今月の特集1


 今年1月に発売となった『言葉はこうして生き残った』。
 おかげさまで、「こんな本が読みたかった」「360ページ、一気に読んでしまった」等々、たくさんの嬉しい感想をいただいています。

 本書は、中央公論社(現・中央公論新社)で30年、新潮社で6年8ヵ月、編集者として、そうそうたる作家、装丁家、ジャーナリストの方々と仕事をされてきた河野さんが、雑誌「考える人」の編集長としてこの間、毎週綴られてきたメールマガジンから厳選した37本を書籍化したもの。

 『言葉はこうして生き残った』河野通和(ミシマ社)本書の制作や販売、イベント等を通して、河野さんにお目にかかり、お話をうかがう機会は、まだ会社としても若いミシマ社の面々にとって、自分たちが受け継ぎたい出版を知る、豊かな時間となっています。

 そんな河野さんの言葉をみなさまと共有すべく、今月の特集では、1月24日に東京堂書店で行われたイベント、そして2月13日に銀座EDIT TOKYOで行われたイベントで語られた河野さんの言葉を編集し、3日間にわたってお届けします。どうぞお楽しみください。

(構成:星野友里、中谷利明、角智春、写真:池畑索季)

言葉はこうして生き残る(@東京堂書店)

2017.03.08更新


「言葉」そのもののなかに託された役割

河野最新号の『考える人』で「ことばの危機、ことばの未来」というテーマを設けたのは、去年の後半くらいから「言葉」ということをすごく意識せざるを得ない状況が日本でも世界でも生まれてきていると感じたからです。例の「保育園落ちた日本死ね!!!」もそうですが、強烈な挑発の言葉がインパクトを持って伝わっていく。一方で、ヘイトスピーチが問題になり「土人発言」なんてものも飛び出してくる。

 世界を見渡せばイギリスのEU離脱の一連の流れを見ていても、必ずしも正しいことを言っている人の言葉が浸透していくわけではなく、あきらかに事実に反していても強いインパクトを持ち感情に訴える言葉が人々を揺り動かし、そちらに現実の流れを引っ張っていくということが起きています。それが最たるかたちで現れたのが、アメリカ大統領選だったと思います。別にアメリカの国民が愚かだということを言いたいのではなくて、いま「言葉」というもの自体にある種の危機が訪れていると思うんです。「ポスト・トゥルース(ポスト真実)」の政治状況だといわれ、「オルタナティブ・ファクト(もうひとつの真実)」とか「フェイクニュース(偽ニュース)といった流行語がまことしやかに飛びかっているありさまです。ではそれをどうやって克服していくのか。

 結局は、「言葉」そのもののなかに託された役割があるはずで、「ことばの危機」はやはり「言葉」自身が修復していく他ないわけなんです。「こういう言葉に支配されているのはおかしいぞ」と再び言葉によってそれを正していく。そこから新しい流れが出ていくんだろうと思います。

三島はい。

河野ですが、一方で言葉というのは生き物ですから、いまの人たちがおもしろいと思って使っている言葉、いまの我々の感覚にフィットした言葉が生き残っていくんです。それはもう古代からずっとそうだったはずで、どの言葉遣いが正しくて、どれが間違っているという話ではないはずです。世につれ、人につれ、言葉はうつろっていく。規範によって縛られるものでもない。

 言葉のダイナミズム、言葉の「動的平衡」のあり方も興味深いと思ってこの特集を組んだのですが、やはりそういう関心を共有していた方が多かったみたいで、とても反響がありました。


作家の人たちの言葉にすごく期待している

三島『ちゃぶ台vol.2』のなかで、なにもない藪を数年かけて機械をいれずに自力で開墾した農家さんを訪ねた特集があるのですが、農家さんの話を聞いていると、ゼロから耕していって、それこそなんの保証もない、ちゃんと芽を出して野菜になっていくのかわからないという状態で畑を耕す行為と同じことが言葉の世界でもやっぱり求められているんだなということを感じたんです。

 ぼくは同業者よりも農家さんとか、もう一度ゼロからいろんなことをやろうとしている方々からこの数年間励みをもらっていて、自分もそんなふうに出版のフィールドでやっていこうとしているのですが、河野さんはいまの時代、これからの突破口をどう開いていくべきだとお考えでしょうか。

河野私は時代時代にそういう突破口を開く役割を担ってきた人たちが有名無名を問わずたくさんいたと思うんですね。ただ自覚的にそういう役割を担っている一群の人たちがいると思うんです。

 端的に言えばものを書く人たちの言葉(作詞家を含めて)にすごく期待しているところがあります。たとえば、今号の『考える人』にも登場していただいた武田砂鉄さんという若い書き手がいますが、彼は「紋切型」の言葉を茶化しながら、我々の硬直した思考法を解きほぐしている。これもひとつの突破口、関節外しとしてあるんです。

 踊りやスポーツのパフォーマンス、アートの世界が、言葉を超えた、まだ言語化されていない感性の世界を見せてくれる場合もありますよね。それも面白い。


もっと楽しくやればいい

河野最近でいえばアニメ映画で『この世界の片隅に』がすごくヒットしていますよね。あの主人公の浦野すずという少女の個性、それから周りの人たちがそれに応じながら見せていく世界。あれは言葉の力以外のなにものでもないですね。

 あの力と、それによって掘り起こされていく、あるいは発見させられる私たちの奥底にある感受性というのは何だろうと思うわけです。

三島たしかにその通りですよね。

河野私は自分が恵まれていたなと思うのは高校時代に野坂昭如、五木寛之、井上ひさしという3人の、当時としては若くて、個性も作品もフレッシュな人気作家が次々と出てきたことでした。やはり彼らが突き破った言語空間というのは本当に爽快だったんですね。

 当時「うっとうしいなぁ...」と思っていた、お定まりの世界を井上さんは笑いの力で、五木さんは颯爽とジャズと旅の小説を書くことで、野坂さんは饒舌で独特な文体のなかに、人の"原罪"をあぶり出していくような荒業をやってのけたりとか。言葉の冒険をやった人たちが見えやすいところにいたんです。

 私はいまも作家たちへの期待はそのあたりに持っています。私たちが言葉とともに生きている限り、言葉を活性化するプロの役割が消滅するはずはないと思っています。


   

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

バックナンバー