今月の特集1


 ミシマガジンをお読みのみなさん、こんにちは。『インタビュー』という本を記した木村俊介と申します。今日からの4日間は、この「今月の特集」という欄をお借りして、6月27日に青山ブックセンター本店にて開催された、山田ズーニーさん(文章表現インストラクター・作家)とのトークイベントの内容をお伝えしたいと思います。満席の客席からの熱意もあいまって、素敵な時間になりました。言葉で考えを掘り下げる、とでもいう内容を記した『インタビュー』という本の、ある意味では実践篇のようにも読むことができる対話になっているようにも感じています。人に話を聞いたり、言葉の可能性を考えたりすることに興味のある人に、ぜひ、読んでいただきたいなと思います。今回は、書き言葉でのまとめも、木村が担当しています。

(構成・木村俊介)

山田ズーニー・木村俊介トークイベント(1)「ズーニーさんは、読者を馬鹿にしない」

2017.07.24更新

―― ミシマ社代表の、三島邦弘と申します。本日は、お越しいただき、ありがとうございます。ご紹介します。大学などで教鞭を執る文章表現インストラクターであり、「ほぼ日刊イトイ新聞」上で「おとなの小論文教室。」を連載されている作家でもある、山田ズーニーさん。それから、『インタビュー』著者の、木村俊介さんです。

 ズーニーさんが『伝わる・揺さぶる!文章を書く』という本をPHP新書から刊行された際には、ぼくも、実は同じ出版社の編集者として現場の近くにおり、当時から尊敬の念を抱きながら存じておりました。10数年前ですが、その頃から、木村さんのことも知っておりました。木村さんは「ほぼ日」にいて、約7年間、ズーニーさんの担当編集者だったんです。

 おふたりは17年前から、とお付き合いが長いうえに、しかも、今日は10年ぶりにお会いされるのだともうかがっています。そんな経緯もあり、おそらく、お話はつきないだろうとも思いますし、ぼく自身も、おふたりのお話をうかがえることが、本当に楽しみです。約90分間、どうぞよろしくお願いいたします。

木村こんばんは。今日は暑い中にもかかわらず、来ていただき、ありがとうございます。山田ズーニーさんの紹介と言いますか、「山田さんのお仕事を、ぼくはこのような立場で拝見してきた」という内容を、はじめにお伝えしておきますね。

 ぼくは、山田さんが「山田ズーニーさん」という名前で活動をされるはじめの頃に、連載の担当をさせてもらいました。「ほぼ日刊イトイ新聞」の「おとなの小論文教室。」という、今も続いている連載の初期からの7年弱ですね。その後、約10年が経っていますから、もう、ぼくが担当していない時期のほうが長いのですが。

 この連載は、内容の面白さもさることながら、読者から来るメールの量が「ほぼ日」の中でもとても多くて、重い体験をぶつけるような感想もかなりいただくという特徴がある、と担当時から捉えていました。そうしたメールを、多くは山田さんと共有して読み続けてきたために、一緒に過ごしてきたような「身内感覚」があるんですね。

 ぼくが感じていた山田さんの大きな長所のうちの1つには、「読者を馬鹿にしない」ということがあるんです。これは、本当に素晴らしくて......。それは、実は「ほぼ日」というメディアに関わっていた時期に、ぼく自身でもいちばん重視していたことでした。その点を、関わったメディアそのものもまだまだ若かった時期に、山田さんと共有できていた記憶は、宝物のように大事なんです。

 山田さんのその後の大活躍に関しては、ぼくから言うまでもないかもしれません。三島さんからも話題に出た『伝わる・揺さぶる!文章を書く』という良い本にしても、今でも、48刷と版を重ね続けていますからね......。これは、ものすごいことです。さまざまな大学などでの文章講座も大好評ですし、ごくたまに、一般向けの公開講座を立ち上げれば、ウェブで発表したら、公表の約2時間後には満席になる。すぐに1年待ちほどにまでなる......。NHKや各新聞での文章表現にまつわる出演や発言も、そのつど話題を呼んできました。

 ......もっと詳細まで伝えたいのですが、すでに長く紹介し続けているので、みなさんもそろそろ、山田さんの声を聞きたくなっていることでしょう。質問に入りますね。今回のイベントは、『インタビュー』という、ぼくの本の発刊を記念してのものですが、人の声を聞く可能性を掘り下げようとしたぼくの意図を、今日は、山田さんという、人の想いや表現を開こうとされ続けている方にインタビューをすることからも、さらに立体的に伝えていけたら、と思っています。

 では、はじめの質問をしますね。最近の「ほぼ日」のコラムも、毎回面白く拝読していますが、このところの山田さんは、週刊連載に対して、どう向き合っておられますか......?

山田変わらないです。木村さんに育てられた頃と。......今、「育てられた」と言いましたが、木村さんのことを、私は「文章のお母さん」だと思っているんです。私はBenesseの、高校生向けの小論文講座で編集長をしていたのですが、その後、会社を辞めた時は38歳でした。木村さんはその頃、東大の5年生で、23歳だったんです。

 それまで、小論文講座を通して文章表現に携わり続けてはきましたが、自分の表現として文章を書いたことはほとんどないまま、「おとなの小論文教室。」の連載がはじまったんですね。だから、もう「渾身の」と言いますか......初期の頃には、週刊連載の原稿を、毎回もう4日や5日はかけて記していました。その文章を、読者の前に地球でいちばんはじめに読むのが、木村さんで。自分の記したものがいったい何なのか、を受けとめるのが木村さんだったんです。

 その際に返ってくる感想の言葉がすごく良かったら、1週間は夢心地で暮らせるのですが。ただし、感想に含まれる理解力がものすごいというのは、実は「よく切れるナイフ」みたいなもので、なかなかあぶないんです(笑)。だから、木村さんからは、肉親からも友達からも、他に誰からもされたことのないぐらいの深い理解と言うか、「その言葉だけ思い出していても生きていけるな」というほどの理解の言葉をいただいた反面で、私の良い点も悪い点もとても正確に見られるので、「本当に良くない点」というのもそれとなく指摘されていて。これは、剣の達人が急所を秒殺と言うか......。いやいや、もうそこは言わないでくれ、と自分でも防御してきたはずの部分も、ブスッと突かれる(笑)。

 木村さんは、たぶん自覚ないんじゃないかとも思うんですが、そういう突かれ方も、外れていなければそんなにいやなものではないと言うか。「的確に切られるんなら本望だ」みたいな。そういうやりとりを、1週間に1回、7年間、続けてきたわけですよね......。そういう意味で、私の文章の「母親」だと思っています。

 そんなこともあった中で、今回、『インタビュー』という本を読みました。読み終わったあとには「あぁ、良かった」と思って、お茶を取りにいったんです。長い本ですからね、「あぁ、疲れた」とも思って、ベッドに横になった。......そうしたら、そのベッドで横になった瞬間、間髪容れず、本の感動がバーッと押し寄せてきまして。いや、本当にそうだったんです。よく「震える」なんて言いますけれども、その時には、頭のてっぺんから爪先までバーッと、緊張と言うか感動と言うか、読み終わった本についての感慨がせまってきました。

 本は、もちろん言葉で書いてあるんだけれど、そうして受けとったものは......「言葉じゃないもの」です。本当に久しぶりに、スケールの大きなものを受けとったな、という感覚がありました。ひとりの人間の内面にある「宇宙」と言うのか、「時代」と言うのか、そういう大きなものに心底触れられたな、というのが読後感としてありまして。私自身も、日常的にいわば言葉の産婆役として、たとえば大学生なら入学後4年間の積み重ねが活きた表現や、そもそも生まれてからの20年間ちょっとのプロセスが活きた表現を、たくさん受けとめ続けてはきているんです。ただ、そういう中でもなかなか体験したことのないような感動が、こう......全身にものすごく走ったんですね。

 ......すみません、少し長くなっても、ここだけは一気に話してしまいますね。読んでいる時に、「孤独感」とでもいうようなものも感じたんです。孤独のかたちというのは、人によってそれぞれまるで違うものではあるのかもしれません。ただ、例えば「フリーランスで仕事をしていて、ある意味では自由でもあるけれども、ひとりぼっちだよなぁ」とかいう、私自身の孤独のかたちとどこかでぴたりと合うような感触に、この本を読んでいた時にはたくさん触れられました。木村さんと私との共通点は、他にもいろいろあったんです。木村さんは今回の本ならインタビューについて自分で記すし、私なら学生たちや生徒さんに表現をしてもらうわけですけれども、「おたがいに、言葉をとても大事にして、すごく深いところを引きだそうとしている」だとか......。

 そういうわけで、途中までは、木村さんに会ったら、あれもこれも共感しました、と話そうと思って読み進めていたんです。でも、おしまいのほうまで読んでみたら、そうではない気持ちが湧き出てきました。共感よりも何よりも、あぁ、私は、7年間のあのやりとりを通して、この木村俊介さんという人の根本のところだとか、価値観だとかいう遺伝子のようなものを、ものすごく受け取ってきたのだなぁ、と感じるようになって......。

木村あぁ、そんなふうに言っていただいて、うれしいですね......。ぼくも、山田さんとのやりとりから受けとめてきたものがたくさんあると思っていますから。

山田私は、今も同じ連載を続けているわけです。木村さんなきあとも......。

木村(笑)はははは。「なきあと」(笑)。

山田それから今まで、10年ぐらいは、まったくそれぞれの道を歩んできたわけだし、私も、木村さんが担当ではなくなってしまった喪失感にはひたりたくなかったので、その間、自分のほうから、その方向への心のシャッターは閉めていた部分もあったんです。

木村それ、ぼくもそうでした。

山田木村さんのことを、懐かしがったりとかしないように、ですね。なのに、こうして本を通して、今まで閉めておいたフタを開けてみたら......「私の文章の母親の遺伝子は、自分の中に息づいているじゃないか」と言いますか。「私も、木村さんも、おたがいに違う場面で、同じように歩いてきているじゃないか」と思ったんですよね。そして「自分の現在の生き方に、実はかなりの影響を与えた人が、この人で良かったなぁ......」というのが、昨日、時間をかけて読み終えてみての、最大の喜びだったんです。

木村いや、でも、そのお話も光栄で、うれしいなぁ......。今の時間って、そういう「閉じていたフタを開ける」みたいなところがすごくありますよね。ぼくもその感触を噛みしめながら、今日はここに来ました。


    

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

バックナンバー