今月の特集1

今年8月に発刊となり、共感の声をたくさんいただいている『似合わない服』。本書の著者、山口ミルコさんは、角川書店を経て幻冬舎の創業に携わり、編集者として20年にわたり、数々のベストセラーを世に送り出してこられました。その頃に担当されていた作家のお一人が、今回のスペシャルゲスト、小川洋子さんです。

ある日、『似合わない服』を読んでくださった小川さんからミルコさんにお手紙が届きます。そこには、当時「似合わない服」を着ていたミルコさんがいなければ、生まれなかった小説があったこと、そして自分も同じように「似合わない服」を着ていたであろうその時代を愛おしく思っていることなどが、綴られていました。今回の対談は、そんなお二人の当時のお話を、ぜひおうかがいしたい、という編集部のお願いに、小川さんが快く応えてくださったことで実現しました。

お二人の出会い、プラハへの取材旅行などをしながら本づくりをしていた頃のこと、ミルコさんをよく知る小川さんならではの、『似合わない服』や前著『毛のない生活』のお話、そしてファンにはたまらない、小川さんの小説の創作のお話まで、3日間にわたり、盛りだくさんでお届けします!

(聞き手:三島邦弘・星野友里、構成:星野友里、写真:三島邦弘)

小川洋子×山口ミルコ 私たちが「似合わない服」を着ていた頃(3)

2017.11.22更新


自分が自分じゃなくなる怖さ

ミルコあとはすごくなんか矛盾しているようなんだけど、先ほどの、小川洋子が小川洋子でなくなって、小川洋子になったみたいなことなんですけど、自分に還っていく過程で自分をなくしていくというかな、たぶん病気もそういうところがすごくあって。

小川そうそう、だから病気になったときに、自分が自分じゃなくなるっていうのがすごく怖かったって書いておられます。自分の意思ではなくて、「勝手な型紙でセーターを編む」。もうなんて凄い表現だろうと思いました。

一心不乱に、勝手な編み物がすすめられている。何者かによって。ものすごい速さで。私の意志はそっちのけで。そして異常な細胞が、美しい編目で編まれて、「どう? とってもステキでしょう?」と誇らしげにヒトの体にまとわりつく。


ミルコそれがガン。

小川でもそういうふうに具体的な映像としてイメージできると、ある意味、一歩前進できますね。正体がわからないものに対して、どうなるんだろう? とむやみに怖がっていると、苦しいばかりです。

ミルコそうなんですよ。でも、型紙の勢いに負けちゃったら身体がダメになっちゃうので、そこで一回戦争があるんですよ。やっぱり戦わなくちゃいけなくて。そのために、抗がん剤という手を打たなきゃいけないというのは絶対あると思っていて。私もだから戦ったんだなって思ったんです。終わって。

小川うんうんうん、立派に戦ったじゃないですか。


自然のリズムはもっとゆっくり

小川一番適切な時期に、適切なことが起こるっていうことですね。人間のペースよりも自然のペースのほうがやっぱり遅い、ゆっくりなんです、きっと。人間の頭で理屈で、次こうしたいとかこうしようとかこうするべきだとか考えるペースよりも、よきことが起こるリズムは本当はもっとゆっくりなんでしょうね。

ミルコやっぱり我慢するとか待つとかっていうのはすごく大事だなって。今それができていない人がすごく多いんじゃないかな、って思うんですよね。

小川風邪を引いても、実は頭で思うよりずっと長くかかるんですよね、治るまでに。小説も、終わりが近づいてきたときに、早く終わりたいからと、作家が無理をして終わらせるとダメなんですよ。

ミルコでもだいたい終わりを教えてくれるって言いますよね。

小川そう、教えてくれるまで待てるかどうか。だからやっぱり余裕がないとね。小説なんて、ゆっくりやることの最たるものですよ。どんなに急いだって、一字一字しか書けないんですから。効率、効率の現代社会で、小説ほどコツコツなものも、ないかもしれない。


死者は雄弁

ミルコゆっくり自分がそっちのほうに寄り添うようにしてみると、私なんかは、会社を辞めて暇になっちゃったからそうせざるをえなかった、病気もしたっていうのもあったんですけど、なんというか、死んでる人に起こされるっていう感覚が、この3年ぐらいかな、あって。必ず朝方起こされるんですよ。それで死者についての本を読んだり執筆をしたり。ちょっとすごく不思議な感じ。

小川本当に大事なことをやっているときって、そういうことなのかもしれないですね。自分の意思じゃないものに動かされる。

ミルコ洋子さんが以前、「自分は死者のことばかり書いている気がする」って仰っていて、ほんのちょっとだけれどもわかったというか。これから生きているあいだに書けるかわからないですけど、何か書くとしたら、この先そういう死者のことを...今からちょっと勉強させられているのかなって。

小川そうですね。死者は雄弁ですよ。生きている人はやっぱり都合よく取り繕ったり嘘をついたり、薄っぺらな言葉しか持っていない。しゃべれなくなってからが人間ね、大事ですよ。死んだ後に、どんな言葉をくみとってもらえるかっていうのが。

ミルコだから、くみとり係ですよね。

小川そう、作家ってそういう係。世の中には、そういう係が必要なんですよね。


うまくいかないことも含めて、ちゃんとなっている

小川小説を書き終わったときも、あっ自分が書いたんじゃないみたいな気がするっていうのが一番の喜びです。自分が書いたんだって思ったら、それは小さな達成感でしかないんだけど、「え? これ私が書いた?」って思うときが本当の喜びですね。

ミルコあの、私も本当にもうまだひよっこなんですけど、『似合わない服』がわりとそういう感じで。『毛のない生活』のあとに、もうガンはこれで終わりって思っていたんですね。ただ一緒に闘病していた友達が死んで、「ああ、ガンだ」と思って。そのとき札幌にいたんですけど、その日のうちに三島さんに原稿を送ったんですよね。ガンのことはもう終わりって思ってたけど、なんかこう起こされて、自分がやったんだけど自分じゃないみたいな。

小川でしょうね、それはいい本になった証拠ですよ。

ミルコありがとうございます。だからね、そう思ったら人が死ぬのはあんまり寂しくなくなった。

小川なるほどね。これ以上ない自然なことですよ、死ぬっていうことは。

ミルコそうですよね。だからすごくうまいことできてるなって思って。

小川だからそんなに焦ったり、嘆いたり、人の悪口言ったりする必要ないんですよ。うまくできているんですから。

ミルコ何にもない。それで、うまくいかないことも含めてちゃんとなってるって思えるようになったら、もう何にもこう、ビクビクしなくなったんですよね。

小川それが身体にもいいことなんでしょうね。


小説は、「これ以上」がいつもあるからいい

ミルコ次の作品はどんな?

小川来年の1月くらいに発刊予定(『口笛の上手な白雪姫』幻冬舎)で、子どもと音楽が出てくる短編集なんです。でもそれは最初からそうしようって言っていたわけではなくて、必ず子どもと音楽が出てくるなって、途中で気がついたんです。

ミルコへぇすごいですねぇ。楽しみです。


―― 今の最新刊の、『不時着する流星たち』の着想は、どんなふうにして思いつかれたんですか?

小川『ニーチェの馬』っていうものすごく退屈な映画があるんです。ニーチェって広場で馬に蹴られた日から精神が錯乱したそうなんですね。

―― ああそうですか。全く知らなかった。

小川で、『ニーチェの馬』は、その馬を飼っていた農夫の話なんです。ニーチェは一切出てこない。その関係の絶妙さがおもしろいな、と思いました。実際に起こった出来事をちょっと違う方向から切り取って、みんなが知っている出来事なんだけど、誰も知らない話っていうのを書いてみようというのが始まりです。


ミルコすごい。読んだことのないものだった。なんていうのかな、小説でしかできない。『ブラフマンの埋葬』と『琥珀のまたたき』ぐらいで、もう本当にこれ以上ないなと思っていたんですね。そしたら、『不時着する流星たち』が送られてきて。あれって思って。

小川いやでも、小説は、これ以上ない、というのがないからいいんですよね。これ以上がいつもある。

ミルコだからね、なんかこう、小説は本当に小川洋子を得て幸せだったなと。


―― いかがでしたでしょうか。お二人の濃密な対話、今でもこのときのことを想い出すと胸が温かくなります。これを機に、お二人の作品を、ぜひあらためて、お手にとってみていただけたらと思います。

於・ブレッツカフェ クレープリー 銀座店


   

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小川洋子(おがわ・ようこ)

1962年、岡山生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。88年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。91年、「妊娠カレンダー」で芥川賞を受賞。2003年刊『博士の愛した数式』がベストセラーになり、翌年、同作で読売文学賞と本屋大賞を受賞。同じ年、『ブラフマンの埋葬』が泉鏡花文学賞、06年、『ミーナの行進』が谷崎潤一郎賞、13年『ことり』が芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する。来年の1月に『口笛の上手な白雪姫』(幻冬舎)が発刊予定。


山口ミルコ(やまぐち・みるこ)

1965年生まれ。出版社で20年にわたり活躍、さまざまな本をつくる。数々のベストセラーを世に送り出した末、2009年3月に退社。闘病を機に執筆をはじめる。著書に『毛のない生活』(ミシマ社)、『毛の力~ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)がある。大学で「編集」を教えた一年半の記録『ミルコの出版グルグル講義』(河出書房新社)が1月中旬刊予定。

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