仕事で少し傷ついた夜に

最終回 "何のために""誰のために"働いていますか?

2013.09.27更新

 仕事がつまらない。
 会社に行きたくない。
 どうせ自分なんて必要とされてない。。。

 昨日まで特段大きな問題もなく、むしろやる気満々で楽しくやれていた仕事なのに、あるきっかけひとつで冒頭のような"負のスパイラル"へと移行してしまうことが、40歳を過ぎた今でもあります。若い頃に比べれば、これでもずいぶん安定した方なのですが(苦笑)。

 不のスパイラルからの脱出法については、これまでもこの連載でいくつか事例を示してきましたが、最終回となる今回は「僕が現時点で辿りついた最強の方法」について書いてみたいと思います(あくまで"僕"が"現時点"で辿りついた方法論なので、誰にでも有効なのか/本当に最強なのか/これ以上の方法論はないのか、については何の検証もできておりませんのでご注意ください)。

 結論から言います。
僕の最強の脱出法は、
「自分の中にキレイゴトを持つ」
です。

 キレイゴトというと、「うわべだけ」「体裁だけがよい」「無責任」「ウソつき」などのよくないイメージの言葉に思われる方もいらっしゃるでしょうが、僕はそのネガティブなイメージも含めてこの言葉を肯定的に捉えたいと思っています。どういうことか、少し説明します。

■会社にもある「キレイゴト」

 あなたは、あなたの会社の経営理念や信条やビジョンやありたい姿を、見たり読んだりしたことはありますか? ホームページの会社概要をクリックすれば、一番上に置かれている場合が多いので、ぜひご覧になってください。そこには創業者や経営陣が頭を悩ませて選んだ言葉が並んでいることでしょう。英語だったり、キャッチコピーだったり、教訓だったり、宣誓文だったり。形態はさまざまありますが、これらは「キレイゴト」だけれども非常に力のこもった言葉になっているはずです。

ちなみにリクルートホールディングスでは

≫ミッション(目指す姿)
私たちは、新しい価値の創造を通じ、社会からの期待に応え、一人ひとりが輝く豊かな世界の実現を目指す。
≫ウェイ(大切にする考え方)
・新しい価値の創造 ・社会への貢献 ・個の尊重

と記されています。別にリクルートの経営理念がすばらしい、と言いたいわけではありません。こういった「キレイゴト」が企業経営の推進のためにはなくてはならない、その一事例として見ていただければ結構です。では、「キレイゴト」は誰のためにあるのか。従業員でしょうか。従業員は単なる「キレイゴト」が並んでいるだけでしょ、と感じている人がほとんどだと思います。「キレイゴト」が必要なのは、経営ボードや上位役職の責任範囲が大きな人です。彼らが自分自身を律するために、経営理念はあるのです。

 会社として「目指す姿」や「大切にする考え方」をわざわざ記さなくてはならないのは、人間ひとりひとりの信条は基本的にバラバラで、かつそのときどきによって都合よく変わってしまうものだから。僕は、人間は基本"面倒臭がりや"で、できるだけ楽な方向へ、できるだけ自分の責任を回避するように、放っておいたら進んでしまうと思っています。会社の経営トップや上層部も同じ人間ですから、そういった弱い一面は必ず持っています。しかし経営トップのちょっとした心の弱さが仇となって、誤った判断をされてしまったら。それは単なるいち従業員の誤った判断とはケタ違いの悪影響を、会社に、社会に及ぼしてしまうでしょう。責任範囲が大きい人ほど、日々の意思決定の度に弱い自分の一面と向き合わなくてはならず、その度に自分自身を律する必要があります。そのとき「キレイゴト」は、それこそ宗教の経典のように、意味を持ってくるのです。

 また、基本的に会社というのは、自ら掲げた「キレイゴト」を実現するために本気でコミットして取り組む集団である、と言えます。であれば、社会的影響力の大きい会社ほど「キレイゴト」は、誰から見ても、どこから見ても、一点も隙のないものであることが望ましい。自ら掲げた美しすぎるほどの「キレイゴト」によって会社が浄化されていく―――そんな作用をもたらすレベルの言語化ができれば、その会社はエクセレントカンパニーとなっていけるでしょう。

■個人にとっての「キレイゴト」

 会社には「キレイゴト」が必要ですし、実際、多くの企業には経営理念や信条やビジョンやありたい姿といったものが掲げられています。先ほどは、経営トップになればなるほど自分を律するために「キレイゴト」が必要と書きましたが、それ以外にも会社として目指すべきゴールを明らかにすることで、組織や集団を統率しやすくなる効果もあります。では、個人にとっての「キレイゴト」は必要ないのでしょうか。

 僕自身を例として言えば、チームや組織のリーダーとして会話するときには、何かしらかの理念やビジョンを作ってメンバーへ語ることをしてきました。フリーマガジン『R25』の編集長時代であれば「R25とは"第二の成人"を迎えるための教科書である」ですし、ゆこゆこ経営企画室長のときは「Excellence is a thousand details~卓越は千の細部からなる」でした。そういった理念やビジョンは、リーダーとしての自分にとって拠り所となりましたし、組織の全体会議などのときに繰り返し語ることでメンバーにも浸透していきました。なので、リーダーの"役割"を演じるために「キレイゴト」を自然と活用してきたわけですが、僕個人としての「キレイゴト」はなかなか持てずにいました。いや、持とうとして「キレイゴト」は作ってはいたものの、それこそ自分自身を律するほどの効果が発揮できるほどの言葉に昇華できていなかった、というのが正しいかもしれません。

「若者の気持ちが最もよくわかる編集者でありたい」
「世の中の既得権益を打破するような仕事をしたい」
「オープン&フェアネスな社会の実現」
「知ったかぶりをしない。好奇心を忘れない」
「"知っている"と"知らない"の間にある"あいまいさ"に焦点をあて、"知ったかぶりをしない"精神であらゆる事象の本質に迫りたい」
などなど、たくさんの「キレイゴト」を並べてはみたんです。それぞれの言葉は別に悪くないと思うのですが、どうも個人としてしっくりこない。あるとき、これらの言葉を個人が働くうえで拠り所となる「キレイゴト」にするために、2つの視点が欠けていることに気がつきました。

一つは「何のために働くのか」。
もう一つは「誰のために働くのか」。

 別に僕がいまさらドヤ顔で語る必要がないほど、誰もが知っている視点だとは思いますが、40歳を越えてなお、いまだにこの2つを明確に答えることが難しいと感じている自分がいることを認めざるを得ません。さてあなたなら、どう答えますか?

「何のため」―――生活のため、お金のため、美味しいものを食べるため、好きな時間を楽しむため、安心安全な暮らしを維持するため、などなど

「誰のため」―――自分のため、家族のため、子供のため、大切な友人のため、恋人のため、お客様のため、地域の人々のため、などなど

 僕個人の最も正直な答えは、「生活のために、家族のために、お金を稼ぐ手段として働いている」になります。正直すぎて身も蓋もないですよね。ウソ、偽りはないかもしれませんが、自分自身を律したり奮い立たせるというより、あきらめや諦念をもたらす言葉です。不のスパイラルに入ったときに心の拠りどころにすると、さらにネガティブになってしまいそうな。。。

 「生活のために、家族のために、お金を稼ぐ手段として働いている」という自分を否定するつもりはありません。しかし、年を重ねれば重ねるほど、自分が及ぼす影響や責任の範囲は大きくなっていきますし、残念なことに解決すべき課題の難易度も上がっていきます。
 むしろその状況を楽しむためには、目指すべきゴールとして、美しすぎるくらいの「キレイゴト」が自分の中にあった方がいい。そんな風に、40歳を過ぎて思えるようになりました。

日本の社会課題に真正面から向き合って、日本の未来を作る仕事をする。
そして、ひとりでも多くの人から「ありがとう」の声をいただき、それを推進力とする。

 これが、今、現時点での僕の中にある「キレイゴト」になります。苦しいとき、悩んだとき、自分が無力に感じたとき、この言葉を拠りどころにすれば前に進んでいけるのではないかと、そう感じています。そもそも不のスパイラルに陥ってしまうときは、普段気にならないような細かな近視眼的なことに目がいってしまうことが、僕の場合は多いです。つまり視野が極端に狭くなっている。「キレイゴト」をゴールに据えることで、視野を広く高く長く持つことができるのです。

 キレイゴトだけで人は生きてはいけません。でも、キレイゴトがなくても人は生きてはいけない。目指すべきゴールが高いからこそ、頑張れる耐えられることがあるのも事実です。
そう僕は思っています。あなたも、自分の中の「キレイゴト」、ぜひ考えてみてください。

 ちなみに、岡本太郎氏の名著に『自分の中に毒を持て』というエッセイがあります。そこで岡本太郎氏は常識や形式に囚われて自ら判断軸を持とうとしない人に警笛を鳴らしています。卑屈にならず、ありのままの自分で勝負しろ!―――そんなメッセージがページの隅々に埋め込まれていて、僕も過去に何度も勇気づけられました。僕は、岡本太郎氏は自らの「キレイゴト」を"毒"と表現したのだと解釈しています。興味のある方は、ぜひご一読をお勧めいたします。


 さて、11回にわたって、「仕事と向き合う方法」について僕自身の体験談を交えながら書いてきたこの連載も終了です。「ああ、あのときああしておけばよかったのに」と感じたことがベースになっているので、この人はなんて小さい人間なんだろうと、読みながら思われたことでしょう。なるべく恰好つけずに、ありのままを書いたつもりではありますが、僕を知っている人は"自分を美化・正当化している"と映ったかもしれませんし、知らない人は"編集という特殊な世界の話でわかりにくい"と感じたかもしれません。それは、ひとえに自分の文章能力のなさにつきます。つたない文章で申し訳ありませんでした。それでも、ほんの少しでも、仕事で少し傷ついてしまったとき、その不のスパイラルからの脱出にこの原稿が役立ったのであれば、本当に心から嬉しいです。そんな方がひとりでもいらっしゃることを祈って、筆を置きたいと思います。
ご支援、ありがとうございました。

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藤井大輔(ふじい・だいすけ)

1973年 富山県生まれ。1995年 株式会社リクルート入社。

以来、編集・メディア設計職に従事し、主に『ゼクシィ』『ABROAD』『ダ・ヴィンチ』『住宅情報』『都心に住む』等に携わる。

2003年9月『R25』を立ち上げ、編集コンセプト・ネーミング・コンテンツラインナップを立案する。2005年4月『R25』編集長に就任。2012年3月まで『R25』フリーマガジン・デジタルメディア戦略担当。

現在はシニア向け温泉予約サービス『ゆこゆこ』の経営企画室長。著書に『R25のつくりかた』(日本経済新聞出版社)。

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