セトウチを行く

第2回 「美」のありかを探しに 小豆島2

2015.10.14更新

 どうも雲行きがあやしい。予報では夜から雨だった。農村歌舞伎の開演までもつだろうか。どんよりした鉛色の空のなか、不安な気持ちで車を走らせる。

 小豆島では、現在、中山と肥土山の2つの集落で農村歌舞伎が上演されている。とくに中山の農村歌舞伎は、2014年に東京公演を行うなど、全国的にも知られる。中山が10月、肥土山が5月の開催だ。

 かつて小豆島には20をこえる歌舞伎舞台があった。現存するもっとも古い脚本は、文化文政期(1804〜1829年)のもの。幕末から明治にかけて、島中で盛んに上演されていた。弘化年間(1844〜1847年)には、大阪から片岡龍蔵という人が振付指導で来島していた記録が残っている。昭和40年代には、岡山からも指導者を呼んでいたようだ。
 
 小豆島の農村歌舞伎は、神社の祭礼である奉納芝居として行われてきた。昔は山頂に道具一式を運び、雨乞いの儀礼として、仮名手本忠臣蔵の五段目など、雨のたくさん降る場面が演じらることもあったという。備前や播磨などから一座を呼んで、芝居を楽しむこともあった。

 明治末からしだいに廃れはじめ、歌舞伎舞台も失われていった(旧吉田集落の歌舞伎舞台は、大阪・豊中市の日本民家集落博物館に移築されている)。中山と肥土山の農村歌舞伎だけが、集落の人びとの手で守り継がれてきたのだ。  

 歌舞伎が始まるまで、1時間ほどある。GWなので観光客が押し寄せているかも、と思って早めに来た。集落につづく狭い側道に入る。大渋滞かと思いきや、行き交う車もない(イベントがあると人で溢れかえる東京の感覚が抜けていないのかもしれない・・・)。

 観光客向けの駐車場になっている旧大鐸(おおぬで)小学校のグランドへと向かう。この小学校も2005年に閉校になり、渕崎小学校に統合された。その渕崎小学校も今年3月で閉校になった。「知識」として知ってはいたものの、地方を回ると、小学校の統廃合がものすごい勢いで進んでいることを肌身で感じる。住民総出の運動会など、人びとが集う拠点となってきた小学校が失われるのは、地域にとっても大きな曲がり角になる。

 小豆島も、他の瀬戸内の島々と同様、人口の高齢化と減少が続いている。小豆郡の2町(土庄町と小豆島町)では、過去5年間、年平均480人ほどのペースで人口が減少してきた。高齢者の割合も、3分の1を超える。ただし、ここ数年は毎年200人ほどの移住者の流入もあるそうだ。「過疎化」や「人口減少」だけでは語れない動きも、小豆島では起きている。

 学校の入り口には、蛍光色のチョッキを着て、赤いキャップをかぶった整理係のおじさんが手持ちぶさたな様子で立っている。車が近づくと、驚いた顔をして運転席をのぞく。

「歌舞伎、観に来たの?まだ、だいぶ時間あるよ・・・」
「あ、そうですね・・・。大丈夫です。散歩でもしてます・・・」

 広い駐車場に一番乗りだった。「ま、このあたりに停めといて」と言われて、駐車。ベビーカーを下ろして、寝てしまった下の娘を乗せる。

「雨が降っても、やるんですよね?」
「最初からずっと降ってたら、別の場所でできたんやけど、途中からだと、そのままやるしかなかろー。やるほうはええけど、観る方は、屋根ないし、たいへんやね」
 
 そう言うと、渋い顔をして空を眺める。みんな天気が心配のようだ。

 ゆっくり八幡神社までの畦道を歩く。緩やかな坂道。上の娘はカエルをつかまえようと、両側の田んぼを順番にのぞき込む。湿気を含んだ風が棚田の上をすっと吹き渡る。植えられたばかりの青々とした稲の苗が小さく揺れる。近くの集落の人だろうか。腰の曲がったお婆さんがゆっくりとした足取りで神社に向かっている。小学校のほうを振り返る。少しずつ観光客も歩いてくる姿が見える。

 神社の入り口には、大きな幟が立てられ、境内をぐるりと色とりどりの提灯が囲む。5年ぶりの肥土山の歌舞伎舞台との再会。瓦葺の上に茅葺がのった二層の屋根は、独特の趣きがある。明治33年に5度目の改築をしたそうだ。前に訪ねたときは、ひっそりとしていた境内も、露店が出て、準備の人たちが行き交い、活気に溢れている。小中学生くらいの子どもたちも、おしゃれをして、どこかうきうきしている様子。テレビの取材クルーの姿もある。
 
 舞台の前の地面にずらりと敷かれたゴザは、集落の人が観覧する場所のようだ。どこに座ろうかと迷っていると、赤い法被姿の係の人に「これ余ったから、使っていいよ」と、1つのゴザをいただく。脇の桜の木の下に敷いて荷物を置く。八幡神社に参拝。ぐるっと舞台袖に回ると、エプロン姿の裏方の女性たちが談笑している。若い女性の姿もあった。楽屋になっている小屋のなかでは、化粧をした子どもたちが髪を結い、衣装の準備を始めている。ちょっと緊張した様子がかわいらしい。

 開演10分前。空からぽつぽつと雨が落ちてくる。「雨が降ってきましたので、もう始めます」とのアナウンス。幕があく。第一幕は、二人の男性が対になって舞う「三番叟(さんばそう)」。五穀豊穣を祈る舞いだ。きりっとした表情を強調した化粧と、色鮮やかな衣装が美しい。客席では、人びとがじっと舞台を見つめる。ときおり雨脚が強まる。観客たちは傘を差して見守り続ける。

 第二幕は、子どもたちが踊る「てるてる坊主」。その場のみんなの願いが込められたような演目だ。うちの娘たちも、お姉ちゃん二人の踊りを食い入るように見る。客席からは、盛んに拍手が飛び、笑顔がこぼれる。幕間には、重箱のお弁当を手にした地元の人たちが挨拶を交わしている。連休で帰省中の人も集まってきているようだ。あくまで地域の催しなのがわかる。

 つねに観光客がたくさん来るイベントや施設だけが注目される。話題性の高さや著名な芸術家などの名前に釣られ、「目新しさ」の消費を求める人がどっと押し寄せる。瀬戸内芸術祭で小豆島を訪れた自分も、そのひとりだった。ただ、そこで気づかされたのは、島にもともとあった素朴な「美」のあり方だったように思う(芸術祭の主催者の意図もそこにあるのだろう)。奇をてらうことなく、同じように繰り返されてきた人間の営みには、代えのきかない、ぬくもりのある美しさが宿っている。

 農村歌舞伎にかける肥土山の人びとの思い。その思いに、上演を楽しみにする地域の人びとの思いが重なる。洗練された「芸術」ではないかもしれない。でも、客席と舞台とか和やかに一体となり、胸にじんわりと何かが込み上げてくるような、あたたかい舞台だった。「かたち」がないからこそ、人びとが時間をかけて稽古を重ね、丁寧に準備をしなければ、続いていかない。数年途切れれば、再開も難しい。それは、歌舞伎舞台の建物を維持する以上に、奇跡的なことだ。人びとの思いが織りなす、素朴な美の営み。それが肥土山にはあった。

 宿がどこもいっぱいで、その日のうちにフェリーで戻らなければならなかった。日が暮れ始めるなか、後ろ髪を引かれる思いで境内を離れる。静かな棚田に、しとしとと雨が降り続く。遠くで、わぁっとあがった歓声が、薄墨のような宵の空にとけていく。

農村歌舞伎を見つめる人びと


参考文献・資料
岡山民俗学会・香川民俗学会編 1970『小豆島の民俗』(農村歌舞伎の歴史)
小豆島町土庄町のHP(人口データ)
 
オススメHP
「小豆島日記」/COLOCL(コロカル)
筆者愛読のウェブ連載。肥土山に移住し、農業やカフェを営む一家の島暮らしが美しい写真とともに描かれる。父娘も参加した農村歌舞伎の準備や当日の様子も詳しい。 

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松村圭一郎まつむら・けいいちろう

1975年、熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークをしてきた。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。2015年4月から岡山で暮らしはじめる。

2017年9月、「みんなのミシマガジン」での連載「<構築>人類学入門」をもとに大幅に書き下ろした、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)が刊行。

岡山大学文学部松村研究室

うしろめたさの人類学

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