹がブランコに乗っている。かつての小学生たちは、こんな荘厳な景色のなかで遊んできたのか。ため息がもれる。

 神社に戻り、境内に入る。隅々まできれいに掃き清められている。たぶん集落の人が、定期的に掃除しているのだろう。落ち葉をかぶったままのアート作品とは、何が違うのだろうか。どちらが「芸術」なのか。名もなき人びとによって守り継がれてきた神社。その威風堂々とした佇まいからは、人びとの思いを集め、生きられてきた空間の重みが、肌を通してひしひしと伝わってくる。芸術とは、「ある」ものではなく、「なる」ものなのかもしれない。

 肥土山に行くには、もと来た道を戻って、島の南側をぐるっと回らなければならない。途中、観光スポットの「道の駅・小豆島オリーブ公園」に寄ってみる。駐車場に入りきれない車がずらりと並ぶ。土産物売り場は、人とすれ違うのも難しいほどの混雑ぶり。ここに人がいたのか。試食品のオリーブ・チョコレートをつまんで、外に出た。

葺田八幡神社


(つづく)


参考文献
岡山民俗学会・香川民俗学会編 1970『小豆島の民俗』
宮本常一 1984『著作集29 中国風土記』(未来社)

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松村圭一郎まつむら・けいいちろう

1975年、熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークをしてきた。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。2015年4月から岡山で暮らしはじめる。

2017年9月、「みんなのミシマガジン」での連載「<構築>人類学入門」をもとに大幅に書き下ろした、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)が刊行。

岡山大学文学部松村研究室

うしろめたさの人類学

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