今月の特集1

『上を向いてアルコール』発刊直前、ひと足先に一部ご紹介!!(3)

2018.02.20更新

 一昨日から、今月26日に発売となる小田嶋隆著『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』を先出しでご紹介しているこの特集。
 最終日の今日は、本書のために小田嶋さんが書き下ろした「短編 ヨシュア君のこと」、後編でお届けします。
昨日の前編をまだお読みでない方は、ぜひ前編からどうぞ。



短編 ヨシュア君のこと(後編)

 次にヨシュア君の顔を見たのは、二カ月後で、私自身、久しぶりにAAに出席してみたタイミングだった。
 私の顔を覚えているのかどうか、彼の態度からはよくわからなかった。
 その日、彼は、自分が起こした交通事故の話を披露していた。二年前に酔っ払ってバイクを走らせていたとき、塾帰りの小学生を「ひっかけて」しまったのだそうで、その小学生は、「三メートルぐらい」飛んで行った、という、そんな内容の話だった。
 気になったのは、その話をしている間中、ヨシュア君が「ハイ」だったことだ。
「もしかして、飲んでるのか?」
 と、はじめはちょっとそう思ったが、どうやら酒ではない。この場所に来ている人間は、誰であれアルコールのにおいには特別に敏感な人間だ。飲んでやってきている人間に気づかないことは考えにくい。私も、アルコール臭は感じなかった。酒は飲んでない。
が、明らかに何かが違う。小学生が「飛んで」行く様子を繰り返すときの態度が、やはりどうかしている。
「でね。人間って、そんなにゴムのボールみたいに飛ぶもんだと思わないでしょ? でも、飛ぶんですよ。子どもは。しかも、こっちはたぶん六〇キロぐらい出てるから。ポーーンって、何かに引っ張られたみたいに空を飛ぶんです。でも、こっちもそのまま走ってるから、一瞬、空を飛ぶ小学生と並走しているわけです。スローモーションみたいに。等速直線運動で」
「でね。こっちはハンドル取られて転倒しないように持ちこたえるのが精一杯で、なんとか半分ぐらいスピンしつつも体勢を立て直して、いまでもどうしてコケなかったのか不思議なんだけど、そのまま走って行ったんですよ。すごいでしょ?」
「......子どもは?」
「知りません」
「......知りませんって、救急車呼ばなかったの?」
「ええ。だから、いまでもときどき思い出しますよ。あのコは、どうしてるんだろうっ
て。まさか死んでないよなあって」
 あきれた話だった。
 内容もさることながら、自分のひき逃げ事件をまるで手柄話を知らせるみたいな調子で話す態度が、どうにも異様だった。
 やがて、誰も質問しなくなった。
 ミーティングの後の帰り道に、顔見知りのスミスというニックネームの中年男性に尋ねてみた。
「あのヨシュアって子、もしかして覚醒剤かなにかをやってるんじゃないでしょうか?」
 そのときのスミス氏の答えがふるっていた。
「断酒中のアルコホリックがクスリに手を出す話はそんなに珍しくないけど、彼の場合は天然だと思います」
「天然?」
「ははは。クスリ抜きでも狂えるってことですよ」
「そんなことあるんですかね?」
「私はそう思います。彼はホンモノですよ」
 以来、ヨシュア君の姿を見たことは一度もない。
 噂は一度だけ聞いた。
 半年ほど経ったころ、最後にミーティングに顔を出したときのことだ。
 そのとき、私は最初にAAのあれこれについて親切に教えてくれた年かさのメンバーであるマーティン氏に無沙汰をわびつつ、何人かの知り合いの近況を尋ねた。
「お知り合いの中では、スミスさんとエリックさんがスリップして、スミスさんは入院中です。あとご存じかどうか、スティーブさんが五回目のスリップです。二年ぶり五回目です。甲子園みたいですよね」
「ヨシュア君は?」
「彼のことが気になりますか?」
「ええ。なんか心配ですよね。彼は」
「ご存じだと思いますが、ヨシュア君は、根っからのウソつきです。彼の話は、ほとんどすべて、告白も来歴も家族構成も学歴も事故も就職も一から一〇までうそだらけです」
「まあ、そんな気はしてましたが」
「私は彼がアルコホリックであるのかどうかさえも少し疑っています」
「......え?」
「ヨシュア君がここに通っていたのは、誰かに自分のウソを聞いてほしかったからです。ここのメンバーは誰の話でも口をはさまずに聞きますから」
「......そうですね」
「あなたは、いつか変な質問をしていましたよね。ここのマナーでは、反論とか議論とか詰問は基本的にはあんまりしないことになっています。私はひやひやしていましたよ」
「......そうでしたか。で、ヨシュア君の近況をご存じありませんか?」
「知りません。ただ、新聞記事には注意しておくとよいかもしれません」
「どういうことですか?」
「そんな気がするだけです。忘れてください」
それから三年ほどが経過したある夏の日、私は、夕方のテレビのニュース映像の中でヨシュア君に再会する。埼玉県のK市で起きた殺人未遂事件の容疑者のプロフィール写真が彼だった。
 写真そのものは、おそらく高校の卒業アルバムからの接写モノで、短髪に白いシャツの幼い顔立ちの白黒写真だった。が、解像度の低い画面の中からこちらを睨み据えている不必要にまっすぐな視線は、どう見てもあのヨシュア君の表情だった。
 彼がどうしてアルコール依存に陥っていたのかは、いまとなってはわからない。
 あるいは、マーティン氏が言っていたとおりに、彼はアルコールとは無縁な人間だったのかもしれない。
 が、そうではあっても、ヨシュア君は、断酒過程のアルコホリックの中にまぎれこむことである種の安心感を得るタイプの人間ではあったわけで、そのことと、彼の犯罪の関係について考えるとちょっといやな気持ちになる。
 あれから二〇年になる。
 ヨシュア君は、生きていれば四五歳になるはずだ。
 そう思ってもイメージがわかない。
 私は、彼に生きていてほしいと思っているのだろうか。
 それがまるでわからない。
 私にとってもだが、彼自身にとっても。


この短編を読むことで、本書での小田嶋さんの語りがより身にしみてくる、「ヨシュア君のこと」はそんな存在です。アルコールのかぎらず、何かに依存している自分に薄々気づいている、そんなたくさんの方々に、ぜひ手にとっていただきたい一冊です。

   

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