今月の特集1

 こんにちは。『インタビュー』を記した木村俊介と申します。昨日までの3日間、この欄を読み続けてくださり、ありがとうございます。山田ズーニーさんとのトークイベントのまとめも、いよいよ、今日が最終回です。とはいえ、「あぁ、あっというまに終わってしまったなぁ......」と感じる構成というよりは、昨日までの各回の倍ぐらいにあたる内容を詰めてみての「かなり重みのある対話」みたいなものをお伝えしてゆきますね。前回までの各回も含めて、そのように少し長めにしたのには、意図があります。まだインターネットメディアなんて言葉もなかったような1996年の時期から(木村は19歳でした)ウェブでインタビューを発表したのがキャリアの初期にあたっている自分としては、読み味にまつわる、現時点でのささやかな実験もしておきたかったのです。メディアは、すでにある「型」をずらしながら成長してゆくものだし、今回の対話も、できれば言葉を交わした自分たちならではの「型」を、内容に沿ってささやかに開発してから、お届けできたらいいかな、と試みました。twitterなどで、この全4回のトークイベントへの感想をいただけたら、今後の糧にしていきたいと思います。では、最終回も、どうぞお楽しみください。

(構成・木村俊介)

山田ズーニー・木村俊介トークイベント(4)「考える筋肉を鍛えるためには」

2017.07.27更新

木村山田さんが学生に接しているうえでの実感や発見は、どれも面白いですね。最近、その実感で、何か時代の変化などに気づいたことはありましたか?

山田学生は、ものを記入する速度が格段に速くなりましたね。それが、SNSなどに日頃から親しんでいるからなのか、などはわからないのですが。ともかく、前なら、制限時間が終わっても「待ってください」という声がよく聞こえたものですが、今では時間が余るぐらいなのですよね。中学生も、高校生も、大学生も。

 「......え、もう、できたの?」という時間で終わっている学生のワークシートを確認してみても、本当にできています。年齢に関係のない時代の変化なのかとも推測し、社会人の研修でも確認してみたら、そこでは、まだ「待ってください」がありましたから、若い人たちに特有の変化なのかもしれません。

木村若い人たちから、近年は、どういう文章表現が出てきていると感じていますか?

山田何と言うか「時代の闇」についての指摘みたいな展開はなくなってきたように思います。「自分が今のような悪い状態に陥っているのは、親のせいである」と暴露するような「型」ですね。これが4〜5年前から減ってきたと同時に、今では「私が何かをできないことに関して、親のせいにはしたくない」と正反対の主張をする「型」が出はじめていまして。それは、学生からだけでなく、連載の読者からも同時多発的に出てきている変化と思います。「自立」を意識する人が増えてきているのではないでしょうか......。

木村そのような中で、今、教育の可能性をどう捉えていらっしゃいますか?

山田「表現とは、こういうものだ」と教えることはできますよね。そして、実際に表現のための方法論も、世の中にはきちんと存在している。だから、表現の真髄を理解することは、もしかしたら「誰にでも」できることなのかもしれません。ただ、私のように、実際に記したものを介して学生とやりとりしている立場から言うのならば、特定の学生が「自分の思う通りに言葉で表現できるようになる」ためには、もっとこう、「考える筋肉」のようなものが要ると痛感しているんですよね。

 理解のみでは、表現には辿り着かず、いわば「書き記す習慣」をつける必要がある。だからこそ、私は「文章表現エデュケーター」ではなく、「文章表現インストラクター」と名乗っているのですね。方法論や答えなど、知的な解決を欲しがる生徒さんもいるんですが、むしろ必要なのは、もっと言葉に慣れ親しみ、使いこなす、「書く習慣」なんです。それをしなければ、どんなに知的な理解に長けていても、ものを書くうえでの考える筋肉には行き着かないので、最近は、そうした実践でのトレーニングに、かなり力を入れているんですよね。

木村面白いですねぇ。そうした鍛錬を課すインストラクターとしては、山田さんは「長く考えること」を奨励しているように、ぼくからは見えていますが、そのあたりはどうお考えですか?

山田長く考えることによって、上っ面だけのものではなく、より、それぞれの人にとって根幹に近いものが言葉にも出てきます。だから、やはりそこは重視しています。ただ、いたずらに「根幹を考えなければ」と意識するだけでは、かえって自分自身を深く掘れませんから、いくつかのルートを通ってもらうことにはなるのですが。ワークシートを用いてそのようなルートを通って、過去、現在、未来、あとは一見ムダに思えるような考えなどからも、自分自身を掘り下げてもらう。......すると、「あ、これだ!」というところに行き着きやすいんです。書く題材さえ見つかれば、もう、放っておいても夢中で表現するようになる場合が多いですね。

 つまり、「根幹が言葉になって出たかどうか」と、「そこに至れるまでの筋肉がついたのか」が、今の私にとっては教育のゴールと言えます。ただ、木村さんがやっているインタビューというのは、いわゆる教育的な活動とは違いますよね。教育と比較して言えば、どんな行為なんですか?

木村教育と近いところがあるのは「発見」を伝える、という点かもしれません。客観的に証拠のある事実としての発見でなくても良くて、取材対象者が「世の中って、本当にこういうものなのだなぁ......」みたいに納得したことなら、それまでに間違えたことも含めた、主観としての「発見の道筋」をうかがうことはできる。それを、インタビューしているように捉えています。何を発見したのかを聞き続けることで、それぞれの人の内面の世界の広さをまるごと感じさせてもらう、と言いますか。

山田「発見」という言葉で、今、思い当たることがあったんです。木村さんの『インタビュー』という本の内容には、繰り返しも多いんですよね。まるで、ボレロを聴いているかのように、静かなトーンで、同じようなフレーズが、長いひとつながりの中でうねるように出てきます。まるで、キャッチーな箇所だけを抜かれて短絡的に誤解されることを避ける意図で、そうしたかのように......。

 それを読み続けるうちに、それこそ「発見」したことがありました。話題が1周まわって、また、あの独特な単語が出てきた、となる時には、こちらの読み方も変わっているんですね。例えば、「はりぼて」や「ドーピング」という言葉。これらは、木村さんが現在の取材をめぐる嘘を語るうえでかなり重要な位置づけを持つ単語です。はじめに読んだ時には、むしろ「......ん、どういうことだろう?」とさえ思わされる文脈で使われている言葉ばかりなのですが、本の内容が進むにつれて、自分の中でどんどん深まっていくんですよね。

 そして、最後のほうで出てくる時には、もはや、読んでいる私自身が深めた理解や、その言葉にこめる木村さんの気持ちや、あとは、その単語を使って描写している世界からせまってくるものだとかいうのが、もう、まるで交響曲を聴き終える直前のように、螺旋状に高まって響いてきたんですよね......。あの静かに高まる感覚は、何とも他では味わいにくいと言うか......。ああいう読後感や、もっと言えば「読中感」みたいなものを感じた本は、私にははじめてでした。

 本の中でよく出てくるフレーズで言えば、「逃げる」「引き返せなくなる」というような表現も、自分の中では何かものすごく響いたんですけど、木村さん自身は、取材などを通して、何から「逃げて」こられたのですか?

木村ぼく自身もいろんなものから逃げて今に至っていますし、実は、いろんな人を取材していても、ほとんどの人からそのように感じる面もあるんです。だから、何から逃げているのかに、それぞれの人らしさが出るように思って、「逃げる」という点を大事にしてきました。自分自身のことで言えば、自分に要因があったり、他人に要因があったりとそのつどいろいろですが、根本的には「この場所にいることは、もう無理だ」という感じで逃げ続けてきたように思っています。

 そもそも、インタビューにのめりこんだことも、ある意味ではいわゆる王道の、誰が見てもそれは素晴らしい進路だね、と言われるような道からの現実逃避だったのかもしれません。このあたりは長い話になってしまうのですが、当時の感覚を抽象的に言うのならば、「すでに通用していない従来通りのワクの中に現実を押しこめてものごとを語った気になっている、同じ意味の縮小再生産のような言葉」に違和感を抱いて、インタビューを通したら、そういうものと比較的違うものに入りこめそうにも感じていたんです。そのような問題意識も、どこか、今回の『インタビュー』という本につながっている気がします。

 それから、所属することになった組織から離れて独立したことにしても、集団からの「逃げ」だったのかもしれません。そのような選択の連続によって、ぼく自身としては、いわゆる「主流」からはずれた、下野したな、という感覚が強くありました。そこをもってして「逃げ」に関心を持ちはじめたのかもしれないとも思います。ただ、実はのちにいろんなタイプの人を取材するようになると、ぼくから見たら正統派、王道を堂々と進んでいるように見えている人たちにも、どうも、いずれは「けもの道」を進まざるをえなくなり、ある意味では「逸脱」と言うか「すでにあるワクからの逃避」みたいなものに直面せざるをえない分岐点があるみたいなんですね。その体感は面白いなぁと感じました。

山田今、木村さんが話されたこと、私も本当に同じような想いで、これまで来ているんです。木村さんも、きっと「......はぁ、インタビュアーって何?」と言われ続けてきたかと思いますが、私の「文章表現インストラクター」もそうでしたからね。例えば、企業を辞めたあとに大学院に入り直して大学教授になるというようなわかりやすい道を進めば、そのあたりもまた別なんでしょうけれども。ただ、やっぱり、ハタから見たらわかりづらいところにいるからこそ見えてくるものもありまして......。

 だからこそ、私は『インタビュー』の「おわりに」で、この道を選択したことへの喜びに満ちている箇所を読んで、うれしくて仕方がなかったんです。私もそうだ、と思って。17年間、私もこの道を進んできて、うまく見せようとするのではなく、うまくやろうとするのでもなく、本当に、表現を引き出すことがうまくできるように「実際になった」んですよね......。あの「おわりに」の喜びは、すごく自分の中で響きました。

木村その、表現を引き出すことについての感覚、素晴らしいですね......。そこのあたりの今の手ごたえを、つい、無限に聞いてみたくもなってしまいます。

山田例えば、さっきも少し触れた17歳へのワークショップというのには、大きな手ごたえを感じ続けています。私の授業で書いてもらうのは、キャリアプランを立てるだとか、目標を描いてみるだとかいうような職業訓練的なものでもないんです。ただ、やはり、深い想いを出してもらおうとするなら、それなりに切実な仕掛けをしなければなりません。

 「興味のある仕事は何だろう」「現代社会をどう思うのか」「今まで自分はどう生きてきたか」というような3要素を掛けあわせながら、かつ、自分に対して一歩も嘘をつかずに、正直な自分の想いを明らかにしながら、自分の将来のビジョンを描いてもらう。そういう課題を出しています。

 これは、大人でもかなり難しいことだから、高校生向けにやることに、はじめは躊躇もしたものです。いくら何でも、会って3時間半ほどでは、そこまで行かないのかもしれない、と。でも、初年度から、予想を遥かに超える感じで高校生たちは食いついてきました。高校の先生がたも、あそこまで書けるとは思わなかった、と泣いていらして。

 これは、全国の高校生にやって欲しいほどの体験だと思っているんです。人生のどこかの段階で、1回でも自分自身の想いと深く通じて、それを日記などではなく、きちんとした言葉にあらわして、それを誰かに受けとめてもらえたという喜びがある人は、のちにも自分の道を生きていけるんじゃないかと考えています。私のやっていることは、そこに主眼があるんですね。仕事の話を記してもらうけれど、キャリアプランの結論そのものには重点はない。深い想いを言葉にして出すことに重きが置かれているんです。「自分の中には、こんな想いがあったのか」というのを味わって欲しい。それで、最近は公開講座にも前向きに取り組みはじめています。

木村面白いなぁ。そういう手ごたえを感じておられるんですね。

山田だからこそ、最近、「考える筋トレ」を重視しているんです。連載の「おとなの小論文教室。」にしても、やっぱり、福祉ではない。ホスピスでもない。トレーニングジムのような場なんだ、と前よりも意識しているんです。前には、もう少し「優しさ」や「受容」の部分を出さなければならない、となかば無理もしていました。でも、今は、ある意味では、厳しくていいんだ、だからこそ鍛えられる「考える筋肉」があるのではないか、と捉えているんです。今週は厳しすぎて読めません、という人もいるかもしれません。でも、それは熱を出したらトレーニングに行けないようなもので、「元気になるまでは、もう少し優しいところを読んで休んでおいてください。元気になったら、ばっちり鍛えてあげますから、またおいで!」とトレーナーとして言える感じに、吹っ切れました。

木村山田さんから学んだ人の、後日のうれしい話なんかも届いていそうです。

山田『伝わる・揺さぶる!文章を書く』をテキストにしてきましたが、今度、おかげさまで新書を出すことになりました、と献本してくださる本の作者も出てきました。国内だけでなく、海外で読んで使っていただいていることもうれしいです。

 あとは、大学時代に私の授業には真剣に取り組んでくれたけれど、就職活動は困難なので、いったん、本当の想いから離れたという人もいました。ある意味では、自分に嘘をついて、マニュアル通りにうまく就職をした。しかし、それでは現場で続かず、会社を辞めることになった。その時に、その人は私の授業を思い出してくれたそうなんです。授業で表現したこと。自分の原点にあたる言葉。そこを大事にして再就職したら、今度は迷わないどころか、自分の原点にあたるほど大事にしていることを、他の人にも伝えたくなったそうなんです。実際には、あるサイトの編集者さんになっているのですが、編集者として私に仕事を依頼してくれた際に、そんなことを伝えてもらったのも、やっぱりうれしかったですね。

木村その人、良かったなぁ......。山田さんにとって、読者や学生というのは、どういう存在なんですか?

山田私は、38歳で会社を辞めて、肩書も仕事もフィールドも関わる人も、すべてなくなりました。すると、自分が何者なのか、ぐらぐらしたんです。でも、生の声を上げてみた。それをコラムにアップする。私の中では、暗闇の中で発信するような行為でした。

 それを受けとめてくれた人から、感想が返ってきます。まずは、木村さんから返ってきた。その次には、読者から。自分の正体というのは、本当にはわからないままなんだけれど、そこで返ってきた言葉によって、その一端が見えてくることがあったんです。だから、この17年間、仕事を通して関わる読者や学生の言葉の中に、たくさんの私を見てきました。他者ではあるけど、ほとんど一心同体で、そこがなければ私もいなかったであろうという、読者や学生は、私にとってそんな存在ですね。

 ......それにしても、今回、この『インタビュー』という本を読んで、良かったです。「私に、権威とか世の中のシステムとかに取りこまれないようにする遺伝子をくださって、本当にありがとう」ということをあらためて感じて読んでいました。それを、今日は私の文章の「お母さん」に伝えたいです。考えてみたら、かつてはそんなに勇気のあることができるような人間でもなかったんですよね。でも、いつのまにか、本当に楽しいと思える、自分の想いに沿った道を、大胆に歩いていて......。その変化には、7年間、文章の点で木村さんに育てられたことも大きかったんです。本当に、感謝しています。

木村最初のほうからずっと、胸が一杯になって、夢中になって話をうかがっていました......。こちらこそ、本当にありがとうございます。もう、それ以上、言葉が出てきません。

(他にも、いろいろな対話を重ねたのですが、今回のところは、ここまでで終わりにします。読んでくださり、どうもありがとうございました)


    

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

バックナンバー