今月の特集1


 2017年11月2日(木)に、代官山 蔦屋書店にて『京都で考えた』の刊行記念トークイベントが開催されました。クラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんと吉田浩美さんが、ラジオのDJふうにおおくりするトークショー「クラフト・エヴィング・ラジオ」は今回で第12回目。事前に参加者の方々から寄せられた質問に答えるかたちでお話が繰り広げられ、盛りだくさんのトークショーとなりました。今回は、その中から、本にまつわる3つのお話をお届けします。

(構成:野崎敬乃 構成補助:星野友里)

クラフト・エヴィング商會と私 番外編~『京都で考えた』刊行記念トークイベントレポート

2017.12.08更新

鞄のなかにカフカの『城』が入っているぼく

篤弘今回の本にはいろんなことを書きましたけれど、象徴的にこれを伝えたいということを一つだけ挙げるとしたら、やっぱり本は物体である、ということですね。ぼくは物体としての本が好きなんです。でも、物体としての本という言い方もどうも辛気臭いし、この感覚をどう伝えたらいいのかということをいつも考えているんです。

 今回の本に書いたんですが、フランツ・カフカの『城』という小説がありまして、ぼくはこの本を最初から最後まで通読したことがありません。

その『城』を買ったのは、京都市内のどこであったか忘れてしまったけれど、とても小さな書店で、棚の数も少なく、ごく限られた売れ行きのいい本だけを並べているような店だった。そこに『城』があったのだ。そのとき、『城』を探していたわけではないし、特に読んでみたいと思っていたわけでもない。ただ、(こんなところに『城』がある)という驚きからつい買ってしまったのである。

――『京都で考えた』より


 ここにあるのが京都で買った、35刷です。こんなに分厚くて、めちゃくちゃ文字も細かいですし、びっしりなんですけど、これみんな読んでるんですかねぇ。ときどき開いて少しだけ読んだりするんですが、その開いたところがすごくおもしろいんです。以前『『罪と罰』を読まない』という本を出しましたが、それと似たようなことで、ところどころ読んでいるとたしかにおもしろいんですよ。でも、最後までは読まない。

浩美未完ですからね。いずれにしても最後まで読みきれないですよね。

篤弘これは非常に怪物的な本です。しかもこれを結構な人が持っていたり、読んでいたりすると思うと非常に不思議に感じるんです。同じカフカでも『変身』ならわかるんですよ。薄いしすぐ読めるしね。この本をぼくは今日この鞄の中に入れて(と鞄を示し)持ってきました。もしかしてこの会場に『城』を持っている人がいたら驚きなんですが、まずいないですよね。ぼくが思うに、鞄の中に『城』が入っているぼくと、鞄に『城』が入っていないぼくとでは、ぼく自身の感覚が違うんです。本にはそういう力がある。やはり物体としてそこにあるということが重要なんです。

浩美お弁当を鞄に入れているのと近い感じですよね。

篤弘お弁当は食べちゃうからね。食べたらなくなってしまう。でも本は──しかもこんなに長い本はなかなか読み終わらないですから。でも、お弁当を持っている感覚と確かに近いんです。鞄の中にお弁当があったら、それだけで恐いものなしですよ。

浩美でも、お弁当より本が入っているほうが、もっと大きな世界が入っている感じがする。

篤弘世界がひとつ入っているといっても過言ではないですよね。このことをなんとかしていろいろな角度から伝えたいんです。


途中の2ページをじっくり読む

浩美「もしまた未読座談会をするなら、なにをお題にしますか?」という質問がきているんですが、どんな本でも、まずは未読の状態でその本について話し合ったりすることが日常的に多いですよね。そういうところからアイデアが生まれてくることもよくあります。

篤弘さっきも言ったとおり、ぼくは『城』を通読していないんですが、今日も2ページくらいは読んでみました。2ページ分だけ読むありがたさというか、その2ページをものすごくじっくり読むんです。そうすると、その少し前のページに何が書かれているのかを、つい考え始めてしまう。そうして考えているときに物語のアイデアが浮かぶんです。頭から読んでいってその2ページに至るよりも、ぱっと開いた2ページだけをじっくり読むほうがディテールがものすごく頭にはいってくるんです。まあそれで2ページだけ読んですぐにしまっちゃうんですけど、そういうことを長いあいだやってきたので、もしかしたらぼくは一回も通して読むことなくこれから何年、何十年といくのかもしれないです。


未来と約束をする

篤弘『京都で考えた』を刊行した後に京都に行きました。そのとき、ふとひらめいたことがありまして、ぼくは、こうして小説を書いたりエッセイを書いたりして、本を作っています。自分の本も作りますし、どなたかの本のお手伝いをすることもあります。それで、つくづく思うのは、これはすべて未来のことなんだな、ということです。今こうして書いているけれど、これを読むのは未来の誰かなんですよね。すごく遠い未来の誰かが読む可能性だってある。

 ぼくは本を書くときにあらかじめこの真っ白い本、これは束見本というんですが、これをかなり早い段階で先に作っていただいているんです。これは次に書く本の束見本で128ページあります。真っ白な128ページの本がもう目の前にあるわけです。逆に云うと、ぼくの目の前にはこの白い本しかなくて、これから書かなきゃならない。でもね、近い未来にここに文字が印刷されて書店に並ぶわけです。そういう未来がもうそこまできている。いまはまだ白紙ですけれど、もうすぐそこまできている未来との約束がここにあるわけです。だから、これさえあれば、未来とつながることができるわけです。未来の本を書くことができると思うんです。

 ぼくは常に自分を楽しませたいです。それはいつでも未来の自分で、ちょっと先、もうちょっと先、かなり先の自分、未来にいる自分を楽しませたいんです。お弁当をつくるのもそうですし、メモをとることも、本を買うのも未来の自分のためにです。本を買うというのは、未来の自分がそれを読むということです。いわば、未来を買う、未来の時間とつながる、未来と約束するということです。

 ぼくの仕事は、そうした未来とのつながりがとてもわかりやすいと思いますが、ぼくだけではなく、誰もが未来のために働いているんです。仕事の話だけではなく、生きていくということが、自然とそうなってる。
これまで、京都に行くと過去のことばかり考えていたんですが、本を書きあげてから京都へ行ってみたら、「未来」のことばかり考えていました。

浩美なぜ本を買うのか、ということですよね。

篤弘そういうことです。未来の自分を楽しませるため──未来の自分に「この本を読もう」と約束しているわけです。

浩美だから図書館で借りちゃだめなんですよね。図書館で借りると、未来の期限が短くなっちゃいますから。

篤弘図書館の本は返さなくてはならないので、未来が限定されて短くなってしまうわけです。未来はなるべく大きくて広くて自由である方がいいです。その長さや自由さを決めるのも自分なんですね。
本を買うというのは、未来について考える、とてもシンプルな入口なんだと思います。

 2017年11月18日に吉田篤弘さんの新刊『金曜日の本』(中央公論新社)が発売となりました。こちらは装丁も、ページ数も、そして内容も、『京都で考えた』の双子のような一冊です。ぜひ2冊合わせてお楽しみください。

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