今月の特集1

 こんにちは。『インタビュー』を記した木村俊介と申します。つい3日前、7月23日(日)の朝日新聞の読書欄でこの『インタビュー』を評していただいたように、本当にじわりじわりと深く読みこんでもらっているプロセスをうれしく感じています。昨日に引き続き、この欄をお借りして、山田ズーニーさんとのトークイベントの内容をお伝えしていきます。全4回ですから、今日からが後半です。なかなか濃いめの、そして割と長めの対話が続いていると思われるかもしれませんが、実は、会場にいらしてくださった人たちならおわかりのように、ここで交わされた言葉の何倍もの量のやりとりがじわっと続いた時間でもありました。まとめる方針を立てるにあたっては、あの時間のすべてをまるごとお届けしたい、という気持ちもなくはなかったのです。ただ、考えるうちに、いらしてくださった人とのノイズも含めた生の空気感は、今回はいったん「あの時だけのもの」と捉えて、書き言葉で、伝えることにまつわる箇所を採りあげていこう、という結論に至りました。もちろん、木村の生業での技術を活かし、丁寧にまとめてみたものです。ぜひ、じっくりお読みください。

(構成・木村俊介)

山田ズーニー・木村俊介トークイベント(3)「想いに沿った道を行かなければ」

2017.07.26更新

山田TEDの仕事をやる前には「途中で言葉が詰まって噛もうが、暴言を吐こうが、変なことを言ってしまおうが、何をしても、スピーチはかならずインターネットにそのままアップします」というような説明を受けるんです。私は大学でプレゼンテーション技法を教えていますから、もしも失敗したら、目も当てられないほどのリスクがあるわけですよね。パフォーマーたちはそれぞれボランティアでアイデアを話すというのがTEDのやり方ですから、報酬もありません。つまり、私にとって目に見えるプラスの何かというのは、とくにない場面なんです。でも、私に声をかけてくれた慶應大学の学生の依頼の仕方や、そこにこめた「想い」がすごく良かったので、直感的に「やろう」と思って引き受けました。

 経緯も、正直に説明してくれました。実は、頼んでいた人とのやりとりが「なし」になってしまい、「やらない」と言われたので、と。他の5人のスピーカーたちは数ヵ月ほど準備の期間があったけれど、ズーニーさんだけは3週間で仕上げてほしい、とも伝えられました。すべての条件にリスクしかなかったんですよね。だから、ほとんどコロシアムに殺されにいくぐらいの気持ちで臨みました......。きっと、恥をかくだろう。でも、ネットも含めて誰かひとりでも「がんばろう」と思ってくれたらいい。そう思って気持ちをつないでいたんです。

木村他の人に比べてすごく短い準備期間だったのですね。あの講演は、本当に「裸足で立っている」みたいな感じで素晴らしかったのですが、準備期間の中では、どういう点が、とくに限界を突破しなければできなかったところでしたか......?

山田本当におかしな話ですけど、いつも、慶應大学で学生にテーマを決めるために使ってもらっているワークシートを、自分で用いてみたんです。家族に頼んで、Skypeを通して口頭でワークシートを進めていった。その中で「私が話すならこのテーマだ」と決まりました。その直後、買い物に出かけた時に感じたことを覚えているのですが、まず、「このテーマしかないだろう」と決まったこと自体がうれしかったんです。そして、「自分がつくってきたワークシートは、やっぱり役に立つんだな」と確信できたことも、うれしくて。

木村今おっしゃったワークシートって、講談社+α文庫に収められた『考えるシート』をはじめ、山田さんの本でも紹介されている、とても大事なプロセスですもんね。

 TEDでの山田さんの言葉は、観ながらこちらも緊張してくるのがいい感じなんですよね。さきほど、山田さんは「原稿の感想によって身を切られる」みたいなことも話されましたが、それって「切られてもいい」と心の準備ができていて、現実に対して開かれていることでもあるように思うんです。だから、無防備なぐらい開かれている人が、いちばん大事にしていることをまっすぐ伝えようとしているTEDでの姿勢に、こちらもすごく良い意味で緊張させられたと言うか......。あの「喋る」という体験はどういうものでしたか?

山田講演の内容については、事前にSkypeで、私を招いてくれた大学4年生の女の子がチェックしてくれるんです。Skypeの前で、何回も話してみるんですね。すると、昨日と同じことを言っているのに、涙ぐんでくれる場合もあれば、もう1つという反応の場合もある......。「この差は何だろう?」と準備していきました。私は人前で講演などをする時も、1回はリハーサルみたいに練習しますが、ここ数年は何度もというほどにはやらなくなっていたんです。でも、TEDの時はやってみましたね。大学生から、いつまでに原稿を上げてほしいと言われたり、こうでないとダメみたいなことも言われたり。......まぁ、大学生に育てられるという、木村さんとの時と同じで、私らしいんですけど。それで何回も、同じことをやっていく中で話の内容を練り上げていくというのは、自分にとって不思議な体験でしたね。

木村あれだけ良いスピーチをされたあとというのは、どんなことを思うものなんですか......?

山田具体的に言葉にはならないんですが、あとでいろんな方が声をかけてくださった時に「あぁ、良かったんだ」「私が伝えようとしたものが伝わったんだな」というのが、やっぱりひたひたと実感されて......。あれって、不思議なものですよね。講演でも文章でも、何でもそうですけど、良い時もダメな時も、実は、成果は自分自身がいちばんよくわかっているんですよね......。

 ダメだった時って苦しいし、良い面も見ようとするから、いろんな建前で言いくるめて自分を納得させようとするけれど、本質的には「ダメだった」とはっきり思っているじゃないですか。TEDの時はその逆で、話す前も後も、「もう、この3週間、出せるものはすべて出しきった」と納得していたので、本当に、他の人からの評価が気にならなかったですね。「伝わった」という感覚だけがあったと言うか。私にとって大きかったのは「あそこでは、とにかく全力を出した」という実感でした。

 ただ、逆に言えば、実はそれまでのしばらくは「全力を出してねぇ」ということだった、という......。自分ではベストを尽くしたとも、ベストを尽くしますとも言ってきたけれども、どこかのところで自己模倣になっていたのかもしれません。自分でも気づいていなかったのですが、「全力」ではやっていなかったんですよね。だからこそ、本当に全力でTEDの講演にぶちあたった時には、何か、見えた風景が違っていて......。

 その後、すぐに、岩手の高校2年生たち240人とワークショップをやったんです。すると、毎年行っているのに、今年は何が起こったかっていうぐらい、17歳の子たちが良い表現をしたんですよね。その次も、ある講演会に行った際、それを聞いていたある商社の人事担当の方がすぐ「私たちの会社で研修をしてほしい」と言ってくださった。やはり「何か」が伝わっているんですよね。新しいものをやっているとかではなく、前も今も、大事なことをしていることには変わりはないのですが、反応がまったく違ったんです。

 TEDで全力を出しきる前までには、どこかのところで、自分で自分に対して負い目があったようにも思います。もっとできるんじゃないか、というのがあった。やってみたら、準備にせよ本番にせよ、全力でやりきることこそが重要だとわかったわけで......。それ以降は、前も大切にしていたつもりのことなんですけど、全力を尽くす自分を、前よりもさらにまずは自分自身が信じられるようになりました。だから、パッと前に出る前まではいろんなことをやっておこう、という姿勢がよりはっきりしたと言うか......。どこか一瞬でも、「はりぼて」に近いようなプロセスを重ねてしまえば、結局、いざという時に自分を信じられなくなってしまうので。

木村山田さんは、常日頃から、多くの学生さんに接しておられます。そういう中で、たとえば最近、痛感することはありますか?

山田今年とくに強く思ったのが、やっぱり、自分の想いに沿った道を歩いている時には、どんなに苦労が多くても、その道を進むことに対してどんなに抵抗を多く抱えても、よそからの評価はかならずしも受けなくても、人間は活き活きとしていられるんだなぁということです。

 逆に言うと、「自分の思いとはぐれてしまった学生」というのも見かけるんですね。それは別に、「自分は本当は絵を描きたいが、親から安定した企業に就職しろと言われる」というような昔ながらの選択をせまられることでもないんです。もっとこう、たとえば、身近な人たちとのちょっとの競争に、躍起になってのめりこんでいくあまり、本当の「想い」がある場所からは、はじめは少しずつ、そのうちどんどん、という感じで、違う道のほうに進んでしまう。ある日、気がついてみたら、自分のいる場所と「想い」のある場所とはかなり違う位置にあるという......。そういう時に、学生は、すうっと学校に行けなくなったりもするようです。私の講義でも、何人かがそういう表現をしていますが、本当に絵に描いたように、原因がそこにあるようなんです。

 ドラマなどフィクションならば、主人公は「あぁ、自分の想いはここにあった......やっと取り戻した!」なんて言うけれど、現実的には、そこまで大幅に離れてしまったら、もともとは自分のものであっても「想い」を取り戻すのには、ものすごく時間がかかるようだ、とも学生の状況を見守っていると感じます。何日や何ヵ月ではなく、人によっては1年や2年もかかるんですね。子どもの頃に、ぐるぐるとそこを徘徊していたような公園に出かけては、自分のことをぼーっと考えてみたり、だとかいう試行錯誤の中で、苦しんで、何年もかかってようやく、自分を取り戻すようなんです。だからこそ、私が、それだけは確信を持って言えるのは「想いに沿った道を行かなきゃダメだ」ということなんです。

 想いに沿った道って、みんなが進むものなんじゃないの、とも思われる人もいるのかもしれません。「人って、そんなにいやな方向に自分から行くものなの?」と。しかし、学生を見ていると、いやいや、そうはいかない、これは難しい話なんだ、とも思うんです。例えば、好きな人から想いをはねつけられたらいちばん困るから、そもそも好きでも何でもないと「嫌いなふり」をする、みたいなものです。人って、本当はここに行きたい、と思っているものを必死で「見ないふり」をするものなんですね。

 本当に好きなものの存在を消そうとしたり、嫌いになろうとしたりさえする。本当に好きな方向に飛びこんで、それを失ってしまったら自分が傷つくので、あらかじめ行こうとしないようなかたちで防御すると言うか。そもそも、自分の本当の想いに気づかないようにしている。だから、ものすごくやっかいで......。

 その「想いに沿った道を行く」というポイントを一点突破で、バーッとぶれずに見つかった子が、それこそ、結果的にもみんなの憧れるようなJリーガーになっていったりするような姿も、学生たちを通して見てきました。本当に大事なのは、もう「想いに沿った道を行く」という、それ「のみ」のような気がしています。「想い」を表現する授業をやっているからそう考えるのかもしれないけれど、そこのところに行き着くように、文章表現に至るまでのプロセスでも、手を替え品を替え、私はいろんなアプローチをしているように思うんです。

     

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