セトウチを行く

第5回 セトウチとエチオピア

2016.01.25更新

 年末年始、エチオピアを訪れた。1年4ヵ月ぶりだ。セトウチを歩くときと、まるで身体の反応が違う。その違和感を新鮮に感じる。何が違うのだろうか。

 ドバイ経由でエチオピアに向かう。アラビア半島から紅海へと抜ける。きらきら輝くディープ・ブルーの海を渡り終え、アフリカ大陸に達する。一転、どこかの惑星の地表を思わせる赤茶けた大地が姿をあらわす。地球内部から突き出たような黒ずんだ岩盤が露呈し、その周囲をくねくねと曲がりくねった枯れ川が走る。激しい風雨に侵食されるがままの大地。こんなところに人が住めるのか、と思えてしまう。まさに「むきだし」の自然だ。

 よく目を凝らすと、所々、ぽつんと家畜囲いが見える。枯れ川沿いに、猫が爪で引っ掻いたような無数の線も見えてくる。短い雨期に氾濫原を耕作した跡だろう。エチオピアに入り、高度が高まるにつれて緑が増え、今度は山の斜面が隙間なく畑で覆われはじめる。びっしりと不揃いの多角形がひしめき合う。「むきだし」の自然にしがみつくかのような人間の営みがある。

 自然だけではない。エチオピアでは、人も「むきだし」だ。田舎町を歩くと、子どもたちが「ファレンジ!(外人!)」と声を上げながら、追いかけてくる。ひとりの子が面白い呼び方を発明して、「ファレンジトゥ!ファレンジトゥ!(外人ちゃん!外人ちゃん!)」と呼びはじめる。と、周囲の子も一斉に合唱して、はしゃぎまわる。視界に入ってきた異質な存在に、何か呼びかけずにはおられないかのようだ。

 エチオピアは古いキリスト教王朝の歴史を持つ国だ。イスラームも、かなり初期の段階でアラビア半島から伝わっている。そのキリスト教とイスラームの勢力がせめぎ合い、互いの領域を侵略しあった時代もあった。でも、田舎の暮らしにふれていると、ほんの薄皮1枚めくっただけで、数千年も同じように続いてきた人間の営みを感じる瞬間がある。  

 それに比べて、セトウチは幾重もの変遷のヴェールに覆われている。自然のうえに、いくつもの権力が絡んだ複雑な歴史が混じり合い、重なり合い、一筋縄ではとらえられない感覚がある。目の前に見えているものが、ほんとうにその姿のまま続いてきたとは思えない。

 瀬戸内海についての文献を探すと、古代から中世に遡る歴史にねざした独特の風土を描く本がたくさんみつかる。たしかにセトウチを歩いていると、歴史の深度の深さに驚かされることが多い。でも、それだけではない。日本の近現代史に至るまで、その姿は何度も変化の波に晒されてきた。

 前回の赤穂の秋祭りだってそうだ。かならずしも、古くからの伝統がそのまま継承されているわけではない。いっけん古そうな文化も、あたらしい社会のあり方の上に成り立っている。赤穂市は、関西圏の西端にある工業地帯の一角を占める。人口5万人弱の小規模な都市にもかかわらず、かつて塩田だった埋め立て地には、関西電力、三菱電機、住友セメント、アースといった有名企業の発電所や工場が立ち並ぶ。つねにいくつもの巨大な煙突からもくもくと煙があがっている。

 妻の同級生も、赤穂を離れず、地元で結婚したり、働いたりしている人が少なくないそうだ。訪れるたびに、田んぼだった土地が次つぎと若い世帯の入居する新築一戸建てに変わっている。あの「祭り」も、それを支える人びとの生活も、セトウチが歴史的に背負わされてきた日本の近代産業拠点という役割と切り離せない。

 アートの島として一躍有名になった香川県の直島も同じだ。アート展示や美術館のある集落からはほとんど見えないが、直島の北端には、日本最大規模の銅や金の精錬所がある。1917(大正6)年に三菱の中央精錬所として創設され、今日まで近代日本の重工業を支える重要拠点であり続けている。国際芸術祭の舞台となったセトウチの島々は、かならずしも辺鄙な離島などではないのだ。

 それにしても、ひさしぶりの首都アジスアベバは刺激に溢れている。裕福な者と貧しい者は、一目でわかる。障害者や病人が路上のあちこちで、その身を晒して物乞いをする。その横を日本でもめったに見ない高級車が走り抜ける。

 歩行者信号のほとんどない道路を渡るには、走ってくる車が減速してくれるのを祈って、車の前に身を投げ出すか、その車めがけて歩き出し、ぎりぎり後ろをかすめるように通り抜けるしかない。交通量の多い高速道路でも横断する感覚だ。渡り終えるたびに「生命」のはかなさが身にしみる。

 田舎の村では、「むきだしの自然」の意味を痛感させられる。それは「エコ」とか、「グリーン」といったイメージとは対極にあるものだ。

 自然が豊かだからこそ、人間にとって不都合な感染症や獣害なども多い。毎朝、まだ暗いうちから集落を囲むコーヒーの森では、コロブスモンキーの「グワァ、グワァ、グワァ」という低い唸り声がこだまする。両翼を伸ばすと1メートルはありそうなエチオピア固有のオオハシガラスの群れが、大きな羽音を響かせながらアボカドの木に舞い降り、ついたばかりの青い実をついばむ。人家がグンタイアリの行進する道にかかれば、人間のほうが避難しなければならない。

 夜中は、ノミや南京虫に悩まされる。とくに南京虫は、寝ているときに手の指などを咬まれると激痛が走る。飛び起きて、あの赤くて平べったい憎たらしい虫がみつかるまでシーツをひっくり返し、毛布をめくる闘いがつづく。

 今回は、スナノミというダニの一種に、足の指に3個の卵を生みつけられた。指先がむず痒いと思って見ると、皮膚の下に白い膿のような卵がある。その先にポツンと茶色い点が見える。針で皮膚の表面に穴をあけ、両手の親指で押し出す。むくむと1ミリほどの小さな卵が出てくる。毎度のことながら、この卵の摘出作業は、じつにテンションが下がる。痛み以上に、虫に自分の身体が侵食されることに腹の底から嫌悪感が沸いてくる。

 人間が自然を利用するばかりでなく、虫や動物が人間を生存のために利用する。このあたりまえのことが、日本の都市的な環境では、幾重にも整備された「システム」に覆い隠されてしまう。自然も、そして人間自身も、人間がすべてコントロール可能だという錯覚が日常化する。震災でその「システム」の薄っぺらさを思い知らされたことも、あっという間に忘却される。

 エチオピアで日本のことを考え、日本に帰ってからエチオピアのことを思い返す。これまで何度も繰り返してきた。この視点の転換の先に、何が見えてくるのか。分厚いヴェールで覆われた向こう側にある何かを身体で感じとるために、またセトウチを歩いていこう。

エチオピア北部ウォッロの山岳地帯


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松村圭一郎まつむら・けいいちろう

1975年、熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークをしてきた。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。2015年4月から岡山で暮らしはじめる。

2017年9月、「みんなのミシマガジン」での連載「<構築>人類学入門」をもとに大幅に書き下ろした、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)が刊行。

岡山大学文学部松村研究室

うしろめたさの人類学

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