今月の特集2

 2016年12月16日。あの伝説の漢(おとこ)がミシマ社に再び姿を現しました。その名も大越裕。ミシマ社初期メンバーの一人です。代表・三島の著作『計画と無計画のあいだ』のなかでも常に伝説的なエピソードとともに登場し、隠れファンも多いという噂。そんな大越さんが、ミシマ社創業10周年となる年に、代表・三島、営業・渡辺と共に語り合いました。

伝説リターンズ〜〜あのミシマ社初期メンバーが一夜限りの復活!?(1)

2017.01.09更新

大越さん、お久しぶりです!


三島今日はお越しいただいて、ありがとうございます。おかげさまで2016年10月で、ミシマ社は10周年を迎えることができました。振り返ってみると、ミシマ社最初の本は2006年12月に出した『本当は知らなかった日本のこと』という、まだ僕が一人出版社だった時代に作った本です。その本を出した直後に来てくれたのが、営業チームリーダーの渡辺であり、今回のゲストでお呼びした大越さんでした。では、簡単に自己紹介をお願いします。

大越どうも初めまして、大越裕といいます。今は独立して、神戸に住んでライターをやっています。私がミシマ社に加わったのは、2007年の9月でした。創業初期の5年間、渦巻いていた妙な熱気みたいなものを今日はお話しできるといいかなと思っております。

渡辺営業チームの渡辺佑一と申します。三島が書いた『計画と無計画のあいだ』(河出書房新社)に、最初の社員ということで登場するのが私です。普段は自由が丘オフィスで働いています。大越さんと会うのも久しぶりなので、今日はとても楽しみです。

三島大越さんは今、主にどんなことを?

大越関西には理系が強い大学や、ものづくり企業が沢山あることから、「理系ライターズチーム・パスカル」というライター集団を5年前に結成し、その仕事がメインです。主に大学の研究者の取材や、企業のPRのお手伝いの他、AERAや週刊現代、ビジネス誌にもたまに書かせてもらってます。私はミシマ社に入る前、宣伝会議という広告業界誌の出版社に10年ほどいました。宣伝会議がやっている編集ライター講座という講座の事務局の仕事をしていて、色んな講師を呼んで講演をしてもらううちに、「自分も本をつくりたいなあ」と思うようになりまして。ちょうどそのタイミングで、内田樹先生のホームページの左側に、「独立した三島さんの会社の本です。みんなで応援しましょう」と書いてあるのを発見して、なぜか「あっ、この人にぜひ会わねば」と思ったんです。速攻で三島さんにメールを送ったことを覚えていますが、あの一本のメールで、本当に人生が変わりましたね。

三島そうでしたそうでした。

大越宣伝会議を辞めて、全く書けるかどうかもわからない私に、三島さんが仕事を振ってくれたのが、ライターとしての初仕事でした。無我夢中で書いた原稿に、三島さんがちょっと手を入れると、明らかに3割増しぐらいに良くなることに感激しました。そうこうしているうちに、「良かったらミシマ社に来ない?」と誘われて、入社したわけです。

何もないけど希望だけはある


三島ではここらで、タイムスリップしていきましょうか。初期のミシマ社は、どうでした?

大越何といっても企画会議が面白かったですよね。それまでは会議と名がつく会社にいながら長い会議が大っ嫌いだったので(笑)、「本の企画会議ってこんなにおもしろいんだ」と感動しました。

三島ほ〜。

渡辺あれは面白かった。何もないところに集っている感じというか。

大越本当にね、あの設立間もないミシマ社には、「何もないけど希望だけはある」みたいな空気が漂ってましたよ。企画会議は、その希望がまさに形になっていくスタートの場だった。今では刊行点数が100点近いんですよね。2冊しか出ていなかった10年前に、いまのミシマ社の姿を見たら、びっくりしますよね。

三島いや、あんま変わってないと思います(苦笑)。

大越いや、基本はもちろん変わってないんですよ。当時も、飲み会にはやたらと人が来ましたしね。それもなぜか、一風変わった人が吸い寄せられるように来た印象があります。

三島そうでしたね。ミシマ社は最初のメンバーが渡辺さん、次に木村桃子というのが入って、大越さんが来ました。メンバーが5人くらいになった時に、ワンルームから一軒家に移るんですよ。2008年の3月末か4月ぐらいになるんですけど。

渡辺ちょうど5冊、6冊が出た頃ですね。

三島ワンルームに5、6人となった時に、とてもじゃないけどやばいって思いました。もう本当に酸素が薄くなって。僕はとにかく動きながら仕事をする人なんで、空気が淀むのを異常に嫌うみたいなところがあるんです。それで僕一人、下の喫茶店で仕事したりしていたんですけど、もうなんか耐え難くなって。

渡辺会社に行きたくないという感じでしたね。自分でつくった会社なのに(笑)。

三島そこはワンルームで、引っ越したいなあ、と思っていたところ、ある日一軒家を見つけたんです。全室畳の築50年くらいの古民家。でもここに移ると言ったら、絶対みんなに何か言われるだろうと思って、なかなか発表できずにいました。本当はもう既に契約書にサインをしていたんですけど(笑)。それでメンバーに物件を見てもらう時に、良い所を言おう言おうと思っていたら、大越さんが見た瞬間に「これはいい、これはいい」みたいな感じで爆笑してくれて。今の自由が丘オフィスになりました。

大越あの「家」を最初に見た時の衝撃は忘れられないですね。ミシマ社の醸し出す「生活感」に、まさにどんぴしゃの感じがありました。

三島ミシマ社の初期はもう本当に野生の集まりみたいな感じでした。林さんていう女の子は、本の営業に行くのに、「わたし、この本すごいと思うんです。絶対にビートたけしが取り上げてくれると思うんで、ちょっとフジテレビ行ってきます」とか言い出したり(笑)。「いい本」であることと「たけし」のところに行くという行為には、大分飛躍あるでしょ(笑)。

渡辺しかも、本当に行ったんですよね。

三島電話かかってきて、営業回ってお台場の近くまで来たんで、ちょっとフジテレビまで行ってきましたって。たけしの番組に繋いでもらおうと思ったんですけど、受付で止められてしまいましたって。そりゃそうやろ! 

渡辺そうそう、林さんがミシマ社に入ったきっかけは、大越さんが企画した『謎の会社、世界を変える。――エニグモの挑戦』なんですよね。

三島この本を読んだ読者でね。

渡辺2008年の東京国際ブックフェアにミシマ社はブースを出したのですが、そこに林さんがやってきた。「『謎の会社~』を読んでミシマ社のことを知りました。この本とても面白かったです!」なんて言われて、「それはうれしいなあ」とみんなで感激してたのですが、その後、まさか採用されるとはね。

大越一冊の本が、人の人生を変えるということが、本当にあるんだなと思いましたね。

三島本当にそうですよね。


この一冊で、世界が変わる


三島大越さんのなかで、一番忘れられない出来事はなんですか?

大越いっぱいありますけどね、やっぱり一番思い出に残っているのは、『謎の会社、世界を変える。――エニグモの挑戦』が出たときじゃないですか。エニグモという会社は、海外ファッション通販の「バイマ」というサービスが当たり、今ではテレビコマーシャルなんかも放映しています。そのエニグモの創業者の一人が、私の高校の同級生の須田という男で、もともと博報堂で働いていたんです。彼が30歳の時に同僚の田中さんという方と独立し、その3年後に私が宣伝会議を辞めたのですが、フリーで暇だったし何か面白そうなにおいが漂ってきたので、「お前の会社でバイトさせてくれよ」と頼んで、学生に混じり32歳のオッサンが一人で3カ月ほどアルバイトさせてもらいました。

三島大越さんがミシマ社に入る前ですね。

大越それで働き始めたらすぐに、「この会社はやばい」と思ったんですよ。当時は社員が30人ぐらいだったと思いますが、みんな「自分たちが世界を変える」と本気で思っているのが伝わってきた。代表の須田も「言語の壁がある日本でサービスを開始するより、最初にアメリカで始めた方がいい」みたいなことに10年前から気づいていて、実行しようとしていた。バイマも始まったばかりで、今と比べれば会員数もぜんぜん少なかったですが、「この会社は絶対にくる」と確信したんですね。それを三島さんに話して、経営者の二人と話したら意気投合して、本をつくりましょうということになりました。

三島あれ楽しかったですね。気持ちのいいキャッチボールというか、ボールをお互い全力で投げられるみたいな、濃密な時間がありました。

大越最近、「金が儲かりゃ何でもいい」みたいなITベンチャーが、いろいろ問題を起こしてるじゃないですか。エニグモはITベンチャーだけど、ちゃんと「人間味」があったんですよ。人間のことを理解して、事業をやっている感じがあった。だから本にしたいと思ったんです。2007年の時点では、エニグモも一部の人にしか知られていなかったし、ミシマ社もできたばかりの出版社です。でも僕らは「この本が出来たら絶対に面白い」と確信していた。「この会社はすごい」というのを知っているのは、世界でまだオレたちだけだから、この本を世に放ったらどうなるんだろうってドキドキがすごくて。最初に渡辺さんに原稿を渡したら、夢中になって読んでくれて、本当に嬉しかった。

渡辺僕は詳しくは『計画と無計画のあいだ』に譲りますけど、「四角いタイヤ」でした。ミシマ社に入る前は、本の流通を担う、取次会社の営業マンだったのですが、出版社での営業経験はゼロ。つまり「一冊の本をどう売り伸ばしていくか」ということに関しては、はっきり言って素人だったんです。でも、この原稿を読んだら、「これは何とかしたい! この本を売りたい! 色んな人におすすめしたい!」という初期衝動みたいなものが沸きあがるのを感じました。「四角いタイヤ」というのは要するに、理屈っぽかったんですね。それまでの僕は、アタマで考えないと営業ができなかった。でも、この本のときは、身体が勝手に動いたんです。「売るぞ!」と。理屈じゃない体験が初めてできたんですよね。

大越ミシマ社の初期衝動の熱さみたいなものが、この本に乗り移っているような感じがしましたね。「渋谷のIT業界で働いている若いやつ、全員に読ませる」という気持ちで作った本でした。実際、最近もある大手のベンチャー企業の経営者が、「創業でお金がない時に、エニグモの本を読んですごく参考になった」とブログに書いてくれていて、とても嬉しく思いました。「あの本を読んで起業した」という人もネットで数人見つけて、「一冊の本が他の人の人生を変えるんだ」と感動しましたね。

三島こんな爽快な本ないですよね。


  

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